ジャーラ学園3
グリアがジャーラで生活を始めて二週間が過ぎた。
グリアは、学園長から許可を取り、使われていない時は運動場で魔法で遊ぶ事も許してくれた上、寮に一人では退屈だろうと、自らグリアの部屋を訪れたり、時間を持て余している教師達、個人の部屋への入室も許した。
グリアが特に気に入ったのが、下級学校で理科を教えている教師、アシュインの部屋で、彼が空いている時間になると、グリアは必ず彼の部屋を訪れた。
アシュインの部屋の何が気に入ったのか、それは、彼が授業用に揃えている、科学に関する沢山の映像資料である。
特に気に入っているのが、ネストの外、つまり現実世界に、調査に出かけた時に撮影された、動物達のビデオで、グリアが通い始めて五日で、十本のシリーズを視聴し終えていた。
勿論、アシュインも間に授業がある場合もあるのだが、二日連続で訪れ、ビデオを熱心に見ているグリアを見て、学園長にその事を話すと、下級学校校舎の三階にある、小図書館の奥の視聴覚スペースも使わせて貰える事になり、それならとビデオを見るのは小図書館で、自分の部屋ではグリアが興味を持ちそうなものを渡し、見た感想を聞く場にしていた。
何かを教えると、子供らしく、いくつもの疑問を抱えて、持ってくるこの小さな生徒を、アシュインも他の教師たちも気に入っており、始めこそ戸惑っていた物の、いつの間にやら、グリアが来ると手元の仕事を脇に置き、どの教師たちもグリアを迎えてくれるようになっていた。
だが、教師たちが、どんなにかわいがっても、彼らには敵わない相手が、学園内に三人いた。
まずは、フィーレとサラ。
そしてもう一人が、この学園に来てから、学校のある時間以外は、殆どグリアのそばにいるシナプスだ。
この三人が、五限目を終え、放課後の時間となると、グリアは必ず、下級学舎の昇降口の元に飛んでいき、三人が出てくるのを待つのだ。
それはたとえ、他の教師たちと話しているときでも同じで、ここから後の時間で、グリアが誰かの控室にいた事はまずなかった。
「あ、義兄さん」
昇降口から見て右から二番目の列の下駄箱の陰から出てくる影を見て、グリアは駆けだす。
グリアが飛びつくと、シナプスはグリアの両脇の下を掬い、高々と持ち上げる。
あとひと月もすれば六歳になるグリアは、十二のシナプスにとっては少し重すぎるのではと、側から見ていて思うのだが、シナプスは、そんな事を置く目にも出さず、それどころか天井近くまでグリアを放り投げて受け止めて見せた。
始めの頃こそ、心配して見ていた周りの生徒たちも、今ではすっかり見慣れた光景に、頬を緩ませて中で笑うグリアを見ている。
だが、四回ほどグリアを宙にあげ、それを受け止めていたシナプスの腕が、さらにもう一度と少し勢いをつけ、腕を沈ませたとたんその腕は、ぽとりとグリアを地面に落とした。
どうしてかと、訴えかけるように見つめるグリアに、シナプスはだらりと力が入らなくなった腕を見せ、そして振り返って、まだ少し高い所にある、刺すように見てくる瞳を正面から見据える。
「全く、もしあなたがグリアを落としたら、どう責任を取るつもりなのかしら。言っておくけど、この下はコンクリートなのよ」
彼女の足が苛立たし気にタンタンと音を立てる。
フィーレが両手を人の頭ほどの大きさの球を持つ様にして構えている中が、光り輝いていた。
「もちろん、自分の限界は、分かっていますから、その前に下ろしますよ。フィーレ様こそ、そうして僕のマナを取ったりしたら、危ないじゃないですか。どう責任を取るつもりなんです」
全くの正論に返す言葉が見つからないフィーレは、より一層機嫌を損ね、そっぽを向く。
そこに居るサラに何か言おうとしたのだが、そこに居たはずのサラは、とうにその場を離れていて、いつの間にか、グリアと手を繋いで、二人のやり取りを眺めていた。
「ちょっとサラ、あんたいつの間に」
ニコニコと笑っているサラに、フィーレが詰め寄る。
そのフィーレのカバンを持っていない左手を、空いているグリアの左手が掴んだ。
その目がランランと輝いている所を見ると、今日試してみると言っていた、水を生み出す魔法は上手く行ったらしい。
試しにグリアに上手く行ったのか聞いたのかと言うと、大きく頷いて、グランドへ行こうと、フィーレとサラの手を引いた。
「姉さんにも見せたくって、二回目で上手く出来たから、今日はまだ三回目をやってないんだ」
放課後に成れば、部活動などでグラウンドは使えないはずだが。サラに確認して、グリアにそう言ってやると、彼は「大丈夫」と言って、グラウンドとは反対側へと歩き始めた。使っても大丈夫な場所を他に見つけ、学園長にも良いと言われたのだという。
「グリア、僕も行って良いかな」
シナプスに聞かれて首を一度傾げたグリアは大きく頷く。
そして、繋いでいた手を離すと、重いカバンを持っていて、走れない三人を取り残して、駆けだした。
「あっちに有るのは」
「花壇ですね」
どこからそんな元気が出るのか。グリアを追って走り出したフィーレの影が遠くなっていく。
また取り残された二人は、その後を追う気にもならず、のんびりと歩きながら、この先に有る物を思い出していた。
花壇のあるのは、この学園と、外とを隔てる白い壁のすぐそばの開けた場所である。
塀の向こうは南はナルタから北はイマリの向こうの国、へグルまで続く茫洋とした、ゾアナハの森が広がっている。
森の木と、塀との間が十メートルと離れていないほど近い森からは、もう少し時期が過ぎると、小さな甲虫などが飛んで来て、夏季休業でも学園に残っている子供たちがそれを求めて集まるのが、少しずつ暑い日が増え始めたこの時期では、まだそう言った子供たちも来るわけでも無く、上級学校の飼育係が、動物たちのついでに、水やりをしに来る程度の、この空間には、四人の他に誰の姿も無かった。
二人がたどり着くと、グリアは早く使いたくて、花壇の前で、顔だけをこちらに迎えて、構えている。
フィーレは、そんなグリアをネットワークアプリのカメラの録画モードを開いて、既にグリアを撮っていた。
「サラも義兄さんも遅いよ。良い。見ててね」
グリアは、一度大きく息を吸って、履きだすと、胸に手を当てた。
「水よ生まれて、細かく切れて、雨みたいに降り注げ」
するとまず、花壇の花々の上に、まずこぶし大の水の塊が、どこからともなく生まれた。
建物と壁との間で吹く風が、水の塊の表面を一度揺らした。
そう思った時には、その塊が弾けて、雨粒代の小さな塊に変わり、ピンクと紫の花々の上に降り注いだ。
「どう、すごいでしょ」
心配そうに見つめるサラと手を叩いて褒めてやるフィーレに、グリアは胸を張った。
シナプスはその姿を見て駆けだす。
そして、背中から倒れようとしている小さな体を間一髪のところで、下に滑り込んで受け止めた。
幸い吐血とまでは言っていないようだが、脈が速く、呼吸も早くて浅い。
グリアを背負ったシナプスは、体全体に力をいきわたらせると、風を切って、寮の自室に向かって走り出した。