07 落雷と豪雨
翌日、午前中で怪我を完治させてもらったリュウは、昼になってハンターギルドの支部長室で支部長と面談していた。
「するとリュウ殿とアイス様は、別の星からやって来たと?」
「そうです。この星の事は何も知らなくて……教えて貰えると助かります」
オーグルトのハンターギルドの支部長、ゾリス・ガットは背は然程高くはないが、引き締まった体躯を持つ、眼光鋭い中年男性といった感じだが、その物腰は穏やかで思慮深い印象をリュウに与えていた。
その支部長にリュウは、星巡竜であるアイスと共に別の星から飛ばされてしまった事、それによってアイスが両親とはぐれてしまった事などを話した。
「知ってる事はお教えしますが……その前にリュウ殿、あなたはこれから、どうされるつもりなのですか?」
ガット支部長はにこやかに話を聞いていたが、少し思案すると心配そうにリュウの今後を尋ねる。
「分かりません……アイスはまだ子供なので、星々を渡れません。なので、アイスの両親が探しに来てくれるのを待つしかないのかと……」
リュウにも今後の事は分からないが、アインダークとエルシャンドラがアイスを迎えに来る、という事だけは間違いないだろうと思っていた。
「そうですか――」
「なので、もし良ければ此処に置いてもらうとか……できませんか? 俺もちゃんと働きますんで……ダメですか?」
そしてその答えを聞いたガット支部長が何かを言おうとしたのを遮り、オーグルトでの滞在を願ってみた。
何も知らない星で、最初に出会った人達は皆、リュウやアイスに温かかった。
リュウは出来る事ならこのままここで平穏無事に、アイスを両親に会わせたいと思ったのだ。
「息子のエンバまで救って頂いた私としては構いません。ですが一応、町長に許可を取らなくてはなりません」
「はい……」
「今、町長は不在ですが、数日後には戻る予定です。それまではこちらで体を休めて下さい。町長が戻ったら、改めてあなた方の処遇を決定させて頂きます」
「分かりました……よろしくお願いします」
息子のエンバから報告を受けた時から、ガット支部長はリュウに対して便宜を図るつもりだった様だが、彼の一存で全てを決定する訳にはいかず、リュウ達はまだ安心できる状況を得る事はできなかった。
だが、よそ者の身では何を訴える事もできず、リュウはただ頭を下げる以外になかった。
その後、簡単ではあるが、ガット支部長からこの星の事や、魔人族と人間族の事などについて説明を受けた。
それによると惑星ウィリデステラには、魔人族と人間族が交わる事無く暮らしている「人の地」という大陸と、惑星の対極に位置しているらしい「獣の地」と呼ばれる大陸があるとの事だった。
ただ、獣の地については噂以上の情報は無く、本当に存在するのかすら怪しいとの事だった。
そして、人間族についても交流がほとんど無い為、あまり大した情報を得る事は出来なかった。
この面談でリュウが得られたのは、それらの情報と数日間の滞在許可と当座の生活費、それに伴うハンターギルドの使われていない一室だけとなった。
『処遇を決定って……ご主人様は悪い人じゃないのに……』
与えられたギルドの一室に入って椅子に腰掛けたところで、昨日からずっと謹慎していたココアが不満そうに口を開く。
「仕方ないだろ、魔人族の中に人間が居る事の方が、おかしい世界なんだから」
ガット支部長によると、魔人族と人間族は争った事や話し合った事はあるらしいが、共に暮らす様な事は例外を除いて一度も無いとの事だった。
その例外とは、森で迷い込んだ者が数日滞在し、帰される時くらいのものだ。
住み分けが出来てしまっている魔人族と人間族は、過去の争いの教訓から、無駄な接触は避けているのだった。
『でも――』
「それよりココア、お前を呼んだ覚えはねーぞ」
リュウの言葉に尚も言い募ろうとしたココアだったが、がらりと冷たい雰囲気に変わったリュウの声に遮られる。
『え? あ、あの――』
「ああ、すまん。好き勝手やるのがお前らだったよな……」
別に立体映像を出していなくても、その声だけで昨夜の事が思い出され、リュウはすこぶる不機嫌になっていく。
『ご、ご主人様……ごめんなさい、本当に反省してます……』
「『ご主人様』ってのも、符丁だろ? 『おい』でも『こら』でも好きに呼べよ」
ココアは初めて経験するリュウの負の感情の連鎖にまだ許されていなかった、謝る以外にないのだ、と謝罪を口にするが、それすらも今のリュウには火に油を注ぐ結果となってしまい、態度を硬化されてしまう。
『ち、違います! 本当にココアは――』
