序章 異界の扉
王帝は天空の支配者たるモノと盟約を交わした。
支配者は遺体を差し出す代わりに新たな肉体が繭から孵る間の繭の安全と一時的な肉体を求め、その盟約は果たされようとしていた。
城内の最も広い広場で白く巨大なドラゴンが口から巨大な繭を吐き出し、それは地面に吸い込まれるように沈んでいく。
「王帝よ、盟約だ。娘をここへ」
王帝の娘と言う一時的な肉体を白いドラゴンは求める。
「無論、オルフィリアここへ」
名前を呼ばれ、王帝の娘であるオルフィリア・ネインバーは粛々と白いドラゴンの前に立つ。
「繭の孵るまでの三年間の辛抱だ。さぁ、我を受け入れよ」
頭をゆっくりと下げた白いドラゴンの鼻先が目の前まで来ると深く息をしてオルフィリアはゆっくりと手を伸ばし優しく触れる。
「盟約をここに、私はオルフィリア・ネインバー。その意識受け入れましょう」
交わされた言葉に反応して、目には見えない何かがオルフィリアを包み込み触れた手が離れると白いド
ラゴンは力なくその場に崩れ落ちた。
「なるほど、我の肉体は中々に大きく美しいな」
オルフィリアの口ぶりは先程までの優しげな雰囲気から一転して厳かさを醸し出すも強いものへと変わり果てていた。
「どうやら上手く行ったようであるな」
王帝はオルフィリアの隣に立ち死した白いドラゴンに目を向ける。
「当たり前だ。この程度の事は何度と無く繰り返している。あぁ、忘れていたが我に名前は無いのでこの体の名前を借りることにさせてもらうぞ」
得意げなオルフィリアは優しげな表情で笑うと王帝へ続けて言葉を紡ぐ。
「では、もう一つの盟約を果そう。王帝よ、我が愛しき死肉を存分と味わいたまえ」
そう、もう一つの盟約。遺体の譲渡、ドラゴンの遺体は何よりも貴重で文字通り頭から爪先、鱗の一枚
に到るまで余すところが無く、特にすべての生命が保持する魔力を吸収し保存する器官である魔核は超一流品で国宝級の物である。
最もあまりにも価値が高すぎて売買も出来ず、原動力として活用するには勿体無いと言う飾るしか使い道の無い扱いに困るとしても有名だ。
オルフィリアの許しを得たと同時に王帝は軍事官レイハント・フレイに指示を出すと待機していたフレイは声を張り上げ兵達に号令を出す。
「これより、ドラゴンの解体作業を開始する! 何一つ無駄の出ないように丁寧に解体することを旨とせよ。では、始め!」
勇ましい号令に寸分狂いの無い返答をした兵士達はそれぞれ決められた担当の部位に近づき作業を開始する。
その作業を面白そうに見つめるオルフィリアに王帝は訝しげな表情で問いかけた。
「見ていて楽しいものかね?」
対して愉快そうに笑って答えた。
「自らが切り刻まれる様など最後までは見れぬだろう?死んでしまうのだから」
悪趣味極まりない発言の意味を理解した王帝は止むなしかとフレイに耳打ちをする。
「念のため護衛をつけておけ」
フレイは頷きオルフィリアの周りに護衛兵を寄せて自分の作業に戻り呟く。
「何も起きなければ良いのだがな」
戦場に居る時に肌に感じる嫌な感覚が不安を煽り、得物を持つ手に力が入る。
解体作業開始から約数時間、魔法を使うことで比較的容易に両翼、尾、頭部、手足、そして胴体のそれぞれの作業にひと段落がつきそれぞれが更に解体されて各所に運ばれている最中であった。
それは奇しくも起こってしまった。
魔法で浮いている胴体の心臓の刳り貫かれた所から血で真っ赤に染まった酒樽ほどの大きさはある魔核が重力に負け落下すると鈍い音を立てて地面に激突し、鈍い音と同時に何かが割れる様な歪な音が広場に響くと急激な魔力の渦が異常な質量を持って暴走を始める。
辺りに居た兵士たちは状況もわからぬままあふれ出る魔力に吹き飛ばされて行く。
「幾ら死体の魔核とは言え、私の肉体だぞ? ああも容易く傷つくはずが無いのだが……」
驚いた様子でオルフィリアが口にするとあざ笑うように魔核が魔力の渦に反発しているのかゆっくりと転がるとその下に零れ落ちた腹部の鱗が地面に幾つも突き刺さっていた。
「なっ!」
否定したくなるような馬鹿げた状況に首を横に振りため息を漏らす。
「何事だ!」
