17 鍛冶師の受難
「ご主人様ぁ、早く早くぅ!」
「そんなに急かさなくても、工房は逃げねえって……」
翌朝、明るい声でココアに急かされるリュウは、ギルドから鍛冶師ミガル・グラの工房に向かってのんびり歩いていた。
ココアが急かしているのは、急用だからという訳では無い。
遂にプレゼントを貰えた嬉しさに、はしゃいでいるのである。
「もう、ココアったら……あんなエッチな格好ではしゃぐなんて……」
リュウのすっかり定着した首周りをゆったりさせた着方のベストの内側で、ミルクがリュウの肩に腰掛けながら、困った様な顔をココアに向けている。
そのココアは、反省はともかく一日ヴォルフに成り切った事で小悪魔コスチュームに身を包み、リュウの前方三メートル辺りを飛んでいた。
そう、リュウが用意した小悪魔コスチュームには蝙蝠の翼が付いており、ココアが人工細胞を通して改良を加えた事で、飛ぶことが可能になったのだ。
なので元々リュウが用意したものより、翼の面積は大きくなってしまったが。
「ま、まぁ水着みたいなもんだと思えばいいだろ? コスプレなんてそんなもんだし、もっとエグい格好してる人達も居るじゃん……」
「そうですけど、ここの人達にはそんな文化なんて無いんですからね?」
相変わらず固い事言ってるなぁと思いつつ、リュウはココアの格好をミルクが容認し易い様に、話を持って行く。
ミルクも主人が用意したコスチュームなので反対するのは諦めているが、コスプレを知らない魔人族の人達に受け入れてもらえるかが心配なのだ。
「流行るといいなあ……」
「うあー、それが狙いなんですか!? ご主人様のエッチ!」
にへら~っと笑みを浮かべるリュウに呆れるミルクが、リュウの首を抓る。
「いでぇっ!」
「もう……大袈裟に痛がらないで下さい。びっくりするじゃないですか……」
リュウの大袈裟な声に、ミルクはビクッと驚き、抓った所をさすった。
「あのな、サイズを考えろ。お前が抓ったら、刺す様に痛いだろが!」
「あ……す、すみません! 考えが及びませんでした……」
自分でも首をさすりながらリュウが憤慨し、ミルクは大袈裟じゃなかったんだ、と真面目に謝る。
「あー、それとな、何もコスプレはエッチなだけじゃないぞ? 可愛いのも格好良いのもあるんだからな?」
「それは分かってますけど、ご主人様はココアみたいなのが流行って欲しいんでしょ?」
エッチと言われて気にしていたのか、リュウは柄にもなくそんなに詳しくもないコスプレについて話すが、既にミルクは主人を「エッチ」にカテゴライズしている様だ。
「失礼な。俺は文化を育みたいだけだ……」
「えぇ……本当ですかぁ? ご主人様が何だか詐欺師に見えそうですぅ……」
なのでリュウは苦し紛れに適当な事を言ってみるが、やはりミルクには通用しない様である。
なのでリュウは話題を変える事にする。
「まあいい。それよりミルク、お前もちょっと飛んでみろよ」
「え~、ちょっとですよぉ……」
ココアに小悪魔コスチュームをプレゼントすると同時に、白いロングドレスの天使風のコスチュームを与えていたミルクに、リュウは飛んでみる様に促してみる。
するとミルクは少し恥ずかしそうに天使の翼を広げ、ふわりとリュウの前へと飛び立った。
「うん、いいな。あ、ミルク、太陽を背に滞空してみて。マジ天使っぽく見えるかも知れん……」
「はーい」
主人の思い付きの提案に、ミルクは主人と太陽の位置を即座に判断し、すいっと上昇すると、翼をゆっくり大きく羽ばたかせて滞空する。
「お~、いいねぇ……マジで天使みたいだ……」
「も、もう…て、照れるじゃないですかぁ……」
主人にまじまじと見上げられて照れるミルクは、頬を赤く染めて降下すると主人のベストの内側に滑り込む。
そしていつもの様に座ると主人の首にもたれかかり、もじもじと感想を尋ねる。
「あ、あの……気に入って頂けましたか?」
「うん。とっても良かったな……」
「えっとぉ、ど、どの辺が可愛かったですか……?」
ニマニマしながら答える主人の横顔を見ながら、ミルクもニマニマしてしまう。
そして赤い頬を両手で押さえながら、更に細かく聞いてみる。
ミルク的には、翼って言われるのかな、ミルクって言ってもらえたら溶けてしまうかもぉ、とか思っている訳なのだが、ニマニマと気が緩んでいるリュウは、どの辺とポイントを聞かれた為につい、口が滑ってしまう。
