ジャーラ学園2
ガラスのテーブルを間に挟み、向かい合う二つのソファの片方に座っているヒールは、ルメから受け取った紅茶の入ったカップに口をつけ、向かいのソファで、フィーレとサラに挟まれたいまま、不機嫌そうにキャロットケーキを食べている、グリアを眺めていた。
フィーレはともかくとして、昔から、母の代わりに面倒を見ていたグリアに、サラも本当の姉のように接していて、三人が仲の良い姉弟の様だと、王宮内でも言われてはいたが、それから三年の月日が経ち、その成長を把握しきれていなかったサラが、グリアの分を切り分けて皿に盛ったのが良くなかった。
二人がグリアといた頃とは違い、この頃は、何でも自分でやりたがるグリアは、何も言わず、自分の前の皿を姉の前の空の皿と変えて、ボロボロになったキャロットケーキを新しい皿に乗せた。
二人の姉達は、そんなグリアをどうして良いのか分からず、ただ無言で自分の分を食べた。
「ふう、久しぶりね、ワルマさんのケーキを食べたのは。イマリにいた頃は、色んなお菓子をよく作って貰ってたっけ」
「そうですね、クッキーにスコーンに、あれやこれや入れてもらって、けど、一番作って貰ったのは、このキャロットケーキでしたね。去年の夏に帰った時もそうでした」
因みに、サラが養子として家に来た時も、母が作ったのはこれだった。その時の彼女は、丁度今のグリアと同じくらいの頃だった。
当時のフィーレは、妹のキカが死んでしまったショックから、まだ立ち直れておらず、大人達がどんなに声を掛けても、生返事を返すばかりだった。
そこで、白羽の矢が立ったのがサラだった。
王都の宿屋の看板娘だった彼女は、実はその二年前に、何者かによって殺された皇太子が、学生時代に一時的に恋仲になった、宿屋の娘との子だと分かると、当時まだ生きていた前王からワルマに養子としてとり、フィーレの遊び相手とする事が命じられたらしい。
何も知らないヒールが夏季休暇で学園から家に帰ると、自国の王女がまだ数回しか会っていなかった義妹と、楽しく人形遊びをしていて腰を抜かしたのは、今でもたまに笑い話として上がる。
二人はよく姉妹のようだと言われるけれど、ヒールはそれを聞いていつも首を傾げてしまう。
そもそも見た目がまるで違うのだ。
フィーレが亡きノルア妃を思わせる、全体的にスリムな体格なのに対して、サラは何と言うべきか、今年でまだ十三だとはとても思えない、発育の良さをしていて、背もフィーレよりも頭一つ大きく、ヒールと並んでもあまり変わらない。
それは、性格にも現れていて、フィーレがまだ子供らしい輝きを瞳に宿し、活発に動き回るのに対して、サラは物事を俯瞰して見ていて、ゆったりと構えている印象があるのだ。
心身共に成長が早いのかも知れない。
養子として家に来た事かそれとも、グリアが甘えるせいか、心の何処かで、早く大人にならなければいけないという感情が芽生えたのかもしれない。
フィーレとは違う接し方をするサラを見ていると、ヒールはいつもそう思う。
グリアが誰かに甘える時に、フィーレではなくサラなのも何となく分かってしまう大人っぽさが、サラにはあるのだ。
そのまましばらく、二人はグリアをなだめ続け、今度ジャーラの街を案内する時に何か買ってやるという事で何とか機嫌を取り戻した頃、ドアが再びノックされ、ルメが扉を押し開けると、中に一人の男子生徒が入ってきた。見た目で年はフィーレの一つか二つ下ぐらい。
目はクリッとしていて、何処かフィーレと似た輝きを持ち、人懐っこい笑みを浮かべた彼は、部屋に入ると素早く一礼して、直ぐに顔を上げ、グリアに向かってニッと笑った。
「ナルタ王国王子、シナプス・レントーシュ・ナルタ・ジャーラ・ナルタだ。君がグリアだねよろしく」
シナプスはソファの後ろに立つと、フィーレに抱きしめられたまま背もたれ越しに見るグリアに右手を差し出した。
「よ、よろしく」
グリアが何とかその手を握り返すと、そこでまたシナプスは笑顔になる。
「なんで、貴方がここに来るのよシナプス。今は私達家族の再会を喜んでいる所なのだけれど」
「フィーレ様」
シナプスの事を目を細めてみるフィーレをサラがたしなめる。
一方で、シナプスの方は、そこで慌ててグリアの手を放し、一歩引くとその場で直立の姿勢を取ったまま、
「失礼しました」
と言って、一礼して部屋を出ようとする。
慌ててサラが立ち上がり、彼に頭を何度も下げながら、止めなければそのまま帰ってしまう勢いだった。
一方でヒールは、これで大丈夫なのかと、学園長の居るデスクを見て、それがいつもの事なのだと悟り、また、ソファの前で姿勢を正して、彼らの騒ぎが終わるのを待つことにする。
サラは、腰に手を当てフィーレを叱りつけ、フィーレはグリアを抱き抱えたまま、不貞腐れてグリアの頭にあごを乗せる。
シナプスはと言えば、自分はどうすれば良いのか分からず、扉の前でヒールと同じ様にサラの説教が終わるのを待っている。
腕の時計を見れば、後数十分程の時間で、自分がこの学園を離れなければならない時間になっていて、少し面倒に思いながらもヒールはサラに歩み寄った。
