27 最強の武芸者
「彼らは……特にヘルガーは武芸者の中でもかなりの上位者でシュが、武芸者には五強と呼ばれる別格の者達が居るのでシュよ。まぁ、ココア様からしてみれば五強でシュら歯が立たないかも知れませんが、ヘルガーを目安に武芸者を一括りに判断シュるのはいかがなものかと……」
ココアに声を掛けたのは、保護区の監督官であったマーシュ・マウロであった。
どこかで摸擬戦を見ていたらしい彼は、ココアの武芸者如きという発言を聞いて一言物申しにやってきたらしい。
だが彼が言葉を発するまで誰もその接近に気付かなかった様で、突然現れたかの様なマーシュに誰もが困惑し、場がざわめく。
「な、なるほど……そうね、分かったわ。それで、あなたは何位なの?」
「私は保護区の解体と共に監督官の任を解かれ、今はこの野外観覧場の現場監督を任されているだけに過ぎませんが?」
ココアも驚いたものの、一先ず平静を装ってマーシュの言う事に理解を示した。
その上でマーシュの武芸者としての順位を尋ねるのだが、マーシュはきょとんとした様子で自身の立場を述べて小首を傾げる。
「うぷっ……そ、そんな事聞いてないわ。武芸者如きって言われて黙ってられずにここへ来たんだから、あなたも武芸者か元武芸者なんでしょ?」
鼻の下に控えめのカイゼル髭を生やした丸い顔に加え、手足が短く、丸い体形のマーシュのコテンと首を傾げる大して可愛くも無い姿に、思わず吹き出してしまうココア。
このマシュマロオヤジ、とぼける演技が下手くそ過ぎでしょ、と震える腹の底で悪態を吐きつつ、ココアはマーシュに感じたままを問い掛ける。
「さシュがはココア様……私とした事が、つい熱くなってしまった様でシュな……失礼を致しました」
「ふぐうっ……で、な、何位なのよ?」
するとマーシュは、まさか見抜かれていたとは、と言わんばかりに目を丸くしてココアに感心し、大して縮みもしない体をシュンと縮めて反省しつつ、短い右手を胸に添えて恭しく頭を下げて見せ、何とか冷静さを保とうと頑張るココアの腹筋を容赦なく揺さぶる。
先生と呼んでくれた獅子の集いの面々の手前、必死で吹き出しそうな笑いを嚙み殺しつつ、何とかランキングを尋ねるココア。
「私はランキング……圏外でシュ」
「ぶふうっ!」
だがそんなココアの頑張りは、勿体を付けておきながらしょんぼりと肩を落とすマーシュの前にあっさりと崩壊してしまった。
膝から崩れ落ちるココアが地面に両手をつき、ひっ、ひっ、と笑いを堪えようとしているが、周囲でも耐性の弱い者からクツクツとした声が漏れ聞こえてくる為、なかなか笑いを収められずに苦しんでいる。
「引退した身なので……」
「い、引退する前はどうだったのよぉ!」
そこへマーシュが過去に思いを馳せるかの様に、遠くを見据えて言い訳するのであるが、短い手足と丸い体形では哀愁が漂う訳も無く、泣き笑いの様な顔で思わず叫んでしまうココア。
「知りたい……でシュか?」
「ふひいっ……お、教えて……下しゃい……」
すると遠くを見据えたままで口を開くマーシュが突然ココアに視線を戻し、目が合ったココアは一気に戻って来た笑いに抗う事が出来ず、全身をビクンビクンさせながら辛うじて言葉を紡いだ。
周りの男達が、もうダメかも知れないココアを心配そうに見守っている。
「一位でシュ」
「ふっ、ふざけてんの!?」
「そんな、滅相もございません!」
そうして遂に現役時代のランキングを明かすマーシュであったが、ココアにキレ気味に叫ばれるとさすがにやり過ぎたと思ったのか、短い両手をわたわたと振ってココアを宥める。
「なら、あんたを倒せば文句無いわけね?」
