32 発端
今回は長いです。
携帯読者の方、ごめんなさい。
更に二日が経過し、各国がエルナダ軍と防衛体制を築く中、各国へアデリア王国から十人から二十人程の治癒術士が派遣された。
これは、治癒術士の世話になった事があるリュウが魔王ジーグに直接お願いし、他国に出向いても良いという者が居て、尚且つその安全には十分に配慮するという条件で実現したものであり、アデリア王国の民が他国へ赴いた初めての例となる。
その陣容は主にBランクのハンターで、どの班も二、三人はお目付け役のAランクハンターが居り、その内の一人がリーダーを務めている。
総勢はリュウやジーグの予想を大きく上回る九十五名、これは貿易により各国を知れる様になった事が大きな要因だが、それ以上に各国が提示する特別手当が破格だったからである。
フォレスト領北部のエルナダ軍統括本部に設置された、アデリア王国からの転移門から現れた治癒術士達は、驚きと感動が入り混じった様なエルナダ兵達の案内でそれぞれ希望する国の転移門へと案内され、再び門を潜って行く。
その内の三十人程は転移せず、案内されるがままに本部の中へ入って行く。
それは彼らがマーベル王国を希望地にしているからであり、このままこの本部に滞在するのである。
因みにエルナダ兵達の感動の理由は、治癒術士の女性達の服装のせいだ。
魔人族では当たり前の胸元が編み上げのベストにショートパンツという格好は、他国の者にしてみれば下着の様に見えるのだから致し方ないのである。
これは、治癒術士派遣を協議したリュウとジーグがその点に気付かなかった事に原因があり、いずれ物議を醸す事になるかも知れない。
当の治癒術士達はそんな事に気付く間もなく、実戦装備に身を包んだ兵士に敬礼され、やや緊張した面持ちで案内された大会議室へと入って行く。
「お久しぶりです、皆さん」
そこでふいに声を掛けられて、治癒術士達が足を止める。
声の主はリュウであり、リュウを知る幾人かが緊張から解き放たれて笑顔で歩み寄り、リュウを知らぬ者達はおずおずとその後に続いた。
リュウの他にはアイスとココア、そしてこの場の責任者のソートン大将と王国を代表してレオンが顔を連ねているが、ミルクは例によって獣人達の先生をしている為、この場には居ない。
ここでもソートン大将とレオンが治癒術士の女性達を見て一瞬息を呑むのだが、すぐににこやかな笑顔を浮かべたのはさすがである。
「リュウ様! アイス様、ココア様もお久しぶりです!」
「ご活躍、リーザから聞いてますわ、リュウ様。皆様もお元気そうで何よりです」
「アルバさんもミーニャさんも元気そうで。また会えて嬉しいっす」
嬉しそうに最初に口を開いたのは、オーグルトでリュウとヴォルフ退治で一緒に行動した風魔法の使い手アルバであり、それに続くのはオーグルトに担ぎ込まれたリュウの治療に当たった内の一人であるミーニャであった。
その後ろにはやはりリュウを治療したアニー、アーシャ、エマも居てアイス達にぺこりと会釈しているが、その視線はすぐにリュウ達の横に居るソートン大将……を素通りして、にこやかに微笑むレオンへと向けられる。
レオンはリュウから魔人族は美人が多いと聞いて、確かにその様だと内心唸っている訳だが、レオンも魔人族からしてみればかなりの美男子なのである。
「凛々しい……きっとあの方がレオン様よね?」
「うちの男共とは大違いよね……って、あんたまさか、狙ってる!?」
「はうぅ……ココア様、相変わらず美しい……」
ほんのりと頬を赤く染めるアニーと、目を丸くするアーシャがひそひそと小声で話す横では、エマがうっとりと大人サイズになったココアに見惚れている。
実はエマ、妖精サイズの時からココアの容姿に憧れを抱いていたのだが、それが大人サイズになった事で、より特別な感情を抱く様になったらしい。
残りの者は魔都、ルドル、バナンザのBランクハンター達であり、リュウ達とは今回が初対面となる訳だが、早速その大半がアイスの容姿に見惚れている。
「てかアルバさん、治癒魔法使えたんですか?」
