13 初めての酒
オーグルトの町にリュウ達が戻って来たのは夜も更け、誰もが家で眠りに就く頃だった。
誰もが疲れた様子も無く、むしろ興奮醒めやらぬままハンターギルドの扉を潜り、無人の受付の横を過ぎて食堂に入るとテーブル上に逆さまに載せられた椅子を各々で降ろし、思い思いに座り始める。
「お疲れ様です、皆さん。ヴォルフ退治は上手く行ったようですね?」
食堂の主、ソーン・コスタは笑顔でハンター達を迎えた。
彼はこういう事もあろうかと、誰も居ないギルドの中、食堂を開けて待ってくれていたのだった。
「リュウ様一人で撃退ですよ~! コスタさん、とりあえず冷たいお酒を!」
「おやっさん、俺も~!」
「俺は飯を頼みます、簡単なのでいいですよ!」
コスタに一番近くに居たリズが得意そうに肯定しつつ酒を注文し、テペロがそれに続く。
アルバは食事を頼み、残った者もそれに続き、リーザとラーナはコスタを手伝いに厨房へ入った。
「コスタ、済まんな……」
「いいえ、支部長。皆が居てこその私ですからねぇ、はっはっは」
食事を持ってきたコスタに、ガット支部長は短く感謝を述べるが、コスタは当然の事だと快活に笑い、厨房に戻って行った。
前後に並ぶ四つの丸テーブルでは食事を続ける者、食事を済ませ酒を飲む者、おつまみばかりで最初から飲み続ける者、とそれぞれ自由にしながらも賑やかに過ごしていった。
因みにアイスは道中にリュウの腕の中でうとうとし始め、今はリズの膝の上でスヤスヤと眠っている。
「テペロ、飲みすぎよ! 目つきがいやらしいわよ!」
「おいおい、言いがかりはよせって。大体、お前の乳なんざ見飽きたっての!」
ラーナが向かいに座るテペロの視線に、注文を付けている。
そんなテペロは赤ら顔ながら、呂律が怪しくなる事も無く反論し、がははと豪快に笑う。
「リーザもリズも気を付けてよ、テペロはもう少し回ると触りだすからね!」
ラーナは隣のテーブルに座るリーザとリズに、憤慨しつつ酒が回った時のテペロの手癖の悪さを訴える。
だがそんな時、テペロを擁護する声が上がった。
「テヘペロさんは悪くないっ!」
いつの間にか酔っぱらっていた、赤い顔のリュウだった。
向かいに座るリーザとリズ、隣りの席のラーナが、目を真ん丸にしている。
「ご主人様!? テペロさんですよっ! それじゃ、うっかりさんです!」
「姉さま! これ……全部お酒ですぅ!」
主人のすぐ脇で、テーブルの上にベンチと机を用意してお茶を飲んでいたミルクが慌ててリュウの間違いを指摘し、隣りに居たココアは主人が並べた空のコップに駆け寄って悲鳴を上げた。
「おお! リュウさん、もっと言ってやってくれ!」
そろそろ飲むのを控えようかと残念に思っていたテペロが、嬉しそうにリュウの擁護を煽る。
「リュウでいいっすよ~、ペテロさん!」
「お、おう、分かったぜ、リュウ! テペロだがな……」
仲間を得て嬉しそうなテペロの声に、リュウも何だか嬉しそうに、というか満面の笑みで答える。
リュウに呼び捨てを許され喜ぶテペロだが、名前を間違われて少し複雑な表情だ。
「大体、みんなリュウ様、リュウ様って……俺はそんなに偉くないっ!」
「い、いや、偉いと思うぞ!?」
「ご主人様、そこ威張っちゃダメですぅ!」
リュウは「リュウ様」と呼ばれる事に、余所余所しさを感じていたのか、分不相応だと思っていたのか、とにかく不満だった様だが、戸惑いながらもテペロは否定し、ココアはリュウの下から声を張り上げる。
そしてミルクは両手で真っ赤な顔を覆って小さな机に突っ伏し、周りの皆は、リュウのそんな様子を苦笑い、もしくは生暖かい目で見守っている。
「で、でもリュウ……様……どうして、テペロが悪くないんですか?」
そこへ、ラーナが少し笑いを堪える様に話を戻す。
するとリュウは女性達の胸を両手で指差し、宣まった。
「そんな格好してる方が悪い!」
一瞬でその場が凍り付いた。
男達は青褪め目を反らし、女性陣は固まっている。
唯一の救いは、リュウが特別扱いを受けている事だ。
それ故に、女性陣も怒るに怒れない様だった。
だが、そんな空気に動じない男も居る。
「うっはっは! そうだよなぁ、そこに有ったら見ちまうよなぁ! リュウ、お前も好きか? わっはっは!」
リュウの背中をバシバシ叩きながら、ゲラゲラ笑いだすテペロ。
アルコールのお蔭で何も怖い物は無い様子だ。
そしてリュウは、
「はい! 大好きっす!」
と満面の笑みで宣言するとリズ達に頭を下げる様に崩れ落ちてゆき、テーブルに額をゴチンッとやや大き目の音を立ててぶつけ、そのまま寝てしまった。
