第二章 今日から始める職業体験-4-
その日、龍馬が自室たどり着いたのは日が落ちた頃だった。
エリスと昼食を共にしてそのあとその場で別れて午後からの休暇をどうしようかと腹ごなしついでに散歩をしていると人の流れが向かう方向があることに気が付いた。
何があるのかと思いその流れに乗って付いて行くと大きな看板が立てられた場所に行きついて、その様子で何処なのは一発でわかった。
「市場か。凄い活気だな」
何か面白いものがあるかもと市場の中に入っていくとあちらこちらから商売の声が聞こえる。
市場に活気がないほうが問題かと龍馬は歩きながら考えていた。
こういうところで生産物の消費が行わなければ経済は回っていかないのだからこれだけ賑わっているのはそういう観点からも非常に良いことだと頷き納得する。
……。
聞きかじった様な知識と下手に内政省で仕事をしていたから余計に無駄な知識と意見が増えたなと苦笑いを浮かべて、視界に入った横長の椅子に腰を下ろして龍馬は体を伸ばす。
エリスと一緒に行った飯屋が中々美味かったことを思い出し、また行けるように来たルートを頭の中でまとめながら人の行き交いを眺めていた。
元の世界じゃこんなにゆっくり人の行き交いを眺めていたことなんてないなぁと思考がずれていき、元の世界のことをゆっくりと考え始める。
吹き抜ける風のように一瞬で過ぎ去る情報社会の中から考えたらこんなのんびりとした時間は考えたことが無かった。活気のある喧騒や果物や肉、調理した料理などの入り混じった不思議だが嫌な気分のしない匂いに時折吹く涼しげな風。確かにこちらの世界へ来てからのほうが忙しく大変だがこうしたゆったりとして時間は元の世界にはなかった。
色々と思うところがあるけど、来て嫌だっただとか悪かったみたない印象は無いのだから来て、呼ばれてよかったのかも知れないなんて思ってしまう。
などと頭の中でのたまっていると龍馬の前で立ち止まる人影があった。
「隣に座っても良いだろうか?」
「いいですよ、どうぞ」
そう言ってから顔を上げて顔を見る。
くせっ毛の赤髪セミロングを後ろで結って横髪は三つ網で纏めた鳶色の瞳をした赤色を基調とした見たこと無い軍服を来た綺麗な女性が視界に入る。
「ありがとう」
ニコッとした笑顔に龍馬は目を丸くする以外に出来なかった。
見た目の女性らしさとは裏腹に自信に満ち溢れた強い言葉遣いに萎縮してしまう。
「萎縮してしまったかな? 帝国の軍服を着ていれば仕方ないか。よければ少しおしゃべりに付き合ってもらえないだろうか?」
歯に衣着せぬもの言いだがそこに卑屈さは無くひたすらに爽やかで言い知れぬ人の出来の違いを叩きつけらているような気分になりそうな龍馬だったが断る理由も無いし綺麗な女性とおしゃべりできるのはまぁありだろうと肯定した。
「よかった。実は帰路の途中でね、前線は片付いたから私はお役御免だと言われて不貞腐れている最中で少し虫の居所が悪かったのだが」
ちらりと龍馬の方を見て笑みを浮かべる女性。
「従者達を振り払って抜け出してやってかなり気分が晴れているんだ。ふふふっ、今頃大慌てでこの国中を探し回っているだろうさ」
あっけらかんととんでもないことを言うなと龍馬は変な人に絡まれたと先程までの自らの選択を後悔していたが一度肯定したものをすぐに撤回したくなかったのでとりあえず名前を聞いてみた。
「ところで、お名前は? あっ、俺は斑鳩龍馬って言います」
そういうと女性は目を見開いてから急に肩の力が抜けたように肩を撫で下ろしてクスリと笑って答えた。
「私はエルとだけ名乗らせてもらったので良いかな」
「いいですけど、軍人さんなんですよね」
とりあえず何でも良いから会話を続けようと龍馬が質問をする。
「そうだよ。こう見えてもそこそこ偉くてね、こうして町に遊びに来るのも本当は付き人が必要なんだけれど。今日は特別だ」
ふっふっふっと笑うその顔はあくどい目をしていた。
「そういう君はこの町の人かな? あまり聞かない名前だが、異国から移住してきたってところかい?」
「まぁ、当たらずとも遠からずといったところですかね。一応ですけど宮仕えをさせて貰ってて、今は研修期間で上手くいけば登用していただける予定で、今日は休日で上官に昼食を誘われてその帰りです」