「そらぁ、ピンクの……ッ!」
そこまで言ってリュウは、ハッと口を噤んだ。
ミルクを下から見上げた際に、バッチリ見えたピンクのショーツ。
逆光でも瞬時に調整されるリュウの目が、真っ白な中にただ一点、目立つピンクを見逃す訳が無いのだ。
「ご主人様のエッチ! な、何が天使っぽく見えるかもですか! その為にミルクを飛ばすなんて……は、恥ずかしい事しないで下さい……」
今更なのにスカートを押さえながら真っ赤な顔で憤慨するミルクだったが、余程恥ずかしいのか、どんどんトーンダウンして小さくなってしまった。
だがその言われ様に、今度はリュウが憤慨する。
「端からそんな事思うかよ! 偶然見えたから、見ちまっただけだ! 大体パンツだけピンクにすっから目立つんだろーが……」
「ミ、ミルクが悪いみたいに言わないで下さい!」
リュウの開き直りっぷりにミルクも負けじと声を張った為、リュウは言い訳っぽく口を尖らせる。
「想定してないミルクが悪い……」
「はうっ! 見る人が悪いんですぅ!」
見た、見せた、という言い合いは、どちらが悪いという言い合いに変わり、形勢が不利なリュウは作戦を変更する。
「昨日は白パンツ見せ見せだったじゃねーか! やたら小さい白パンツ!」
「お、大きい声でパンツパンツ言わないでぇ……」
道行く人達に聞こえそうな声で叫ばれ、ミルクは真っ赤になって主人の首にしがみつき、消え入りそうに懇願した。
だがリュウは、ニンマリと口元を歪めて追撃する。
「そういや昨日のパンチラの練習……いつ見せてくれんの?」
「あ、あれはその……忘れて下さいぃぃぃ……」
黒歴史を呼び覚まされ、ミルクは恥ずかしさのあまり足まで小さく畳んでしまい、リュウの視線から隠れてしまった。
そんなミルクの様子を見て内心で勝ったと喜ぶリュウの下に、先行していたココアが戻って来る。
「ご主人様ぁ、姉さまばっかり構ってないで、ココアも構ってくださいよー」
「構ってくれって、お前が一人で先に行っちまったんじゃねーか……」
拗ねた様に甘えて来るココアにリュウは呆れ口調で答えると、ココアはリュウの右肩に降り立ち、腰掛ける。
「そうですけどぉ、飛行チェックや通信チェックしてたんですから、仕方ないじゃないですかぁ……」
ココアははしゃぎながらも翼に不具合が無いかとか、飛行の為に無線リンクされた通信状況の具合などを調べていたのだ。
「そっか、はしゃぎながら真面目にやってんのか……んで、どうよ?」
へぇ~、と少し意外そうな顔でリュウはチェックの結果を聞いてみる。
「どちらも問題無しです! 通信は遮蔽物の影響を受けますけど、数百メートルくらいなら問題ないでしょう!」
「え、数百メートル? スマホとか何百キロとか通話できるだろ?」
明るい声で答えるココアに、リュウは驚いて聞き返す。
携帯電話を持った事の無いリュウだが、他県は元より海外とでも通話できる事ぐらいは知っているからだ。
「それは中継点が幾つも用意されているからですよ。単独だとそんなものですし、短めに想定していないと万が一通信が途切れた場合、その場で人工細胞を失う事になりかねません……」
「ああ、そうか……携帯よりトランシーバーな感じか……もし圏外に出たらどうなるんだ?」
ココアに言われてそう言えばそうだった、と頷くリュウだったが、万が一の事態も気になって聞いてみる。
「マスターコアとのリンクが切れて命令待機状態になった体は移動も思考もできないので、ただの金属塊になって回収されるのを待つしかありません。そしてココア本体はご主人様から新たな体を得て活動再開です」
「マスターコアが俺の体内にある限り、最悪の事態は避けられる訳か……」
ココアの説明になるほどと呟くリュウだったが、そうしている間にミガルの工房が見えて来た。
「ご主人様、着替えた方が良くないですか? いくら小さいと言っても、ココアの格好は刺激が強いと思うのですが……」
「えー!? そんなぁ……」
「そだな、二人共ワンピに着替えろ~」
「「はーい」」
ミルクの提案にココアががっかりした声を上げるが、主人に促されると二人共即座にワンピースに着替える。
因みにココアのワンピースは、ミルクがワンピースと天使コスチュームの二つを貰っているのに対して、ヴォルフと小悪魔コスチュームの二つだと可哀そうとの事で、改めてリュウが用意した。