「ええ。あの時は風しか使っていませんでしたけど、光と地も習得しています」
「それは頼もしいっすね。アルバさんがリーダーなんですか?」
「はい。俺とミーニャだけがAランクなので、年上の俺が一応リーダーです」
「なるほど……あ、すいません。皆さん適当に掛けて下さい」
懐かしさからついアルバと話し込みそうになるリュウが、皆が立ったままなのに気付いて着席を促す。
そうして皆が席に着いたところで、レオンが一人立ち上がる。
「此度は我が国の要請に集まって頂き、国王レント・クライン・マーベルに代わり私レオン・クライン・マーベルが感謝の意を表します。さて、皆さんをお呼びしたのは我々なのですが、現在想定される危機に対し、各国同様に我が国もエルナダ軍との共同防衛体制を敷いています。我が国は各領地に精強な騎士団がおりますが、現在は通信手段に優れたエルナダ軍の指揮下に入っております。よって、皆さんもこちらにおられるソートン大将の指揮下に入って頂き、その指示に従って行動してもらう事になります。ではソートン大将、お願いします」
「ご紹介に預かりました、フォクスル・ソートンです。なに、そんなに緊張せんで下され。皆さんは一応、第一大隊衛生班、第二救護小隊所属とさせて頂きますが、基本的にはここに後送された負傷兵の中でも特に、緊急を要する者に対処して頂くのが主な仕事となります。ただ状況次第では、別の地域への派遣もあるやも知れません。その場合は護衛として二個分隊を同行させ、あなた方を最優先で守ります。あなた方に何か有れば、魔王陛下に顔向け出来ませんからな。はっはっは」
レオンが王子に相応しいきりりとした態度で手短に現状を説明し、後を引き継ぐソートン大将が軍人らしからぬ穏やかさで具体的な内容に触れ、締めくくりを冗談めかして快活に笑った。
三分の二程を女性が占める二十歳前後らしき治癒術士達の表情に、緊張や不安を見たからだ。
その甲斐あって、治癒術士達の主に女性陣から安堵のため息が微かに漏れる。
そんな中、それまで後ろで控えていた実戦装備の兵士が一人、前へと進み出る。
彼の名はケルン曹長、治癒術士達の護衛に当たる二つの分隊の内の一つを預かる分隊長である。
「では早速ですが、軍の簡単な説明や注意事項、皆さんをお守りする分隊の紹介をさせて頂きます。その後、皆さんには実際に使用して頂く通信機をお渡しし、使い方を学んで頂きます。不明な点が有りましたら、いつでも遠慮なくお尋ね下さい」
はきはきと話すケルン曹長が話し出すと、再び場の空気がピリリと締まる。
それはケルン曹長が説明の為にプロテクターを身に纏って、各種武器を所持した物々しい実戦装備だった事に加え、ソートン大将の手前、力が入っていた事がその原因である。
ともあれ説明は滞りなく行われ、幾つかの質疑応答を経て、治癒術士達は軍から貸与されたヘッドセットを頭に装着し、照れと興奮が入り混じった表情で仲間達とはしゃぐ様に話している。
彼らにとって初めて触れる科学の道具の便利さは、驚きと興奮に満ち溢れているのだから無理も無い。
その様子を微笑ましく眺めるリュウ達であったが、そろそろ頃合いかとソートン大将が立ち上がり、治癒術士達を注目させる。
その間に二名の兵士が治癒術士達に小さな金属のカードを配っていく。
「そろそろ通信機にも慣れましたかな? この後も自由に使ってみて、分からない事があれば先程紹介した第一分隊か第二分隊の者に聞いて下され。そして今お配りしたのは、皆さんの身分証です。軍の者に見せれば困った時、例えば通信機が故障した場合など、すぐに対応してくれます。逆に無いと関係者だといちいち証明するのが手間ですし、この施設にも入れなくなるのでご注意下され」
ソートン大将の説明に、それぞれ大事そうに身分証をしまう治癒術士達。
この身分証は兵士の生体チップ程ではないものの、持っているだけで身分照会が出来る上に、位置情報、体温、脈拍を本部で知る事ができ、治癒術士達を守る上で欠かせないアイテムとなるのである。
