27 冒涜の宴
苦痛を伴う記憶の体験がまた一つ終わり、意識が一瞬暗転する。
もう十分だ、止めてくれ、そう思うリュウだが何も出来はしない。
次に視界が開けた時、リュウはチャイルドシートに座っていた。
そこが車の中だと分かった途端、リュウの鼓動が急激に早まり、呼吸が浅く短く変化した。
「リュウ! しっかりして!」
「ご主人様……」
アイスが叫び、ミルク達は祈る様な目をリュウに向けている。
プロジェクターの映像が先程の次々と入れ替わるものではなく、ホームビデオで撮ったかの様な映像に変わっている。
「いよいよクライマックスだな……あばよ、にーちゃん……」
その映像が何を意味するのか、「闇の読心」で知っているガトルだけが楽しそうに言い、ミルク達はガトルを睨んだが、ガトルは涼し気な顔のままだ。
プロジェクターの映像がリュウの視点であろう、とミルク達だけでなく、リズ達も気付いていた。
前に座る人物はリュウの両親だろうか、そう思った時、リュウの体がガタガタと痙攣を始め、思わずリズはアイスを置いて、リュウの体を支えた。
「リュウ様! お気を確かに!」
リズの叫びも虚しく、リュウからは何の応答も無い。
リズもエンバもそれが車両であると、旅の途中で見た映像から理解できた。
その直後、激しい破壊音を立てて別の大きな車両とリュウの乗る車両が衝突し、リュウの視界は一旦途切れた。
映像が再開した時、車両の外の風景は逆さまになっていた。
車両が転覆したのだ。
リュウの名を呻き声で呼ぶ両親と、泣き叫ぶ子供の声のリュウ。
皆、映像に釘付けになっていた。
リュウの記憶を覗けるミルクとココアも、初めて見る映像であった。
リュウの視界が急速に車両から遠のいた。
声から察するに、誰かに助け出されたのだろう。
「おとうさん……おかあさん……」
リズに抱きしめられているリュウが発する声と、映像の幼いリュウの声が見事に重なり、リュウの意識が完全に過去と同化しているのが分かる。
映像では転覆した車両に子供の低い視点が接近しようとして、周囲の大人に止められている様だった。
車両にはまだリュウの両親が取り残されたままであった。
そして無情にも車両は炎上する。
「おと……うさん……おか……あ……さん……」
再び声を発するリュウの目から涙が零れる。
「こんなの酷いよ……」
「ご主人様……」
アイスが泣き声で呟き、ミルクがリュウの腕にしがみついている。
リュウを抱きしめるリズが、ガトルに捕らわれているリーザが、今まで泣いた事の無いココアが、無言で涙を流している。
映像の中ではゴウゴウと音を立てて、炎が車両から噴き出していた。
「あの時、リュウ様は驚いていたんじゃなく、恐れてたんだ……なのに、私は……」
リズがふと、初めてリュウの前で魔法を披露した時の事を思い出し、リュウの様子に気付けなかった事に臍を噛んだ。
「ご主人様のトラウマ……それを利用するなんて……許せない……」
涙を拭いながら呟き、ガトルを睨みつけるココア。
本来なら、リュウの記憶による映像はここまでのはずだった。
だが、闇の魔法はその先を映し出す。
燃え上がる車両のドアが開き、燃え盛る二人の人影が這い出て来たのだ。
燃え盛る人影はリュウの両親に違いなかった。
二人は立ち上がると、燃え盛る両手を伸ばし、リュウに掴み掛かった。
「あああああ……あ……あ……」
リズの腕の中でリュウが大きく跳ね、リズの腕が外れる。
膝立ちになるリュウが何かを掴む様に手を中空に伸ばし、そのまま体ごと仰向けに倒れ、それきりリュウは動かなくなった。
「ほいよ、ご臨終だ」
「そ、そん……な……」
ガトルが短くリーザの耳元で囁き、リーザは呆然とリュウを見つめる。
「ご……主人……様……?」
「リュウ!?」
「リュウ様!!」
リュウの傍でも皆が呆然と倒れるリュウを見つめている。
「姉さまっ! 緊急蘇生をっ!」
「ッ!」
