12 去り行く脅威
「どうなってんだよ、こりゃ……」
リュウを追い掛け、散開しつつ森に入り込んでいたハンター達は遠巻きにリュウを視認できる位置までやって来ていた。
辺りは随分暗くなっているのだが、ハンター達は夜目がそこそこ利くのだ。
誰もがその光景に絶句する中、テペロが思わず呟きを漏らしていた。
大木を背に立つリュウの足元には、二頭、又は三頭で団子になったヴォルフ達が、地面に転がって唸り、吠えていたからだ。
ヴォルフ達は、ミルクとココアが射出したワイヤーネットに搦め捕られていたのである。
「さて、お仕置きしたら逃げてくれんのかな? すげえ牙剥いてるんだけど!」
『ご主人様、この先の事も考えてあるんですよね? 考えてないんですか!?』
『魔獣と言っても動物ですから、自分より強いと分かれば逃げるでしょう……』
ここまでは概ね想定通りの展開だったリュウだが、この先はノープランであり、ミルクは呆れた声で驚き、ココアは一般論を自信無さげに答えている。
『ッ! ご主人様っ!』
その最中、ミルクが咄嗟に声を上げ、リュウも即座に反応する。
「うおっ、もう一匹居たのか……ってか、でけえ! 群れのボスか!?」
リュウの視線の先には一際大きなヴォルフが牙を剥き、唸り声を上げていた。
今までのヴォルフでも二メートルを超えていたが、目の前の個体は三メートル近いサイズを誇っている。
「で、でかいけど、一対一だ。ヨルグヘイムよりはマシだろう……」
その半端無い威圧感に怯みそうになるが、一対一という状況が何とかリュウを踏み止まらせていた。
リュウは現時点で自分がどこまでやれるのか、知りたくなったのである。
『あの、ご主人様……ヨルグヘイムにはほとんど太刀打ち出来なかったのですから、比較にならないと思うのですが……』
「うぐ……」
しかしミルクが申し訳なさそうに、ヨルグヘイムとの戦闘での悲しい評価を告げると、リュウの心は萎れそうになった。
そんなリュウを奮い立たせるべく、ココアは明るい声で提案する。
『ココアが手刀を突き込んでみれば比較できますよ?』
「待て待て待て! 殺すのは無しで! 滅茶苦茶格好いいじゃん! あいつ!」
その恐るべき提案に青褪めたリュウは、慌てて提案を却下すると共に、ヴォルフを懸命に擁護した。
真っ白な体毛に覆われた精悍な顔つきの狼に、額から斜め前方に生える二本の角。
その堂々とした姿にリュウは素直に格好良いと思い、できる事なら山に返してやりたいと思ったのだ。
「それにボスが引けば仲間も撤退する――おわぁっ! は、速えっ!?」
尚も言い募ろうとするリュウだったが、群れのボスであろうヴォルフがその巨躯に似合わぬ速度でリュウに飛び掛かった。
思わず叫びながら飛び退るリュウは、他のヴォルフとは一線を画す速度に驚愕する。
リュウに躱され着地するヴォルフが、振り向き様に雷を放つ。
リュウとの距離はおよそ五メートル、角の間から「バリバリッ」という音を放ちながら青白い稲妻が空気中を奔り、リュウの翳した左腕に到達する。
「悪いな、雷は効かねえぞ!」
左腕から胸、足、そして地面へと雷を流しながら、ヴォルフを睨むリュウだが、その口元はニイッと緩んでいた。
派手に電撃を浴びている様に見えるが、ミルクによってしっかりと表面で絶縁されているのだ。
雷が無駄だと気付いたのか、ヴォルフは雷を止めてリュウに突進する。
左右にバックステップを繰り返し、ヴォルフの牙を回避するリュウと、唸りを上げて遅滞なく襲い掛かるヴォルフ。
その光景を遠巻きに、ハンター達はただ呆然と見守る以外に無かった。
苛烈に繰り出されるヴォルフの牙に、防戦一方のリュウ。
左足で地面を蹴り、右後方へ逃れるリュウのその左足に、ついにヴォルフの牙が到達するかと思われた瞬間、ヴォルフの頭が右へ弾け、その巨体が僅かに踏鞴を踏んだ。
空中で腰を捻る事で蹴り残る左足を引き戻すリュウが、その反動を利用して右膝をヴォルフの左頬に叩き込んだのだ。
ヴォルフは直ぐに体勢を立て直したが、リュウとの距離が開いた事で焦ったのか、咆哮と共に飛び掛かり、同時に雷を放った。
「飛んじゃダメだ――」
