52 近付く別れ
昨夜遅くまで飲んでいたジーグは、シエラを起こさない様にそっと寝室に戻ると、ソファで仮眠を取っていたのだが、喉の渇きを覚えて起き上がった。
「あら、あなた……昨夜は随分と遅かったのですね……」
「む、済まぬ……起こしてしまったか?」
そこにシエラの静かな声が掛かり、ジーグは自分のせいかと謝る。
「いいえ、もう朝ですもの……今、お茶を淹れますわ……」
「済まんな……」
ばつが悪そうなジーグにシエラはにこりと微笑むと、お茶を淹れようとベッドの脇へと体を滑らせた。
「あっ!? ……あなた……」
「どうした? む、アイス様の竜珠が……」
その時、小さく驚くシエラの様子にジーグが目をやると、シエラの首に下げられていたアイスの竜珠が、その輝きを失っていた。
「どうしましょう……あなた……」
「どうすると言われてもな……ううむ、一晩限りの効果だったのやも知れぬな」
シエラに問われ、顎に手を当てて唸るジーグ。
「あんなに美しく輝いていたのに……」
シエラは悲しそうに呟くと、お茶を淹れるべくベッドの脇に立て掛けてあった杖を手に取る。
侍女が居ない時、彼女に杖は必要不可欠なのである。
「ッ!? あ、あなた……」
そうしてシエラは歩き始めて目を見開き、震える声でジーグを呼んだ。
「どうした!?」
「あ、足が……足が! 動きます!」
シエラの様子にジーグが心配そうに尋ねるが、驚きに震えるシエラの声は歓喜の声へと変わっていた。
「なんと……輝きが失われたのは、既に治っていたからだったのか……」
シエラの下へ駆け寄って輝きを収めた竜珠を見つめるジーグが、驚愕と感嘆の入り混じった声で呟く。
そうして竜珠を見つめていた二人だったが、シエラはハッと我に返ると、ジーグのお茶を淹れるのも忘れ、侍女を呼ぶ鐘を鳴らした。
「失礼致します。シエラ様、お急ぎの要件でしょうか?」
「シエラ様、え……お歩きに!?」
「説明は後よ。エル、マーヤ、身支度を手伝って頂戴!」
そうしてやって来た侍女二名にシエラは用件を伝えると、ジーグを残して支度部屋へと侍女を連れて消えてしまった。
呆気に取られた表情でその場に一人取り残されたジーグは、喉の渇きを思い出すと水差しを手に取り、込み上げる笑いを抑えながらグラスに水を注ぐのであった。
小食堂では、昨日の緊張から解放されて皆が談笑しながら寛いでいた。
中でもリーザは昨日居なかったハンナが横に居るだけで、一段と表情が明るい。
「美味いなぁ……昨日は味なんてよく分かんなかったもんなぁ……」
「え、とっても美味しかったよ?」
食事に舌鼓を打ちながらのリュウの言葉に、アイスがきょとんとした表情で答えている。
「俺みたいな小市民は、堅苦しい場はダメだ……さすが食いしん坊だなぁ……」
「ち、違うよぅ……」
「その、てんこ盛りのお皿は何ですか?」
「あう……これは、か、母さまが、沢山食べないと大きくなれないって……」
食いしん坊を否定するアイスが、リュウに皿の盛り付けを指摘されて目を泳がせている。
そんな二人のやり取りをリーザ達だけでなく、給仕の者達までが微笑んでいる。
「もう大きくなったじゃん?」
「え……で、でも、もっと大きくならないと……お、おっぱいとか……」
そして何気無いリュウの言葉に、アイスは声を絞って言い訳する。
それが食べる為に胸を理由にしたのか、胸の為に食べるのかは不明だが。
「……沢山食べなさい……」
「えへへ……」
その言い訳はリュウをすっかり納得させた様で、にっこりと続きを促すリュウに、アイスが再び嬉しそうにお皿に手を伸ばす。
それを聞いていたリズがつい吹き出し、給仕の若い女官が顔を赤くしている。
「ア、アイス様! リュウ様も……人前ですよ!?」
「ごめんなさいぃぃ……」
「あ……はは……」
そして赤い顔のリーザに窘められ、仲良く赤面する星巡竜とその守護者。
そんな緩い雰囲気の小食堂であったが、にわかに廊下が騒がしくなる。
「ん? 何かあったのかな?」
そうリュウが言うのと同時に、小食堂の扉がバーンと開いた。
「アイス様っ!」
そう叫んで入って来たのはシエラ王妃であり、彼女は脇目も振らずアイスの下へ向かった。
侍女が付いているものの、支え無しで小走りするシエラに皆が驚いている。
「アイス様! 私の足をこんなにも早く……何とお礼を申し上げて良いのか……感謝致します!」