逸早くココアが我に返ってミルクを促し、マスターコアから人工細胞の再掌握を試みる。
ミルクも即座に同様の行為を行うと、リュウの意識が消失したせいか、人工細胞は通常通りにミルク達の制御下に戻って来た。
「アイス様、リズさん、離れて下さい!」
ミルクの力強い声に、リズがアイスを抱いてリュウから離れる。
直後にリュウの体からキュゥゥゥゥンと音がしたかと思うと、バンっという音と共にリュウの体が跳ねた。
「ダメ! 姉さま、もう一度!」
ココアの声で再度ミルクが蘇生を試みるも、リュウの鼓動が再開しない。
「ココア、酸素を! 人工心臓に! 絶対死なせないっ!」
数度の電気ショックを断念したミルクとココアは、人工心肺機能でのリュウの肉体の維持に集中する。
だがリュウを危険視していたガトルが、それを許すはずが無い。
「妙な真似しやがって。おい、あいつら纏めてやってしまえ!」
ガトルの指示で、五人の部下が鉄格子越しに魔法を放つ。
一人はリュウに肺を撃ち抜かれていた為に、ぜえぜえと座り込んだままだ。
「っく! させないっ!」
アイスが叫ぶとリュウを中心に光の玉が現れ、殺到する魔法を光の幕で弾く。
その後もアイスの光の障壁は、次々と放たれる魔法を尽く弾いて行く。
「ア、アイス様……お、お体が……」
アイスの異変に気付いたのはリズだった。
アイスの体は光の玉をを発生させてから、徐々に白い部分が拡大していた。
「う……っく……負け……ない……」
それでもアイスは光の障壁を展開し続ける。
どのくらいの魔法を弾いただろう、もうアイスの体は真っ白だった。
そしてとうとうアイスの竜力が尽き、アイスが倒れる。
「アイス様! っく、水流渦!」
リズはアイスを抱え上げると、倒れるリュウを敵から隠す様に立ち、敵との間に水の竜巻を発生させた。
リュウに披露した時よりも大きなそれは、敵の視線から完全にリュウ達を隠している。
「しょうがねえ、ほらよ……」
ガトルはその大きな水の竜巻を見て、部下の魔法では突破に時間が掛かる、と右手を前に出す。
それだけで、詠唱もしていないのにリズの魔法が霧散する。
「なっ!?」
「悪いな嬢ちゃん、上には上が居るってこった……やれ!」
驚き立ち尽くすリズに、ガトルの命令で再び部下達から魔法が放たれる。
「リズぅっ!」
叫びながらエンバが飛び込み、抱えたアイスごとリズを引き倒す。
その直後、エンバの体をクッションにして倒れ込むリズの真上を、風の刃が通り過ぎる。
だが、リュウの体の上に居たミルクとココアは風の刃を受け、切り裂かれる事は無かったが、その体の小ささ故に吹き飛ばされ、背後の壁に叩きつけられた。
「あぐぅっ!」
「があっ!」
「ミルク様っ! ココア様っ!」
壁に叩きつけられたミルクとココアは、そのまま力無く地面へとポトリと落ち、倒れたままのリズがその名を叫ぶ。
だが、ミルクとココアは動かないどころか、その体を崩れさせ、どこか人の形をした金属になってしまった。
「そん……な……」
立ち上がりよろよろと歩を進めるリズは、ミルクとココアだった金属の前にへたり込んでしまった。
「ふははは! 厄介そうな妖精を仕留めたか、でかしたぞお前ら! これで守護者のにーちゃんも終わりだ。あとは……」
ガトルは突然の呆気ない幕切れに、思わず笑いながらも内心で安堵していた。
それはそうだろう、神にも等しいと伝えられる星巡竜とその守護者、それに付き従う妖精、それはリーザから聞き出した情報ではあるがそんな得体の知れない存在が真っ先に舞台から去ったのだから。
そして、ぐったりとしたアイスを抱えてへたり込むリズと、傍らで立ち尽くすエンバを見て、勝利を確信する。
「リズ、もう無理だ。援護する、アイス様を抱いて逃げろ」
「え!?」
へたり込むリズの横へ屈んだエンバがガトル達に聞かれぬ様にリズに囁き、リズは一瞬何を言われたのかと理解するのに時間が掛かった。
