この目覚めに満月は要らない
最近、誰か知らない人間が学院に出入りしていると噂になっていた。
その人物は時折やってきては学院長と話をして去っていく、とのことだ。
「へえ、珍しいな。敷地内で学院外の人間を見るなんて初めてだ」
もっとも私が直に見たわけじゃない。
噂を聞いただけに過ぎなかったし、それはこうして話しているジル達も同じだ。
「出入りしてる人を見た子によると、何だか怖い感じの大男だったそうよ。頻繁に来てるわけじゃないみたいだけど、何をしてるのか気になるわね」
「怖いっす……、もしかして人さらいっすか……!?」
「学院長と話してるって言ってたじゃん、それはないっしょ~」
確かに、学院長と話をしているのなら許可を得ている人間ということだろう。
私達があれこれ気にする事じゃない。
「もしかすると、誰かを探していらっしゃるのかもしれませんわね。どなたかのご家族の方かもしれませんわ」
人探しか。
エリザの言葉で思い出した。
そういえばロレインの親父が人を雇って謎の青年を探していると聞いたな。
といってもここは女子校だ、男はいない。
私だと正体がバレたわけじゃないだろうけど、一応の用心はしておくか。
怪しい男の噂は数日で忘れ去られた。
特に何をするでもなく、また本人が現れなくなったので皆の興味はすっかり失われていたのだった。
私も同様に興味を失い、ロレインの忠告も忘れ日常を過ごしていた。
異変を感じたのはその日の午後だった。
いつもなら私を引っ張ってでも授業を受けさせるエリザがいない。
同じ授業を申請しているというのに、私だけが受けているなんてあり得ない事だ。
「なあ、エリザを見なかった?」
部屋に戻っても姿がなかったので知り合いに聞いてみる事にした。
「いいえ、見てないわ」
「エリザっすか? 魔工研には来てないっすよ」
しかし誰もエリザの姿を見ていないと言う。
さすがにちょっと心配になってきた。
「おい新聞部、お前らなら何か知ってるんじゃないか」
情報と言えば新聞部だ。
いつも何か嗅ぎまわっているからな、情報が入っているかもしれない。
「……貴様はいつも唐突で失礼だな。だいたい何の話でござる」
ござる口調で行くことにしたコバンに話を聞いてみた。
事情を話したものの、やはり知らないらしい。
「エリザの事、見たよ」
「エリザの事、知ってるよ」
だがここに来たのは無駄にはならなかったようだ。
オルガとヘルガが口を揃えて話してくれた。
もっとも二人が口を揃えない事などないのだけれど。
「お前たち、何か知ってるのか?」
「エリザ、知らない人に何か聞かれてた」
「エリザ、知らない人に何か話してた」
知らない人……?
噂になってた怪しい男の事だろうか。
「それで、それからどうなったんだ」
その先の事を聞いてみたが、オルガとヘルガは揃って首を振る。
「その先は知らない、でもその時は学院長もいた」
「その先は知らない、でも学院長に聞いてみれば」
こいつらいつも同時に喋るから文章が違うと聞き取りにくい。
でもそこに学院長がいたという事はわかった。
「わかった、行ってみる。ありがとよ、コバン以外!」
「ムカッ! わざわざ言わなくていい! でござる」
怒り出したコバンを無視して学院長室へと向かう。
学院長か、こっちから会いに行くのは初めてだな。
これで見つかってくれるといいんだけど。
「失礼します。オク……あ、いや、メル・ディードです」
いまだに名前を間違える時がある。
いや、そもそもここに来て新しい名前を名乗らされているんだ。
あの怪物女め、面倒くさいことさせやがって。
「ミス・ディード、どのような要件ですか」
部屋に入り学院長の正面に立つ。
学院長室は思っていたよりも整頓された小綺麗な部屋だった。
魔女の親玉の部屋だから不気味な道具がゴロゴロあるかと思っていたんだけど、あるのはせいぜいエンブレムやトロフィーくらいだ。
おっと、部屋を見ている場合じゃなかった。
「学院長先生、エリザがどこにいるか知りませんか? さっき学院長に会っていたと聞いたんですけど」
私の質問に対し、学院長は眉ひとつ動かさないで答えた。
「その通りです。先ほどロレインの御父上……ルザルカフ卿の使者という方が参られて、エリザに話を聞きたいという事でしたので、私の立ち合いで許可したのです」
ルザルカフ卿の使者だと?
