33 出発の朝
そんなこんなで朝食を終えたリュウ達は、二階に戻って身支度を済ませ、玄関口に集まっていた。
口々にハンナに別れを告げ、泣くのを堪えてリーザがハンナと抱擁を交わす。
そしてアイスを抱えたリュウが玄関扉を開け、表へ出た時の事だった。
その後に続いたハンナと並ぶリーザの顔に、血しぶきが掛かった。
呆然とするリーザの横で、声も無く頽れるハンナ。
リュウ達を行かせまいとする、「闇の獣」の残党が放った風の刃を受けたのだ。
「ハンナさんっ!」
リーザの悲鳴が広場に響き、ミルクとココアが飛び出した。
「アイスっ! ここに隠れてろ!」
リュウは振り返るとそのまま宿屋に飛び込み、アイスを扉の陰に下ろす。
「風壁!」
「水流渦!」
その間に、エンバとリズの防御魔法が張られ、どこからか放たれる魔法と干渉し合っている。
「姉さん、早く処置を!」
「あ……あ……嫌っ……ハ、ハンナさん……あ……あ……」
リズがリーザに叫ぶものの、当のリーザはパニックを起こしているのか、血が溢れ出すハンナの胸元を震える手で押さえようとしていた。
そんなリーザの頬が、パァンという音と共に弾かれる。
リュウがリーザの頬を張ったのだ。
「リーザっ! しっかりしろっ! 早く治癒を!」
そしてリュウはリーザを叱咤し、自身のバックパックから治癒の竜珠を取り出すとハンナの首に掛け、再び表通りに飛び出した。
「ミルク! ココア! 戻れ! 車両を守ってろ! 俺がやる!」
「は、はい! ご主人様っ! 正面建物裏に数名隠れてます!」
「お気を付けて! 右の建物の陰にも何名か居ます!」
リュウが声を張り上げると、広場上空からニードルガンで敵を牽制していたミルクとココアが即座に戻り、リュウに敵の位置を知らせて馬屋に急行する。
その時には落ち着きを取り戻したリーザがハンナに両手を翳して治癒魔法を施しており、治癒の竜珠が燦然と輝きを放っていた。
「リズっ! まだいけるか!?」
「大丈夫っ! 姉さん達は守って見せる!」
その傍らでは防御魔法を張り続けながら声を掛けるエンバとそれに答えるリズ。
「二人共無理な時はすぐ言って! アイスもまだ守れるから!」
「「はいっ!」」
そんな二人にアイスも余力が有る事を伝えると、二人は答えながらも、そんな事はさせられないとばかりに更に魔法に力を注いだ。
そしてリュウは疾駆していた。
そのリュウの周囲には、リュウのスピードを捉えきれずに外れた魔法が無数に着弾している。
リュウは現在ミルクとココアに武装させている分、人工細胞が不足している。
にも関わらず、リュウはこれまでの最高速度を凌ぐスピードで既に正面建物裏に到達する。
「この化けも――」
リュウの接近に一番近かった男が、叫びながら魔法を放とうとして、スピードが乗ったままのリュウの拳を顔面に叩き込まれ、頭を爆散させて吹き飛んだ。
そのたったの一撃で残る三名が情けない悲鳴と共に逃走に移るものの、あっという間に最初の男同様の運命を辿った。
よく見るとリュウの拳が黒く染まっており、その胸もまた黒さを拡大させていた。
リュウの目は二軒隣の建物に、更に四人の男の姿を捉えていた。
すかさずリュウが、その場で男達に右手を伸ばすと、右手の中にピンポン玉程の黒い靄を凝縮した様な玉が現れ、ロックオンしている男に向けて放たれる。
玉は瞬時に音も無く目標の男に着弾し、黒い炎を撒き散らして爆発、周りの男達をも吹き飛ばした。
黒い玉を追う様に走り出すリュウだったが、男達が吹き飛ぶのを見るとその速度を落とし、誰一人として立ち上がらない様子に、歩いてその場へ向かう。
その場に居た四人の男は、黒い玉の直撃を受けた男は勿論の事、近くに居た二人もその余波を食らって死んでいた。
だが少し離れていた為か残る一人は即死を免れ、建物にもたれ掛かってぜえぜえと荒い呼吸を繰り返していた。
その男の頭上では、黒い炎が建物を覆いつくさんと広がり始めている。
「た、助けてくれ……殺さないでくれ……」
リュウに目の前で見下ろされ、男は怯えた目で訴える。
リュウ達を殺すつもりで攻撃を仕掛けたはずであろうに、右腕を失った今はまるで被害者だと言わんばかりだ。
「質問に答えたらな。お前達は『闇の獣』か?」
