別れ
「それで、それで、お母様はお父様と直ぐに結婚したの?」
椅子に座り、フィーレはテーブルの上の菓子に手を伸ばす。
正面に座る母親にせがんでいるのは、母と父が婚約を結ぶ少し前の日の話である。
手が届かずにいると、彼女の遊び相手のサラが、菓子の乗った皿をフィーレの方へと寄せる。
「いいえ、始めなんて、声をかけてくれる事さえ無くって、私から声をかけると、顔を真っ赤にして、『ノルアか、変わりは無いか』とか言って、どこかに行ってしまうの」
ガンゴールが、彼の背中を押さなければ、今でもまだ、自分は彼のそば付き兼、王宮付き魔法研究員の位置から変わらなかっただろう。
「グリア様も、私と話す時には、そんな感じですけど、まさか、性格までおじさまに似てしまったのでしょうか」
それを聞いていたサラが、今はノルアの膝の上で眠っている、今年で二歳になる、グリアを見た。
真っ黒な髪の毛も、瞳の色も、グリアは、現王である父親と、瓜二つだとよく言われる。
まだ作り出すマナの量の調節が上手くできなくって、こちらとしては目が離せないのだが、最近は歩く事を覚えた彼は、ほんの僅かな隙にどこかへと行ってしまう。
「こうして眠っていてくれれば、こちらとしては安心なのにね」
ノルアは呪われているとでも言うべき体に産まれた我が子の、まだ薄い髪をそっと撫でた。
こうしたほんの少しのことでも、下手に刺激して仕舞えば、彼の身体は反射的にマナを作り出し、彼のまだ小さな器を傷つけけてしまう。
「でも、グリアはもう、あの頃のキカよりも大きくなったのですね」
フィーレが、彼女にとって、最初の妹の名前を口にする。
二番目の姫、キカが生まれた時に一番喜んでいたのが彼女だった。
ベットで眠っているキカのそばを離れようともせず、食事さえも彼女は、キカの側で取りたがった。
だからこそ、キカの容体が急変した時も、初めに気が付いたのは彼女であり、最後を見たのも彼女のみだった。
今、グリアが一日の大半を過ごす部屋は、ノルアの書斎の隣に置かれている。
グリアはそこでフィーレやサラと遊び、二人が勉強などで、付いていられない時は、今はサラの養母でもあるワルマという、元はグリアの父であり現イマリ国王である、シヨネの世話係などをして来た老婆が面倒を見ている。
キカの犠牲が、グリアを今まで生かしているとさえ言えた。
だから、ノルアは、グリアがもう少し大きくなったらその話をしようと思っている。
いつかは分からない。
けれどもグリアが自ら、その事を望んだ時が話す時だとは考えている。
今はまだ、彼には何も気にせず、大きく成長してほしい。
それだけがノルアの願いだ。
「あと数日で、しばらくのお別れですね」
サラが、グリアのまだ柔らかい頬を、指先でつくが、眠りが深いらしく、グリアは全く反応しない。
フィーレとサラは、あと数日で隣の国のナルタ王国にある、ジャーラ学園に入学する。今はそこへ向けて走る、馬車の中なのだ。
ノルアは二人の入学式に出席した翌日に、グリアだけを連れて帰ることになる。
「お母様、何かあったら、必ず連絡下さいね。それから写真も」
寝ているグリアの写真を撮ったフィーレが、開いていた画面の一つを閉じて、今撮った写真も含めて、グリアの写真が詰まったフォルダを開く。
ついこの間の、グリアの誕生日の写真や、初めてつかまり立ちした時の写真など、母親である、ノルアを凌駕する彼女の写真の量には、相変わらず目を疑う。
「フィーレ様、絶対それを開く時は周りに気をつけて下さいね」
サラが言うと、フィーレは首を傾げる。
「それは勿論よ。何故そんな事を言うのかしら」
「念のためです。例えば、学園で出来たご友人にグリア様の写真が見たいと言われたとします」
「そしたら、喜んで見せてあげるわ」
フィーレが言うと、サラとノルアは溜息をつく。
「その時、そのグリア様の写真の量を見たら、流石にそのご友人たちも離れて行ってしまいますよ。
それに中には、見せられては、グリア様が少々気の毒な物もございますし」
それを聞いて、フィーレも一度考え込み、新たなファイル『グリア(秘密)』を作り出し、サラが言ったような、写真をそちらに移していく。
サラは「もう、なにも言いません」とばかりに首を横に振り、窓の外へと目を移してしまった。
ノルアももう諦めるしか無いと分かり、その様子を苦笑いを浮かべて見ているしか無かった。
「ワルマ、見てて見てて」
王宮内の広い中庭の真ん中で、グリアが手を振る。
屋根の下、廊下で、木の椅子で腰掛けた老婆が手を振り返してやると、グリアは納得したのか、庭の中央に立つ外灯に向き直った。胸に手を当てて深呼吸をする。
「燃えよ」
とグリアが唱えると、外灯の上の蝋燭に火が灯った。
振り返るグリアに拍手を送ってやると、グリアは得意そうな顔になって、こちらへと駆け寄ってくる。
「グリア様は、本当に魔法がお上手になりましたね。ところで、胸の方はいかがですか」
グリアは、胸に手を当て、目を瞑り、首を傾げた後で「全然平気」と言った。