ヴォルフを蹴り飛ばした事で、自然と右半身になっていたリュウは、迫る雷を掲げた右足で受けつつ上体を後ろに反らし、飛び掛かって来るヴォルフをスローモーションの様に捉えながら口を開く。
飛び掛かるヴォルフの胸元を右足の裏で受け、その体重に右足がたわみ、全体重が懸かる左膝をぐぐっと曲げて衝撃を逃がす。
「ろおっ! っとぉ……」
そしてヴォルフの牙が首に届く寸前、リュウはたわめた両足を、叫びと共に一気に蹴り伸ばした。
「ギャウゥンッ」
蹴り飛ばされたヴォルフは、数メートル先の大木に背中から叩きつけられ、初めて鳴き声を上げた。
『ご主人様……凄い……です……』
『か、格好良すぎですぅ……』
リュウのピンチに備えていたミルクとココアは、ピンチどころか冷静にヴォルフに対応し、渾身の一撃まで決めてしまった主人に、思わず感嘆の声を漏らした。
そして遠巻きに見ているハンター達は、あまりの常識離れした出来事に、目も口も開いたまま固まっている。
大木から地面に落ちたヴォルフは背中を痛めた様だったが、それでもよろよろと立ち上がり、ボスとしての矜持を保っていた。
だが、その目の前には既にリュウが立っていた。
唸る事で己を奮い立たせ、牙を剥こうとしたヴォルフだったが、それよりも速くリュウの右手がヴォルフの首に滑り込む。
そして「バチッ」という音だけがその場に響き、ヴォルフがその場に倒れ込む。
リュウの右手からお返しとばかりに、昇圧された電気が流されたのだ。
ボスの敗北に、ワイヤーネットに捕らわれ唸っていたヴォルフ達が、一斉に「キャンキャン」と鳴き出す。
「ふぅ、どうやら戦意喪失っぽいよな……」
『は、はい。その様です』
『当然ですぅ』
大きく一つ息を吐き、リュウはネットに捕らわれるヴォルフ達の様子を見ながら、誰とは無しに呟いた。
その呟きに、ミルクとココアが即反応する。
その答えに確信を得て、リュウはネットの一つに近付いて行く。
近付かれたヴォルフ達は明らかに怯えた様子で鳴いていたが、ネットを解除されて体が自由になると、一目散にリュウから森の奥へと駆け出した。
「そんなにビビんなくても良くね……?」
『仕方ありませんよぉ、ご主人様……』
余りのヴォルフの怯えっぷりに、リュウが悲しそうに呟き、ミルクが困った様に主人を慰める。
その後もヴォルフ達に怯えられながら、次々とネットを解除していくリュウ。
最後のネットを解除する頃には、ハンター達が駆け寄って来ていた。
「本当に一人で撃退してしまうとは……リュウ殿、感謝の言葉も無い……」
「開いた口が塞がらねえって、こういう事を言うんだな……」
「リュウ殿、見事な戦い振りでした!」
ガット支部長、テペロ、アルバがそれぞれの言葉でリュウを称賛し、他の者達は皆一様に驚嘆の眼差しをリュウに向けている。
「あ、いや、お役に立てて何よりです……」
自分より年上の人達にそんな瞳を向けられ、リュウは顔を赤らめながら何とか言葉を紡ぎ、ポリポリと頬を掻いた。
そして赤くなった顔を隠す様にくるりと背を向けると、最後に倒れるヴォルフのボスの下へ向かう。
「ほれ、お前ももう起きろ。仲間を連れて山に戻れって」
ヴォルフの艶やかな毛並みを撫でながら、リュウはヴォルフに声を掛ける。
先程放った電流は、ココアによって気絶するレベルに抑えられていたのだ。
ビクッと体を震わせ目覚めたヴォルフは一瞬の混乱の後、慌ててリュウとの距離を取った。
そして先程より低い姿勢で、ヴォルフは僅かに唸り声を上げる。
その遥か後方では、逃げた仲間のヴォルフ達がボスの帰還を待っているかの様にこちらの様子を伺っていた。
「おいおい、次は手加減してやらねーぞ?」
警戒するヴォルフに、リュウはその目を真っ直ぐ見ながら、自身の発言が嘘ではないと言うかの様に、「バチッバチチッ」と右手に雷を纏わせる。
それを見たヴォルフは数歩後退ると、くるりと踵を返した。
そして、ちらちらとリュウの方を振り返りながら小走りで仲間達の下へ駆け戻り「ウォーン」と一声吠えると、仲間と共に森の奥へと消えて行った。
「はぁ~、良かったぁ。ッ!? 痛ッ!? 痛ててて……ミ、ミルク! どうなってる!?」
ボスが群れを連れ帰り、安堵の声と共に緊張が解けた途端、リュウは両足のあちこちに痛みを感じてその場に座り込むと、脅威が去って姿を現したミルクに慌てて問い掛ける。