「ごほっ、ごほっ……そ、そうだ……」
「他に残った連中は居るのか?」
「ごほっ、ごほっ、いない……俺達で最後……八人……ごほっ、げほっ……」
リュウはそんな男に眉一つ動かさずに、質問する。
凄絶な光景の中に居るというのに、何故かリュウの心は落ち着いていた。
男は腕以外に肺にも損傷を受けているのか、酷く咳き込みながら質問に答えていたが、やがて咳き込む事も無く、目の光を失って動かなくなった。
「何なんだよ……お前らの方がよっぽど化け物だろ……」
動かなくなった最後の男を見下ろして呟くリュウ。
リュウはガトルを始め、連中の余りにも身勝手な思考が理解できない。
そんな連中に化け物呼ばわりされた事に、少なからぬショックを受けるリュウであった。
「リズさん! ちょっと来て下さい!」
黒く燃える建物の脇から広場に出たリュウは、宿屋の玄関先で警戒するリズを大声で呼び、すぐに気付いたリズが駆けてくる。
「リュウ様、どうされました? 敵はもう居ないのですか?」
やって来たリズが、警戒したままでリュウに尋ねる。
「はい、もう敵は居ません。えっと来てもらったのはですね、この建物の黒い炎を消せないかなぁ、と思って……すみません……」
敵が居ない事を告げるリュウは、急にばつが悪そうにポリポリと鼻を掻きながら、建物に燃え移ってしまった黒い炎の消火を頼む。
「あー、はい。やってみます!」
リュウの頼みに一瞬ポカンとした顔を見せたリズだったが、すぐに頷くとリュウと共に建物の裏手に回る。
「では、いきますね……水流渦!」
リズが黒い炎に向けて水の竜巻を発射する。
が、ジュワッと激しい音を立てて、竜巻は瞬時に水蒸気となって空に昇っていく。
「無理っすか……」
「無理ですね……こんな恐ろしい炎……見た事有りません……」
「ですよねぇ……あー、失敗したぁ……どうしよう……」
その後何度リズが魔法を放っても結果は変わらず、建物はどんどん燃えていき、リズはその炎に戦慄を覚え、リュウは頭を抱え込む。
結局、どうする事も出来ない炎を放置して、リュウとリズは一旦宿屋に戻った。
「ハンナさんの具合はどうですか?」
宿屋に戻ると直ぐに、リュウはリーザにハンナの容体を尋ねた。
ハンナの切り裂かれた胸の傷は既に塞がり、治癒の竜珠もその輝きを弱めているのだが、ハンナは青褪めた顔色で意識を失ったままであった。
「傷は何とか塞いで、もう出血はありません……でも随分血が失われて……」
魔力を相当に使ったであろうリーザは、青褪めた顔で答えるが、リュウに張られた左の頬はまだ少し赤い。
「そっか……ミルク! ココア! 来てくれ!」
リーザの答えを受けてリュウがミルクとココアを呼び、二人が飛んで来る。
「ハンナさんの血が足りないんだ。どうすればいい?」
「はい、お任せ下さい!」
リュウの問いに、ミルクは即座にハンナの腕に取り付いた。
そしてココアもリーザの腕に取り付きながら、説明を始める。
「今からハンナさんと皆さんの血液型を調べて、適合する人から輸血します。皆さん痛くないですから、姉さまとココアに任せて下さい!」
そうして全員の採血が行われ、適合していたリーザとリズがハンナに輸血する事となった。
車両を表に回して解放した後部荷台にハンナとリーザを寝かし、ミルクとココアが輸血作業に入る。
エンバは積荷の点検などを行い、リズはリーザの顔にかかったハンナの血やハンナ自身の血をおしぼりで拭い、傍らにはアイスが心配そうに座った。
そしてリュウは、ハンナから聞かされていた町の皆が集まっているという集会所を探して町の奥へ向かっていた。
リュウが町の奥へ入ると、集会所はすぐに分かった。
宿屋の半分ほどの大きさの建物の窓に、何人かの人影が見えたからである。
リュウが集会所に入ると、その場に居た者達の怯えた目が、リュウに集中した。
そこには大勢の者達が詰めており、二階も似た様な感じなのだろう。
「すみません、代表の方はいらっしゃいますか?」
リュウが物怖じせずに伝えると、集団の中程から疲れた表情の老人が立ち上がり、リュウの前にやって来た。
「わ、私がこのネクトの町長のジェバです……守護者殿……ハンナから話は伺っております……」