そんな奴がエリザに何の用があるっていうんだ。
ちょっと背筋に冷たいものが走った。
「双方とも特に問題は無いようでしたのでそのままお帰りになりました。エリザも戻ったはずですが……姿が見えないのですか?」
ちょっと、いや、かなり嫌な予感がする。
「……失礼します!」
慌てて学院長室を飛び出した。
そのルザルカフ卿の使者だという男、間違いなく犯人捜しをしているのだろう。
そういえば、あの会場にはエリザと一緒に行ったんだった。
おまけに会場内で話もしている。
どちらかでも誰かに見られていたとしたら、エリザに辿り着く可能性は十分にある。
あの男は帰ったと言っていたな。
つまり正門へは向かっている。
……いや、出入りしているという事はあの霧を超えられるという事。
つまり通行証かそれに準ずるものを持っているはずだ。
だとすると、外部に連れ去られた……!?
再び学院長室へ、今度は挨拶もなく勢いよく飛び込んだ。
「何ですか、騒々しい!」
「学院長、通行証は!? その男は持ってるのか? 何枚!?」
激しくまくし立てるが、学院長は特に慌てる様子もない。
「通行証……? 学院に許可されれば外部の者でも所持しています、もちろん1人につき1枚だけです」
「なら、1枚で何人が通れるんだ!?」
「言葉に気を付けなさい。1枚につき1人、発行を受けた者のみが使えます。……何故そのような事を聞くのですか」
その質問には答えず部屋を飛び出し、校舎の外へと走った。
1枚につき本人1人にしか効果がないのなら、外部に連れ出すことはできない。
エリザはまだ敷地内のどこかにはいる!
「……何だ、この感覚は」
不意に、奇妙な感覚を覚えた。
これは臭いか?
私の嗅覚が鋭くなっているというのだろうか。
「こっち……なのか?」
そんな気がする、というレベルの感覚だった。
だがそれでも私の足はその奇妙な感覚に誘われ進んでいく。
学院の敷地にある深い森、その中でも人の寄り付かない森と霧が交じり合う場所へと。
気を抜けば迷ってしまいそうな霧の中、鬱蒼とした木々の間を歩いていく。
微かに声が聞こえた。
嗅覚だけでなく聴覚も鋭くなっているようだ。
「もう一度聞く、お前と一緒にいたあの男の事を話せ」
「し、知りま……せん……、わたくし……は……何も……」
「わたくしだとか育ちが良いような事を言いやがって、お前がどこの馬の骨ともわからない人間なのは調べがついている。いくらでも揉み消せるんだよ、お前ごときはな!」
「うっ……ゲホッ……!」
何なんだ、この声は。
いつの間にか自分が走り出している事に気が付く。
そして声の主の元に辿り着いた時、私の心は凍りついた。
「……誰だ、こんな所まで来やがって。記憶を消すのも面倒なんだ、あまり手間をかけさせるな」
この男が噂になっていた男か?
やはりまだ敷地内にいた。
そしてその足元には……
「エリ……ザ?」
エリザが倒れている。
ここからでもケガをしているというのがわかる、それほどに痛めつけられたのか。
何かが切れたような感じがした。
張り詰めた糸が千切れるような、そんな感じ。
そして私は私ではなくなった。
「なんだこいつは! くそっ!」
男が棒のようなものを構えるのが見えた。
なんだっけ、魔法の杖?
どうでもいいか。
「ぎゃあああ!」
視界が、真っ赤に染まった。
いつもより、手が大きい、指先もナイフみたいだ。
はは、楽しいな、コレ。
「く、来るな……! 化物!」
化物が、いるのか?
