20 新生活の一コマ
エルナダとウィリデステラ各国の国交が結ばれて三ヶ月、ウィリデステラの各国ではインフラ整備に従事するエルナダの技術者や軍人が、今や当たり前に見られる様になっていた。
最初は見慣れぬ軍人達が見た事も無い大掛かりな乗り物や道具を使い、自分達の町の道路を次々と掘る様子を各国の人々は不安そうに見守っていたが、町の井戸を汲まなくてもレバーを捻れば水が得られる、水道なる設備が町の所々に配置される様になる頃には、エルナダ軍は町の一員として歓迎される様になっていた。
これは工事の成果が町の人々に分かり易く目に見えた事が大きな要因であるが、エルナダの技術者や軍人達がウィリデステラの文明レベルやそこで生活する人々の事をきちんと学び、真摯に対応する様に指導されていたからである。
それを統括する現地最高責任者であるソートン大将の功績は誰もが認めるところであるが、言語の壁を取り払うアイスの力が有ってこそなのは言うまでもない。
「アイス様、いつもありがとうございます。言葉の壁が取り払われるだけで兵達のストレスの溜まり具合が違いますからな。本当に有難く思っております」
「お、大袈裟だよう……アイスはみんなに仲良くして欲しいだけだから……」
「そのお気持ちだけでも嬉しいのに、こうして本当に言葉が通じる様になるのですから、大袈裟ではありませんぞ?」
「えへへ……」
リュウ達が宿舎建設を手伝った、マーベル王国フォレスト領北部のエルナダ駐留部隊本部では、増援要請を受けて新たにエルナダから派遣された支援部隊に竜力を施したアイスが、ソートン大将に頭を下げられて謙遜するものの、ソートン大将の優しげな笑顔にちょっぴり頬を赤くしてはにかんでいる。
その様子に整列したまま自然と笑顔になる今回の補充要員は一千名、これでこの地で活動するエルナダ軍は当初の予定を大きく上回って一万名となっていた。
補充要員は宿舎やその他施設が増設されてより広くなったこの本部に転移され、十日程の現地研修を経て各方面に配属される事になっている。
彼らのこの地での支援活動並びに鉱物資源採取に最も欠かせないのが、リュウによる惑星間転移であり、照れるアイスからその横のリュウへとソートン大将が話し掛ける。
「リュウ殿もお疲れ様でした。それにしても、いつ見ても壮観な転移門ですな」
「早く常設出来る様になると良いんですけどね……まだまだ勉強不足で……」
ソートン大将に微笑み掛けられるリュウが、ぽりぽりと鼻の頭を掻いて苦笑いを溢す。
転移門は大人数を短時間で転移させるべく幅五メートル、高さ三メートルと巨大にはなっているが、運用方法は以前と変わらず使用する時にだけリュウが設置する方法を取っている。
これは万が一の事故を懸念しての措置な訳だが、元来面倒臭がりのリュウらしく毎回転移の度に呼び出されなくても済む様に改良出来ないか、と自身のコアの力を把握するべく日夜格闘中である。
「何を仰る、これだけでももの凄い事ですぞ。なのにまだ高みを目指すそのお志、さすがリュウ殿は本当のヨルグヘイム様に認められたお方だ」
「あ~、いや……はは……」
なのにソートン大将にキラキラした目を向けられて、アイス同様に照れてしまうリュウ。
ソートン大将が自分達に好意的なお蔭で様々な要望が通っているのは有難いが、毎回べた褒めされるのは勘弁して欲しいと思うリュウは、そろそろ逃げ出す頃合いかとバックパックから紙袋を取り出す。
「ああ、そうだ……これ、例のやつです」
「これはこれは。また新しい銘柄ですな。いつもありがとうございます」
小声のリュウから紙袋を受け取りつつ、素早く中身を確認するソートン大将が、やはり小声で頭を下げる。
リュウが渡したのは日本に戻った際に購入した日本酒と数種類のおつまみだ。
初めて手渡した際にソートン大将がいたく気に入ったらしく、以来リュウは帰郷する度に逃げ出す良い口実として買っているのだ。