「サラ、私もう少ししたら帰らなければならないの。だから、話の続きは寮に戻ってから、二人だけの時にしてもらってもいいかしら。ほら、シナプス様もお困りの様だし」
「義姉様。そうですね。そうすれば、他人の耳もあまり気にせずに話せますし、ここは一度、終いにしておきましょう」
サラの言葉にホッとしたのは、どうやらヒールだけではなかったらしく、部屋全体の空気が緩んでいくのを感じた。
「それでは改めて、こちらにおられますのが我が国の王子、シナプス様であります。というのは話しましたね。シナプス様は現在当学園の下級学生二年に在籍しておりまして、現在は学生寮に他の学生たちと同様に住まわれております」
学園長に紹介されてようやく機が来たと思ったのか、シナプスはいそいそとグリアの前に立つと再び握手を求めた。
「これから君は僕と同室だ。僕のことは兄だと思ってくれれば良いよ」
グリアが素直に手を取ったことに気を良くしたシナプスが付け足した一言に、フィーレの眉が小さく動き、サラは両手で口を押さえて、腹をくの字に曲げて震えている。
一方でグリアはその言葉を聞いて、姉の腕から直ぐに流れた。
姉の物悲しげな、溜息など耳には届かない様子のグリアは、テーブルの上に置かれた、白くて四角い箱を両手で持つと、それをシナプスに差し出した。
「これは」
受け取った隣国の王子が尋ねると、グリアは
「ワルマから」
と言って、その後で食べかけのテーブルの上のケーキを指差した。
「ワルマは、」まだ全てを理解出来ていない様子の王子に、フィーレが口を開いた。
「ワルマは、私達の父と後は、グリアの世話係をしていた人よ。そこのヒールの母親。それから、貴方がさっきから気にしている、サラの義理の母でもある人ね」
浮かべていた笑顔が凍りつき、シナプスが隣に立つサラを見ると、頷いて返された。
これがどの様な意味を持つのか、恐ろしく思っている横で、今度は服の裾を引くグリアが手招きをしているので、耳を近づけてやる。
「シナプス義兄さんは、姉さんと結婚するんじゃ無いの?」
この姉達にして弟あり。年の割に人のいたい所を容赦なく突いてくる、新たな義弟は、まさか自分も当事者になる時ぐ来るなどと、考えてもいないに違いない。
仮に、フィーレと自分がこのまま合わなくても、彼は自分の義弟になる可能性があるのだ。
シナプスは、自分の父が善意だけで、この小さな王子を引き取ったのでは無い事を知っていた。イマリ王もその事は、気が付いているはずだ。
シナプスは、目の前のまだ何も知らないままのグリアと、そうして、厄介者扱いを受ける妹を哀れみながらも顔には出さずに、グリアの手を取った。
「それでは学園長、私はグリア王子を寮に連れて行きますね。荷物は・・・」
「私が持って行きます」
既に、義理の姉から荷物一式を受け取っていたサラが、扉の前に立つ。
「待ってサラ、私も姉として、弟がこれから暮らす部屋を見ておきたいの」
「そう言うと思っていたのでほら」
サラは、いつの間に取ったのか、グリアが背負って来た、リュックサックをフィーレに渡した。
「それじゃあ、行きましょうか。ヒール、またね」
フィーレは、リュックを肩に背負うと、先頭に立って出て行った。
グリアは、その姉についていこうと、シナプスの手を引いて、部屋を出て行く。
最後にサラが慌てて、頭を下げて扉を閉め、四人は廊下に出ると、丁度来たエレベーターに乗り込み、下へと降りて行った。
「行ってしまいましたね。ヒール殿もさぞ寂しいでしょうね」
四人が、窓の下の昇降口を抜け、そのまま食堂の向こうへと消えて行くのを見届けていると、廊下に出てきていた学園長が隣に立っていた。
「いえ、私は今回だけ送り届けただけですから。本当は、母が来る方が良かったのですけれど、何しろ年ですから」
グリアにとって、惜しむべき別れは、全て出発前に済ませて来ている。
ノルアの遺体も、爆発があった、魔法実験場の中心地から見つかり、その葬儀もグリアが発つ二日前に行われた。
「私もそろそろ、出ないと行けませんので失礼しますね」
自分の分の僅かな荷物を一度部屋に戻り、広い上げて肩から下げる。テーブルの上を片付けていた、ルメと目が合い、互いに会釈をして部屋を出る。
「では、道中お気をつけて、この頃は魔族を襲う輩が連合内でも、数件起きていますから」
「そうですね。私もここに来る時は、かなり気を張ってました」
このところ、魔族を狙った誘拐がコロア連合内で、連続しているのだ。
その目的も犯人も不明な事件は、貴族達を中心に、震え上がらせていて、お陰で傭兵家業をする者達は、町々の酒場や市を賑わせている。
学園長に、もう一度挨拶をしたヒールは裏門に待たせている衛兵の元へと向かう途中で、軽くなった肩を何度も回した。
小気味良い音がなり、自覚のないまま気を張りつめていた事に今更ながら気が付いた。
時間になって、迎えに来ていた車にヒールが乗り、運転手がドアを閉め、鍵をかけるのをかける。
ヒールは、急激な眠気に抗うことも無く、眠りに落ちて行った。