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ハレのち曇天、それでもケになる。

作者: つぶやくゆうき

私は、生まれは東京、育ちは神奈川。

生を受けて、早26年。時が経つのは早いとは言うが、それを強く思っているのは両親の方だろう。

それは、私も子どもがいたからだろうか。親の愛とは、すごく深く重く優しいものなのだろう。その愛を両親から受けれたことに感謝している。

こんな自己紹介から始めるのは少々恥ずかしいが、それでもこの物語に必要なことなので、よろしくお願いします。


さて、まず親の愛を感じた最初の出来事は結婚式だった。

私たちの結婚式は、お互いの職場の人や友人らなどを呼びたいがために、それなりにお金をかけて行った。それは、大きなホールとその全席から見えるほどに大きいウエディングケーキ。更に料理やお酒にも気を使い、かなりのものとなった。

この企画はもちろん夫婦で話し合い、プランナーと話し合い、知り合いの話を参考にし、綿密に組まれたものだった。


ただ、両親には、伝えなかった。


次に愛を感じたのは、子どもが生まれた時だった。

新婚生活を楽しむために子どもは作らないと決め、1年以上期間を空けていた。

その間に新居への引越し、新婚旅行、既婚者同士の呑み会等々、結婚を噛み締めるように過ごしていた。

そして、お互いに納得した上で子どもを作ることになった。

そうして生まれた我が子は愛おしく、愛情を込めて育てることにした。


ただ、両親には、伝えなかった。


次の時は離婚した時だ。

新婚の時が自由であった分、夫婦から家族になってからすれ違いやいざこざがあったのだろう。今までの鬱憤が溜まって、大喧嘩になった。子どもも見てる前で、子どもっぽく、暴言、暴力、経済的制裁。なんとも大人気ないが、そういうものなのだ。大人とは。


ただ、両親には、頼れなかった。


最後は、私が病気になった時だ。

仕事と子育ての両立は想像を超えた苦労があった。といえば聴きごたえがあるが、実際は自由がないと嘆き、子どもを捌け口にする日々だ。あの頃のことは上手く思い出せない。当時のことをよく知る我が子は面会謝絶だ。それが全ての答えだろう。


もう、両親しか、頼れなかった。


今は、そんな私を支えてくれていることを本当に感謝している。

壮絶だったと簡単には言いたくない。だが、私の感情が溢れ続けるほど壮絶だったのだ。


そんな今日はケの日。

曇天はハレない。




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