「ねえ、ワルマ、あの火を魔法で消そうと思うんだけど駄目かな」
そう言って、老婆と目を合わせたグリアは、一歩後ずさった。
「グリア様、お願いですから、その様な軽率なことは、口になさらないでください。シヨネ様やノルア様、それに、ガンゴール様やフィーレ様が今まで、どれだけ気を使って、貴方を育てて来たのか、その事をよくお考えになれば、そのような事は口に出来ないはずですが」
「はぁい。けどさあ、もう本当にもう一回ぐらい大丈夫そうなんだよ。ほらお母さんも言ってたでしょ。人間型の器は、魔族型と違って成長するからその内、他の魔族よりも一杯使えるようになるかもしれないって」
反省して俯くグリアを見て、老婆は溜息をつく。
確かに、グリアが、母親であるノルアと、一日一回だけ魔法を使っても良いという約束をしてから、半年近くが経つが、魔法を使う時のその表情には、かなりの余裕が見られるようになって来てはいる。
もしかしたら、本当に余裕があるのかもしれない。
「仕方がありません。今度、ノルア様のお時間がある時に、もう一度使っても大丈夫か、それを見てもらいましょう」
「ほんと」目の前の小さな少年に影を差していた雲が晴れ、太陽が顔を出す。
「約束だからね」
グリアはそう言うと、近くにある倉庫まで走って行き、先に蝋燭消しが付いた長い棒を手に、外灯まで駆け寄ると、目一杯腕を伸ばして、蝋燭の火を消そうとする。
たまたま近くを通りかかった衛兵が駆け寄り、その様子を心配そうに見ていることに気がつき、これでいいのだと、自分を納得させた。
コロア連合の外に最近になって出来た、ゲパン共和国という国から入ってきた、新しい発電機のおかげで、王宮内も新たに電球が使えるようになり、外灯を使うことも少なくなったため、グリアが蝋燭消しを倉庫に戻すと、真っ白い埃が一切に舞い、グリアは咳き込んだままこちらへと戻ってくる。
「グリア様、大丈夫ですか」
「うん、平気」
そう言って、足元の芝のところに座り込むと、グリアは、青くて半透明な画面を、自分の前に出現さて、メールを開いた。
「フィーレ様からですか」
「うん、あとサラからもあるよ。もうすぐ試験があるから大変みたい」
そう話しながらも、グリアの目は画面を見ていて、指で次々と、文章をスライドさせていく。
「それが終われば、夏休みで二人とも帰って来ますね」
老婆が言うと、グリアは嬉しそうに笑って、大きく首を縦に振った。
「今年は、母さんと車で迎えに行くんだよ」
「それはそれは、時代が変わった物ですね。ついこの間まで、車を動かすなんて考えられなかったのに。近頃は、この王都周辺の道でも、車が走るようになって来たとか。電気のおかげで、世の中便利になるものですね」
最近では、新しい兵器まで登場し、コロア連合内でも、それらをゲパンから大量に買い取る国が増えていると聞く。
そのお陰で、今まで絶大な権力を魔族が握って来たこれまでの体制に亀裂が走り始めているとも聞く。
大事にならなければ良いのだが、そう思いながら、ノルアからもらったという、エルフに伝わる魔法について書かれた本を開き、次はどんな魔法を使おうかと眺めているグリアを見た。
その時だった。
突然大きな振動とともに、おおきな爆発音が、王宮の外、王都の方から聞こえて来た。
王宮の内外から、何事かと、人が騒ぐ声がする中で、二度目三度目の小さな爆発音がする。
老婆は立ち上がり、グリアの肩を抱えて、中へと引き戻そうとした。
しかし、五歳の子供の力さえ、もう老婆に止める力はなかった。
「グリア様っ」
老婆は叫ぶが、その小さな背中は庭の角を曲がり、建物の陰で見えなくなった。
何処からか、「煙が上がっている」という声と「あれは、ノルア様の実験場の方からだ」などという声が上がっている。
芝の上に膝をついて座り込む老婆を通りかかった、一人の若い文官が助け起こした。
「何が起きている」
老婆がしわがれた声に文官は首を振る。
「私もまだ何も、ただ上の階の方で作業していた者が、実験場の方から煙が上がっているのを見たと」
「恐らく、グリア様がそっちに向かっている。急いで王宮に引き戻すのじゃ」
老婆が言うと、文官は顔を青くして、老婆を椅子に座らせると、直ぐに走り去っていった。
その日、イマリ王国王都の外れにある、魔法実験場で、爆発が起きた。
被害は大きく、元は古い時代の、王の側室達が住まわされていたという建物は、屋根も壁も跡形もなく吹き飛び、近辺に立ち並んでいた、他の貴族の住宅や、その周りにあった住民の家や商店が同様の被害を受けた。
死者は五百人に留まらず、その中には、イマリ王国はじめての、神族の血を引かない王妃、ノルアも含まれていた。
被害の大きさに、国内では魔法という今まではエルフ達が使うだけだった、新たな技術に対する反発は強まり、過激な者の中には、その力を持つフィーレやグリアを殺して仕舞うべきなのではないか、という声までが上がり、フィーレは夏期休業での、国内への帰還を断念。
グリアも、隣国ナルタへと、預けられる事となった。