耳のある風景
現在、少々困ったことになっている。
呪いの指輪のせいで生えたケモミミが一晩たっても消えていないのだ。
念のために医務室にも行ってみたものの、初めての症例らしく解除法がわからないとの事だった。
学院長は今いないとかで姿をくらますし、もうお手上げ状態。
「うふふ、わたくしとしてはこのままでもいいと思うのですけれど」
「こら、耳を触るな。このままでいいわけないだろ」
「こんなにかわいいのに、メルは恥ずかしがりやさんなのですね」
エリザもこんな調子だしな。
ソニアから私物の帽子を借りはしたが、いつまでも帽子でごまかすわけにもいかないだろう。
早めに手を打ちたい。
「あら、もう授業が始まってしまいますわ。メル、行きましょう」
いつの間にかここに馴染んで普通に授業を受けている自分がいる……こんなはずではなかったのだが。
こうなったら魔法でもなんでも利用できるものは利用すると割り切っていくしかない。
少なくとも、今は。
エリザに連れられ教室へと赴く。
今回の授業は魔法薬学らしい。
「かつて古代のエルフ達は、霊薬を調合する事により様々な奇跡を起こしたと伝えられています。皆さんもその功績に恥じる事のないよう、自覚を持って――」
教師のする退屈な話、どこの世界でもこういうのは変わらないんだな。
机の上には見た事のない不気味な草やキノコ、何か生き物だったであろう干物が並ぶ。
こういうものを平気で扱うんだから魔女のメンタルも大したものだ。
「まあ、面白い素材があるのですね。家にいた頃に見たものもありますわ」
吸血鬼がどこに住んでるのか知らないが、それを聞いたら余計に不気味に思えてきた。
素手で触って大丈夫なんだろうなコレ。
「あら……レシピ通りに作るにはちょっと足りませんわ、わたくし取って来ますね!」
エリザのやつ張り切ってるな。
そう言えば、あいつあんなに凄い魔法が使えるのに魔法学校へ来る必要があるのだろうか?
日中のパワーアップでもしたいのかもしれない。
まあ、人それぞれ理由があるんだろう。
「ディードさん、ちょっとよろしいかしら」
見慣れない素材の扱いに手を焼いていると、ひとりの生徒が話しかけてきた。
綺麗な顔はしているがその目は冷たい印象を受ける。
この手のやつはおそらく学院長と同じタイプの人間だ、プライド高そうだな。
「先に自己紹介しておきます。私はロレイン・ルザルカフ、規範生徒会の代表を務めさせていただいています」
規範生徒会……確かあのデカ女、レムスがそんな事を言っていた。
じゃあこいつはレムス達のリーダーという事か。
「それで、その規範生徒さんがあたしに何か用?」
私の返事が気に入らなかったのか、ロレインはわずかにむっとした表情を見せた。
「今は授業中です、帽子をお取りなさい。……貴女の噂は聞いています。随分と素行が悪いようですが、サン・アルヴンの生徒である以上勝手は許されませんよ」
「……人それぞれに事情ってものがあるもんだよ、あまり口を出すもんじゃない」
事情があるのは本当だ、こんなものこっぱずかしくて人に見せられないからな。
「そうですか。貴女がそういう態度ならやむを得ませんね」
そう言うとロレインは腰のあたりから棒状のものを取り出し、スッと正面に構える。
魔法の杖かと思ったが、これは……どう見てもレイピアだ。
帯剣してやがるぞコイツ。
「ヴィンダ・ブラード!」
呪文!? 剣でも魔法が使えるのか!
規模は小さいが……いや、これはあえて小さくしているのか。
まるで針のような突風がこちらめがけて飛んできた。
「……!」
ロレインの放った鋭い風の刃は、的確に標的を捉えた……つまり、私の帽子。
帽子を叩き落とされた私の頭からぴょこんと出たケモミミを見るや、周囲の生徒から笑いをこらえるような声がクスクスと聞こえてくる。
「てめえ……人様の事情に踏み込んで、いい根性してるな」
「わ、私は……」
ちょっと、いや、かなり頭に来た。
私の迫力を感じたのか、周囲のクスクスがザワザワへと変わる。
その高そうなプライドと合わせて剣でもへし折ってやろうか。
一気に踏み込んで間合いを詰め、ロレインの持つ剣の根本めがけて鋭く蹴りを放つ!