そうして治癒術士達を部隊に編入させる手続きが一通り終了した所で、ソートン大将が再び治癒術士達に話し掛ける。
「さて、これで皆さんは一時的とは言え、第二救護小隊所属の特別救護員となった訳ですが、怪我人も無く、敵襲の無い現状ではこれと言って皆さんにして頂く事はありません。それまでの間はレオン殿下のお膝元である王都の市場か、リュウ様が暮らすリーブラの市場を自由に観光して頂いて構いませんぞ。他の地域でも同様の許可が出ておりますのでな、何の心配も遠慮も必要ありませんぞ」
一時的とは言え、自分達が所属する事になった組織の長の言葉に姿勢を正す治癒術士達が、観光の話になるときょとんと隣の者と顔を見合わせ、若者らしく素直に喜びを露わにする。
そんな彼らを満足そうに見つめるリュウと苦笑いを浮かべるレオン。
その表情の差は「どうせ敵が来るまで暇なんだし」とサプライズを計画したのがリュウで、渋々了承したのがレオンだからである。
当然レオンは「不測の事態が起きたらどうするんだ」と最初は反対したのだが、
ソートン大将からも「ここは内陸部なので、まず大丈夫でしょう」と言われて了承したのだ。
しかし今は、時には場に流されるのも悪くない、と美女、美少女達を引率出来る機会を楽しむ事にするレオン。
「んじゃ、早速行くとしますか!」
そうしてリュウに促されるまま治癒術士達は本部を出ると二班に別れ、レオンとリュウの後に続いてそれぞれの市場へと続く小さな転移門を潜った。
この転移門は今回の事態でレオン達にも必要だろう、とリュウがマーベル王国の各領地に新たに一つずつ設置した、人一人が通れるサイズの物である。
それを早くもこの様な形で使ってしまうリュウに内心呆れるレオンだが、王都に連れて行くメンバーは確かに美人揃いなので、その表情はきりりと油断が無い。
そんな彼らを笑顔で見送りつつも、ソートン大将は未だ敵襲の報が届かない事に一抹の不安を覚えるのだった。
翌日、昼食を終えたレオンは軽い足取りで庭園に入ると、その一角にひっそりと設置された転移門を潜った。
この新たに設置された転移門は各騎士団にも知らされており、使用も認められているが、連絡だけならエルナダ軍から貸与された通信機が有る為、今のところ使用しているのはリュウ達とレオン、そして治癒術士達だけである。
当然レオンにもヘッドセットは貸与されており、本来なら動く必要など無いのであるが、昨日王都を案内し、今日はリーブラを見学に行く治癒術士に「レオン様にご一緒して欲しい」と頼まれてしまったので仕方なく、そう、仕方なく付き合ってやる事にしたのだ。
常に城に身を置くレント国王と違い、レオンは護衛も連れず外出する事が多い。
それは国王に代わって各地に目を配るという名目なのだが、まだ若いレオンには城の中は退屈だから、というのが本音である。
それでもクーデターを経験するまでのレオンであれば、王族である以上は軽々に市井に姿を見せるべきではない、と城から出る事は滅多に無かった。
そんなレオンに変化をもたらしたのは、王族などという堅苦しい世界とは無縁の自由人、常に美女を侍らせて好き勝手し放題の羨ま……けしからんリュウである。
数々の問題を解決に導いてきたリュウの功績は素直に称賛するところなのだが、楽天的で後先を深く考えない点については、頭痛を覚えずにはいられないレオン。
だが父はおろか、各国の重鎮にさえも認められているリュウの友人という立場のお蔭で、こうして咎められもせず自由に動ける事についてはレオンも重々承知しているし、素直に有難いとも思っている。
ただし、思うだけで口にはしない。
リュウが増長するのが目に見えているからだ。
そんな事を思いつつ、頭を下げる町の人々に軽く手を挙げて応えるレオンが市場へと辿り着くと、リュウ達は先に到着していた。
レオンに気付いて手を振るリュウの後ろには、ぺこりと頭を下げる治癒術士達。
途端にレオンの脳裏には、昨日の気さくに市場の者達と打ち解けて屈託なく笑う彼女達の姿が思い出される。
それはレオンにとって、思いの外に楽しい時間であった。