キレた事で笑いの呪縛から解放されたココアが立ち上がってクイッと顎を上げ、氷の様な瞳でマーシュを見下ろす様に問い掛ける。
マーシュが平凡な順位であれば、ココアはマーシュのコミカルさに免じて適当にあしらうつもりであった。
だがヘルガーを目安にするなと言われた手前、一位と聞いたからには見過ごす訳にはいかない。
《ふん……本当ならば手を抜かないし、嘘だったらコテンパンにしてやるわ。このタイミングで一位と言ったからには、覚悟して貰うわよ》
口元に笑みを浮かべるココアだが、目が笑っていない。
突然のココアの本気モードに周りの男達がごくりと息を呑んでいるが、何人かは赤い顔でココアに見惚れている。
マーシュもココアの本気を感じ取ったのか、はたと動きを止め、何かを思案する様にふっとココアから視線を外した。
「……そう簡単に、いきまシュかな?」
だが次の瞬間、マーシュは不敵な笑みを溢しつつ、再びココアを見据える。
周りの男達が本当に一位なのか、と目を見開いてマーシュを見る。
「ぶふうっ、お、落ち着くまでちょっと……ぶふっ……待って……」
その中でココアだけが一人、吹き出しつつよろめいている。
マーシュの丸い体形にミスマッチな不敵な笑みは、ココア的に完全にツボだったらしく、人工細胞製の腹筋がビクンビクンと痙攣している。
残念な人を見る様な目が周囲から注がれる中、ぶり返した笑いを収めようと苦心するココア。
そうして何とか平常心を取り戻した時には、男達にはココアがやつれて見えるのだった。
一方、マーシュがやって来た事を遠くから見るリュウ達は、その会話が聞き取れない為に、ミルクがココアにこっそりとリンクして一部始終を報告していた。
「え、マジで!? マジで一位なの、あの人!?」
「ああ、マジだ……けど、あの人の本気は俺も見た事が無えんだよ……」
「んじゃ、何で一位って断言できんだよ?」
「姐さんが言ってたんだよ。何度挑んでも勝てなかったって……」
「マジか……」
ミルクの報告に興奮を隠し切れぬ様子のリュウに、困った表情で応じるリゲル。
マーシュもリゲルも隠していた訳ではないが、リュウはマーシュの新たな一面を知って瞳を輝かせる。
「人は見かけによらないって言いますけど、その最たるものですね……」
「だな。どっちが勝つと思う?」
「えっ、それはやっぱりココアですよ。どんなに彼が強くても、人の身には限界があります……ココアのパワーと反射速度には敵いませんよぉ……」
ミルクが半ば呆れた様子でマーシュについて評すると、同意するリュウに勝負の行方を問われ、それはココアの方だと答えてその理由を述べる。
複数人同時に銃でも使われない限り、瞬時に各種センサーやカメラ類を体表面に生成できる上に、人の速度を遥かに凌駕するミルクに攻撃を当てるのは至難の業であるし、万が一攻撃を喰らっても生半可なものではダメージにすらならないのだ。
それはココアも同様であり、まして相手が一人なのだからマーシュは相手にすらならない、というのがミルクの見立てであった。
「アイスは?」
「え……ミルクの言う通りだと思うよ?」
同じ様に問われるアイスもミルクに同調するが、別にアイスはミルク達の能力を詳しく知っている訳ではない。
なのにアイスに迷いが無いのは、頭の良いミルクが間違った事を言うはずがないと絶対の信頼を置いているからである。
「んじゃ、賭けようぜ。俺、マーシュさんに賭ける!」
「ご主人様、そんなダメですぅ!」
「金じゃなきゃ、良いじゃん。俺が負けたらミルクとアイスには今晩のおかず一品ずつやるよ。リゲルとハサンさんには一杯奢る、くらいなら良いだろ?」
「乗ったぜ、大将! 俺もココア様だな!」
ミルクとアイスの答えを受けて主人がはしゃぐのをミルクが諫めようとするが、
