25 闘技場にて
「お~、良いじゃん。コロッセオっぽくて」
「実際のコロッセオよりは二回り程小さいですね」
「そなの? まぁ、実際に見た事無いからその辺は分かんねえんだが……」
闘技場に辿り着き、その見た目に口元を緩めるリュウは、ミルクの簡単な説明にぽりぽりと頬を搔きながら入口らしき場所に見知った人物を見付けて歩き出す。
「よお、大将! 思ったより早い到着だな!」
「あれ、何で居るの? 魔人族領に視察に行ったんじゃねーの?」
近付くリュウに笑顔で話し掛けるのはリゲルであった。
視察に行ったと思っていたリゲルがこの場に居る事に、リュウの方はきょとんとした表情である。
「それが、手土産を用意するまで待てって政務官に止められてよ。ようやく明日、出発するんだよ。そしたら今日、大将がこっちに来るって言うじゃねえか。なら、バナンザまで転移門を開いて貰おうと思ってさ」
「……何で知ってんだよ?」
なのでリゲルがその辺の事情を説明するのだが、転移門について知らせていないはずのリゲルがそれを知っていて、抜け目なくお願いしてくる調子の良さに思わずジト目になるリュウ。
「式典の時、城に迎えを寄越したろ? あの時、俺も城に居たんだよ。魔人族領について色々知っとかなきゃいかなかったからな」
「誰にも言ってねえだろうな?」
だが説明を聞いて納得したのだろう、リゲルの耳元で声を絞って確認する。
「そこは信用してくれ。ガースも口は堅いから心配無い。って訳で、頼むぜ大将」
「……ちゃっかりしてんな……ま、良いけどさ」
「さすが大将! 懐が深いねえ!」
するとリゲルも小声で応じ、リュウがため息混じりに了承すると、満面の笑みを浮かべて喜びを露わにする。
「その代わり、ここの説明頼むぞ? どうせそのつもりで情報仕入れてんだろ?」
「あ~、正式名称は多目的野外観覧場。直径百三十メートル、外周約四百メートル、観客収容人数は約一万人にもなるという、人の地最大の施設だ。以上!」
「は? それだけかよ!?」
「仕方ねえだろ。俺だって昼前にやって来たばっかなんだからよ」
なので代わりに闘技場の説明を求めるリュウであったが、リゲルは簡単な概要を述べただけで説明を終えてしまい、声を裏返すリュウに悪びれもせず肩を竦めた。
「ま、とにかく中に入ろうぜ。ちょうど今、面白い事やってんだよ」
そうしてリュウが唖然とする間に、わざとらしく明るい声で皆を促して闘技場へ入って行くリゲル。
そんなリゲルにぐぬぬ、となりつつ後に続くリュウに三姉妹も苦笑を浮かべつつ付いて行くのだった。
リゲルの先導で少々薄暗い通路を抜けたリュウ達は、赤茶けたグラウンドを少し見下ろす形で観客席の最前列に出て来ていた。
「お、何かやってる。それにしても……思ったより小さいな……」
「野球場じゃないんですから、ご主人様ぁ」
「内径は六十メートルくらいですね。十分な広さだと思いますよ?」
そのグラウンドの中央で三十人程の男達が何かをしている様だが、リュウが気になったのはグラウンドの大きさであり、ココアとミルクに苦笑いを頂戴している。
「ありゃあ、ヘルガー達と獅子の集いの連中か……一体何やってんだ……」
「ん? 知り合いなのか?」
「左の五人はな。右の連中は獅子の集いっていう、面倒臭え連中だよ」
「あ~、やっぱそういう認識なのか……」
リゲルは男達の一部に見覚えがある様で、その呟きにリュウが問い掛けるのだがリゲルのうんざりした様な表情を見て、同情する様に苦笑いを溢す。
「あ? 連中を知ってるのか大将?」
「ちょっとだけな。実はさっき酒場でさ、イカサマ博打の取り立てに三人程やって来て、美人ママさんにあっさりやられて退散してた」
「さすが姐さんだ」
そのリュウの反応に今度はリゲルが意外そうに尋ねるのだが、説明を聞いて納得したらしく、嬉しそうに口元を綻ばせる。
「知り合いだったか」
「姐さんを知らない武芸者なんて居ねえよ。荒くれ者が多いこの辺じゃ、女主人の酒場なんてそこしか無えしな。引退するまで武芸者五強の座を譲らなかった凄腕で俺のナイフ投げの師匠だ」
そのリュウの反応に今度はリゲルが意外そうに尋ねるのだが、リュウから説明を聞くと嬉しそうに口元を綻ばせてエメルダが如何に強いかを語り、自分の師匠だと胸を張った。
「へえ、そんなに強い人だったのか。確かに一瞬の早業だったもんなぁ」
「そうだろう、そうだろう」