……つもりでいたのだが、間合いを詰めて足を振り上げようと思ったところで体が動かなくなった。
正確に言うと首から下が凍り付いている。
動けないほどに、一瞬で。
「きゃあ! なんてこと!」
足りない素材を取りに行っていたエリザの声がする、今戻ってきたようだ。
何とか首を動かし視線をやると教室の入口にもうひとり、大きな杖を持った小柄な人影がある。
……確かラシール、だったな。
気付くと、私に駆け寄ってきたエリザより後ろにいたはずのラシールがいつの間にかロレインの前まで移動している。
まるで瞬間移動でもしたかのようだ。
ラシールがその手に持った杖で床をトンと突くと、私の体を覆っていた氷が解けて消えていく。
これはこいつの魔法だったんだな。
「……ロレインに近づかないで」
ヴェールの隙間からラシールの目が覗いた。
小学生みたいな体格してるわりには相当な眼力だ。
思わずこっちも睨み返してしまった。
「ロレイン……大丈夫……?」
「ええ……ありがとう、ラシール。……ま、まったく、まるで獣のような方ね。事情があるのなら仕方が無いけど、礼儀を覚えたほうがよろしくてよ」
小さなつむじ風が起こり、落ちていた帽子がフワリと舞って私の頭に乗った。
くそ、この場は抑えておいてやるが、いつか目にもの見せてやるからな。
その後授業も終わり、私は魔工研究室に来ていた。
ちょっと聞きたい事もあるし、適当にサボるにはここがちょうどいい。
「ははは、聞いたぞ、お前昨日から散々だな。今日はロレイン達とケンカしたんだって?」
マリネッタ先生がゲラゲラと下品な笑い声をあげている。
……まったく、こっちは笑い事じゃないっての。
「なあ先生。あのロレインて奴、剣なんか持ってたぞ。いくら魔法学校だからって剣まで許可されてるのか?」
「あ、それは正確には剣じゃないっすよ、あれも魔法の杖っす」
横から声が聞こえ、ミデットがひょっこりと顔を出す。
お前もいたのか、というかここの助手でもしているのかな?
知ってるなら答えてくれるのは別に誰でもいいのだけれど。
「うちの学校ではある程度のレベルに達すると杖をカスタムできるんす、ロレインはレイピア型にカスタムしてるってわけっすね」
なるほど……そういえばレムスもでっかいハンマーを持っていた。
あれも魔法の杖だったのか。
「実はソニアのピコハンもそうなんすよ、ああ見えて優秀なんす」
あいつも?
確かに魔法は大したものだったが、やはり人は見かけによらないという事か。
「なるほど、ラシールの体格に似合わない大きな杖もそういう事ね」
すると今度はマリネッタ先生が答えた。
「いや、ラシールはちょっと特別でね、あの子は1000年にひとりの大天才なんだ。魔力が強すぎて普通の杖じゃ耐えられないから、学院秘蔵のアーティファクトを持たせてるんだよ」
アーティファクトが支給されてるなんて破格の対応だこと。
確かに、ちびっこいくせに迫力のある奴だった。
ちょっと納得。
「全身に魔力を抑える文様や装飾品を施してあれなんだ、本気でやれば私たち教員でも歯が立たないだろうよ」
ジャラジャラした格好にも理由があったんだな。
だけどあの目、とてもじゃないが私の事を良く思ってる感じではない。
面倒な事にならなきゃいいけど。
「あっ! メルったら、こちらにいたのですね。次の授業が始まってしまいますわ」
おっと、エリザに見つかってしまった、サボりもここまでか。
「やれやれ、わかったよ……すぐ行く」
次の授業かあ……正直かったるいな。
魔工研究室でサボっていたいけど、ちゃんと出ないとエリザがうるさいし……
何だかこいつのおかげで魔法の知識が少しずつ備わっていっている気がするんだよな。
教室へ向かうべく廊下を歩いていると、何やら遠くの方が騒がしい。
「なんの騒ぎだ……?」
「なんでしょう、人が集まっているようですけど」
むにゅ
何かが足に当たった、どうやら猫くらいの大きさの小動物のようだ。
「おっと、猫でも迷い込んだのか? お前どこから――」
足元の小動物を抱え上げて……後悔した。
その毛むくじゃらの生き物は猫ほどの大きさがあるネズミで、おまけにその顔は大口に鋭い牙が並んだゴブリンのような容貌をしている。
「うわっ、気持ち悪っ!」
思わず放り投げると、その生き物は素早い身のこなしで廊下のはるか先へと走り去ってしまった。
「あら、今のはグリムラットですわね。こんな所にもいるのですね」
グリムラット……? そういう名前の生き物なのか?
「エリザ、あの生き物の事知ってるのか?」
「はい、実家でたまに出て困るとメイドが言っておりましたの。一匹見るとたくさん現れて、なんでもかじってしまうから厄介だと言ってましたわ」
たくさん現れて何でも食べる……
その何でもの範囲も気になるが、ひょっとして今やばい状況なんじゃないか?
