29 ミルク、先生になる
その後、獣人達の誤解を何とか解いたリュウ達は、獣人達が体は癒えても空腹はそのままだろう、とマイク達にお願いして食事を用意して貰った。
そうして彼らが簡易ベッドに腰掛けて食事を始めると、リュウは少し離れた所で木箱に腰掛けてマイク達と談笑しつつ、さりげなく彼らの様子を観察する。
総勢二十九名居る獣人達を系統別に分けると、灰色の狼の獣人が大人の男一名、女二名、二十代前後の青年の男女が三名ずつ、十才くらいの子供が男女一名ずつ、薄茶色の豹の獣人は大人の男女がそれぞれ二名ずつ、青年の男は二名、女が三名、まだあどけなさを残す中学生くらいの少女が三名、黒い熊の獣人はベグと呼ばれた大男一人のみで、青年なのかもっと大人なのかは判別しづらい。
残るは白い狐顔の獣人で、初老の男が一名、大人の女が一名、青年の男が三名である。
リュウの指示で、フォーク一本で食べられる一口サイズの肉や野菜が用意されているが、習慣が無いのか、誰もが手掴みで夢中になって食べている。
水もコップだと飲み辛そうで、空いた深めの皿に水を入れると、犬や猫と同様に舐める様に飲んでおり、リュウはこの先に待ち受ける問題が容易に想像できる気がした。
そうして食事を済ませた獣人達が落ち着いたのを見計らって、リュウはようやく彼らから事情を聞く事にする。
「どうだ、少しは落ち着いたか?」
「ああ。生き返った……」
「こんな美味しいの、初めて食べた。人間、優しい。私、忘れない」
リュウに話し掛けられて熊の獣人のベグが安堵の表情で頷き、豹の獣人の少女が嬉しそうに答えると、他の獣人達もうんうんと頷いている。
豹の少女の反応に釣られる様に笑みを浮かべるリュウは、そろそろ良いだろうと彼らがここに来た経緯を聞く事にする。
「そかそか。それは良かった。んじゃ、聞かせて欲しいんだけど、何で海を渡って来たんだ? てか、お前達はどこから来たんだ?」
「海の向こう。ずっとずっと向こう」
「そ、そうか……で、そこには何が有るんだ?」
熊の獣人、ベグの大雑把な答え方にちょっと面食らうリュウ。
だが、それまでの話し方も単語の羅列の様だった事から、リュウはそういうものなのかも知れない、と質問を続ける。
「俺達の森が有った。とてもとても大きい森」
「有った? 今は無いのか?」
「虫が食い荒らした……奴らたくさん居る。俺達、逃げた……」
「あ~、イナゴか何かが大量発生したのか……?」
「イナゴ……分からない。森の動物も食った。だから逃げた……」
「え……マジで?」
「まじ……分からない」
「本当に? って意味ですよ。ご主人様、分かり易い言葉を使ってあげて下さい」
「お、おう……」
リュウの問いに真摯に答えるベグであったが、知らない単語に戸惑う様子を見てミルクが助け舟を出しつつ、主人に注意を促すと、リュウはアイスの力でも意味が伝わらない事も有るのか、とポリポリと頬を掻いた。
「ベグ、嘘吐かない。やつら、森の動物も私達の仲間も食った。どんどん増えた」
「肉食の虫とかゾッとするな……そいつらは今までは増えた事無いのか?」
「違う。私、知らない虫。知ってる虫、小さい。知らない虫、とても大きい」
「あれ、きっと星巡竜様の虫。獣魔王負けた。だから獣魔族滅びる……」
「ッ! 獣魔族!? お前達、五百年前に魔人族と戦った獣魔族なのか!」
そのベグを擁護する様に豹の少女の一人が話し出して応じるリュウであったが、続く初老の白狐の言葉に、思わず身を乗り出してしまうリュウ。
「五百……分からない。でも約束有る」
「約束?」
「獣魔族、人襲わない。その代わり、星巡竜様、森くれた」
「あ~、何となく分かった。その星巡竜の名前は分かるか?」
「名前……知らない」
「そうか……で、獣魔王が負けたってのは?」
「ググ言った。獣魔王、星巡竜様会った。森、虫のもの言った。約束違う、獣魔王怒った。でも虫、強かった……」