きょとんとしながらも立ち上がる自分の娘程の歳のアイスに、シエラはそう言って深々と頭を下げると、手にするハンカチで涙を拭った。
「えへへ、良かったねシエラ王妃……」
にっこり微笑むアイスがシエラを優しく抱きしめると、シエラは感極まったのか、一層声を上げて泣き出してしまった。
気丈に振舞ってはいても、原因不明の足の不調にずっと苦しんでいたのだろう。
そこへ遅れてジーグが到着し、シエラの背後からその肩にそっと手を掛ける。
「アイス様。まさかシエラの足を、たった一晩で治して頂けるとは……感謝の言葉もありませぬ……この竜珠はお返し致します。有難う御座いました」
ジーグはそう言って頭を下げると、竜珠のネックレスをアイスに差し出した。
「え、でも……これはあげた物だから……リュウ、どうしよう?」
「そうだなぁ……魔王様、これはアイスが王妃様にとプレゼントしたんですから、王妃様の物ですよ……ただその効果を考えるなら、同じ様な人に使って貰うのも良いかも知れませんね……」
竜珠を差し出されて困惑するアイスに尋ねられ、リュウがジーグに提案する。
「アイス様、よろしいのですか?」
「う、うん。リュウの言う様にみんなに使って貰った方が良いと思うの」
「分かりました。では、この『願いの竜珠』でしたな……これは国宝として、城で管理しつつ、原因不明の病に困る者に使わせて頂きましょう」
ジーグはアイスに確認を取るとしっかりと頷き、竜珠を懐へと仕舞った。
そして、シエラを促してその場を去ろうとすると、シエラは改めてアイスへ向き直った。
「私とした事が、申し訳ありません……アイス様、私に出来る事が有れば、何なりと仰って下さいまし……ほんの僅かでもご恩をお返ししたく……どうかお願い申し上げます」
「ううん……そんなのいいの。シエラ王妃が元気になってくれて、アイスも嬉しいもん……王妃様が笑顔だと、みんなも笑顔になるもんね?」
シエラが取り乱してしまった事を謝し、その恥ずかしさからか赤い顔でアイスに縋る様に恩返しの機会を願うのだが、アイスは笑顔のまま首を横に振ると、自分も嬉しいからいいのだ、と言ってニカッと白い歯を見せて笑った。
アイスの可愛らしい顔立ちには少々不似合いな笑顔だが、アイスはリュウが度々見せるこの笑顔が大好きだった。
アイスにとってその笑顔は、どんな困難な状況でもワクワクさせられてしまう、不思議と元気が出る笑顔なのだった。
「アイス様……ありがとうございます。それに皆様、突然押し掛けてしまい申し訳ありませんでした。それでは、失礼致します……」
「ではアイス様、リュウ、我らはこれで……皆も邪魔をしたな」
そんなアイスにシエラはふっと肩の力を抜いて微笑むと、小さく頷いた。
そして皆の顔を見渡すと突然の訪問を謝して頭を下げ、国王の顔に戻ったジーグと共に、食堂を後にする。
最後に侍女達が綺麗なお辞儀をして扉が閉められると、食堂内にため息が漏れた。
「まさかの魔王様とお妃様でしたね……」
「アイスのせいだな……」
「ふえっ!? そんな事言われても困るよぉ!」
脱力するリズの呟きにリュウも続くが、その言い様にアイスが目を真ん丸にして声を上げる。
「冗談だって。でも、あの竜珠凄いじゃん! シエラ王妃も泣いて喜んでいたし、偉いぞアイス!」
「え、偉くなんかないよぉ……えへへ……」
そんなアイスをリュウが笑いながら褒めてやると、アイスは顔を赤くして謙遜するのだが、頭を撫でられると嬉しそうに照れ、皆からも賞賛されるのであった。
その後、リュウ達は部屋に戻って思い思いに時を過ごしていた。
その途中、ネクトの町の状況を知りたいと行政官が訪ねて来た為、ハンナとリーザは行政官に付いて行き、リズとエンバは仲良く隣室に移った。
するとリュウはベッドにごろんと横になり、何やら考え事を始める。
「ご主人様、考え事ですかぁ?」
それを見て、ボスをアイスとココアに任せて、ミルクがふわりとリュウの胸の上に降りる。
そうしてミルクがぺたんと女の子座りをすると、リュウはその頭を撫でてやる。
「いやな、そろそろ人間族領に行ってみたいんだけどさ、どうするのが良いかなぁ、と思ってさ……」
「と言うと、幾つか案が有るんですかぁ?」
リュウに撫でられ少し照れるミルクだが、その口元はニマニマと嬉しそうだ。
