熊出没注意
朝が来た……いつもながらよく眠れなかった。
昨日の出来事は夢だったのかと、いまいち現実味を感じられないまま体を起こす。
「あ、メル、おはようございます。よく眠れましたか?」
反対側のベッドにいたエリザが目覚め、あいさつしてきた。
やはり昨日の出来事は夢じゃない……とすると、やっぱりこいつは吸血鬼なのか?
「吸血鬼が夜寝るのか? だいたいお前、昼間に出歩いていたよな」
「……? はい、お昼に外出しました。だから夜はちゃんと眠りますわ」
そういう意味じゃない、お前が本当に吸血鬼なのかという話だ。
「ああ、そういえば一般的な吸血鬼のイメージというものがあるのでしたわね。わたくしはお日様の光に当たったからといって灰になったりはいたしませんわ。でも、日のあるうちは吸血鬼の力は使えず、普通の人間と同じかちょっと虚弱です」
つまり、夜は不死身だけど昼は虚弱体質な人間ってことか。
時間に気を付ければ退治するのも問題ないわけだ。
「あの……妙な圧を感じるのですけど、ご心配なさらずとも今の吸血鬼はもう何百年も前から血を吸う習慣は廃れていますわ。ですから、その……わたくしが吸血鬼であることもご内密にお願いします、みなさまを怖がらせたくはありませんので……」
血を吸わないのなら吸血鬼とは言わないんじゃないか?
まあ、こいつは人も良さそうだし、寝ている間にガブリなんて事はないかもしれないけど。
「ん? これは……」
いつからそこにあったのか、私のベッドの側にトランクケースが置いてある。
そういえば着の身着のまま拉致されたから荷物を何も持ってきていない、これは私の荷物という事なのだろう。
中にあったのはまず替えの下着と部屋着に制服。
おや、魔法学校お決まりの帽子が無い。
パンフレットによれば特に指定のものはないようだ、帽子は好きじゃないからその点はいいな。
他には口紅くらいの大きさの物体。
しばらくあれこれと触っていたら中途半端な大きさの棒に変形した、これはいわゆる魔法の杖というやつだろうか。
最後に財布、見慣れない通貨が入っている……それなりに入ってはいそうだが、結局いくら入っているのかよくわからない。
それで、荷物はこれだけか。
学校内にいる間は問題ないだろうが、ここから脱出するにあたって狼男のような化物がいるのなら丸腰では心もとない。
ふと、私を見ていたエリザが声を上げた。
「あっ、今日は始業式ですわ!早く準備いたしませんと!」
そうか、学校は今日からだったのか、どうりで誰もいなかったわけだ。
着る物が制服しかないのは気に入らないが、これを着ていれば目立たずに出ていけるかもしれない。
まずは他の奴らがあの霧をどうやって出入りしてるのか確かめなければ。
外に出て周囲の様子を伺うと、同じ制服を着た同年代くらいの少女が何人か歩いているのが見えた。
あの散々な目にあった霧の中から平然と出てきている、何か仕掛けがあるのだろう。
ここは魔法学校らしいから、通行証のような物か術でも必要なのかもしれない。
手っ取り早くひとり捕まえて尋問、いや、質問してみようか……?
「メルったら……発想と目つきが怖いですわ」
思わず声を出しそうになった、エリザがぴったりと後ろについて来ていたのか。
こいつはどうも気配を感じにくい、これも吸血鬼だからなのかな。
というか人の心を読むな。
「もうすぐ始業式が始まりますわ、わたくしたちも早く向かいませんと……」
親切なことだが、こっちはそれどころじゃない。
「……悪いけどあたしは行かない、ここに用はないんでね。ひとりで行って」
昨日の事があるからちょっと強く言いづらい。
だが、今はここから逃げ出す事が先決だ、そもそも入学した覚えなんかないしな。
「そんな事言わないでください! 一緒に行きましょう、メル」
こいつ……おっとりしてるのか押しが強いのか分からない、パンフ1枚届けるためにあんな所まで追いかけてきたくらいだし、芯が強いというか何というか。
「お、いたいた。お前だよな? メルって新入生は」
しまった、ぐだぐだ話してるうちに誰かに見つかってしまった。
しかも私の事を知っているようだ、面倒くさい。
「あたしの事、知ってるのか? おま――」
目の前に立ったその姿を見て思わず息をのむ。
……でかい。
何だコイツ、制服着てるから同い年くらいの女か? どう見ても190㎝くらいはあるぞ。
「先生から頼まれてね。お前は多分始業式にも来ないだろうから連れて来てくれって規範生徒会に依頼があったのさ。だから――」
スパーン! と、良い音がした。
おっと悪い、熊かと思ってつい足が出てしまった。
体の柔軟性を生かしたきれいな前蹴りがデカ女の顔面に命中、ついでにこのまま張り倒してこの場から逃げるとするか。
だが次の瞬間、今度はドッ! と、鈍い音が響く。
それは私の腹にデカ女の足が食い込んだ音だった。
体がでかいぶん足も長い、そしてパワーもある、まるでハンマーみたいな蹴りだ。
「きゃあ! メル!」
エリザの悲鳴が響く。
傍から見ても凄かったのだろう、実際かなり効いた。
「がっ……くそ、てめえ……」
「ふうん、聞いてたとおり凄いなお前。さっきの蹴りもアゴに当たってたらヤバかったかもな」
ほとんど不意打ちみたいな蹴りだったのに、わずかにずらされていたのか。
体格がでかいやつはそれだけで強い、厄介な相手だ。
というか魔法学校じゃないのかここは、魔法とか使えよ。
――なんて考えてる間に、デカ女が組み付いてきた。
お互いに手を突き合わせて力比べの格好になった形だ。
「ぐっ、なんて……バカ力してやがる……」
「ははっ、このオレと力比べができるなんて、やっぱ凄いよお前は!」
力は強い方だと思っていたが、こいつはマズイ……まるで機械に巻き込まれているような圧力を感じる。
持ちこたえてはいるが、踏ん張っている足が地面をえぐるほどグイグイ押し込まれている……何か手を打たないとこのまま潰されかねない。
だが、どうやって……?
「……そこまで」
突然、全身の力が抜け、フワッとした浮遊感に包まれる。
例えではなく、実際に大きな泡のようなものに包まれたらしい。
私もそうだが、目の前にいたデカ女もだ。
「レムス……何やってる……遊んでる場合じゃない……」
「あ、ああ。悪い、ラシール」
もうひとり誰か来た。
今度はずいぶん小さいな、小学生か?
同じ制服……少し変わっているがおそらくは同じ制服だ。
その上からヴェールを被り、全身装飾品まみれで顔もよく見えないが、その分いかにも魔法使いですと言わんばかりの大きな杖が目を引く。
こいつらの会話からすると、デカいほうがレムスで小さいほうがラシールという名前のようだ。
「彼女……わたしが連れていく……レムスも来て……」
デカ女、いや、レムスのシャボンが割れて解放された。
だが私の方はこのまま始業式の会場まで運んでいくつもりらしい。
これが魔法ってやつか……敵に回すと少々厄介な能力だな。