「えっと、あう……き、筋肉痛です……す、すぐに対処します!」
それまでの主人の見事な戦いぶりにチェックを失念していたミルクは、主人の足の筋肉が炎症を起こしているのに気付き、慌てて対処しようとした。
如何に人工細胞で強化しているとは言え、体重二百キロは有るだろうヴォルフを左足一本で支え、右足で蹴り飛ばしたのだ。
リュウの肉体に影響が無い訳が無かったのだ。
主人の意外な程の活躍に、目を奪われてしまったミルクのミスである。
「ミルク様、私に治療させて下さい!」
そこにリーザが駆け寄ってミルクに願い出ると、その答えも待たずに治療を始めてしまった。
「すみません、リーザさん。いつもいつもお世話になりっぱなしで……」
「いいえ、リュウ様。お礼を申し上げるのはこちらの方ですわ。感謝致します」
急速に引いて行く両足の痛みに、リュウはリーザに頭を下げる。
リーザはそんなリュウに頭を振り、感謝を告げにっこりと微笑んだ。
人工細胞は痛んだ箇所の代わりをする事は出来ても、痛んだ箇所自体に成れる訳では無い。
あくまでも痛んだ箇所が自己修復されるまでの代替品に過ぎないのだ。
なので自己修復される細胞が増えると人工細胞はその役目を終え、本来の細胞に場所を明け渡し、健全な肉体の維持に努めるのである。
ミルクはそれが分かっている為、リーザの申し出に異を唱える理由など無かったのだが、主人を見つめながら治療を施すリーザに、自身が押し退けられている気がして悔しかった。
そこに今度はアイスを抱えたリズがやって来る。
「リュウ強い! すごく格好良かった!」
「お、そうか? アイスはちゃんといい子にしてたか?」
「してたよ!」
やって来るなり、アイスは興奮した様にリュウを称えた。
リュウは少し照れたのか、すぐにアイスの話に切り替え、本当にちゃんと言いつけを守っていたアイスは、元気よく答えた。
「そっか、よしよし。リズさん、ありがとうございます」
リュウはリズからアイスを受け取り、左手で抱っこしつつ頭を撫でてやりながら、アイスの面倒を見てくれていたリズに感謝を述べる。
アイスはリュウのベストをしっかり掴み、頭をリュウの胸に摺り寄せる。
アイスは久し振りに一番安心できる抱っこをされてご満悦だ。
「リズ?」
リュウに対して反応が無いリズに、リーザが訝しんで振り返る。
そこには顔を赤らめて、陶然とリュウを見つめているリズが居た。
その姉の声が何とか耳に届いてリズは我に返るが、リュウに何を言われたのか思い出せない上に、何か返事をしなければと焦ってしまった。
「はっ!? あ、いえ、あの……す、素敵です! と、とっても!」
その場違いな発言に風すらも止み、辺りが完全に静まり返った。
リュウが赤く面食らった様な顔をしているのを見て、リズは自身が何を言ったのかを思い出し、火が出る勢いで赤面する。
「な、何言い出すの!? この子は!」
「がっはっは、男勝りのリズも、あんな凄いもん見せられちゃイチコロだな!」
リーザが何とか気まずい沈黙を破り、テペロが更に緊張した空気を払う。
途端に溢れ出す笑いと冷やかし。
「さあ、そろそろ戻ろう。完全に日が落ちるし、他の魔獣が来ないとも限らん」
ガット支部長の声で賑やかな空気は収まりを見せ、治療を済ませたリーザとリュウも立ち上がる。
「さすがにこれだけ暗いとまずいな、みんな気を付けろよ~」
テペロの皆を気遣う声にリュウが反応する。
「そっか、もう夜なんだよな……ミルク、ライトで周囲を照らせる?」
「はい、ご主人様……」
暗視モードだった為に周りの暗さを忘れていたリュウは、左肩に座るミルクに周囲を明るくできるか聞いてみる。
ミルクの返事と共に、バックパックから棒状の人工細胞が伸び、リュウの頭上一メートル程の高さに明かりが灯る。
「うわっ!? 眩しっ!」
「ひゃあっ!? あ、明るい……」
そんな声が方々から発し、一斉にリュウに視線が集まる。
辺りは昼間に近い明るさに包まれている。
「すみません、驚かせて。ただの明かりです。ミルクが点けてくれました~」
「凄いです、ミルク様!」
「これなら魔光石を使わずに済んで助かります!」