それはソートン大将も察しており、互いにニヤリと笑みを浮かべた後にリュウは巨大な転移門を消し去って新たな転移門を出現させ、アイスを伴ってその場を去るのであった。
マーベル王国フォレスト領から転移したリュウは、グーレイア王国の支援部隊が集まる一角へとやって来ていた。
そこはエシャント、カーギル、ブエヌの三部族の保護区が有った東側に位置する荒地であり、娯楽施設建設とは別に地質調査を行っている場所であった。
リュウはそこに先行していたミルクから、問題発生の報告を受けていたのだ。
「お疲れ様です、ご主人様、アイス様」
「おう、お待たせ。で、問題って何だ?」
「地質調査班が試掘しようとしたのですが、この一帯はどこも数メートル掘るのが限界だと……」
「ふーん、そんな硬いのか……岩盤でも有るのか?」
「いえ、岩盤ではなくてアウラ鋼クラスの非常に硬い鉱物が堆積物に多く含まれているのではないか、との事です」
「なるほど……で、俺の出番って訳か」
「お願いできますか?」
挨拶もそこそこに問題の詳細を報告するミルクは、だから俺を呼んだのかと納得する主人に安堵しつつも、上目遣いでお願いして見せる。
何故ならつい先程までミルクは、主人が「めんどくせえ~」などと言い出したらどうしよう、と一人やきもきしていたからである。
三ヶ月前の調印式から十日後に十七歳の誕生日を迎えたリュウだが、生来の不精癖は相変わらずでミルクは未だに振り回されてばかりなのだ。
「可愛いお前のお願いを俺が断った事があるか?」
「はうっ……あ、ありがとうございますぅ……」
そんな主人のニヤリともしない真面目な表情での返事に、ミルクの顔が真っ赤に染まる。
思わず両手で頬を覆い隠してイヤンイヤンと身をくねらせるミルクだが、その時にはニヤリと笑ってミルクに背を向け、どこを掘れば良いかとエルナダ兵に尋ねているリュウである。
そんなリュウのやり口を呆れた様に見つめるアイスであるが、自身も相変わらず食べ物に釣られているのだから、さすがはミルクの創造主というべきであろう。
そうこうする間に試掘場所が決まり、リュウが右手に直径二十センチの光の玉を発生させる。
この玉は、リュウがエルナダのエルナ山を超高火力で内側から分解させた竜力砲とは違い、射線上のあらゆる物体を貫通してしまう、危険極まりない代物だ。
便宜上、消滅球と呼んでいるこの光の玉は、大きさは自在に変えられるものの、込めた竜力が尽きるまで直進する為に射程距離の設定が難しく、リュウを現在進行形で悩ませる能力の一つである。
一度試しに自宅の庭に撃ち込んでみた時は、出力を極力絞ったのに五百メートル程の穴を開けて地下水が噴出、一帯を水浸しにしてしまって慌ててソートン大将に泣きついてエルナダ軍を派遣してもらい、ノイマン領の新たな水源として事なきを得ている。
しかし今回は水を掘り当てるのが目的なので、リュウは練習を兼ねてこの能力を使う事にしたのだ。
「よし、発射すんぞ!」
発射された光の玉が音も無く、埃すら立たせる事無く一瞬で地面に穴を穿つ。
それを目の当たりにするエルナダ兵や技術者が「おお!」とどよめきつつ、恐る恐る穴を覗き込み、ケーブルで繋がれた測定機器を投入すべく、てきぱきと準備を始めた時だった――
「あっづ!?」
「「きゃあっ!?」」
「うわっ!? 退避! 退避!」
突然穴から凄い勢いでお湯が噴き出し、その場に居たリュウ達やエルナダ兵達が慌ててその場から退避する。
「ご主人様、逃げちゃダメです!」
「あ? いや、今は――」
「もっと大きな消滅球を出して下さい! 急いで!」
「そんな事言われても……ああ、なるほど! これで防ぐ訳か!」
だがミルクに呼び止められたリュウは、困惑しつつもミルクの指示に従って消滅球を発生させ、それを頭上に掲げて納得する。