まるで自分の事の様に得意気なリゲルに、リュウもつい先程の出来事についてを感心した様に呟くと、リゲルが心底嬉しそうにうんうんと頷いている。
そんなリゲルにリュウの背後の三姉妹もほっこりとした表情にさせられている。
「あれだと掴むのは厳しいかもな。誰かさんとは違って……」
「悪かったな! 不肖の弟子で!」
「まぁまぁ。そう怒んなって」
なのにリュウの要らぬ一言でほっこりした空気が台無しになるのだが、リゲルを笑って宥めるリュウに悪びれる様子は皆無で、三姉妹の呆れた様な目を向けられている事にも気付いていない様だ。
そんなリュウ達の下に強面ながらも目元に笑みを湛えた紳士然とした四十代半ばらしき男が一人、歩み寄って声を掛ける。
「失礼ながら、星巡竜様と御使い様でいらっしゃいますか?」
「あ、はい。そうですけど……」
「おお、やはり。お初にお目に掛かります、私はハサン・ザイードと申しまして、ここより南にてささやかながらではありますが、民の生活向上のお手伝いをさせて頂いている者でございます」
問われたリュウが何だろうと思いながらも肯定すると、男は笑みを深めて自分が何者であるかを名乗り、右手に胸を当てて恭しく頭を下げた。
「はい……あ? んじゃ、獅子の集いっていう旧アルマロンドの……」
「なんと、既にご存知頂いているとは恐縮でございます」
ハサンと名乗った男の自己紹介を受けて適当に会釈しかけるリュウであったが、やや遅れて先程のエメルダの話と男が結び付いた様で、その口を突いて出た言葉にハサンは嬉しそうに再び頭を下げる。
強面な容貌とは裏腹に柔和な表情と紳士然とした態度は、部下には厳しく民には優しいルーク・ボルドを始めとするノイマン騎士団の面々を思い起させ、リュウは勝手に抱いていた狡猾で信用置けない人物というイメージを慌てて修正する。
それは三姉妹も同様らしく、目をぱちくりさせて互いを見合っている。
リゲルもハサンには初めて会ったのだろう、興味深そうな目で彼を見ている。
「いやぁさっき、エメルダさんの店でトラブルがあって、居合せたんですよ……」
「そ、それは失礼を致しました。いや、お恥ずかしい限りで……部下達には武芸者とは関わるなといつも言っておるのですが……いやはや、困ったものです……」
だが自分達を知る事となった経緯を苦笑するリュウから聞かされると、ハサンは慌てて謝罪しつつ冷や汗を拭うのだが、ぴしゃりと額を叩くとため息と共に嘆きを溢した。
そんなハサンの姿に、リュウ達は苦笑する以外に無い。
「なんか、大変そうですね……」
「武芸者達の強さは噂以上でした。なのにその実力差を見せつけられても馬鹿共は見返してやると息巻く始末で……。いや、実力差を見せつけられたから悔しいのでしょうが、中にはどんな手を使ってでも彼らに一矢報いたいなんて馬鹿も出て来る始末で、手を焼いておるのですよ……」
「あ~……はは……」
「それで此度は闘技場建設中に誼を得たヘルガー殿にお願いして、部下共に稽古を付けて頂いておるのです。汗を流せば鬱憤も少しは晴れるだろうと考えておったのですが早計でした……実力が違い過ぎて、余計に事態が悪化しそうです……」
「「あ~……」」
思わずリュウが同情の声を掛けると、聞いて貰えますかと言わんばかりに嘆きを溢すハサン。
苦笑いの尽きないリュウ達であるが、ハサンの視線の先、闘技場の中央で武芸者相手に無様に転がる獅子の集いの連中を見て、何とも言えぬ声がリュウとココアの口から漏れ出る。
「ちょっとあれは、地力が違い過ぎる気が……」
「なんか、かわいそう……」
「ヘルガー達も悪い奴じゃねーんだが、あいつら手加減下手だからなぁ……」
ミルクが困った様に口を開くとアイスは思ったままを口にし、リゲルはさすがに身内の肩を持つも、人選が悪いと言わんばかりに肩を竦めた。
その最中にもまた一人、剣を飛ばされて棒立ちになったところに容赦ない追撃を喰らって地を転がった。
「ちょっと一方的過ぎますぅ! ご主人様、ココアちょっと助っ人に行っても良いですか?」
武芸者の容赦の無さにココアは我慢出来なくなったらしく、主人に助っ人に行く許可を求めた。
「どうすんだよ?」
「現状でもかなり改善できる余地が有るので、アドバイスしてきます!」
「そか。んじゃ、任せるわ」
「はい!」
「おお……ありがとうございます!」