リュウに悪びれる様子は無く、リゲルが話に乗ってしまった事で、ミルクは仕方が無いなぁ、と口を噤んだ。
「よしよし。ハサンさんは?」
「で、では、私もココア様に……」
「お前らもココアで良いんだよな?」
「はい」
「え、でもぉ……」
そうして獅子の集い代表のハサンも賭けに加わった事で、ミルクとアイスに再度確認を取るリュウであったが、即答するミルクと違ってアイスは不安になった様で口ごもる。
「ちょっとしたお遊びじゃん。勝ったらおかず一品増えるんだぞ?」
「でも、もしココアが負けちゃったら……」
なのでリュウは遊びじゃん、と苦笑いを溢すのだが、アイスは負けたらおかずが一品減る事に気付いたらしく、おろおろするばかりで答えるのを渋る。
アイス様、ミルクへの信頼がおかず一品で揺らいでしまっていらっしゃる。
「そ、その時は、ミルクのおかずを差し上げますから……」
「ほんとっ!? じゃ、じゃあ、ココアで!」
なので仕方なくミルクが助け舟を出してやると、アイスは救世主を見る様に目を輝かせて即答した。
アイスのミルクへの信頼は、目下急上昇中である。
「ほんとにお前は……ま、いっか……」
そんな現金なアイスにジト目を向けるリュウであったが、ココア達の方に動きがあった様で、観戦に気持ちを切り替えるのだった。
ココアとマーシュが五メートル程の間隔を空けて対峙している。
朗らかな表情のマーシュに対してココアは無表情とも言える顔つきだ。
やっとの思いで収めた笑いが再びぶり返さない様に、気を引き締めているココアなのである。
他の連中はその二人から大きく距離を取って円を描く様に座っているが、二人を左右に見る様にして中央に立つヘルガーは、審判もしくは立会人を務めるつもりの様である。
「ココア様、先程同様に素手で構わないのですか?」
「もちろんよ」
ヘルガーの問いにあっさりと答えるココアだが、各種センサーと超小型カメラは体の各所に生成している。
万が一にも不覚を取る訳にはいかないし、これ以上ふざけた態度を取らせない為にも初手から圧倒して格の違いを見せつけるつもりなのだ。
人間よりも遥かに優れたスピードとパワー、そして各種オプションを生成できる人工細胞製のボディは、それ自体がもはや武器と言えよう。
「マーシュさんは得物はどうされるのですか?」
「私もこのままで。万が一にもココア様を傷つける訳にはいきませんからな。あ、ココア様は遠慮なく打ち込んで下さって大丈夫でシュので」
「言ってくれるじゃない。けど、そんな心配は無用よ。手足を斬り落とされたってココアは治るもの」
同じ問いにマーシュもココア同様の答えだ。
だがマーシュのココアを慮った発言にはココアはカチンときた様で、その瞳が更に冷ややかな色を帯びる。
「そ、そうなんですか!? で、では、勝敗の方はどうやって判断しましょう?」
手足を斬り落とされても治るというココアの発言に驚くヘルガーだが、それだけではルールが不十分だと双方に問い掛ける。
「そうでシュな……制限時間は三分。それまでに私が戦闘不能になればココア様の勝ち、耐え凌ぎつつココア様の背中に手を三回付けられれば私の勝ち、という案は如何でしょう?」
「随分と舐められたものね……」
するとマーシュが少し思案して提案するのだが、ココアの眼光はより一層鋭く、氷の様な冷たさを放つ。
突然気温が下がった様な感覚に、周囲の男達が身震いしている。
「いえいえ、決してココア様を侮ってはおりませんぞ。女性は愛でるものであって殴って良い存在ではありませんからな」
「そう。なら、ココアは構わないわ。じゃあヘルガー、開始の合図をお願いね?」