余計なことを話しすぎただろうかと思ったが、他国の軍人に話したところでさした問題でもないかと龍馬は一人納得する。
「なるほど、宮仕えと。異国から来た者をか。差し支えなければ聞きたいことがあるのだが」
妙に改まった言い方だったが特に気にせず龍馬は頷く。
「では、この市場について。君の意見を聞きたい。どんな意味に捉えてもらっても構わない」
また変な質問だなぁと思いつつも龍馬は先程考えていたことを噛み砕きながらたとえを交えて口にする。
「活気があって人の行き交いも多い、これは物流や貨幣が正常に流通し適切に経済が回っていると考えられるのではないかと。その流れが正常であればあるほど良い。何故かと言うとこの市場は国中の人が行き来しています。すると当然、物がこの場所へたどり着く、それは地方の民達が育て作り上げた食材や衣類などを行商人が購入して、地方の売り手がここへやってきているということ。その過程で消費される路銀は地方に行き渡り国の枠組みとしての貨幣の価値を安定させることにも繋がるかと。そこからこの市場についてと言う質問の答えですけど。先程までの内容から、国を一つの人体であるとたとえるなら地方は体における手や足や目、そしてそこまでの行路が血管で貨幣が血、その血を全身へ送り出す。つまり、この市場はこの国にとっての心臓と言えるのではないかと。えっとだから何が言いたいかっていうと、ここはこの国にとっては大事な流通網であり国家の心臓。この流れを変えてはいけない重要な場所って所ですかね」
聞きかじった様な簡単に思いつく言葉をそれらしくつくろって口にする。つまり、ちょっと格好を付けたかった。
龍馬の答えに対してエルは驚いた様な顔を隠そうともせず次の瞬間にはさっきまでと同じ笑みを作る。
「なるほど、確かにこれは異国の者とはいえ登用を検討されるのも頷ける。ちょっとした好奇心だったがこれは中々良い人材がこの国には流れついたものだ。どうせなら帝国に来てくれていれば良かったものを」
ちょっと悔しそうな目で龍馬の方を見て呟く。
「ちなみに、今から帝国へ移住するつもりはないかな? 私が口添えしても構わないのだが」
いきなりなんてことを言い出すのだこの人はと龍馬は訝しげな顔で断った。
「まぁ、それもそうか。いや、だがもし登用されなければ何時でも帝国に来たまえ。華国の帝都まで来たまえ。軍人でも役人でもエル・ティアレ・ブラウキングスと約束があると伝えてくれれば私と会えるだろう」
食い気味に話すエルだったが自分が名前を名乗ったことに気が付き、あっとした表情を浮かべて困ったように頬を掻く。
その様子に思わず龍馬はふふっと笑ってしまいやばっと思い顔を引き締めて話す。
「わかりました。もしこちらで上手くいかなかったら頼らせていただきます」
龍馬の様子にあれ? とでも良いだけな様子のエルは数秒後納得して手を打つ。
「なるほどそうか。あぁ、いいやこっちの話。それは置いといて、是非頼ってくれたまえ。正直こちらの国で登用されないのを期待しているよ」
たちの悪い冗談を言うなと龍馬は呆れそうになったが目が本気だったので下手なことは口にしないで置いた。
「ふふっ。こんなに他人と話していて楽しいのは久しぶりだ。遠出をしてきた甲斐はあったな」
満足げな様子でエルは市場に視線を向けていた。
「左様でありますか。ではそろそろお戻り頂きましょうか」
突然真後ろから声が聞こえて龍馬は飛び上がるように立ち上がり振り向いた。
そこには如何にもな初老の執事の様な風貌の男が立っていた。
「失礼致しました。お詫びを申し上げます」
あからさまにぞんざいな扱いをされて龍馬は何なんだこの人と嫌な顔をするとエルが心底申し訳なさそうにしてため息を吐く。
「すまない。こいつは私の使用人だ。害は無いが愛想も無くてな。私からも詫びさせてくれ」
「あっ、いえ」
反射的に答えるとエルは立ち上がり身形を整える。
「実に楽しい時間だった。ありがとう。申し訳ないが見つかってしまったので私の自由時間もここまでだ。では、また何れ良い形で出会えることを願っている」
そういい残してエルは風のように颯爽と去っていった。
「妙な人だっだけど、凄みを感じる人とでもあったな」
名前は確か。
「エル・ティアレ・ブラウキングスか」
これが龍馬と帝国軍第三師団、師団長にして帝位継承第四位 皇女エル・ティアレ・ブラウキングスとの出会いであった。