「人の体を勝手にいじっておいて、何がご主人様だ、笑わせるな! 脳でも心臓でも勝手にいじって乗っ取ればいいだろーが! だがな、アイスに何かあってみろ、お前ら絶対に許さねえからな!」
リュウの怒りは、昨夜の出来事を邪魔されたという単純なものでは無かった。
脳とリンクされていても、体内を自在に駆け巡る事ができても、ミルクとココアは命令以外に勝手な事はしない、そう思っていたリュウの信頼を裏切った事こそが、リュウをここまで怒らせてしまっていたのだ。
その時、リュウはミルクが用意してくれた脳内ツールに、アクセスがあった事を感知した。
「何のつもりだミルク」
『ミ、ミルクの……デリートコードです……ご、ご主人様の信頼を裏切ってしまったのはミルクです……で、ですから、ココアは許して下さい……お願いします……』
ミルクの声は震えていた。
ミルクはリュウの怒りの意味に気付き、愕然としたのだ。
心を持った故に、嫉妬から主人の信頼を裏切った。
もう自分は、主人にとって害悪なのだと思ってしまったのだった。
『デリートコード!? そんなっ、姉さま!!』
「本気か? ミルク」
ココアが叫び、リュウが真意を問う。
デリートコード、それはAIが不調を来し、改善が見られず初期化する際に用いられる、最終措置入力キーだ。
これは人格プログラムの破壊に留まらず、AI自体の消滅を意味する。
『は……はい……うっく……す、すみません……でした……』
ミルクは自ら選んだとは言え、悲しさと恐ろしさに必死で耐えていた。
自分が守るべき主人の手に、自身の消滅を委ねてしまったのだ。
今こうしている自分が、次の瞬間には消えてしまう。
だがこれが自分の罰なのだ、とミルクは必死で泣くのを堪え、最後の謝罪を告げる。
『ま、待って下さいっ! ご主人様、お願いします! 姉さまを消さないでっ! 折角心を持ったのに! お願いしますぅぅぅっ!』
ココアが主人を思い留めようと必死に叫ぶ。
もうそれは絶叫と言えるものだった。
「心を持った? 何だそれ……ココア」
『ね、姉さまの基本システムは、変貌を遂げていました! ココア見たんです! そうじゃなきゃ、泣くなんてAIにはあり得ないんです! 信じて下さい!』
ココアの叫びの中に、リュウは聞き捨てならぬ言葉を聞き、ココアに問う。
ココアはその問いに、必死に答える。
今、主人を納得させられなければ、ミルクが消されてしまうから。
「泣くプログラムだって有るんじゃないのか?」
『ち、違うんです! だって、あんな、ご主人様が死ぬかも知れない時に、最適な救命措置も取れずに泣くなんて! 今だって、きっと死ぬほど恐ろしい、と思ってるはずなんですっ!』
リュウがプログラムの可能性を疑うが、ココアは主人も覚えているであろう出来事を引き合いに出して、最適行動が取れなかったというAIらしからぬ点を指摘した。
「……ミルク、出てこい」
『は、はい……』
リュウは少し考えて、ミルクを呼び出した。
左腕の上にひれ伏したミルクが現れ、その体は震えている。
「ミルク……顔上げろ……」
「……」
リュウの言葉に、ミルクが恐る恐る顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃになったその顔は、真っ青だった。
その真っ青な表情に眉根を寄せるリュウは、少し可哀そうだとは思ったが、本当に心を持っているのだろうか、と残酷な確認をする。
「お前……消えたいのか?」
「きっ、消えたくっ……ないっ……ですぅぅ……うぁっ、わぁぁぁぁぁ……」
ミルクは俯いて嗚咽まじりに否定し、崩れ落ちる様に慟哭した。
「わかった、消さないから安心しろ……悪かった、だから泣き止んでくれ……」
リュウは今まで誰からも聞いたことの無い慟哭に、心が痛んだ。
だが、ミルクはもう止められなかった。
次から次へと押し寄せる感情の波が、ミルクを支配していた。
「ココア……」
『は、はい……』
「立体映像は、並列処理された一プログラムに過ぎないんじゃないのか?」
『そのはずなんですが、姉さまは違います。音声、映像共に基本システムが介入していますので、あれは姉さまの本当の姿です……』
慟哭するミルクを見て、リュウは頭に浮かんだ疑問をココアに尋ねる。
リュウは、泣いているミルクの映像は基本システムが作っているものだ、と認識していた。
だがココアの返答は、基本システムがダイレクトに反映している姿だ、というものであった。
「それってさ、もし人工細胞が人一人分有ってミルクを形成すれば、あの映像の様にリアルなサイズで泣いてるって事になるのか?」
『その解釈で間違いないと思います』
「マジか……」