もちろんココア好みの体にピタッとフィットした、瑠璃色のタイトなミニスカートのワンピースである。
「よし、んじゃ行くか。ミガルさんのお願いって何だろな?」
「さあ……何でしょうねぇ?」
「アウラ鋼の加工とかですかねぇ?」
伝言を聞いただけで、呼ばれた内容までは知らないリュウ達は、そんな会話を交わしながらミガルの工房へ向かうのだった。
ミガルの工房にリュウ達が入ると、ミガルは作業の手を止めて深々と頭を下げてきた。
「リュウ様、妖精様、こんなに早く来て頂けるとは。ありがとうございます……実はですな、少し困った事がありまして……」
ミガルの困った話とは、リュウが町長達と初めて面談した際に、彼らのナイフの性能を上げてしまった事が発端だった。
そのナイフの凄さがハンターのみならず町の人達にも知れてしまい、ミガルの所に問い合わせが相次いでおり、そして従来のナイフは売れなくなるという事態に陥っていたのだ。
「あ~、なるほど……内緒とは言わなかったもんなぁ……」
「こんな事態になってしまうなんて、深く考えず済みません……」
当時を思い出しながらリュウは苦笑いし、ミルクはその事でミガルに迷惑が掛かった事を謝罪する。
「いえいえ、謝らないでくだされ。素晴らしいナイフなのは間違い無いのですから。ただコレット副町長が自慢して回っておりましてな……」
「「「やっぱり……」」」
ミルクに頭を下げられてミガルは恐縮したが、すぐ困った表情になると噂の出所を話し、リュウ達は見事にシンクロした。
「で、問題なのは、わしの技術や道具では到底あのナイフやそれに準ずる物を作れない、という事なのです……」
ミガルはそう言うと、しゅんと肩を落としてしまった。
「な、なるほど……」
リュウは言葉少なに答えると、考え始める。
ミルクやココアに頼めば、簡単にナイフは量産できてしまうだろう。
だが、それでは肩を落とすミガルはそのままだ。
中年というよりは老人手前といった感じのミガルだが、これまでの鍛冶師としての自負もあったろうに、たった一本のナイフによってそれを失おうとしているのだ。
よってこの問題は、ミガルが中心となって解決、もしくはそれに近い形にせねばならないのだろう、とリュウは結論を出す。
そして、ミガルが会話の内容にショックを受ける事が無い様に、脳内でミルクに相談する。
『なあ、ミルク。この世界のテクノロジーのままで、あのナイフに近い物を作れないかな?』
『少々大掛かりになっても良いのなら……』
『それはミガルさんでも時間を掛ければ作れる物か?』
『はい、時間さえ有れば……』
『よし。んじゃ、その作り方やら使い方はメモにしとけばいいな……』
リュウは会話の内容に絶望的な事柄が無かった事に安堵しつつ、ミガルに話し掛ける。
「ミガルさん、今から彼女達がナイフを作る為の設備を用意しますんで、ミガルさんは彼女達を手伝ってやってくれませんか?」
「なんですと!? いや、しかし……」
リュウの言葉に驚愕するミガルだったが、全てをお膳立てされる事に気が引けたのか、難しい顔のまま固まってしまった。
ミルクはそんなミガルを見て、何となくミガルの懸念が分かった気がした。
「用意するのはミルク達の不思議な力を使わない、ミガルさんの技術で作れる設備です。ただ一から用意するとなると日数が掛かってしまうので、今回はミルク達が作るだけですよ?」
「ほ、本当ですか!? そういう事であれば、喜んでお手伝いしますぞ!」
自分の技術で作れる設備と聞き、ミガルの目が見開かれた。
彼は自身の力で高みを目指す、根っからの職人なのだ。
人工細胞に竜力を施すのを良しとしなかったドクターゼムが居れば、気が合った事だろう。
早速ミルクがミガルにあれこれと質問し、ミガルがそれに答えている。
ココアは必要な材料を調べに、結局小悪魔コスチュームになって飛び回り始めた。
そしてリュウは難しい事がさっぱり分からない為に、工房の隅でミガルの許可を得て、脳内ツールで人工細胞を操りながら、用意された金属を加工し始めた。
ミルクとココアはミガルに作業の説明をしながら床に穴を開け、工房に積まれた金属を分解しては流し込んでいく。
ミガルでも出来る事だが、その圧倒的な速度の違いにポカンと口を開けている。
その流し込まれた金属を、ココアが人工細胞を使って固めていく。
