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星を巡る竜  作者: 夢想紬
第二章
60/227

32 夜が明けて

 まだ夜も明けきらぬ頃、宿屋の厨房には湯気が上り、良い香りが立ち込めていた。


 一定のリズムで包丁がまな板を叩き、耳にとても心地良く響く。

 魔光石の明かりの下で、その音を奏でているのはリーザだ。

 口元に浮かぶ微かな笑みと一定のリズムが、彼女の心の安定を物語っている。

 彼女は今、姿を消したハンナに代わって皆の朝食を作っているのだ。


「お、お早う、姉さん……こんなに早くから料理だなんて……」


 そんなリーザに厨房の入口からおずおずと入って来たリズが挨拶するが、その後に続く言葉には、どこか非難めいた感情が混じっている。


「お早う、リズ。リズこそ珍しいじゃない、どうしたの?」


 対するリーザはリズの心情にまるで気付かず、自然に挨拶を返して朝が弱いはずのリズにきょとんとした反応だ。


「あ、うん、その……外は寒いから、厨房のお湯で……その……」

「何? 後ろに何持ってるの? あ……」


 リーザの問いに答えるリズは非常に歯切れが悪く、(いぶか)しむリーザはリズが背後に隠し持つ物がベッドシーツだと分かり、リズがエンバと一夜を過ごしたのだと悟った。


「み、みんなには言わないで……」

「言う訳ないでしょ! もう……端の流しを使いなさい……」


 ベッドシーツを洗うのに厨房の流しを使おうとしたリズのがさつさに呆れるリーザではあったが、真っ赤な顔で項垂れるリズを見て苦笑いで洗濯を許す。


「ご、ごめん……」


 ばつが悪そうに謝りながら、リズはそそくさと厨房の奥でお湯を使い始める。


「……ま、エンバなら安心ね……」

「……ん……」


 そんなリズを微笑ましく見つめるリーザは、相手が冷静で実直なエンバである事に安心してリズに声を掛けるのだが、リズは赤い顔で頷くのみだ。


「それで? 彼は何て?」

「え、えっと……け、結婚しようって……帰ってからだけど……」


 このままではリズの口からは何も聞けそうにないと感じたリーザが問うと、リズは手を止めてリーザに向き直るものの、真っ赤に俯いたままでぽつりぽつりと答えた。

 その姿はまるで叱られるのを覚悟する子供の様だ。


「そう、良かったわね……おめでとう、リズ……」


 リズの様子に苦笑いするリーザはその表情を一変させて微笑むと、心からの賛辞を贈った。


「え……あ、ありがとう! 姉さん……」

「感謝するのはまだ早いわよ? 料理に裁縫、覚える事一杯あるでしょ?」


 何か小言を言われるかと思っていたリズはリーザの賛辞と笑みに目を真ん丸にしたが、すぐに目に涙を浮かべて感謝を述べ、続くリーザの言葉に青褪める事となった。


「あ……ど、どうしよう……お、教えてくれる?」

「当たり前でしょ……妹が出戻りなんて姉の恥だわ!」


 狼狽えるリズに、リーザはわざとらしく威張って見せる。


「よ……よろしくお願いします……」

「ん! よろしい!」


 そんなリーザにリズがぺこりと頭を下げると、リーザは威張ったポーズのままで大きく頷くのだが、堪えきれずに吹き出してしまい、釣られる様にリズも笑い出すのであった。










「そうそう、何よ上手じゃない……初めてにしては上出来よ?」

「ほ、ほんとっ!? う、嬉しいっ!」


 厨房では洗濯を終えたリズが、リーザの横で早速料理を習っていた。

 皿の上には出来立ての卵焼きが湯気を立てている。


「あふ……うん、中もちゃんとふわっと出来てるわね……」

「あー! さ、最初はエンバに食べて貰おうと思ってたのにー!」


 切り分けられたその一切れを,リーザはひょいと摘まむと口に入れ、はふはふとチェックするのだが、リズは余程ショックだったのか涙目で叫ぶ。


「何言ってるの、その頃は冷めてるじゃない。みんなが来てから本番よ!」

「ほ、本番……それは姉さんが……」


 だがそんな戯言をあっさりとスルーしたリーザの言葉に、今度は青褪め、狼狽えてしまうリズ。

 普段は出来るのに、本番になると実力を発揮しきれないタイプかも知れない。


「ダメよ、失敗を恐れずに頑張らないと。エンバに食べて欲しいんでしょ?」

「あう……が、頑張ります……」


 それでもリーザに励まされると、頑張ろうと頷くリズ。