魔王ジーグの印象が強くて、勝手に魔人族は気難しいと思い込んでいたレオンにとって、彼女達の気さくさや素直さはとても新鮮で心地良いものであった。
また惜しげも無く晒された褐色の肌は瑞々しく健康的で、王国の女性達には無い野性味を感じさせるしなやかさはとても美しく魅力的だったのだ。
そんな彼女達の中で積極的に話し掛けてくれたアニーという娘は、とても明るく表情豊かで、レオンの親密になりたい女性リストにしっかり登録されている。
アニーとしては、元々好奇心旺盛だった事に加え、憧れていたリーザが魔人族の男よりもリュウを選んだ事に触発されてダメ元でアタックしてみただけで、結果については深く考えていなかったりするのだが。
「さすが、美女が多いと早いな」
「別に普通だ」
ニィっと笑い掛けるリュウに短く応じるレオンは、そこにアニーの姿を見付けて「うむ、やはり可憐だ」と昨日の評価を下した自分が舞い上がっていたものでない事を再確認する。
他の女性達も十分に美形なのだが、普段あまり女性と接点の無いレオンにとってアニーの積極性は、かなりポイントが高かったらしい。
そればかりか、あまりにも靡いてくれないミルクを諦めて、アニーに的を絞った方が良いのではないか、などと考えるレオン。
王子と言えども、そこは思春期真っ只中の十七歳の少年という事だ。
「お久しぶりです、レオン様ぁ」
「ッ!」
そこへ不意に声を掛けられ、レオンが一瞬息を呑む。
声の主が獣人達の教師を任された、この場に居ないはずのミルクだったからだ。
そんな思い込みをするなんて、やはり王子は舞い上がっていた様だ。
「や、やあ、ミルク……久しぶりだな。息災か?」
「はい! レオン様もお変わりない様で何よりです」
動揺を隠して応じるレオンに、とびきりの笑顔を返すミルク。
別に浮気した訳でもないのに、大罪を犯した様な気分になるレオン。
そんな中、リュウがアルバ達を連れて歩き出し、レオンはミルクを左隣に並んで後に続く格好になってしまい、何を話すべきかと冷や汗混じりに言葉を探す。
「ミルク様もレオン様と親しいんですね~」
「レオン様の寛大さのお蔭でそう見えるだけですよ、アニーさん」
「あ~……いやぁ……」
するとアニーが右側にやって来てミルクと話し出し、レオンは目を白黒させつつ一体これは何の冗談だ、と心の中で叫ぶ。
とにかく今は、アニーには最近までミルクに熱を上げていた事を知られぬ様に、ミルクには軽い男だと思われない様にせねば、とレオンは気を引き締める。
「やっぱりレオン様はお優しいんですね! 私、昨日初めてお会いして市場を案内して頂いたんですけど、平民の私にもすごく丁寧に説明して下さって! 帰ったらみんなに自慢してやりますぅ!」
「こんな機会は滅多に無いですものね、みんな羨ましがるでしょうね~」
そんなレオンの心情に気付きもせず、きゃっきゃと盛り上がるアニーとミルク。
こうしてレオンは逃げ出す口実を考える余裕も無く、新旧の推しに挟まれたままスリリングなひと時を過ごす羽目になるのであった。
リーブラでの観光が終わり、王城の自室に戻ったレオンが虚ろな目でカチコチに強張った表情筋を揉み解している頃、キエヌ聖国ではボボンが新たにエルナダから持ち込んだ豆が収穫の時期を迎えていた。
この豆は茎が強靭で太く、地上から人の背丈以上も伸び、十粒程の豆を内包した莢をたくさん付ける。
その重みで先端が垂れ下がると収穫の頃合いで、畑に入って収穫する男女の頭が辛うじて見え隠れしている。
「もう収穫とは、随分成長が早い豆なんだねぇ」
「おでもびっくりだボン……多分、ここの天気や土との相性が凄く良いんだボン」
その広大な畑の前で、ボボンが暮らす集落の代表で長老衆の一人でもあるトバ・シェンに感心され、照れた様に頭を掻きながら応じるボボン。
「ボーマンさんのお蔭で春まで安心して過ごせそうですね、シェン長老」
「まったくだ。ほんと良い人が来てくれたよ」
「そ、そんな……おでなんて、まだまだだボン……」