消滅球が傘代わりになると分かったリュウは、そのまま消滅球を直径二メートル程の大きさにしてお湯を防ぐ。
「それを発射せずに穴に押し当てて下さい!」
「こうか! んで、どうすんだ?」
「そのまま横に移動して溝を作ったら、そこに下りて走って下さい!」
「は?」
そしてミルクの指示通りにお湯の噴出自体を止めるリュウであったが、ミルクの次の指示は意図が分からず困惑する。
「いいから早く! 誘導しますから走って下さい!」
「こ、こうか? あっづ! あっづぅ!」
だがミルクの必死さ溢れる声に流されるリュウは、消滅球によって掘られた溝に飛び降りると、再び噴き出すお湯を浴びながら消滅球を押す様にして悲鳴を上げてとにかく走る。
「そこで右です! 頑張って下さい! 早く、早く!」
悲鳴を上げながらもミルクの指示に従って、溝を作りながら駆けるリュウ。
退避したエルナダ兵達からリュウの姿は見えないが、噴出するお湯を中心にして右へ左へ光と共に幅二メートル程の溝が出来ていく。
そうする内に溝に溜まったお湯のお蔭でお湯の噴出は止まり、ひぃひぃと湯気の中からリュウが這い出て来た時には、十五メートル四方程のお湯のプールが出来ていた。
「ご主人様、お疲れ様です!」
「よくもこき使ってくれたな、ミルク……全身ずぶ濡れじゃねーか……」
「あう……ひ、被害を最小限にするには仕方なかったんですぅ……でもぉ、これで念願の温泉が作れるじゃないですかぁ……」
「まぁな……しかしかなり熱いぞ?」
笑顔で労いの言葉を掛けてくるミルクにジト目を向けるリュウは、目を泳がせるミルクの言い訳にそれもそうか、と肩を竦めるに留める。
ミルクの言う通り、温泉はリュウが高い集客率を見込めるだろう、と計画の初期段階からグーレイア王国の娯楽施設の欲しい物リストに挙げられていたのだ。
「それは水で薄めるとか、エルナダの技術班が何とかしてくれますよ。それよりもそのままじゃ風邪引いちゃいますから、後はエルナダの皆さんにお願いして、家に戻りましょう」
そうして事後処理をエルナダ軍に任せ、リュウ達は転移門で慌ただしく新居へと帰るのだった。
リュウの新居はマーベル王国ノイマン領の北西に有る、リーブラの町の中央よりやや西に位置し、北側の街道からの訪問客を考慮して北向きに建てられている。
木造二階建ての他の一般家屋とは違い、大人数での使用を考慮されている造りの為に居間や食堂は規格外に広く、それに比して台所や洗面所、浴室といった部屋も広く作られており、一階だけでも優に三倍程の面積を有している。
なので二階の部屋数は十にもなるのだが、現状はアイス、ミルク、ココア、小菊、グランの五人が使用するのみで、あとの五部屋は空き部屋でリュウの部屋はそこに無い。
リュウの部屋は二階が広い為に高くなった屋根の下、三つ有る屋根裏部屋の中で居住空間として十分な高さと広さを持ち、屋根にも出られる中央の一室である。
本当のところリュウは地下室を自室にしたかったのだが、アイス達と部屋を見て回って浮かれている間にドクターゼムに機材を運び込まれてしまい、抗議も虚しくそのまま占拠されてしまったのだ。
そんな訳で第二候補の屋根裏部屋を自室としたリュウであるが、天窓から夜空を眺められる上に、そこから外に出られるのは思いの外便利で、今ではお気に入りの場所となっている。
そんなお気に入りの自室で着替えを済ませたリュウは、一階に下りて濡れた服を洗濯機に放り込むと、いい匂いに釣られる様に食堂へと向かう。
リュウの家は他とは違って地下に発電設備を有しているので、洗濯機だけでなく冷蔵庫や電子レンジなど、エルナダ製の家電が豊富に用意されていたりする。
「小菊ぅ、これちょっとだけ摘まんで良い?」
「アカンよ、アイスちゃん。それサラダに使うから」
「え~、ちょっとだけ! ちょっとだけだから! ね?」