 そうしてリズが再びフライパンを手にした時だった。

 宿屋の玄関扉が開かれ、誰かが入って来た。

 思わず厨房で息を潜めるリーザとリズだったが、やってきた者の顔を確認するなり飛び出したのはリーザであった。


「ハンナさんっ!」

「ッ! リ、リーザ……」


 ハンナは突然名を呼ばれて驚いたが、相手がリーザだと分かるとその場に立ち尽くしてしまった。


「ハンナさん、今まで何処へ……」

「リーザ……怖かったろ……許しておくれ……」


 リーザが尋ねるものの、ハンナはその場に膝を突き、項垂れて謝罪を口にした。

 そんなハンナに歩み寄ろうとしたリーザの手を、リズが掴んで引き留める。


「何を勝手な事を! あなたが姉さんを奴らに売ったんでしょ!」


 リズがハンナを睨みつけて叫ぶ。

 リーザの怯える姿を思い出したリズの瞳に、じわりと涙が浮かんで来る。


「リズ、やめて……今そんな事言っても始まらないわ……大丈夫だから、ね?」

「姉さん……」


 怒るリズをリーザは静かに(なだ)めた。

 そして自分の為に怒ってくれたリズに優しく微笑むと、改めてハンナに近寄り、しゃがんでハンナに話し掛ける。


「ハンナさん、今までどうしていたんですか? 何故、私達が居るのを分かっていて戻って来たんですか?」


 リーザは静かにハンナに話し掛ける。

 地下でリーザと相対した時の迫力は既に無く、ハンナは弱々しく口を開く。


「あんた達が二階に上がってすぐ町の者が来て、あたしはあんた達の事を伝えてね、星巡竜様が居るという事でみんな恐れて……静観するという事になったんだよ……でもリーザ、あんたが気付いて怯えるのを見て、ああするしか無かったんだよ……気付かれた時は逃がすな……それがこの町の鉄則だったからね……」


 そう言ってハンナは肩を落とす。


「待って下さい……じゃあ、最初は『闇の獣』は関係無かったんですか!?」

「ああ……連中の片棒を担いだ時点であたし達も同罪さ……外部に知れたら全員が破滅、ただそれが恐ろしくて皆団結するしかなかった……この町で綺麗な手をした者は一人も居ないからね……」


 最初は町の主導で拉致が実行された、その事実に驚愕するリーザに、ハンナは町の実情を話し始めた。


 元々はガトルを筆頭にした一部の強硬派が、旅団を襲撃したのが始まりだったが、その恩恵を町が受けたのは事実で、一部の町の者は後始末を手伝った。

 だが、襲撃事件が起こる度に、まだガトル達に加担していない町の者が後始末を手伝わされ、拒否した者は殺された。

 そうやって誰もが罪の意識を負わされ、いつ訪れるとも知れない破滅の時を町の者達は怯えながら過ごしてきたのだった。


「酷い……」


 ハンナの話に、リーザもリズも青褪めて言葉を失っていた。

 そして改めてガトルの狡猾さに震えを覚えるのだった。


「あんたが連れて行かれて、あたしは皆と集会所に居たんだよ……逃げた者が居た時に町の者がうろうろしてると邪魔だから、という理由でね……みんな震えていたよ、星巡竜様を手に掛けるなんて、と……でもガトルが死んだと部下達が騒いでいるのを聞いて、皆ほっとしたんだよ……けどもう誰も立てなかった……ガトルが死ねばこの町は破滅……それも分かっていたからね……」


 ハンナはそこまでを話すと大きくため息を吐き、大粒の涙を(こぼ)した。


「あたしは、謝りたかった……殺されてもいいから、もう一度だけあんたに会いたかった……あんたと居る時は怯えを忘れて笑えたんだ……ハンナさん、ハンナさんって話し掛けてくるあんたが可愛かった……それなのに……許しておくれ……」


 それ以上ハンナは話す事が出来なかった。

 リーザに抱きしめられて、お互いに声を上げて泣いてしまっていたからだ。

 そしてリーザの後ろに立つリズも貰い泣きしており、彼女達を見下ろす階段では涙目のミルクとココアが静かに滞空し、その背後ではエンバが静かに立っていた。


 ミルクとココアは設置したセンサーで来訪者の接近を感知し、エンバはリズの叫び声を聞きつけていたのだった。

 因みにアイスは未だ夢の中で逃げる果物を追いかけており、リュウは幸せそうな寝顔で枕を揉みしだいている。


「ハンナさん、私はハンナさんを恨んでいません。ハンナさんが居なかったら、今の私は居ないんです。ハンナさんはずっと私の恩人で……だから今度は私が守ります。一緒に逃げましょう?」