だがまるで動じていないマーシュがにこやかにフォローを口にすると、ココアは小さく息を吐いてマーシュの案を了承し、ヘルガーに開始の合図を任せた。
とは言え、ココアは別にマーシュの案に納得した訳では無い。
マーシュにどんな理由があろうとも、自分が圧倒的に有利な条件だからだ。
それでも案を了承したのは、マーシュを叩きのめして溜飲を下げよう、と考えたからである。
「わ、分かりました……」
そんなココアの心情をその纏う雰囲気から感じ取ったヘルガーは、最悪の事態は自分が身を挺して止めねばならない、とごくりと息を呑んで応じるのだった。
「ふシュッ、ふシュッ」
静かに半身で立つココアに対し、準備運動らしきものをしているマーシュ。
何故らしきものなのかと言うと、手足をばたつかせているだけに見えるからだ。
だがその表情から本人は大真面目に取り組んでいるらしく、それを胡乱気な目で見るココアは、やっぱり手加減した方が良いかも、と思い直していたりする。
「ふシュッ、ふ、シュ~~~」
「んっ、んんっ」
そんなマーシュが最後の仕上げとばかりに両手を前に突き出したままぐっと腰を落として長い息を吐き出すのを見て、思わず目を逸らして咳払いするココア。
忘れていた笑いがぶり返しかけたらしい。
「そろそろ、よろしいでしょうか?」
「いつでも」
「うむ」
マーシュのウォーミングアップが済んだと判断したヘルガーに問い掛けられて、ココアもマーシュも応じつつ互いに視線を固定する。
相変わらず半身で気負いなく立つココアに対し、マーシュはボクシングの構えの様にやや前傾姿勢で、肩幅程に開いた足で交互に音も無くリズミカルにステップを踏んでいる。
「では……はじめっ!」
「シュッ!」
「ッ! ッ!?」
開始の合図が掛かると同時にココアの正面やや左側に突進するマーシュ。
見た目を裏切る踏み込みの速さに自然と警戒心が引き上げられるココアが、目を見開いて固まった。
マーシュがココアの二メートル手前で転んだのである。
「ぶふうっ! ちょ、ちょっと真面目に――」
「ふシュッ!」
「――ッ!?」
思わず吹き出すココアが文句を付けようとして、息を呑む。
マーシュがココアの足元右側に潜り込んでいたからだ。
「うわあっ!」
「ふぁ~~~っ」
思わず叫んで苦し紛れの蹴りを放つココアが、再び目を見開いて固まった。
蹴りをモロに喰らったマーシュが、情けない悲鳴と共に転がっていったからだ。
「ふひいっ、あ、あん……たっ! ぶふっ! ひ~っ、卑怯っ、者おっ!」
堪らず吹き出してしまうココアが泣き笑いの様な顔で叫ぼうとするが、断続的に腹筋が痙攣してしまってはっきり言葉を紡げない。
周囲の男達も肩透かしを喰らった様な何とも言えない表情になるが、一部の者はココア同様に吹き出してしまっている。
「――シュッ!」
「えひっ!?」
そこへ転がるマーシュが突然弾ける様にココアへと突進、虚を突かれたココアが悲鳴と共に再び蹴りを放つ。
「まジュ一つ」
「いやあああっ!?」
だがココアの足に感触は無く、代わりにぺたりとした生温い感触を背中に感じてココアは絶叫しながらその場を飛び退き、自分の居た所へと目を向ける。
そこには腰を落として掌底を放った姿勢のまま残身するマーシュが居た。
「ど、どうやって……」
「蹴りを避けて回り込んだだけでシュぞ?」
「あ……ッ!」
一本取られた事が信じられず、思わずココアの口を突いて出た言葉にマーシュが残身を解いて答えると、ココアは今更ながらに今の攻防の各センサーの解析結果を知って呆けた声を漏らし、次の瞬間には真っ赤になって足を閉じてスカートの前を押さえた。
解析結果によると今放ったココアの蹴りは余程慌てていたのだろう、最初の蹴りよりも打撃点が高かった為に、マーシュに潜られてしまっていたのだ。