そりゃあ、大変だ。
獲物を、とられないように、しないと。
「……がっ……」
歯がかゆいから、噛みつくのは、なかなか、いい。
いつのまにか、髪がほどけてる、結びなおすの、めんどうだな。
「これは……、一体何が起こっているの!?」
「ひいぃ、あれメルっすか!? 怖いっす……怖すぎるっす!」
なんだよ、面白いところ、だったのに。
さわがしい、奴ら、だな。
しずかに、させてやる、おとなしく、しててくれ。
「メル……いけません……! 目をさまして……!」
うるさい奴らの、ところへ行こうとしたら、だれかが抱きついてきた。
邪魔だよ、はなれろ。
「うっ……ぐ……メル、ごめんなさい! グラドアソ・ルドロ!」
「うぎ……があっ!」
誰かの魔法が発動し、私に牙をむいた。
全身を氷の刃が襲う。
冷たさなど感じず、ただ猛烈な痛みが全身に走った。
「うあ……い、痛てぇ……」
「メル、気が……ついたのですね……」
「え……? エリザ、か? お前いったいどこに――」
赤く、霞んでいた視界が徐々に晴れていく。
だが、その時の光景は信じがたいものだった。
大きく刃物のように変化した私の手が、エリザの腹に深々と突き刺さっているのが見えた。
「う、うわあぁ!」
わけがわからなかった。
どうしてこんな事になっているんだ?
私はただ叫ぶ事しかできなかった。
すると、悲鳴を上げる私の手を、エリザは優しくさすった。
「大丈夫です、心配はいりませんわ……ほら、落ち着いて」
今はまだ日が出ている、大丈夫なはずがない。
しかしエリザはそんな心配をよそに、ゆっくりと私の手を腹から引き抜いた。
驚くべきことにその傷はみるみるうちに塞がり、エリザは私に向かっていつもの笑顔を見せる。
「ほら、ね……大丈夫ですわ」
エリザの優しい笑顔、だがどこかいつもと違う。
誰の血かはわからないが顔まで半分赤く汚れている。
いつもと違う、というのはそういう事ではなかったがとても頭が回る状態じゃあない。
「……これは想定外の事態ね」
その時、『先生』がどこからともなく現れた。
『先生』はぐったりしている男のほうへと歩いていく。
「これぐらいなら問題ないわね、さすが裏稼業は体が資本といったところかしら」
何かが光り、男がヨロヨロと立ち上がった。
そんな奴の傷を治したのか?
「う……くそ、魔女ども覚えていろ――」
立ち去ろうとする男の額に『先生』が指を当てる。
「あなたの雇い主に伝えなさい。この件にこれ以上関わるならリプリン・パフェットが黙っていないとね。後で大統領からも話が行くと思うけど、早い方がいいわ」
『先生』が額に当てた指を押し出すと、その衝撃で男は霧の中へと投げ出され姿を消した。
何なんだ今日は、本当にわけがわからない。
私はいったいどうなっているんだ?
「メル……」
「近寄るな!」
私に近付いて来るエリザを払いのけた。
さっきの光景が目に焼き付いて離れない。
私の……手が……。
「誰も近づくな……、やっぱり私は誰とも関わらないほうが良かったんだ。次は……殺すぞ!」
やっぱり私には人狼の血が流れているのか。
次におかしくなるのはいつだ? 今度は誰を傷付ける?
フラフラとその場を立ち去ろうとしたが、膝から力が抜けて崩れ落ちるのがわかった。
そして私の意識はここで完全に途切れた。
***
どれくらいの時間が経ったのかわからない。
目を覚ますと私はベッドの上だった。
ただし、自室ではなく医務室の。
「目が覚めたかい」
声をかけてきたのはゲーリッチ先生だった。
医務室なんだから当然か。
「君の頑強さには興味があったけど、まさか人狼の血が入っていたとは。もっとも、君が直接呪いを受けたわけではないようだからかなり薄いけどね。一部の特性を引き継いでいるに過ぎない、といったところかな」
話を聞きながら自分の手を見る。
……いつもの手だ。
ほどけた髪を結っても違和感はない。
髪を編み終わると私は静かに立ち上がった。
「あ、君! どこへ行くんだ!」
「お世話になりました……それじゃあ」
ゲーリッチ先生が制止するのも聞かず、医務室を出た。
特に何も考えてはいなかったが、私はいつの間にか自分の部屋に戻ってきていた。
何を求めていたのか自分でもわからない。
エリザに合わせる顔などない。
それでも私は部屋のドアを開けた。
「エリザ……?」
だが、そこにエリザの姿は無かった。
それどころか彼女の荷物なども一切なく、ただベッドがそこにあるのみ。
その日、エリザはサン・アルヴンを去った。