 一しきり泣いてハンナから体を離したリーザは、ハンナの目を見つめながら話し掛け、微笑む。


「ね、姉さん! 何言い出すの!? そんな事したら姉さんまで……」

「でも、私……ハンナさんを置いて行けない!」


 そんなリーザにリズは、そんな事を魔王様が許すはずが無い、と慌てて声を上げるのだが、リーザは感情的になっており、ハンナに抱きつこうとした。

 だが、そのリーザを止めたのは他でもないハンナだった。


「リーザ、およし……その気持ちだけで十分さね……あたしは此処でお裁きを待つよ……ありがとう……」


 ハンナはすっかり憑き物が取れたかの様な、清々しい表情に変わっていた。

 そしてリーザの両肩を掴み、まるでリーザを励ますかの様に感謝を述べる。


「そんな……」


 ハンナに突き放されてしまったリーザは、そのハンナの表情を見てそれ以上何も言えず、俯いてぽろぽろと涙を溢した。


「ほらほら、ほんと泣き虫だねえ……ちっとは妹を見習いな! もうあたしゃ、あんたのお蔭で覚悟は出来たよ! だからさ、最後くらい腕に縒りを掛けてあんた達を送る事にするよ……だから上の寝坊助達を起こしといで!」


 また泣いてしまったリーザに、ハンナは両手を腰に当てて声を張った。

 湿っぽいのはもう終わり、最後はいつもの自分で皆を見送ろう、そんな気持ちでハンナは厨房に入って行き、せわしなく動き始めた。


「ぐす……お手伝い……します……」

「ん……そうかい? じゃあ、サラダでも頼もうかねえ……」

「はい……」


 ハンナが厨房の入り口に目をやると、涙を拭いながらリーザが立っていた。

 まるで叱られた子供の様なリーザの姿は、初めて礼を言いに来た時の姿とダブってハンナには見えた。

 そうして優しい笑顔になるハンナは、リーザの手伝いを素直に受け入れる。

 厨房で親子の様に並んで作る料理、それは別れの挨拶の様であった。










「ご主人様~、起きて下さ~い!」

「うへぇ、柔らかいっすねぇ……うふふぅ……」


 枕を揉みしだくリュウは、ミルクの声も届かず未だ幸せな夢の中であった。


「姉さま、ダメよこれ……完全に骨抜きにされてる感じ……」


 そんなニヤケ面で眠る主人を、これ呼ばわりするココアが結構酷い。

 だが、無言で頬をぷくーっと膨らませたミルクは、もっと酷かった。


「いでえっ! 何!? いでえっ!」


 足に奔った激痛に悲鳴を上げ混乱するリュウに、再度痛みが襲い掛かった。

 ミルクが主人の足の絶縁措置を解除して、電気を流したのだ。


「もう……やっと起きてくれましたね、ご主人様ぁ。ずーっとずーっと起こしてたんですよぉ?」


 甘え声で話し掛け、頬を膨らませて拗ねるミルク。

 ずっと起こしてたなんて嘘だ、一度声を掛けただけだ。


「え? あ、悪い……いやでも、今の結構痛かったぞ?」

「え~、そんなに強かったですかぁ? ごめんなさいですぅ……」


 つい謝ってしまう主人に苦言を呈され、しゅんと項垂れるミルク。


「あー、いいって、いいって、急用か?」


 泣きそうなミルクに慌てるリュウは、手を振ってミルクを宥め、用件を尋ねる。


「お食事がそろそろ出来るのでぇ、お呼びしに来ましたぁ!」

「え……それで、電撃……?」


 許された事で明るく振舞うミルクに、それで電撃されたのか!? とちょっと引くリュウ。


「ごめんなさいですぅ……」

「あー、今度から注意してくれりゃいいって……」


 だが再びしゅんと項垂れるミルクを、不覚にも可愛いと思ってしまったリュウは、しょうがねえなぁ、と許してしまう。


「はーい! アイス様も起こしてきますね~!」


 するとミルクはパアッと表情を明るくし、満面の笑みでアイスの下に飛び去って行ってしまった。


「お、おう……ん? どうした、ココア?」


 ミルクの勢いに気圧されつつ、リュウは横で顔を引きつらせるココアに気付く。


「い、いえ、別に……」


 ミルクのダークな一面を見てドン引きするココアであったが、そんなミルクに告げ口がバレたらと考えると、とてもじゃないがココアには、言葉を濁す以外に無いのであった。