リュウやミルク達が倒されて驚愕するエンバだったが、頭は冷静だった。
残された自分達がガトル達に太刀打ちできるとは到底思えない。
ならば、今はせめて情報だけでも誰かに届けねばならない、と彼は考えていた。
本来、情報を届けるのであれば、風の魔法で周囲を探知できるエンバ自身が最も可能性が高かったであろうが、彼はそれを選ばなかった。
リーザの酷い有様を見ても尚、その妹まで同じ目に遭わせる事などエンバに出来るはずもなかった訳だが、それを誰が責められるだろう。
「分かるだろう、誰かがこの事を伝えないと、被害はこれからも続くんだ」
「なら、エンバが……」
「お前までリーザさんの様な目には遭わせたくない。だから――ッ!?」
エンバがリズとアイスを逃がそうと早口で囁くが、ガトルがそれに気付かぬ訳が無く、リズ達の直近の壁が爆ぜ、二人は鉄格子の方へと吹き飛ばされた。
「ぐあっ!」
「ううっ!」
飛ばされながらもエンバは、咄嗟にリズを庇って地面に叩きつけられ、そのお蔭でリズは大したダメージも無く、腕の中のアイスも無事であった。
「逃げられると思ってんのかぁ?」
「逃がして見せる! リズ、行けっ!」
よろよろと立ち上がるエンバにガトルが呆れた様に笑うが、エンバは鋭い眼光をガトルに叩きつけ、リズに叫ぶ。
エンバの声にリズは反射的に跳ね起き、入って来た扉目掛けて駆け出した。
「風壁!」
エンバは後退りながら、風の障壁を張り、足元から射出される土の槍をナイフで切り飛ばす。
たった数秒の攻防であったが、リズは一つの魔法を受ける事も無く扉に辿り着き、その取っ手を引いて体を滑り込ませた。
そこでちらりと背後を伺い、驚愕に目を見開いた。
エンバが一つの魔法も通させまいと両手を広げて立っている。
その足元は真っ赤で、よく見れば土の槍がエンバの足や腹を突き抜いていた。
「エ、エンバぁぁぁっ!」
「い、行けえっ!」
思わず叫ぶリズに、エンバが声をふり絞る。
エンバは風壁程度では次々と放たれる魔法を防ぎきれないと分かっていた。
それでもリズに、たった一つの魔法すら通すつもりは無く、その役目を全うしたのであった。
「くっ……」
リズが未練を断ち切る様に、ぎゅっと目を閉じて通路の奥へと姿を消し、僅かに開いていた扉が閉まった。
「すげえ根性だな、にーちゃん。ちっ、しょうがねえ。お前ら逃げた女を――」
腹と太ももに槍を受けたまま仁王立ちになるエンバに、ガトルは呆れた様な表情を見せ、次いで逃げたリズを部下に追わせよう、と指示を出しかけて止まった。
リズが逃げた扉が再び開いたからだ。
「リズ!? 何してるっ!?」
「エンバ……ごめん……」
扉が開く気配に首だけを振り向かせるエンバは、リズが姿を現した事に痛みも忘れて叫んだが、謝るリズの後ろから数人の男が入って来た事で、事態を理解した。
「ふはははは、良いタイミングだぜお前ら。やっぱ俺達はこうでなくちゃな!」
リズを追う手間が省けてガトルは嬉しそうに笑い、新たに入って来た男達に声を掛ける。
「ガトル……星巡竜様にまで手を掛けるんじゃなかろうな?」
入って来た男の一人が、ガトルの言葉を流して問う。
新たに入って来た男達は「闇の獣」ではなく、町の男達であった。
「あん? 今更何言ってんだ。ここを知っちまった奴らに魔人族も星巡竜もねえだろーが……ったく、これだから町の連中は……そんじゃお前ら、今日滅んでも良いのか?」
ガトルはその問いに心底呆れた様な声で答え、ボリボリと頭を掻くと、逆に質問を返した。
ガトルにしてみれば、誰であろうとこの場所を知る者は生かしておけない。
だが、生きる為には仕方が無いと、自分の心を騙し続けて来た町の連中にしてみれば、神にも等しい星巡竜に手を掛ける覚悟までは備わっていなかったのだ。
「……」
だが、ガトルに問われて男は答える事が出来なかった。
今日滅んでも良いかと問われれば、答えは「否」だからだ。