「う~ん、なるほど……で、ググって言うのは?」
「獣魔王の息子、俺達の長。筏壊れて死んだ……」
「他にも居るのか? 筏で逃げたのは」
「ググ達とマギ達と俺達だけだ……でも、みんな死んだ……」
「そうか……ちょっと相談するから待っててくれ」
そうして初老の白狐に色々と尋ねるリュウは一先ずそこで話を切って、獣魔族に断りを入れるとミルク達へと向き直る。
「どうやら魔人族を襲った獣魔族が彼らで、星巡竜が争わない事を約束に新天地を与えた……みたいだな」
「その様ですね……」
「で、同じ星巡竜かは分かんねえけど、今度は森を虫にやるから出ていけ、と」
「そんな感じでしたね……」
「当然、獣魔王は怒ったものの、星巡竜本人か配下の虫だかに返り討ちに遭って、一族みんなが襲われた……と」
「はい……」
「その星巡竜って、オルグニールだと思うか?」
今聞いた事を時系列順に整理して確認するリュウは、ミルクとココアが頷くのを見て自身の認識が概ね間違っていないと分かると、獣魔王が会ったという星巡竜についての意見を求めた。
獣魔族は同じに思っている様だが、五百年前に魔人族を救ったとされる星巡竜と今回の星巡竜は別物だとリュウは思うからだ。
魔人族を救った星巡竜がアイスの父、アインダークではないかと考えるリュウにしてみれば、そのアインダークが簡単に約束を反故にするとは思えないし、第一に真っ先にアイスに会いに来るだろうと思うからだ。
そうなるとリュウに思い当たるのは、一ヶ月とちょっと前に遭遇し、捨て台詞を吐いて去って行った青年の見た目の星巡竜、オルグニールしか居ない。
「その可能性は十分に有りますが、違う可能性も……アイス様に感知出来なければ分かり様がありません……」
「相手が気配を隠してたら分からないよ……だって、この前の時も声を掛けられるまで気付かなかったし……」
だが現状ではミルクにも断定は出来ず、話を振られたアイスもお手上げの様子で眉を下げるのみである。
「気配を隠してなかったら、どのくらいの距離で分かるんだ?」
「え……そ、そんなの試した事が無いから分かんないよぅ……」
「そっか……ま、今は彼らのこれからの事を考える方が先決だな……マイクさん、このまま彼らがここで過ごすのは問題ありますか?」
なのでもう少し手掛かりを得ようとするリュウであったが、これ以上はアイスを困らせるだけだ、と目の前で不安そうにしている獣魔族の今後についてに気持ちを切り替え、マイクへ話し掛ける。
「そ、そうですね……漂流者が流れ着いた事は町の皆が知るところですが、彼らの姿を見て驚いたり、怖がったりする者は少なからず居るでしょう。彼らを運ぶのを手伝った我々も驚きましたし、目覚めて暴れられたらどうしよう、と不安がる者も居ましたから……」
「まぁ、そうでしょうねぇ……」
マイクの返答にそりゃそうか、と苦笑するリュウ。
「リュウは怖くないの?」
「アイス様ぁ、ご主人様が怖がるはず無いですよぉ。獣人なんてアニメじゃ普通に出てくる世界で暮らしてたんですからぁ」
そこにアイスが同じ疑問を呈するのだが、リュウが答えるより早く、そんなはずある訳が無いと呆れ笑いを浮かべるココア。
「ココア、お前の認識間違ってるぞ……いくらアニメで慣れ親しんでても、実際に居たら――」
「ワクワクしてましたよね?」
「う……ちょ、ちょっとはな……」
なのでココアの認識を正そうとするリュウであったが、逆にココアにきょとんと問われると、さっと目を逸らしてポリポリと鼻を掻き、周りの者を苦笑させる。
「で、ご主人様。どうなさるおつもりなんですか?」
「そうだな……各方面に色々相談しなきゃなんねえけど、彼らが安心して暮らしていける様になるまでは、うちで当分面倒見ようと思――」
「まさか、あの子達にまで手を出すつもりじゃないですよね!?」