 食堂にリュウ達全員が集合し、リーザとリズが食事を運んでいる。

 テーブルに着くリュウの横では、ハンナがこれまでの事情を再度リュウに説明し、何度も頭を下げていた。

 それには先に事情を聴いていたミルクとココアもハンナを擁護する立場で参加していた。


「そうだったんですか……はい、事情は分かりました。ハンナさん達も辛かったんですねぇ……」

「ですが、あたし達のした事は許される事ではありません。ですからリュウ様、あたし達の事はお気になさらず、魔都では包み隠さずお話し下さい……」

「は、はぁ……」


 事情を聴いてハンナ達に同情するリュウであったが、全てを話す様に言われると、曖昧な返事しか返せなかった。


 そうしている間に、食卓には最後の料理が運ばれて来ていた。


「お待たせしました、これで全部です。それと、この卵焼きはリズが作ったので、是非食べて感想を聞かせてやって下さいね?」

「ごめんなさい、練習の時はもっと上手に出来たんですけど……」


 配膳をし終えたリーザがリズの卵焼きをアピールするのだが、作ったリズはと言うと、肩を落として項垂れていた。

 卵焼きはほくほくと湯気が上って出来立ての様だが、少し強めの焦げ目が付いて硬そうな印象を受ける。


「んじゃ、早速頂こう! いただきまーす」

「いただきます」


 リュウが両手を合わせてから皿に手を伸ばすと、他の皆も同じ様に手を合わせてから食事を始める。

 リュウ達にとっては既に当たり前になっているが、初めて見るハンナはぽかーんとしている。


「何だい今のは?」

「リュウ様の世界では料理人や野菜を育てた人、肉になった動物などに感謝を捧げる風習が有るのだそうで、私達も見習う事にしたんです。素敵な事だと思いません?」


 ハンナがリーザに小声で尋ねると、リーザは嬉しそうに語って聞かせた。


「なるほどねぇ、ハンターも動物の命を粗末にしないけど、そういう事はしないからねぇ……」

「いやぁ、小さい頃から親の真似してやってただけで、そんなに深く考えてる訳じゃないっすよ?」


 ふーむと顎に手を当て考えるハンナに、リュウは大袈裟だなぁと付け加える。


「でも、そう言う事を自然に出来るから、リュウ様の中に優しさが根付いているのですわ……」

「は、はぁ……」


 だがリーザの慈しむ様な瞳で微笑まれると、リュウはポリポリと鼻を掻き、思い出した様に食事を再開する。

 頬がちょっと赤いのはご愛嬌だ。


「姉さま、とても居心地が悪いんですけど……」

「言わないでココア、消化に悪いから……」


 そんなリュウとリーザの様子に、二人並んで食事をする妖精姉妹は目の前の肉をザクザクとフォークで突き刺しながら、ひそひそと小声で言葉を交わしている。


「ど、どうかな? お、美味しくなかった?」


 リュウの隣ではエンバが卵焼きを食べた途端、リズがおずおずと上目遣いで料理の感想を尋ねている。


「いや、ほんの少し硬めだが、美味しいぞ……」

「ほんと!?」

「ああ……」

「良かった……」


 エンバがリズの顔も見ず、食事を続けながら答え、リズが真っ赤な顔で幸せそうに俯いている。

 よく見ればエンバの頬も少し赤い。


「エンバ、甘やかしちゃダメよ……六十点の出来よ?」

「んじゃ俺は七十点かなぁ、エンバさんも将来に期待した点数で!」


 そんな二人にリーザが呆れた様に点数を付けると、リュウもそれに倣い、エンバにも採点を促した。

 リーザとリュウに点数を付けられたリズが縮こまっている。


「じゃあ、将来に期待して……九十点……」

「おやおや、彼氏さんはだだ甘だねえ……将来、尻に敷かれちまうよ?」


 だが、縮こまるリズを見たエンバには辛口評価は出来なかった様で、ハンナは呆れてしまったが、リズは再び幸せを噛みしめる。


「けっ……姉さま、胸やけしそうです……」

「ふっ……ただの焼き過ぎた卵なのに……」


 ほんわかとした空気の中、妖精姉妹は逆手に持ったフォークで卵焼きを突き刺し、やさぐれるのであった。

まだ町を出られなかった…

次話では出られるはず…


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