またも訪れる沈黙だったが「ぶふぅっ!」と誰かが吹き出すのを聞いてしまえば、もうその場の誰もが堪える事は不可能だった。
巻き起こる笑いの中、リーザ達も激しく肩を震わせ、お腹を抱えて笑ってしまっていた。
「は、恥ずかし過ぎますぅ! ご主人様ぁぁぁ!」
そんな中に上がるミルクの叫びが、食堂に更なる笑いを呼び、夜は明けていくのであった。
日が高く昇り、そろそろ昼食という頃、扉の向こうから聞こえてくる喧々とした物音で、ようやくリュウは目を覚ました。
「あー、うー、まぶしー、溶けるぅぅぅ……」
「お早うございます、ご主人様。やっとお目覚めですねぇ……吸血鬼じゃないんですから、もう起きて下さーい。もう、お昼ですよぉ?」
窓から差し込む光に、干乾びた声で唸りながら、リュウはベッドの上でもぞもぞと薄い掛け布団を頭に被る。
そんな主人を呆れ半分、心配半分で優しく声を掛けるミルク。
これまでのミルクならば小言の一つも言っていたかも知れなかったが、平時の今はそこまで細かくする事も無い、ご主人様に寄り添うだけでいい、ミルクはそう思える様になっていた。
それには昨夜の出来事が大きく影響しているのは間違いなかった。
――いつも可愛くしてろ
その言葉は「ミルクの大切」ファイルにしっかりと綴じられているのだから。
因みにその隣には「初めて酔っぱらうご主人様」というタイトルの動画ファイルも閉じられていたりするのだが。
「昼ぅ? マジでぇ……?」
「そうですよ。ご主人様、お早うございます。昨夜の事、覚えてますぅ?」
部屋に差し込む光にしかめっ面で布団から顔を出し、だるそうに聞き返す主人にココアが心配そうに声を掛ける。
「昨夜ぁ? えーと……全然思い出せないんだが……」
「五杯もお酒飲むからですよぉ……アルコールはもう除去しましたけどぉ……」
どうしても昨夜の記憶が出てこずリュウが困惑していると、ココアが困り顔で種を明かす。
「マジで?」
「「大マジです!」」
「マジで思い出せないんだなぁ……酒怖え……」
酒を飲んだ自覚すら無かったリュウは冗談かと思ったが、二人の見事なシンクロ具合に冗談じゃ無いんだ、と酒の怖さを素直に呟く。
「未成年なんですから、もっとお体を大事にして下さいね?」
「あい……」
そうしてミルクから優しく気遣われ、素直に反省するリュウなのであった。
リュウが部屋を出ると、そこはギルドの賑やかな一階であった。
酔いつぶれたリュウは、食堂から一番近くにベッドの有る救護室に運ばれていたのだった。
「どうりで喧しい訳だよ……」
アルコールは全て分解除去されていても体のだるさが残るリュウは、ブツブツ言いながらロビーの掲示板にたむろするハンター達の脇を抜け、食堂に辿り着く。
昼になったばかりなので、食堂にはちらほらとしか人は居ない。
リュウはさっさと食事を済ませて散歩でもしようかと思いながら、パンをスープに浸しながら食べていた。
「リュウ~、見ぃつけた!」
リュウが声のする頭上を見やると、アイスがパタパタと飛んでいた。
「お、竜力回復したのか?」
「うん、ちょっとだけど。でももう、しんどくないよ!」
「おー、良かったな!」
「うん!」
パタパタとテーブルに降りて来るアイスにリュウが問い掛けると、アイスは翼を畳みつつ元気良く答え、喜んでくれるリュウの膝の上にピョンと飛び降りる。
リュウが無意識に左手を回してアイスを保護してやると、アイスはリュウのベストをしっかりと掴み、ミルクやココアと挨拶を交わす。
「アイス様! 急に飛ばないで下さい! あ、リュウ様、昼食ですか?」
遅れてやって来たのはリズであった。
リズは二階から階段を降りる途中でアイスに飛び立たれ、焦って追いかけて来たのだ。
そしてリュウを見ると少し顔を赤らめて、左隣りに座って話し掛ける。
「いえ、遅~い朝食です。さっき起きたばかりなので……」
「ああ、そうでしたか……皆様、お早うございます。お酒は大丈夫でしたか?」
リュウの返事に、リズはクスリと笑みを浮かべると、椅子ごとずいっとリュウに接近し、心配そうな表情を浮かべた。
「えっと、はい、ミルク達が面倒見てくれたんで……」
「そうですか、良かったです……」
突然リズの顔が接近し、リュウは少し照れた様に俯き、目を見開いた。
下げた視線の先には、いつにも増して双丘が存在感を主張していたのだ。
リズが昨夜のリュウの発言に、ベストの胸元の編み上げを緩めていたのである。
『リ、リズさん、大胆過ぎます……』
『おのれぇ……ご主人様の視線を……』
ミルクは声には出さないもののリズの大胆さに赤面していたが、一方のココアは主人の視線を釘付けにするリズに、メラメラと対抗心を燃やしていた。