そこからリュウが思いついた事は、ココアによって肯定され、リュウは驚き言葉を失う。
「ココア、今から言うプログラムを構築してくれ」
『は、はい』
少し考えてリュウは、とりあえず泣いているミルクを放置してココアに思いついたプログラムの構築を依頼する。
ココアはそれはもう真剣に期待に応え、ものの数分で仕上げてしまった。
「ミルク、泣き止まなくていいから、ちょっと聞いてくれ。ココアからプログラムを貰って、システムに組み込んでくれ」
リュウは未だおんおん泣いているミルクに、気まずそうに話し掛ける。
ミルクは泣きながらも主人の言葉が聞こえていた様で、コクコクと頷くとその立体映像を消してしまった。
代わりに立体映像が表示されていた手首から人工細胞が湧き出してくると、それは次第に突っ伏した人型を成し、やがて細部が明確になってゆき、先程の立体映像より少し小さいミルクの姿となった。
「ほら、もう泣き止めって……な?」
「うぁっ……ごっ……主人……様ぁっ……っく……うあぁぁぁぁん」
手首の上で突っ伏して泣く小さなミルクの背中を、右手の指で撫でるリュウ。
ミルクは初めて実際に優しくされて、感極まって更に泣いてしまう。
「ココア、お前も早く組み込んで、ミルクを慰めろって」
『は、はいっ!』
なかなか泣き止む事ができないミルクに困ったリュウが、ココアに応援を頼む。
するとココアもリュウの右手首から質量を持つリアルな、と言っても十五センチ程の身長で現れる。
ただこれまでと違うのは、ココアのお尻の上から伸びたコードが、リュウの手首と繋がっている事だ。
これは、マスターコアまでも実体像に移してしまうと、リュウの体内の人工細胞にアクセスできなくなる事と、はぐれてしまう事も考えられる為だ。
なのでマスターコアはリュウの体内、脳の付近で安全を確保し、直接繋がるコードによってマスターコアの情報をダイレクトに実体像に反映させているのだ。
因みに今のミルクにもコードが付いており、スカートの中に隠れている。
リュウが右手を左手に近付ける。
するとココアは左手に飛び移ってミルクの下に駆け寄り、ミルクを抱きしめた。
「姉さま、もう大丈夫。ご主人様が許して下さったから、泣き止んで? ね?」
「うあぁぁぁ……っく、ひっ……あぁぁぁぁ……うえっぇぇぇぇ……」
優しく声を掛けるココアの胸に顔を埋めるミルクの肩が、激しく上下している。
リュウが、さすがにやり過ぎたなぁ、とばつの悪い顔をしている。
なのにミルクがぽろぽろとこぼす涙を見て、思ったままを口にする。
「なぁ、そのマジ涙って……俺の体の水分だよな? もう泣き止んでくれないと、俺、干乾びるんじゃね?」
「そ、そんな簡単に干乾びませんよっ! ご主人様、もっとちゃんと慰めてあげて下さい!」
首だけをぐりんっとリュウに向けたココアが、信じられないといった表情で主人を非難する。
「おーい、ミルク~、泣き止め~。ご主人様が困ってるぞー?」
「ご主人様……慰める気があるんですか!?」
仕方なく、ミルクを泣き止ませるべく話し掛けるリュウだが、ココアの冷ややかな声に心外だとばかりに声を張り上げる。
「お前、俺を何だと思ってんだ? 俺はついこの前まで、ぼっちだったんだぞ!」
「そこ、豪語するとこですか!?」
呆れ顔のココアも釣られて声が大きくなる。
「っく……ひっく……ぷふっ……」
「お!?」
「え!?」
しゃくり上げていた最中に思わず、といった感じで吹き出したミルクに、リュウとココアが即反応する。
「も、もう……信じられ……ません……ぐすっ……笑わせてだなんて……もっと……ロマンチックな言葉で……ぐすっ……泣き止ませて欲しかったですぅ……」
両手で涙を拭いながら、主人の宥め方に何とか不満を伝えるミルク。
「お前なぁ……そんなテク持ってたら、ぼっちなんかやってねーよ……」
「ぼっちって、やるものなんですか?」
「うぐぅ……」
ミルクの不満に、先程笑いを取れたネタを再び使うリュウ。
すかさずココアのチェックが入り、リュウが呻く。
「やった」と「なった」とでは大違いだ。
「ぶっ……も、もう……んんっ、ふぅ……ご主人様、もう二度と馬鹿な真似はしません……申し訳ありませんでした……」
「ココアも改めて謝罪します。あと、姉さまを許して頂き、感謝致します……」
「おう……」
一度笑って緊張が解けたのか、再びつい吹き出したミルクは、慌てて咳払いで誤魔化して大きく息を吐くと、ココアから身を離し、主人に向かって頭を下げた。
ココアも同じく頭を下げ、謝罪と感謝を口にする。
二人に改まって頭を下げられたリュウは、どういう言葉を掛けるべきかに困り、短く答える事しかできないのであった。