リュウは憤慨するココアが暴走しやしないか、と一応どうするつもりかを尋ねてみるが、ココアが意外に冷静だと判断して許可を出した。
するとココアは満面の笑みでグラウンドへと通路の仕切りをひらりと飛び越え、ハサンは感激を露わに頭を下げるのだった。
「ちょっと見てらんないわ、あんた達……ココアが特別に手ほどきしてあげるから感謝しなさいよね」
「ココア……えっと、もしかして……み、御使い様?」
「そうよ」
突然やって来て居丈高に宣う美女に、ぜえぜえと地を這ったまま荒い呼吸を繰り返す獅子の集いの男達が悔しそうな表情を滲ませる中、ココアの名前にピンと来た一人の推測をココアが肯定した事で、その場の空気がざわめく。
「そこの二人、持てるだけの材木と布切れを貰ってきてちょうだい。建設の余りが有るはずだから。他のみんなは、それまでちょっと休憩してて」
「は、はい」
そんな空気を物ともせず、ココアは武芸者の二人に指示を出して残りの三人には休む様に言うと、獅子の集いの面々に向き直る。
そこには二十代半ばくらいの男が二十余名、上半身をすっぽりと覆い隠せる程の盾を左手に持っている。
「あんた達の盾を構えて剣を振るスタイル、悪くはないけど守る分だけ攻撃の手が遅れるのよね。武芸者が相手だと攻撃が当たらないでしょ?」
「……はい……その通りです……」
「読まれてるのよ。どんなに色んな型を駆使したところで、攻撃を盾で受けた後の反撃する流れは単調になりがちだから、対処されやすいのよねぇ」
ココアに問い掛けられて正面に居た男が苦い顔で答えると、ココアはそれが何故なのかを答えてやりながら肩を竦めた。
「そんな! 代々民を守って来た伝統の剣技なのに!」
「だからなのよ。伝統ある剣技だからみんなが学ぶ。すると技量の違いは有っても誰もが同じ剣技を使う訳でしょ? 武芸者にしてみれば、誰もが良いお手本なんだから、早い段階でその欠点に気付いちゃうのよ」
「え……欠点……?」
すると別の若い男が声を荒げ、動じる事無く諭す様に応じるココアを睨みつけていたのだが、欠点という言葉が意外すぎた様で目を見開いて小さな呟きを漏らす。
「受けてから攻撃する、その流れそのものですか……」
「そういう事ね」
そこへ正面の男が納得した様に口を挟むと、ココアは目元を和らげて頷いた。
エメルダの店で会った男達とは違い、男の瞳には純粋な武に対する真摯さが見て取れたからだ。
「そんな! だったら、どうすれば! 折角、学んだ技を今更――」
「誰も捨てろなんて言わないわよ。ただ工夫が必要なのは確かでしょ? 代々受け継がれた伝統の剣技でも完成されてる訳じゃないんだから、もっと磨かないと」
「ですが我々には、代々受け継がれてきた戦い方しか……ど、どうすれば……」
だが若い男は我慢ならなかった様でココアに食って掛かるのだが、言わんとする先をココアにぴしゃりと否定されて口を噤む。
そうして続くココアの言葉にまだ強くなれる要素が有るのだと理解するものの、その方法が思い付かずに正面の男が困惑のままにココアに問い掛ける。
見れば他の男達も同様の思いだった様で、ココアに縋る様な目を向けている。
「まぁ、それに関しては材料が届くまで待って。そしてあんた達。ちょっとくらい手加減してやりなさいよね。教えを乞う者の心まで折ってんじゃないわよ」
「えっ……いや、す、すみません……つい、いつもの癖で動いてしまって……」
だがココアはそれには待つ様に伝えると、くるりと武芸者達の方へと向き直ってジト目で苦言を呈した。
するとリーダー格らしき筋骨隆々な男が、頭を掻きつつぺこぺこと頭を下げる。
この男がリゲルが口にしたヘルガーで、現役の武芸者の中でも上位に名を連ねる強さを誇るのだが、アイスに無理矢理チューさせられた苦い経験から、その御使いであるココアにもかなりビビッている様である。
「ま、仕方ないわね。本気で向かって来る相手に手加減するって、そんな生易しい話じゃないものね。でもココアが来たからには大丈夫。双方共、ちゃーんとレベルアップさせてあげるから期待してなさい」
そんなヘルガーに肩を竦めつつも理解を示すココアが一変、明るい雰囲気と共にレベルアップを宣言して堂々と胸を張る。
それを受けてその場に居た男達は、一斉に色めき立つのであった。
お待たせ致しました。
風邪でくしゃみが止まりません…。
寒くなってきたので、皆様も健康には
お気をつけください。