そしてリズは顔を赤らめながらも、リュウの視線を独占している事に満足していたのだが、そんなリズを窘める声が背後から掛かる。
「リズ! 近過ぎよ……リュウ様が困ってらっしゃるでしょ!」
その声にリュウとリズがビクッと背筋を伸ばした。
声の主はリーザであった。
リュウに用事が有ったリーザはリュウが食事を終えるまで遠慮するつもりだったのだが、リズのベストの緩みに目敏く気が付き、釘を差しに来たのだ。
「姉さん、私はリュウ様の心配をしていただけで、困らせていませんよ……」
「あら、そう……ところでリュウ様、支部長がお話が有るとの事ですよ」
動揺を隠して言い訳するリズだったが、リーザはそれを素っ気なくあしらうと、ガット支部長に頼まれていた用件をリュウに伝える。
「あ、はい。済みません、すぐ行ってきます」
何だか姉妹の雰囲気に薄ら寒いものを感じたリュウは、アイスを抱いたまま逃げる様にその場を離れ、支部長室に向かった。
「姉さん、折角いいところだったのに……」
そそくさとリュウが去ってしまい、リズは立ち上がるとリーザにジト目を向ける。
「はぁ……胸元緩めたくらいで、リュウ様が靡くものですか……」
「う、気付いていたの!?」
大きく一つため息を吐くとリーザはお見通しとばかりにリズを窘め、リズは胸元を押さえながら冷や汗を流す。
「当たり前でしょ。昨夜の話を真に受けて……」
目を泳がせるリズに呆れるリーザだが、リズもリーザの変化に気が付いた。
「ね、姉さんだって、今日のベストはワンサイズ小さいですよね?」
「ッ! こ、これは、昨日お酒を溢してしまって……乾くまでの間、し、仕方なく着ているだけよ……」
リズの言葉にビクッと反応したリーザは即座に言い訳しようとしたが、動揺しているのか言葉を噛みに噛んで顔を赤らめた。
確かにリーザの胸元ははち切れそうになっている。
普段、落ち着いた雰囲気のリーザだが、どうやら血は争えない様である。
「ふ~ん……怪しい……」
「な、何言ってるの! も、もう知らないっ」
ニイッと緩むリズの口元を見て、リーザは不利を悟ったのか、小走りにギルドを出て行ってしまう。
「あの姉さんがねぇ……でも、リュウ様は渡さないんだから……」
閉じられたギルドの扉を見つめてどこか安心した様な表情を見せるリズが一転、眉をキッと上げると椅子に座り直し、リュウが戻って来るのを待とうとして不意に声を掛けられる。
「おい、リズ。そろそろ狩に出ないか?」
そう声を掛けて来たのはパーティーメンバーであり、支部長の息子であるエンバであった。
「え、でもドンガの収入はまだたっぷり残ってるし……」
リズ達はドンガを十六頭倒した事で、普段では得られない高額な報酬を手にしていた。
故にリズは、生活に不安を覚える事無く、リュウやアイスの世話を買って出たのであるが、男達四人はリズが居ない間、他のパーティーに臨時で加入したりしていたのだった。
因みに三頭倒しているリュウは、町で世話になるだけで十分だと報酬の受け取りを辞退している。
「それはそれ、だろう……あまり狩に出ないと腕が鈍るぞ……」
「そ、そうだね……でも……もう少しだけダメかな?」
エンバは小さくため息を吐くと、静かな声で忠告する。
リズのハンターとしての腕を認めているエンバは、彼なりにリズの事を心配していたのだ。
それが分かるリズではあったが、リュウやアイスと離れて狩に出るつもりにはなれず、済まなそうに上目遣いでエンバの顔色を窺う。
「構わんが……それより、リズ。その……緩んでるぞ……」
そんなリズにやれやれといった感じのエンバだったが、急にそっぽを向いて自分の胸を指差しながら、言いにくそうにリズの編み上げの緩みを指摘した。
その寡黙な引き締まった顔が、困った様に赤くなっている。
「えっ? あっ! こ、これは……いつの、間に……」
リュウに見せる事ばかり考えて他の者が気付かないはずが無いであろうに、リズは全く考えが及ばなかったらしく、慌てて胸を手で隠すと苦し紛れに言い訳を呟く。
いつの間にも、何も、ないものである……。
「リズ、緩みすぎだぞ……」
「す、少しだけよ!」
「はぁ……まあいい。早いうちに戻らないと、困るのは自分だぞ……」
「わ、分かってる……ごめん……」
気が緩んでいるという事を言ったのに、編み上げの事にしか思いが及ばないリズに、エンバは今度は深くため息を吐くと、言葉少なに苦言を呈した。
リズもさすがにしゅんと俯いて、小さくエンバに謝る。
エンバは、そんなリズの普段見せない様子に何か言い掛けたが、口を噤むと人が集まる掲示板の方に去って行く。
そして残されたリズは、人目を気にしながら緩めた編み上げを赤い顔で締め直すのであった。