それでもいくら慌てていたとは言え、ココアの蹴りを躱すマーシュの反射神経は瞠目に値する。
だがココアはそんな事よりも、股下を潜られた事の方がショックだった様だ。
今日は膝丈の大人しめのスカートであるが、蹴りを放った所を潜られてしまえば下着が丸見えだからである。
「ご心配には及びませんぞ、ココア様。このマーシュ、女房一筋でシュので」
「こっ、答えになってないわよ! み、見たの!?」
それをマーシュも分かったのだろう、ココアを安心させようとするのだが、逆にココアに詰問されてしまう。
「ふシュッ!」
「ひぃっ!?」
だがマーシュはそれに答えずココアに急接近、再び虚を突かれたココアが怯えた様に硬直して悲鳴を上げる。
「見ておりませぬ!」
そんなマーシュがココアの直前で急停止、ココアの問いに真摯に答える。
本人は大真面目の様だが、ココアにしてみればふざけているとしか思えない。
「――ッ、このっ!」
「シュッ!」
なのでその横っ面を張るべく右腕を振るうココアなのだが、マーシュはやはりと言うべきか、独特な息遣いと共に回避する。
「っく、そこっ!」
「ふシュッ!」
「ちいっ!」
「ふシュッ!」
冴えわたるマーシュの動きに、ココアの攻撃がことごとく空を切る。
先程の攻防のせいで蹴りを控えているにしても、攻撃がまるで掠りもしない事にココアは焦り混乱する。
「なんでっ!」
「むシュッ!」
「うぷっ――びやあっ!」
それでも次々に攻撃を繰り出すココアだったが、聞き捨てならない音を拾ったが為にまたも思わず吹き出してしまい、背中のべっちょりとした感触にまたも悲鳴を上げてその場を飛び退いた。
「これで二つでシュな」
確認する様にマーシュがココアに話し掛けるが、ココアの様子がおかしい。
両手で顔を覆って肩をビクンビクンさせながら「ひーっ、ひーっ」と呼吸困難に陥っている。
両手の隙間から、「むシュッって言った……むシュッて……死ぬぅ……」なんて声が漏れ出している。
マーシュが現れてからずっと情緒を搔き乱され続けた結果、ココアさんとうとう壊れてしまったのかも知れない。
周りの面々はそんなココアを哀れみつつも、戦慄の表情でマーシュを見ている。
あの圧倒的な強さを誇るココアを戦闘不能に追い込む、反則紛いの容姿や言動に気を取られがちだが、マーシュは初回以降一発も被弾していないからだ。
「では三つ目も頂きまシュかな」
「ちょ……ズル……い……待って……」
そうしてマーシュが三本目の奪取を宣言するのだが、笑いに完全に蝕まれているココアに即座の戦闘再開は難しく、ぷるぷると震える片手でマーシュを制しながら待ったを掛ける。
「ズルいとは心外……このマーシュ・マウロ、勝負にはじぇったいにちぇをにゅくこてぉは……しにゃいのでっシュ!」
「いひぃぃぃっ! 何を言ってるのかっ、分から……ひぃぃぃん!」
だがズルいと言われたからなのか、はたまた「待て」が気に入らなかったのか、マーシュが自身のポリシーを声高に叫び、それを聞いたココアは奇声を上げながら膝から崩れ落ちた。
これには周囲の男達も大半が思わず吹き出してしまい、これ以上笑うまいと顔を背けてぷるぷると耐えている。
『ココア! しっかりしなさい!』
「姉しゃまっ、たっけて! ひーっ、お腹が苦しくてっ! ひーっ、ひーっ、こ、降参っ……ひーっ、降参しゅるっ! からっ!」
そこへミルクが叱咤の通信を送るのだが、既に限界を迎えているらしいココアは人目を憚る事無く姉に助けを求め、のしのしと向かってくるマーシュに気付くと、呼吸困難に陥って涙まで流しながら、遂には降参を口にした。