「俺も皆さんの事はハンナさんから聞いています。『闇の獣』はもう存在しません。なので皆さんを縛る物ももう有りません。ですが皆さんの罪がそれで消える訳じゃない……ならば、連中同様に俺達の旅を阻止しますか?」
恭しく頭を下げる弱々しい老人に、リュウは「闇の獣」が滅んだ事を伝え、その上で自分達と敵対する意思が有るのかを問うた。
「いいえ守護者殿。ガトルが死に、ハンナがここを出る時に言いました。守り神と言われる星巡竜様を手に掛けようと思い上がった時点で我々は滅ぶ定めなのだと。ならば、せめて最後くらいは潔く裁かれようと……もうみっともなく生き足掻くのは疲れたと……私達も同じ思いです……」
ジェバ町長はゆっくりと首を横に振り、ハンナの言葉を以って抵抗の意思が無い事をリュウに伝えた。
ガトルが倒された時点で勝ち目が無い事も分かっていたのであろうが、それ以上に皆が疲れ切っていたのである。
「分かりました……襲われた人達の事を思うと、俺は皆さんに同情はできません。でも……潔く裁かれると言うのなら、決して早まった真似をせず、一人でも多くの人を弔ってあげて下さい……あと、その、ハンナさんが大怪我をして俺の仲間達が治療中です。どなたか、ハンナさんのお宅を教えてくれませんか?」
リュウは頷くと、ゆっくり言葉を選んで話した。
この人達もある意味被害者なのだという思いは確かにある。
だが、それは襲われた人達の事を思えば口には出来ない。
どんな形であれ、先ず償いが無ければ、この人達は前に進む事を許されないのだ。
そうしてリュウはハンナの事情を説明し、案内に呼ばれた男と共にハンナの家に向かっていた。
「リュウ様!」
そんな時、リーザが輸血を終えて駆け寄ってきた。
「リーザさん、丁度良かった! 今、ハンナさんのお宅に案内して貰ってるんです。一緒に行って、身の回りの物を集めて貰えませんか?」
リュウはリーザが来てくれて心底ほっとした様な表情になった。
正直、おばさんと言えども着替えやらを物色するのは、気が引けていたのだ。
「は、はい! お任せ下さい!」
そしてリーザの快諾を受けて、ハンナの身の回りの物を掻き集めると、宿屋に引き返した。
その頃には、集会所から町の者達がぞろぞろと外へと出て来ていた。
「ハンナさんは?」
「二人の輸血もあって、容体は安定しています。しばらくすれば目を覚ますかと」
「そっか、一先ず安心だな……サンキュ! あ……やべ……」
車両に戻ってミルクの報告にほっとするリュウは、こちらに向かって歩いて来るジェバ町長を見つけ、次いで完全に焼け落ちた建物を視界に捉えて、ガシガシと頭を掻く。
「あ、あの~、町長さん……その……あの建物は俺のせいです……」
「気にせんで下さい、守護者殿。あの建物に住む者は既におりません……」
ジェバ町長がやって来るなり、それまでの態度とは打って変わってぺこぺこと頭を下げるリュウ。
ジェバ町長は苦笑しつつも、居住者が居ない事もあって不問に付した。
「良かった……それと、ハンナさんを連れて行っていいですか? ハンナさんはまだ意識が戻ってない上に、まだ治療が必要かも知れません。ですが俺達には優秀な治癒術士が付いていますので、移動しながらでも治療が可能です……」
ジェバ町長の対応にほっと胸を撫で下ろすリュウは、今度はハンナを連れ出す事を願い出る。
これにはミルク達も驚いているが、中でもリーザは既に泣きそうだ。
「治癒術士……ああ……」
ジェバ町長はリュウの申し出には答えず、何かを思い出した様にハンナの眠る荷台へと向かった。
「あなたはリーザさんですかな?」
「は、はい……」
ジェバ町長に尋ねられて、リーザは慌てて涙を拭った。
「ハンナから、あなたの様な娘が居たら、と何度も聞かされたものです……そんなあなたには辛い思いをさせてしまい申し訳ない……町の代表として謝罪致します。そして……あなたさえ良ければ、ハンナをよろしく頼みます……」
「はいっ……」
ジェバ町長に深々と頭を下げられるリーザは、折角涙を拭ったものの何とか返事をするのが精一杯で、ハンナの手を握りしめて嗚咽を堪え、ぽろぽろと涙を溢した。
頭を上げたジェバ町長はそんなリーザを見てうんうんと頷くと、再びリュウに向き直る。