出来た土台の中央からミガルが加工できる最高硬度の金属で芯が立てられ、軸がぶれない様に土台の上に円錐型の補強が成される。
円錐の内側と芯の間にはベアリングが施され、その上に大きな円盤が取り付けられた。
円盤の下面には細かく溝が付けられ、その下に大小様々な歯車が組まれていく。
お昼になってリュウとミガルは昼食を摂りながら雑談し、ミルクとココアもお茶を飲みながらそれに加わるが、マルチタスクな彼女達から伸びた人工細胞は作成中の設備を覆ってせっせと作業を続けていた。
そして日が夕方に向けて傾き始めた頃、作業を終えた人工細胞がミルク達を介してリュウの中に戻った。
出来上がったのは一人用としては少し小さめの金属の机だ。
ただその天板の中心は円盤になっており、机の下の足踏み板を踏む事で大小様々な歯車により高速に回転するのだ。
それはグラインダーであり、円盤表面の砥石のディスクを交換する事で用途を変更でき、当然ディスクもミガルが作成出来る様に金型が用意されている。
それだけではない。炉も強化され、より高火力に耐えられる様になっている。
「おお……なんと素晴らしい……たった半日でこんな凄い物が……」
「そうですねぇ、ミガルさん一人だと一月くらい掛かっちゃいますねぇ……」
感動に震えるミガルに、済まなそうにミルクが答える。
「これらの金型を使ってメモ通りにすれば、わしでも組み立てられるのですから、一月など何という事もありませぬ……それに設備の使い方、新たな金属の加工法、鍛造法も教えて頂き、感謝してもしきれませぬ……」
ミガルはそう言って深々と頭を下げた。
「これで工程がずっと短縮されるでしょうけど、最後の仕上げはやはりミガルさんの腕に掛かっていますから、頑張って下さい!」
「そうですな、これだけの道具に恥じない様、精進せねばなりませんな」
ミルクの言葉に、しっかりと頷くミガル。
ミガルの真摯な姿勢に、ミルクはにっこり微笑んだ。
「ミガルさん、これはココアからのプレゼントです! 折角良い道具が有っても見れないと困るでしょ?」
「これは……おお! こんなに大きく見えるのですか!?」
ココアが用意したのは複数のガラスを加工したルーペだ。
ミガルも持っているが、その倍率の違いに声が弾む。
「んじゃ、俺からはこれを……」
「これは何ですかな?」
リュウが手渡したのは、先端に小さな直方体が付いた金属製の棒だ。
「焼き印です。書いて貰った『ミガル・グラ』の名前を見て作ってみました」
「しかし、これでは全ての物に『グラ』の名が付いてしまいますが……」
リュウに言われて直方体の先端を見るミガルは、そこに反対になった『グラ』の文字を見て、言い難そうに言葉を濁す。
「そうですよ。この名は所有者を表す物では無いんです。これはブランド名と言って、製作者の名を刻む事で、他の物とは一味違うんだぞって事を示すんです」
「はぁ……」
やはりこの世界には無かったか、とリュウは苦笑しつつブランドの説明をするが、ミガルはピンと来ないらしく、曖昧な返事をするのみだ。
「ミガルさんのナイフや他の品が、余所で作られた物より優れているとなったら、みんな『グラ』という文字を見て、ここで作られた物を欲しがると思いますよ?」
「そうすれば『グラ』の製品は有名になって、他の物より高く売れますし、遠くからでも買いに来てくれますよ!」
「そういうもんですかなぁ……」
「「そういうものです!」」
ミルクとココアがリュウの案に乗っかるが、当のミガルは半信半疑な様子だ。
「この名が刻まれた製品は凄いと人々が知ると、ミガルさんもより良い物を作ろうと思えるでしょ? そういう名なんですよ……」
「なるほど……では満足いく物が出来たら、付けてみますかな……」
だが次のリュウの言葉には感じるものが有ったらしく、ミガルはゆっくり頷くと、少し照れた様に笑った。
その後、テストを兼ねてミガルが既存のナイフを研いでみたところ、仕上げの砥石を使うまでもなく、いとも簡単にその切れ味を超えてしまった。
既存の物でこれなのだ、一から新たな技術でミガルが心血を注げばどれほどの物が出来上がるのか、今後が楽しみなところである。
ミガルの喜びと興奮を見て、リュウ達は一安心して工房を後にする。
そしてリュウ達が物陰に隠れて見えなくなるまで、ミガルは感謝を込めて手を振り続けるのだった。