異様な力の流れを感知しフレイが慌ててオルフィリアへ状況の説明を求めるとオルフィリアは気だるげに答えた。
「私の鱗に魔核が落ちて魔核に亀裂が入った。故に内部に貯まった魔力が酷い勢いであふれ出ているのだ」
「つまりどういうことだ」
あまりにもおざなりな発言に呆れたオルフィリアは説明する。
「簡単な話だ、あれは貯めた魔力を放出しきるまで肥大化する。そして魔力の渦はやがて時空を歪ませ魔力を帯びるすべての者を拒絶し吹き飛ばす。つまりこのままでは国は反発する力によって吹き飛んでしまうだろうな」
見誤ったかと自らの盟約を後悔してオルフィリアは悩ましげに頬に手を当てる。
「そんなことをしている場合ではないだろう! あれはどうにかして止められないのか!」
「無理であろう。純粋たる魔力だぞ? 魔核から放出される魔力は他の魔力を相容れない、さっきの兵士達みたいに吹き飛ばされるのが落ちだ。魔力を持たぬ者がおれば魔核に触れれば解決するであろうが、そんな生物はこの世にはおらぬであろう?」
もはや残された手段は天を仰ぎ奇跡が起きることを願うのみであった。
「仕方あるまい!」
フレイは忠告を無視して駆け出していた。
「他者に耳を貸さぬ愚か者か」
冷めた様子で口にするオルフィリアは魔力の渦に突撃するフレイの背中を見ていたがすぐに身を翻した。フレイが魔力に吹き飛ばされてきたからだ。
「かはっ! うっぐぅ……」
壁に激突して苦悶の声を漏らし蹲る姿を見て小さくため息を吐きオルフィリアは辺りの兵士達を自らの傍に寄せる。
「この程度なら問題なかろう。[無垢なる抱球]」
オルフィリアの唱えた魔法により十数人の兵士と軍事官に自らを包む半透明の球体が現われ、魔力の影響を遮断する。
「さて、どうしたものか」
頭の中には溜め込んだ魔力のそのすべてが放出された時の地獄が浮ぶ。逃げることも叶わぬかといって止めに入ることも出来ないとなれば自らの身と少しの命を救うぐらいしか思いつかなかった。三年間と口して一日立たずして約束を違えるかもしれぬと思うと少しだけだが可哀想なことをしたかと後悔を胸の内に膨らませる。
酷だがこのままやり過ごすしかない。
オルフィリアが決断した直後にもう一つ異常事態は起きていた。
魔力の渦が歪ませた空間は質量と空間を凝縮し黒い球体となり、異界の扉をこじ開けようと肥大なる魔力は依然狂ったように暴走し続ける。
魔法の球体を維持しながら成り行きを見守っていたオルフィリアは魔力の渦が生み出した黒い球体から何かが飛び出すのを見た。
それは吐き出されるように飛び出すと勢い良く飛んで行き壁にぶつかるとパサッと音を立てて地面に落ちる。
「白い袋になにか入っておるが。あれは一体……」
一人呟き再び視線を黒い球体に向けると今度は茶色の箱がコテンと転がるように現われそのまま落下した。なんとも珍妙なと考えていると今度は先程より大きな物体が黒い球体から現われそれはまるで落ちてきたような勢いで飛び出してきた。
「人か?」
そう口にしてオルフィリアは気が付いた、あの黒い球体の正体は異界への扉なのだと、魔力が時空を歪ませ質量を持ってして無理やり抉じ開けているのだと。
そうとわかってもどうすることも出来ないと眉間にしわを寄せて飛び出してきた誰かがせめて安らかに逝けるようにと思った直後に目を疑う。現われた人は魔力の渦に吹き飛ばされること無くそのまま転がっていた。
ただ異界の扉を通った弊害か意識が無く体に力が入らず糸の切れた操り人形のように成すがまま、地面を転がり辿りついたのは魔核の目の前で勢いの付いた体から伸びた腕がパシンッと魔核を叩くように触れた。
すると暴走していた魔力はピタリと勢いを止めて手の触れた魔核に吸収されていき視認できるほどの魔力が魔核に触れた手の平から全身に回っていくのが解る。その勢いと性質から考えるもはや寄生していると言ったほうが近い。
「まさかなんと言う偶然たるや。異界の扉から現われたものが魔核を持ち合わせないとは」
信じられないものを見るように目を見開きオルフィリアは不適に笑みを浮かべた。
「いや、いやいやいや。これは面白くなってきたのではないか」
大国を消し飛ばすほどの魔力、それの器に選ばれた人間。
どう考えても面白いに決まっている!