「……なんでやねん……」
「づあっ!?」
なので話を元に戻すべくミルクが今後の方針を尋ねるのだが、主人が話す内容に危機感を抱いたココアが割り込み、呆れた主人のデコピンを喰らった。
「コ、コアが! コアがぁぁぁ! 頭はダメぇぇぇ……」
「マイクさん、彼らには暴れたりしない様に俺が言い聞かせますんで、もう少しの間だけ彼らを置いてやって下さい。なるべく早く彼らを引き取りますんで」
口調とは裏腹にデコピンは強烈な威力だった様で、ココアが床を転げ回っているが、リュウはそれを丸っと無視してドン引きしているマイクに話し掛ける。
「あ、ああ……わ、分かりました。皆にもそう伝えます」
我に返るマイクの了解を得ると、リュウは立ち上がって獣人達の前に進み出る。
デコピン一発で従者を悶絶させる容赦の無いリュウの接近に、獣人達が緊張した面持ちでごくりと息を呑む。
狼の男の子と女の子、豹の少女三人に至っては、身を寄せ合って明らかに怯えている。
「お前達の境遇はだいたい理解した。俺は星巡竜だけど、お前達を滅ぼそうとした奴とは全くの無関係だ。お前達が人間族と仲良くしてくれるんなら、俺はお前達の味方だ。すぐには無理だけど住む場所も用意してやれるだろうし、人間達と一緒に安心して暮らしていける様に協力もするつもりだ。だからお前達も俺を信用して、しばらくは大人しくここで過ごしてくれ。どうだ、出来るか?」
「で、出来る。俺、星巡竜様信じる」
「お、俺も!」
「私も! 仲良くする!」
そうしてリュウが条件付きで協力を申し出て獣人達の意思を問うと、熊の獣人のベグを皮切りに次々と誰もが条件を呑み、リュウは安堵の笑みを浮かべる。
「星巡竜様、怖い……私、逆らわない」
「ちょっ、怖くねーって! 俺、優しいから! 知らない国に来てしまって不安なお前達の今後の事とか、色々考えてやってるから!」
だが豹の少女の一人の呟きに目を丸くするリュウは、冷や汗混じりであたふたと怖くないアピールする羽目になった。
「ビビ、大丈夫だ。この方、嘘の匂いしない」
「そうそう! 俺、嘘吐かない!」
そんな時、初老の白狐が助け舟を出してくれた事で、つい嬉しくなったリュウの言葉遣いが獣人達みたいになってミルク達が呆れている。
それでも何とか獣人達全員から約束を取り付けたリュウは、後の事をマイク達に任せて一旦マーベル王国へと戻った。
そして獣人達を受け入れて貰える様に、その日の内に関係各所を片っ端から説得して回るのであった。
「私はリリです。人間族の人達と仲良くしたいです。よろしくお願い……ます」
「お願いします、ね」
立ち上がって自己紹介する豹の少女が最後に言い淀んで上目遣いになったのを、優しげな口調で正しい言葉遣いを教えてあげるミルク。
「あ、はい。よろしくお願いします」
「はい、良く出来ました。じゃあ、次はベグさん」
「ッ!」
そうしてリリと名乗った豹の少女が言い直してぺこりと頭を下げて着席すると、ミルクはにっこりと微笑んで少女を褒め、次に隠し様のない巨体を無理矢理屈めて狼の青年の背後に隠れようとしているらしい熊の獣人、ベグを指名する。
努力の甲斐もなく指名されてガーンと呆然となるベグであったが、仕方が無いとおずおずと立ち上がる。
獣人達がリュウと出会ってから三日後、彼らは再びやって来たリュウに転移門でリーブラに連れて来られた。
そこはリュウの自宅の南に有った馬屋が有った辺りなのだが、馬屋は移転されており、新たに大小二つのログハウスが建てられていたのだ。
リーブラに戻ったその足でレント国王やノイマン男爵から了解を得たリュウは、ソートン大将に頼み込んでエルナダ軍兵士と大型ビークルを貸してもらい、三日で獣人達の宿舎と学び舎を自宅の近くに建てたのだ。