「それがさ、壊れた車両の代わりにもっと高性能な車両を作ったとしても、敵は森を抜けて来た訳じゃん……だとすると、俺達が街道を走る間にすれ違う可能性が有るだろ? だからと言って、森を進むと余計に時間は掛かるし他の魔獣とも遭遇する事になるよな? 後は竜化したアイスに森の上空を運んでもらうって案が有るんだけど、さすがに全員運ぶのは無理だろうなぁ……」
リュウはそう言うと、ミルクから目線を外して天井とにらめっこを始めた。
「あのぅ、ご主人様……全員って、皆さんを人間族領に連れて行くんですか?」
「え? あ……そうか、リーザさんだけなら空で行けるのか……」
ミルクの率直な疑問にリュウは一瞬きょとんとミルクを見て、全員で向かう必要が無い事に気付いた。
ずっと一緒に旅をしていた為に、それが当然と思い込んでしまっていたのだ。
「でもぉ、リーザさん凄く怖がってましたよ? それにボスはどうするんです?」
「んな、ポンポン捲し立てるなよ……今、考えてるとこだろ? ってか、ミルクは何か考え有ったりする?」
「いえ、これと言って特には……でも、アイス様に協力して頂くとなると、ハンナさんやリズさん、エンバさんとはここでお別れになるんですね……」
「そういう事になるなぁ……」
そうして話す中のミルクのしんみりした声に、リュウは近いうちに彼らと別れる事になるのか、とミルクと同じ様に少ししんみりとした気分を味わうのだった。
昼食前に先程やって来た行政官が再び部屋を訪れ、去って行った。
ハンナに確認する事が多く、もう少し時間が掛かる為、先に昼食を済ませる様にと伝えに来たのだ。
なのでリュウ達は、ハンナとリーザ抜きの昼食となってしまった。
「じゃあ、ここで別れる事になるんですね?」
「そうですね、エンバさん達は評議会も有りますし……残念だけど、そういう事になってしまいそうですね……」
漠然とした内容だが、リュウ達がこのまま森を抜けるルートで人間族領に旅立つと聞いてもエンバは落ち着いており、話したリュウの方が申し訳なさそうな表情をしている。
「そうですか。ですが、こちらの事は気にしないで下さい。俺達は評議会を済ませればオーグルトに戻ります。なのでリュウ様、事が済んだらお会いしましょう」
「そうですね、必ず行きますよ。ひょっとすると、リズさんがマジでガット夫人になってるかも知れませんねぇ」
エンバがそんなリュウにこれ以上気を使わせない様に笑顔で答えると、リュウも表情を明るくし、いつもの軽口を言ってニィっと笑った。
するとリズが、照れを隠す様に口を開く。
「リュウ様、出発はいつになるんですか?」
「そうですねぇ、明日には発とうと思います……」
「そうですか……じゃあアイス様、この後一緒に買い物に行きませんか?」
「うん、そうだね! リュウ、行っても良いよね?」
思ったより早いリュウの出発予定だったろうに、リズは努めて明るい声でアイスを買い物に誘い、アイスも笑顔で同意する。
「もちろん。あ、ミルクとココアも行って来るか?」
「何かあった時、ココアと連絡が取れる様にミルクは残ります」
「そっか。んじゃココア、何かあったら頼むな?」
「はい、ご主人様ぁ」
そうしてココアも同行する事が決まると、不意に場がしーんと静まり返った。
「そう言えば、この顔ぶれって……俺達がこの星に来て最初の面子ですねぇ……」
「ほんとですね、いきなり驚きの連続でした……」
「俺もですよ……すげえ美人が現れたと思ったら、魔法まで使って……なぁ?」
その静寂を払うかの様にリュウが出会った頃の話を切り出すと、再び場が賑やかになる。
「さてと! んじゃ、買い物班は行ってきて下さい。アイス、自分ばかり食べずに俺にも何か土産買ってきてくれよ?」
「わ、分かってるよぉ……」
そうして再び場がしんみりしてしまう前にリュウが立ち上がって皆を促すと、皆もそれに従って小食堂を後にする。
階段を下りていくアイス達を見送り、リュウはミルクと部屋へ戻る。
そしてボスと戯れながら、今後の方針を話し合うのだった。
もうそろそろ2章の終わりが見えてきましたね…
しかし、書き貯めが無いのであと1話なのか2話になるのか不明という…(笑)
とっくに筋は出来ているのに、いざ書いてみると細かい所で筆が止まるんですよね…
偉そうに話す魔王様が、アイスに対してはどう話すのか…とか(笑)
なので、ここはおかしいよ! とかいう点があれば、どしどし指摘してください。
普通に感想、評価等もお待ちしております。
よろしくお願い致します。