「じゃあ、ちょっとだけやよ?」
「わーい!」
台所で料理中の小菊にアイスが子犬の様にじゃれつくのを、リュウがやれやれと呆れながら食卓に腰掛ける。
このノイマン領の新居にリュウ達が越して来て三ヶ月になるが、この光景だけはほぼ日常的に繰り返されているからだ。
最初こそ色々と戸惑っていたものの、一月もすればすっかりウィリデステラでの暮らしに慣れた小菊は、今ではすっかり台所の主として皆の胃袋をがっちり掴んでおり、お茶会を経てご近所でも料理では一目置かれる存在となっている。
「天生君、温泉出て良かったね」
「お、サンキュ。……完成が待ち遠しいな」
「今晩のリクエスト、何かある?」
リュウに淹れ立ての紅茶を差し出して笑顔で話し掛ける小菊は、完成した温泉を想像したのだろう、ニンマリ笑うリュウにくすりと笑いながら今晩の献立の要望を尋ねる。
小菊を連れて来た頃は互いに変に意識してぎこちなかった二人であるが、今では以前以上に冗談も言い合うし、ちょくちょく一緒に日本へ買い物に行く程には仲は良くなっている。
とは言え小菊の告白以来、互いにその件には踏み込んでいない為、二人の関係に進展はない。
「う~ん……いや、出て来てからのお楽しみで良いよ」
「うん、分かった――ッ! アイスちゃん! ちょっとだけって言うたやん!」
リュウの返事に笑顔で応じつつ台所に目をやる小菊が、ぎょっとして叫ぶ。
ボウルに一杯有った、剥いたばかりの日本で買ってきた果物類が半分程になっていたからだ。
「ああっ!? いつの間にっ!? ア、アイス新しいの剥くから!」
小菊の叫びに我に返るアイスがボウルを見てガーンと叫びつつ、慌てて冷蔵庫にパタパタと走るのを見て、やれやれとリュウは紅茶を持ったまま席を立つ。
そうして台所へ向かったリュウは、背後の騒音を聞き流しつつ流し台の小窓から外に目を向ける。
家の東側にあたるその場所は、庭の垣根を挟んでミリィのレパード家とリックのベイカー家が見え、いつもの様にココアとミリィが笑顔でままごとに興じている。
ならばリックはどこか、とリュウが周囲に目をやる前に、台所脇にある勝手口のドアが開く。
「あっ、師匠! 今日は家に居るの?」
「おう、居るぞ~」
ドアを開けた途端、リュウを見付けて嬉しそうに話し掛けるリックに、リュウは紅茶を片手にのんびり答える。
人様の家に勝手に入らない、と母親からいつも口酸っぱく言われているリックであるが、この様にリュウも当たり前の様に応じてしまう為、効果は無いに等しい。
「じゃあさ、練習の成果見てよ!」
「お、自信満々だな。んじゃ、いっちょ見てやるか!」
「やった! じゃあ、ボウガン持って来るね!」
そんなリックはボウガンの上達振りを見て欲しいらしく、リュウも今日の予定を済ませた事で気安く応じ、リックは嬉しそうに家へと駆けだした。
実際、リュウが居る時以外はボウガンに触らないという約束であるにも拘らず、リックはめきめきと腕を上げ、今では十五メートル先の的なら一発も外さない。
普段はただのやんちゃ坊主なのにボウガンの練習はすこぶる真剣で、遊び半分で付き合っていたリュウもこれではいかん、とこの時ばかりは至って真面目に先生をしているのだ。
「ご主人様~」
「リュウ様、こんにちは~」
勝手口から外に出た途端、笑顔で手を振るココアとミリィにリュウも手を振って応じつつ、庭の南へ向かうリュウ。
そこにはボウガンの練習用の的と、外れた時の為の大きな衝立が有るのだ。
練習場に着いて庭の垣根にもたれ掛かるリュウを、カラリとした夏の日差しが照り付ける。
じんわりと体に染み込んでくる熱を感じながら、リュウは元気一杯に駆けて来るリックを優しい瞳で待つのだった。
またまたお待たせしてしまいました…
次回はもう少し早くお届けしたいと思っております。
m(_ _)m