そこへやって来たヘレナに声を掛けられ、トバがうんうんと頷いて同意すると、ボボンは照れがピークに達したのか、赤い顔で背中を丸めて小さくなった。
キエヌ聖国の誰よりも大きい、ボボンのそんな姿を見つめるトバとエレナの瞳がとても優しい。
「ッ!?」
その時、聞き覚えのある音が聞こえた気がして、ボボンはハッと息を呑んだ。
「どうしたのかね?」
「ボーマンさん?」
「……ちょ、ちょっと待って欲しいボン……」
突然耳に手を当てて畑の奥を凝視するボボンに、トバとヘレナがきょとんとした表情で問い掛けるが、ボボンは短く断りを入れると注意深く目と耳を凝らす。
獣魔族を壊滅させたという魔蟲族が、キエヌ聖国に襲来する確率は極めて低いとされているが、それでもこの地にも三個小隊が送り込まれ、日夜交代で分隊単位のパトロールが行われていた。
ボボンが注意を向けるのは、ほんの三十分程前にパトロールの分隊が向かった先であり、ボボンは銃声を聞いた気がしたのだ。
「ッ!」
「む?」
「え……何の音かしら……」
次の瞬間、ボボンの耳にはっきりと軽機関銃の連射音が聞こえ、トバとヘレナも初めて聞く音に不安気な表情を浮かべた。
畑では、収穫作業を行っていた十数名の男女も音に気付いて何事かと手を止め、音のする方を見やっている。
「ちょ、長老、ヘレナさん、逃げるボン! 敵が来たんだボン!」
「で、でもみんなが!」
「おでが避難させるボン! ヘレナさんは長老を連れて逃げるボン!」
血相を変えて避難を促すボボンにヘレナが待ったを掛けようとするが、ボボンは二人を突き飛ばす様にして畑へと走りだした。
ボボンは派遣された兵の一人から、敵は強く、その数も多いとは聞いていた。
そしてこの地はまず敵が来ないだろうとも聞いていた。
だが絶え間ない軽機関銃の連射音が聞こえている事から、ボボンは二十人の分隊程度では止められない程の敵が来ているのでは、と思ったのだ。
「みんな逃げるボン! 敵が来るボン! 荷物を捨てて走るボン! ッ!」
ボボンの大声に作業していた者達が困惑のままに走り出す中、ボボンは畑の奥に黒い影を見て息を呑む。
「早く! 早く畑から出るボン! 死ぬ気で走るボン!」
畑の外から必死に声を張り上げるボボン。
背の高いボボンには、畑の奥から豆の枝葉が倒されて来るのが見えるからだ。
「あっ!?」
「ぎゃっ!」
「ッ! はっ、早く! 早く!」
誰かが畑の中で声を上げて倒れたのを感じ、泣きそうになりながら叫ぶボボン。
足が震えて畑に踏み入れないボボンには、もう叫ぶ事しか出来ないのだ。
畑から何名かが転がり出て来て、ボボンはその者達と一緒に畑から駆け離れた。
もう一分一秒たりともその場に居たくなかったのだ。
集落を目指して駆けるボボンの目に、数台の大型ビークルから次々と機械化兵が降りて来る姿が映った。
パトロールの分隊から連絡を受けた増援部隊が到着したのだ。
「第一から第三分隊は散開! いいか、接敵中の第六分隊を撃つんじゃないぞ! 第四分隊は避難民を誘導しろ!」
部隊に所属していた時は怖かった指揮官の号令が今はとても頼もしく、ボボンはビークルまでたどり着くと、ようやくそこで来た道を振り返った。
そこには腕の銃を構えて散って行く兵士達と、ボボンより後に畑から逃げ出して来た男女を抱える様に連れて来る兵士達が入り乱れていた。
「ッ!」
「なんだこいつら!」
「出たぞ! 撃て撃て!」
その時、畑から複数の黒い影が飛び出してボボンが目を見開き、間近で遭遇した兵士達が叫びと共に銃を発砲する。
そこに現れたのは多種多様な昆虫を無理矢理人の姿に創り変えた様な、リュウが名付けた魔蟲族という名に相応しい、異形の生命体であった。
鎧の様な体表を持つ者、ハサミの様な腕を持つ者など、個体差が激しい魔蟲族に共通点が有るとすれば、体が黒く、腕が四本、足が二本、というところだろうか。
「おいっ!? 効か――ぐわっ!」
「んの野郎っ! 撃てっ! 撃てっ!」
「怯むな! 頭を狙えっ!」
鎧の様な、殻に覆われた体表を持つ個体に銃弾を弾かれた兵士が鉤爪に体を切り裂かれて倒れ、周りの兵士達が叫びながら銃を撃つが、魔蟲達の素早い動きに翻弄されて一人、また一人と倒されていく。