そのお礼にリュウは、大きな岩がごろごろしている為に街道整備が難航しているというグーレイア王国南方に赴き、竜力を遺憾なく発揮して工期の大幅短縮に貢献している。
そうして獣人達の新たな生活が始まった訳であるが、早々にトラブルが起こる。
まずはきちんと言葉を覚えさせようとリュウがミルクに教師役を任せたところ、自分達より強いリュウ様に教わるならともかく、自分より若く弱そうな女に教わりたくない、と豹の青年二人が反発したのだ。
なのでリュウはそんな事はミルクに勝ってから言え、と二人とミルクを戦わせ、晴れてミルクは全員から先生と認められ、彼らの逆らってはいけないリストに追加されたのである。
それから七日、獣人達は大人しくミルク先生の授業を真剣に受けている、という訳である。
「じ、自分はベグです。大きいけど、怖くないです。よろしく……です」
「あ~、ズルい! お願いします、でしょ!」
「う……リュウ様言ってた。アイス様も言ってた」
自己紹介するものの、最後を省略した事をリリに咎められてしまうベグは、目を泳がせつつも小声で言い訳をして着席する。
実はこのベグ、青年どころかリリより三つばかり年上なだけで、リュウとあまり変わらぬ歳の少年であった。
それを聞いた時のリュウは嬉しそうに「ダチ」になろうとしたのだが、ベグには畏れ多いと固辞されてしまい、しょんぼりと肩を落としている。
ベグにしてみれば、リュウはまるで歯が立たなかった存在であり、何より伝説の星巡竜と同種の存在として認識しているのだから固辞するのは当然なのだ。
「リリはちゃんと言ったのに~!」
「リリちゃん、怒っちゃダメ。ベグさんだって頑張ってるんだから。リリちゃんの様に話せる方が凄いんだから、ね?」
「リリ、凄い?」
言い直しもせず着席して目を合わせようとしないベグに憤慨するリリは、ベグを擁護するミルクに不服そうだったが、自分の方が凄いと言われた途端、嬉しそうに机から身を乗り出してミルクに聞き返す。
「それはもう。でもみんなだってリリちゃん程じゃないけど凄いのよ? みんながこんなに言葉を覚えるのが早いなんて、本当にびっくりしてるんだから」
ミルクはそんなリリに笑顔で応えてやるが、特別扱いにならない様に他の獣人達にもしっかりとフォローを入れる。
確かにリリは獣人達の中でもかなり流暢に言葉を話せる様になっている。
ベグはリリとの差を気にしている様だが、他の獣人達もかなりのレベルに達しており、彼らの上達ぶりには本気で驚いているミルクなのだ。
そんなミルクの本心からの言葉に、獣人達も満足そうだ。
「ミルク先生! ビビももっと上手になる!」
「じゃ、じゃあ、ミミも……」
するとリリの隣に座る豹の少女が元気よく手を挙げてやる気を見せ、同じくもう一人の豹の少女もおずおずと手を挙げてミルクを再び笑顔にさせる。
豹の少女の三人は本当の姉妹との事だが、元気なリリとビビとは違ってミミは少々大人しい。
リュウを怖いと言ったのもこの子なのだが、今ではリュウを恐れる事は無い。
リュウも事有る毎に怖くないアピールした甲斐があるというものだ。
「ウルも!」
「ルルも!」
続く元気な声は狼の男の子ウルと狼の女の子ルルだ。
二人も兄妹だが両親は他界しているらしく、この場の大人達が親代わりを務めている。
獣人達は同じ集落に暮らす者であれば、種族の枠に囚われる事無く結束するのだそうで、そうでなければ過酷な自然環境を生き残れない、とは初老の白狐イバの言である。
そんな事を思い出しつつ、ミルクはあと十分程でお昼休みだという事に気付く。
「みんながやる気になってくれて、先生とっても嬉しいです。そろそろお昼だから今日は早めに切り上げて、また午後に頑張りましょう!」
「「「はーい!」」」
ミルクのちょっとしたサプライズに、嬉しそうに応える子供達。
見れば大人達も嬉しそうで、ミルクの笑みも自然と深まっていくのだった。