先刻は後悔したがこれは実に面白くなってきたとオルフィリアは隠すこともせず笑みを浮かべたまま視線を魔力の器に向けていた。
完全に収縮した果てしの無い魔力は器に選んだ人間の心臓部近くに魔核を生成しそこに自らのすべてを内包させてすべての事象が落ち着いた。
「収まったかようだな」
オルフィリアは[無垢なる抱球]を解除して器に選ばれた人間に近づいていく。
ずいぶんと身なりの整った青年だというのが第一印象。さらに一緒に現われた茶色の箱に目を向ける。数にして三つ、そのどれもが箱と言うにはやわらかいのか形が崩れていた。この器、いや彼も災難なことになったなとオルフィリアは一人ごちてしゃがんで顔をよく見る。
悪くは無いとオルフィリアは思い息をつくともう一人のオルフィリアの感情が胸を貫いた。
「なるほど、こういうのが好みなのか私は」
皮肉を込めた言葉は誰にも聞かれること無く小さく呟かれた。
「オルフィリア様!」
お前を呼ばれ振り向くと先程守ってやった兵士達も傍まで寄って彼へと視線を移す。
「ちょうど良い。この者を一番近い客間で寝かしてやれ」
「はっ! ですがこの者は一体……」
つまらぬこと口にするものだからオルフィリアはため息を一つ吐き出して答える。
「災難に巻き込まれこの国を救った英雄様よ」
もう一度今度は兵士達に皮肉を込めてやるとばつの悪そうな顔でわかりましたと言うと数人の兵士が彼を担いで場内へと消えていく。
それと入れ替わるようにして王帝がオルフィリアの前にあ現われる。
「これは一体……。何があったのだ」
問いに対してオルフィリアは今起こった事を包み隠さず丁寧に答えた。
「結果としては私の元肉体が幾つか使い物にならなくなったのと軍事官殿が気を失い、魔核を回収し損ねたという所か」
唸るようにドラゴンの魔核を見つめる王帝。流石に国宝級の一品を回収し損ねたのは手痛いなと肩を落とし魔核の周りに転がっている茶色の箱が目に付いた。
「あれはなんだ」
「私にも解らない。だけれど恐らく国宝級の魔核一つ分よりは価値があるものではないか」
異界からの漂流物などここ数百年は目にしたことも無くこれほど状態の良いものとなるとなおさらお目には掛かれない。それに今回はそれを所持していたであろう持ち主さえも引き込んでしまったのだから。
「件の青年か。なんとも災難なことだ。せめてある程度の保障はしてやらんとな」
これを話せば内政官辺りは嫌がるだろうなと一人王帝はごちる。
「人の長とは実に悩ましいな。私には理解できない、苦労してまで人のことを悩むなど」
わざとらしくそういうオルフィリアに王帝は口から息を吐き仕方あるまいそう生まれたのだからと口にして近場の兵士を呼びつけ茶色い箱を丁寧に保管室へ運んで置くように命令し、もう一つ被害状況を纏めるようにとも命令してこの場を後にした。
残されたオルフィリアは魔核が青年に取り付いた様子を思い出し大体の予想を立てる。魔力が肉体に馴染み意識を取り戻すまでの時間を。