「けっ、辛気臭え連中だぜ……明確な答えが無えなら黙って見てろ! 俺に指図するんじゃねえ! ちっ、気分直しだ。おい、リズっつったな……脱げ」
吐き捨てる様に口を開いたガトルは、不快さを丸出しにして吠えた。
そして、さも当然の様にリズに命令する。
「な……誰があんたの――」
「ぐあっ!」
開いた口が塞がらない、それをそのまま体現したリズだったが、直後に憤慨しかけてエンバの声でそちらを見やる。
エンバのもう一方の太ももを土の槍が貫いていた。
「エ、エンバっ!」
「ほれ、早く脱げ……次々刺すぞ?」
悲鳴を上げるリズに、ガトルの冷酷な声が届く。
「待って! 分かったから! でも、その前にエンバを治してっ! お、お願い……します……お願いしますぅぅぅっ!」
リズは顔を青褪めさせて叫んだ。
幼馴染でずっと一緒に育ってきたエンバを、こんな所で死なせたくなかった。
リズは屈辱に震える膝を折り、地面に両手を突く。
そして悔しさで涙を溢れさせながら、地面に頭を擦り付けた。
「リズ……よせ……どうせなら……俺と一緒に……死んでくれ……」
そんなリズにエンバの途切れ途切れの声が掛かるが、リズは頭を上げなかった。
「いいだろう……大いなる癒しの聖光」
ガトルはニヤリと笑って右手を伸ばすと、癒しの呪文を唱えた。
十メートルは離れたエンバの腹部の槍が消え去り、そこを黄金の光が包み込み、リーザの目が見開かれる。
リーザも同じ魔法を使えるが、対象者が至近でないとその効果は著しく落ちる。
それをガトルは片手で十メートルは離れた対象者に施している。
しかもその治癒速度は、リーザのそれを遥かに上回っていた。
ガトルの人間性はどうあれ、その卓越した技術は一流魔導士のそれであった。
「今は腹だけ治しといてやる。今度はお前の番だぞ」
エンバの腹をあっと言う間に治したガトルに促され、リズは衣服を脱ぎ捨てた。
「おい、お前ら。魔法使い過ぎて疲れたろ。休みがてら守護者のにーちゃんの様子を見て来い。死んでりゃいいが、生きてんなら止めを刺しとけ」
リズが裸になったのを見て、ガトルは五人の部下にリュウの様子を確認させる。
魔法の腕よりもその用心深さこそが、これまでガトルを「闇の獣」の首魁として君臨させてきたのだった。
「ま、待って下さい! リュウ様を――」
「あん? 今、そっちのにーちゃんを助けてやったろーが。こっちのにーちゃんもって言うんなら、星巡竜をそのにーちゃんに預けて俺の靴でも舐めな……」
リズが慌ててリュウの助命を乞おうとすると、ガトルはこれで何度目になるのか、呆れた顔で条件を出した。
だが、ガトルの本心はそうではなかった。
女さえ手に入れてしまえば、男達や星巡竜は始末するつもりなのだ。
その為に、エンバにアイスを預ける様に言ったのだ。
「リズ……止めるんだ。今からでもお前なら逃げられる……」
腹部は癒えても両方の太ももを槍で貫かれたままのエンバは、食いしばっていた歯を緩めると、ガトルの言葉に従おうとアイスを抱いて近付いて来たリズに、逃げる様に説得する。
リズはエンバの足に負担を掛けない様にそっと近づくと、アイスを無理矢理に手渡し、アイスを抱いたエンバの肩近くの腕を外側から包む様に掴んだ。
「ごめんね、エンバ……さっきの言葉嬉しかった……ありがとう……」
リズは自分の為に傷だらけになったエンバに、謝罪と感謝を述べて微笑んだ。
エンバはまっすぐ自分を見つめて微笑むリズに、一瞬見惚れてしまっていた。
今までにもリズの笑顔は飽きる程見て来たが、こんな透明な美しさを感じたのは初めての事だった。
そんなエンバの唇に、リズの唇がそっと重ねられる。
それはほんの一瞬であり、すぐにリズは離れると顔を赤らめながら微笑むが、その瞳からは涙が溢れていた。
毎度サブタイトルには悩まされます。
ご意見、ご感想、お待ちしております。
評価でも結構です。
よろしく願いします。