「気をつけろー! グリムラットが出たぞー!」
ほら、言わんこっちゃない。
騒がしかった方向から悲鳴のような声が響いてきた。
それと同時に地響きも発生し、大量のグリムラットがカーペットのように廊下や壁を埋め尽くしながら走ってくる。
その様子はさすがに私でもあまりのおぞましさに寒気がするほどだ。
「うげっ! くそっ、帽子をかじるな!」
グリムラット達は縦横無尽に走り回りながら、壁も家具も服もかじりまくっている、何でもとはそういう事か。
近づくネズミは片っ端から蹴り飛ばしているが、あまりの数にとても追いつかない。
あれ、そういえばエリザの姿が見えない……避難したのならいいのだが。
「ヴィンダ・ブラード!」
誰かが呪文を叫ぶ。
その呪文に呼応し、何十という風の刃がネズミたちを巻き上げていった。
「さあ、今のうちに避難を! 急いで!」
大声で生徒たちの避難誘導をしているのはロレインだ。
こういう時の対処もするのが規範生徒サマとやらなんだろうな。
「このあたりの避難は大体終わったわね……ラシール、お願い」
「……まかせて」
周囲に生徒がいなくなったのを確認すると、今度はラシールがその手に持った大杖を床に向かって一突きした。
杖の上部に仕込まれた宝玉が青く輝く。
ラシールの前方にブラックホールのような穴が現れると、先ほどのロレインの魔法よりもさらに激しい風が巻き起こり、辺りのグリムラット達を猛烈な勢いで吸い込んでいった。
「ふう……ここはもう大丈夫みたいね、次に行きましょう」
一瞬だったな、さすがは規範生徒。
特にラシール……1000年にひとりの天才というのは本当らしいな。
グラッ
あれは……!
ロレインのすぐそばにある柱が崩落しかけている!
あのネズミどもがやたらとかじって回ったのと、ラシールが起こした強風で壊れたのか。
「……!? きゃあ!」
「……ロレイン!」
ロレインめがけて柱が崩れた。
この柱のがれき、そこまで大きくないとはいえ100キロはあるぞ。
……何にせよ、間に合ったな。
「あ、あなた……」
自慢の脚力が生かされるのは蹴りだけじゃないってね。
まあ、自分でもあの距離をダッシュして間に合ったのは驚いているが。
それはそうと、こうして尻餅をついているロレインを見下ろすというのもなかなか面白いもんじゃないか。
「よっ……と」
覆いかぶさるがれきを横に投げ捨てる。
規範生徒サマにも魔法無しでこんなマネはできないだろう。
「……い、意外ですね。貴女は私を嫌っているのではありませんか?」
「ふん、お前がどうなろうと知った事じゃないけど、困ってる奴を笑って見てるほど趣味が悪くはないんでね」
おいおい、助けてもらったくせに素直に礼も言えないのか?
人に礼儀がどうこう言えないだろう。
ガン!
「ぶっ!」
頭に衝撃を感じて振り返ると、ラシールが再び鋭い眼光で睨みつけている。
どうやらあの大杖の丸くなっている部分で殴られたらしい。
「……ロレイン……行こう」
「え、ええ」
このチビ、いきなり人の頭殴りつけやがって、何考えてんだ。
ん? それにしても何か頭が軽くなった気がする。
「あら、メル! いつの間にお耳がなくなったのですか? ……ちょっと残念ですわ」
エリザの声がして頭の上に手をやってみると、確かにあの忌々しい耳が無くなっている。
もしかして……ラシールが消してくれたのか? 本当に何考えてるのかわからない奴だな。
「エリザ、無事だったか。今までどこに――」
うっ! くさっ!
何だこの臭い、エリザのやついったい何を……!?
「グリムラットを追い払うのに良いものを教室から取ってきましたの。グリムラットの内臓少々にドクトカゲの尻尾、鮮血草の葉にトロールの耳と蚊の目玉を調合したものですわ。ドワーフのヒゲがあれば完璧だったのですけど、これでも十分だとメイドが言っておりましたわ」
なんでそんなに平然と持っていられるんだ?
これじゃあグリムラットどころか人間も住めなくなるだろう。
かくいう私も、もう……げ、限界!
「あっ、メル! どちらへ行かれるのですか!? ほかの皆様も……?」
エリザの持ってきた薬によって現場は騒然となったものの、その効果は本物らしく、グリムラットは学校内から姿を消した。
その後、薬学の教師たちの努力もあってエリザの薬を基に無臭の特効薬が開発され、学校内でグリムラットが大暴れすることは無くなったという。