「軽銃や散弾はダメだ! 徹甲弾かグレネードを使え!」
「グレネードはダメだ! まだ民間人が居る!」
「くそっ! ここには来ないんじゃなかったのかよ!」
「おい、こいつら飛ぶぞ!」
「逃がしゃしねえってんだよ!」
だが犠牲を出しながらも兵士達も武装を切り替えて立ち向かい、如何に鎧の様な殻を身に纏う魔蟲達も次々と殻を砕かれて倒れていく。
堪らず畑へ逃げ込んだ個体も徹甲弾の掃射を受けて爆散しているが、そのせいで畑も滅茶苦茶になってしまっている。
「ああ……おでの畑……」
「ボーマンさん!」
「ヘレナさん! 無事で良かったボン!」
それを見て思わず嘆くボボンであるが、駆け寄って来たヘレナが無事だった事にほっと胸を撫で下す。
「マーサとユーリが居ないの!」
「えっ!? い、家に居たんじゃ――ッ!?」
だが続くヘレナの言葉に驚くボボンは、ヘレナの幼い娘たちの普段の行動を思い出し、畑の脇に建つ小さな農具小屋に目をやって目を見開いた。
農具小屋のわずかに開いた扉の隙間に、マーサの泣き顔を見たからだ。
きっとかくれんぼでもしていて銃声に驚いて動けずにいるのだろうが、泣き声を聞かれれば襲われるだろうし、徹甲弾が当たりでもしたら、とボボンは思わず駆けだした。
「ボーマンさん!」
「おいっ! 戻れ! 死にたいのか!」
ヘレナの叫び声を背に無我夢中で駆けるボボンと、思わず彼を撃ち掛けて怒鳴る兵士。
「撃つな撃つな! 小屋に子供が居るボン!」
「なっ、小屋を撃つな! 子供が居る! あの男を援護しろ!」
だが走りながらボボンが叫び返した事で兵士達も状況を把握し、ボボンは比較的安全に小屋へと近付く事が出来た。
「ボボンおじちゃん!」
「おじちゃん!」
「ギッ!?」
「ッ! うわあああっ!」
ところがボボンに気付いたマーサが叫んでしまい、一緒に居たユーリも釣られて声を上げた為、近くに居た魔蟲達がその声に反応し、小屋へと殺到する。
その身が凍り付く様な瞬間、ボボンは小屋の外に立て掛けてあった柄の長い鍬を手に取り、叫びながら迫り来る魔蟲へと叩きつける。
だが魔蟲の硬い殻に鍬は弾かれ、ならばとボボンは滅茶苦茶に鍬を振り回す事で魔蟲達の接近を防ごうとした。
「ぐあっ!」
そんなボボンをあざ笑うかの様に魔蟲の鉤爪がボボンの肩を抉り、ボボンは鍬を落としてしまう。
兵士達は銃を構えてはいるが、動き回るボボンの大きな体が邪魔をして魔蟲達を狙えずにいる。
「ボボンおじちゃん!」
「――ッ! だっ、ダメだボン!」
ボボンが苦鳴を上げてしまった為に、マーサが泣きながら小屋から出ようと扉を開ける。
ぎょっとするボボンはどこが愚鈍だったのか、という俊敏さで叫びながら小屋へ飛び付き、扉を閉めた。
「おじちゃん!」
「うわぁぁぁぁん!」
「今は出ちゃダメだボン! 二人は良い子だから――ぶっ!」
小屋の中で泣きだした二人を宥めようとするボボンの背中に魔蟲の鎌の様な腕が突き刺さり、ボボンが堪らず血を吐いた。
焼ける様な痛みの中、それでも必死に小屋にしがみつくボボン。
「あ……うう……ぎゃっ! うああっ!」
目の前が暗くなり、意識が朦朧とするボボンが断続的に絶叫する。
魔蟲の腕が引き抜かれ、再びボボンを刺したのだ。
別の魔蟲もボボンの首へと腕を振るうが、ボボンがずるりと倒れた為にその腕は空を切った。
「今だ! 撃てえっ!」
次の瞬間、ボボンが倒れた事で姿を曝け出した魔蟲達がエルナダ兵達の一斉射で粉々にされる。
「……お……おで……も……う……かあちゃ……」
血だまりの中、駆け寄る兵士達を感じる事も無く、虫の息のボボンが僅かに唇を震わせている。
音も無く、真っ暗になった視界で、ボボンはただ微笑む母の姿を見ていた。
もう長い事会ってないなぁ、それだけ思ってボボンの意識は途切れるのだった。
いつも読んで下さりありがとうございます。
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