「守護者殿。私達を長き呪縛から解き放って頂き、感謝致します。これからは裁きの時が訪れるまで、人としての心を忘れずに生きて参ります……」
「そう言って貰えるのは嬉しいんですけど、俺も本当は火の粉を払うのに必死なだけだったんですよね……でもまぁ、結果としては良かったのかな……では町長、これで失礼します……」
ジェバ町長が頭を下げると同時に、後ろに控えていた町の人達にも一斉に頭を下げられ、リュウはポリポリと鼻の頭を掻きながら本当の所を話し、苦笑いを溢した。
そして町長に頭を下げると、ひょいと前部荷台へ横から飛び乗る。
それを見てミルクが車両を発進させ、町の人達が見送る中、車両はゆっくりと進み出す。
ただの偶然なのだが、前日訪れた時には暗く寂しい印象だったネクトの町が、今は朝日を浴びてリュウには輝いて見えるのだった。
ネクトの町を出てカタコトと小さく揺れる荷台の上では、後部荷台にハンナを寝かせている為、リーザ以外の皆は前部荷台で休んでいる。
ハンナの手を握りながら、いっぱい泣いてしまったなぁ、とリーザは思う。
ガトルに恐怖し、悔しくて、悲しくて、いっぱい泣いてしまった。
そしてリュウを見つめながら、いっぱい泣かされてしまったなぁ、と思った。
圧倒的な力で皆を救い、心の傷まで癒されてしまった。
そんな七つも年下の心優しい少年は、竜の力を胸に秘めていた。
ちょっぴりずるい、とリーザは思う。
「リュウ様、お疲れ様でした……どうぞ、こちらにいらして下さい……」
「え、狭くないっすか?」
リーザが微笑みながら呼び掛けると、リュウは少し戸惑いを見せた。
「大丈夫ですわ、こちらに……ね?」
「あ……じゃあ、済みません……」
だが美人なお姉さんに「ね?」なんて懇願の瞳を向けられてしまえば、少々恥ずかしくても行かねばなるまい、とリュウは思った。
「ハンナさんの横ですけど、十分横になれます。少しお休みになって下さい」
「え……いやぁ、そこまでは……」
そして、ぽっかり空いたハンナの横を勧められ、リュウは正直困った。
「リュウ様、膝枕くらいさせて下さい……お嫌いですか?」
「お好きですぅ……」
そんなリュウの耳元でリーザの甘い声が囁かれ、リュウはコロリと横になる。
「なーにが『お好きですぅ』よ……ココア! 今よ!」
ハンナに負担を掛けない様に慎重に車両を操作するミルクは、ゴロゴロと喉を鳴らす猫と化したリュウに毒突き、ココアに指示を出す。
「はい! 姉さま!」
そしてすかさずリュウとハンナの腕を人工細胞で繋ぐココアは、リュウから血液を抜き取ってハンナに送り込む。
「ちょっ!?」
「ご主人様ぁ。ご主人様はO型なのでぇ、リーザさんの大切なハンナさんの為にぃ、う~んと分けてあげて下さいねぇ? お願いしま~す!」
完全に油断していたリュウの目の前にミルクが両手を胸の前で組んで、甘えた声でお願いをして車両の操作に去って行く。
「えええ……」
「クスクス……リュウ様、私からもお願いします……」
「は、はぁ……」
呆気に取られるリュウについ笑ってしまうリーザ。
それでもリーザに改めてお願いされてしまえば、リュウに断る術は無かった。
「さっすがリュウ! 優しいね~」
そんな仕方なくされるがままのリュウの腹に、今度はアイスがよじ登る。
「で、お前は何してんだ?」
「えへへ~、抱っこ~」
「へいへい……」
胡乱な目でアイスを見るリュウだが、しっかりと左腕に抱き付かれてしまい、その抵抗を諦める。
前部荷台ではそんなリュウを見ていたリズが、エンバに何やら囁いている。
「リュウ様、モテモテね……エンバ、羨ましい?」
「いや、お前が居れば十分だ……」
「もう……エンバったらぁ……」
そんな甘ったるい空気を撒き散らしながら、リュウ達の車両は北へと進む。
次の目的地は魔都の一つ手前の町、ルドルである。
ネクトの町…村でしたね…寂れて村の規模になった…という事でいいのか…
何はともあれ、ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
ご意見、ご感想、評価等、お待ちしております。
次回からは新たなお話になりますが、今の所、大筋以外に何も有りません…
なので少しお時間を頂きたく存じます。