「い、いえ、大した事では……」
リュウが周囲に聞こえる声で説明すると、皆口々にミルクに感謝を述べた。
ミルクはそんな皆に恐縮したのか、言葉少なく答えるのみだった。
『どうした、ミルク。何かあったのか?』
『! い、いえ、何でもありません』
どこかミルクの声に元気が無い気がして、リュウは周囲に分からない様に脳内会話でミルクに話し掛け、ミルクは動揺を抑えて答えた。
だが同じく姿を現していたココアは、そんなミルクの心情を見抜いていた。
『姉さま、リーザに治療を横取りされて、ご主人様を取られたって思ってるんですよ……』
『ちっ、違っ! コ、ココア、勝手な事言わないでっ!』
図星を突かれたミルクが、動揺しつつも慌てて否定する。
つい数日前にも嫉妬で大失敗したばかりなのに、これ以上主人の失望を買いたくなかったのだ。
『人工細胞よりリーザの魔法の方が治療には優れてるんだから、負けたって仕方ないでしょ? 姉さま……』
やれやれ、と肩を竦め両手の平を上に向け左右に開きながら、ココアはミルクを優しく諭す。
『そっ、そんなの分かってる……ミルクはご主人様のチェックを怠ってしまって反省してただけなの!』
対するミルクは、あくまでも嫉妬は関係なく、自身のチェックミスが原因なのだと強調する。
それを聞いたココアの中では、ミルクの往生際の悪さに、まだまだ未完成の新システムが活発に活動を始めた。
『それこそ仕方ないでしょ、姉さま。だって、ヴォルフを蹴り飛ばす超絶格好良いご主人様に見惚れちゃったんでしょ? うふ、罪なご主人様!』
『なな、何言い出すのココア……』
『お、おい――』
チェックを怠った原因にまで言及され慌てるミルクだが、この先何を言われるのかと思うと言葉が出て来ず、ゴクリと喉を鳴らした。
そして突然雰囲気が変わったココアにリュウも被弾した為、止めようと口を開きかけたのだが、ココアの新システムの方が速かった。
『そっかぁ、ご主人様に心を鷲掴みにされたのに、リーザに奪われて……姉さま可哀そう! ご主人様、姉さまに罪はありません! 弁護人からは以上です!』
オーバーアクションで憑かれた様に話し始めるココア。
そして、いつの間にか掛けていた眼鏡の蔓にスッと指を添えると、胸を張り僅かに顎を上げた。
所謂ドヤ顔というやつだ。
『あう……あう……』
『なるほど。ココア、お前がはっちゃけてるってのはよーく分かった……』
金魚の様に口をパクパクさせるミルクの顔が、見る見る赤く染まって行く。
一方、口元をひくつかせるリュウの額には、青い筋が浮かんでいる。
脳内会話であるのにリュウの声質が変わった事で、ココアの新システムが活動を鎮静化させ、我に返るココアは震え声で言い訳しようとする。
『ふえっ!? ご主人様……あの……ココアは姉さまの弁護を……』
『なーにが弁護だ、スカポンタン! ミルク見てみろ、真っ赤じゃねーか!』
『コ、ココアのバカぁ……』
リュウの雷が落ちて首を竦めるココア。
その反対側ではミルクが両手で顔を覆い、プルプルしている。
『コ、ココアは湿っぽい場の雰囲気を明るくしようと……』
『だーまーれ、このトラブルメーカーが……』
首を竦めたまま口を尖らせ、更に言い訳を重ねるココアだが、横から主人にギロリと睨まれて口を噤んだ。
やれやれとため息を吐きながら、リュウはベストの胸元を掴んで後ろにずらし、首の周りに余裕を持たせた。
『ほれ、掴まれ……落ちるなよ……そこなら鎖骨に足乗せられるだろ?』
そして未だ両手で顔を隠して立ち尽くすミルクに、リュウは右手をミルクの前に伸ばして掴まらせると、ベストの内側、首のすぐ脇にミルクを降ろす。
ミルクは赤い顔のまま、おずおずと主人の首に抱きついた。
『お前はお前、人の事なんか気にすんな……いつも可愛くしてろ……』
『は……はい、ご主人様……あ、ありがとうございます……』
ミルクが首に抱きつき、しっかり座ったのを感じると、リュウはミルクに優しく声を掛ける。
ミルクは励ましてもらった事に感謝を告げると主人の首にきゅっと抱きつき、頬をその首に摺り寄せる。
そうして周囲を伺うと、誰にも知られない様にそっとリュウの首に唇を触れ、更に真っ赤になるのだった。