「私を見てそんなにお笑いになるのはココア様だけでシュぞ。私のどこがそんなに面白いのでシュか?」
「ひーっ、全部っ! 全部なのおっ! ひーっ、ひーっ」
そこへやって来たマーシュがしゃがみ込んで不思議そうに問うのだが、もう今のココアにはマーシュのとぼけた様なきょとんとした顔ですらも面白く、ひきつけを起こしそうになりながら答える。
誰もが残念そうな目でココアを見ている。
もう先程までの凛々しいココアを覚えている者は居ないかも知れない。
「それは……本望でっシュ!」
「ひーーーっ!」
そんなココアの答えにマーシュが満面の笑みを浮かべて声を張り上げると、遂にココアは奇声と共に地面へと倒れ込んでしまった。
どうやらシステムがダウンしたらしい。
そしてマーシュの一連の言動は、やはりココアを笑いの渦に引き込む為のものであったらしい。
「「せ、先生!?」」
「「ココア様!」」
男達が慌てて駆け寄るが、地面に突っ伏したままココアはビクンビクンと白目を剥いて痙攣を繰り返している。
「マーシュさん、凄えっすね!」
「これはこれは。リュウ様、ありがとうございまシュ。ただ少々やり過ぎてしまいました様で……」
そんな中、観客席からやって来たリュウが笑いながらマーシュに興奮気味に話し掛けると、マーシュは恭しく頭を下げ、次いで申し訳なさそうに額の汗を拭う。
その間にミルクがココアの下へ行き、皆が見守る中でココアを再起動させる。
「ふひっ……もう無理っ……ひひっ、ひーっ、苦しいっ、死ぬぅぅぅっ……」
「――ッ、…………」
だが目覚めた途端にココアが泣きながら笑い出し、ミルクは無言のままココアのシステムを強制停止させてしまった。
再びカクンと糸が切れた様に地面に突っ伏すココアを見て、皆が顔を見合わせておろおろする。
「ったく……しょうがねえな、こいつは……」
「やはりやり過ぎました……申し訳ないでシュ……」
なのでリュウが苦笑いしつつココアを軽々と持ち上げて肩に担ぐと、マーシュがしゅんと縮こまって頭を下げる。
「いやいや、それ以上に良いもの見せて貰いましたし。ココアも良い勉強になったでしょう。気にする事は無いっすよ」
「そう言って頂けると助かりまシュ……」
「でもこれじゃこれ以上の見学は無理だな……まぁ、一応見学は出来たし、細かい部分はまた見に来れば良いか……」
「そ、そうですね……」
だがリュウはそれを笑って済ませ、ミルクも同意した事からこの後の見学を中断して引き上げる事にする。
「何だよ大将、勝ち逃げかよ……」
「仕方ねーだろ……明日ちゃんと送ってやっからさ」
「分かった。んじゃ明日の朝、王城で」
そうして明日から魔人族領へ視察に向かうリゲルの見送りを約束するリュウは、残りの面々とも挨拶を交わした後、アイスとミルクを連れて闘技場を後にする。
見送りの面々が見えなくなった所で転移門で帰宅するリュウは、そこでココアを目覚めさせるのだが、案の定ココアはトラウマを抱えてしまった様で、しばらくは突発的に泣き笑いを繰り返す様になってしまう。
そんなココアの不安定な情緒も獅子の集いから信頼を得た事が功を奏した様で、彼らの要請を受けて足を運び、先生と呼ばれる内に次第に解消されていく。
そうすると獅子の集いの中に有った武芸者へのわだかまりも自然と薄れてゆき、両者間のトラブルは減少どころか友好的な関係が築かれていくのだった。
いつも読んで下さり、ありがとうございます。
今回が今年最後の投稿になりますが、楽しんで頂けましたでしょうか…
感想頂けると幸いです。
今年は最も投稿が少ない年になってしまい、申し訳ありません。
来年は完結目指して頑張ります。
では皆様、よいお年をお迎え下さい。m(_ _)m




