13 アイス、舞い上がる
リュウの地元駅から北へと三駅、そこは特急も停まる大きな駅があり、店の数も行き交う人の数もリュウの地元とは比較にならない。
それは年越しまであと三日と迫っていても変わりは無く、そろそろ昼食時という今は、人々の流れは様々な飲食店へと向いていた。
そんな駅前の一際大きなレストランの一角では、分厚いメニューに目を輝かせるアイスに対面のココアが微笑み、その横では椅子の背もたれに体を預けて脱力するリュウに、やはり対面のミルクが苦笑を溢していた。
「で、どうするんですかぁ? ご主人様ぁ……」
「どうって言われてもなぁ……はぁ……」
主人とエリとのやり取りを聞いていたミルクに今後の事を声を潜めて尋ねられ、リュウは体を起こしたものの、今度は前のめりに大きなため息を吐く。
エリと山を下りて神社で別れたリュウは、そのままミルク達と合流してこの場へやって来た訳だが、エリの頼みが予想外かつ深刻な内容だった為、心の整理が追い付いていないのである。
「アイス様ぁ、何にするか決まりましたぁ?」
「えっと、えっとぉ……このチーズハンバーグうまうまランチかぁ、国産パリパリチキンソテーランチ……でもでもぉ、特選海鮮丼セットも捨て難いしぃ――」
「こっちにも限定メニューが有りますよぉ?」
「ッ!? ふ、ふわふわ卵のハッピーオムライス……こ、これは食べないと……」
「ぶふっ、どれも美味しそうですもんねぇ」
「こ、この子達のどれかを選ばなきゃならないなんて……コ、ココアはどれにするの? ミルクは?」
だがリュウがエリから何を聞かされたのかを知らされていないアイスは、数々のメニュー写真を前に完全に舞い上がっており、ミルクが巻き込まれる様にアイスの会話に加わった事で、リュウもやれやれと一旦気持ちを切り替える事にする。
「お前が食べたい四つを選んで、みんなでシェアすれば良いじゃん……」
「えっ、良いの!?」
「声がでけえ!」
そうしてリュウが少しでもアイスの望みを叶えるべく提案するのだが、アイスがそれは嬉しそうに目を輝かせて叫んだ為に、周囲の客からの視線を感じてリュウは余計な事を言っちまった、と慌てる羽目になった。
アイスに気付いた周囲の客達が「めっちゃ可愛い」などと口々に言い合って盛り上がっている。
「あのぅ、アイス様ぁ……こ、これなんかどうでしょう?」
「ふわっ!? 可愛いっ――ひびびびびっ!」
「……静かにしねえと帰るぞ?」
「ごめんなさいぃぃぃ……」
そこへ珍しく空気を読まずにミルクが新たなメニューを見せてしまい、アイスを更にヒートアップさせかけるのだが、頬を引っ張るリュウにギロリと睨まれると、しゅーんと大人しくなるアイス。
だがそんなアイスのしょんぼりタイムも長くは続かない。
お待たせしました~、と次々と食事が運ばれてきたからだ。
ほくほくと湯気を立ててジュージューと音を奏でるハンバーグやチキンソテーにアイスの目はキラキラ、目の前に置かれた色鮮やかな海鮮丼には、緩む口元から今にもよだれが溢れそうである。
だがミルクの注文がまだ来てないので、すまし顔で大人しく座って待つアイス。
と本人は思っているらしいが、傍から見るアイスはリュウの顔をチラ見しつつ、料理をガン見してそわそわする、まるで「よし」の号令を待つ犬の様であった。
「アイス様、お先にどうぞ召し上がって下さい」
「いっ、いいの!?」
「おい――」
「ご主っ……リュ、リュウ君も冷めちゃうので、お先にどうぞ……ココアも……」
「そか? ま、ずっと楽しみにしてたしな。大目に見てやるか……」
そんなアイスを見かねたのだろう、ミルクは先に食べる様にと勧め、小躍りするアイスを窘めようとする主人に叱らないであげて欲しいと目で訴える。
ただ他の客が居た事でご主人様と呼べなくて、ココアを真似てリュウ君と呼んで照れてしまい、見事に真っ赤になってしまったが。
だがその甲斐あってリュウも仕方ないと諦めて食事を始めるのだが、いつまでも途切れない周囲の生暖かい視線にリュウは居心地が悪そうである。
「嬉しいのは分かるんだけどさ……周囲の視線がめっちゃ恥ずい……」
「まぁ、そう仰らずに。笑顔のおすそ分けだと思えば――」
思わず漏れるリュウの愚痴に、くすくすと笑いながら応じるミルク。
リュウとココアから切り分けたハンバーグとチキンを「あ~ん」されると満面の笑みで飛び付きつつ、自身でも海鮮丼をそれはそれは幸せそうにスプーンで頬張るアイスに、誰もが笑顔にされている。
そこへミルクの料理が運ばれてきて、賑やかさは一層増す事になった。
「きゃ~! 可愛いですぅ!」
「ほんと、可愛い~!」
「声、でけえって!」
ミルクとアイスの黄色い叫びに周囲の客からの視線が集中し、リュウが赤い顔で注意するも、ミルクもアイスもやって来た料理に完全に魅了されている。
その料理は、ミルクが珍しく空気を読む事も忘れてアイスにアピールしたお子様ランチであった。
大小四つに分けられたプレートには、小さい方にスパゲティとサラダとプリン、と見慣れた内容だが、大きい方にはふわふわの四角い卵の布団で、チキンライスで模ったクマさんが可愛い寝顔で眠っていたのだ。
これには隣の席で何事かと腰を上げて覗き込む若い女の子達も、声を絞りつつも「きゃー!」と盛り上がっている。
お子様向けメニューなので、実物を見るのは初めてなのだろう。
「もう良いから早く食べろよ」
「あうぅ……可愛すぎて無理ですぅ……」
騒ぎの渦中に居る事に耐えられずリュウがミルクに食事を促すものの、ミルクはニマニマと料理を眺めるばかりで手を付けようとしない。
「所詮料理じゃねーかよ……んじゃ、ちょっと目閉じてろ。お前らもな」
そんなミルクに呆れるリュウは三姉妹に目を閉じさせて、フォークを手にするとニヤリと笑う。
「目を開けて良いぞ」
「ぶふうっ!」
「ああああ! 酷いぃぃぃ!」
「ぷっ……ク、クマさんがぁぁぁ!」
リュウの合図で目を開けると、それまで大人しかったココアが思わず吹き出し、ミルクが悲鳴を上げ、アイスは吹き出しつつもクマさんの惨状を嘆いた。
フォークで押しつぶされたせいでクマさんの可愛い顔は、鼻から額に掛けて陥没し、のりで作られた両目が左右に押し退けられて、非常に間抜けな顔へと変貌してしまっていたのだ。
「何て事するんですかぁぁぁ!」
「食べないお前が悪い。ほら、よく見てみろ。食い殺したくなる間抜け面だろ?」
「くふっ……もう、折角可愛かったのにぃぃぃ……」
ニィっと笑う主人に抗議するミルクだが、主人に悪びれる様子は無く、言い返す主人の言葉に思わず笑ってしまうミルクは、ぷぅっと頬をふくらませつつ、食事を始めるのだった。
そうして食事が済んで各自がデザートを選んでいた時である。
メニュー手にしてそわそわしつつ、ちらちらとリュウの顔色を窺うアイスが意を決してリュウに話し掛ける。
「はぁ? お前、もう食ったじゃん……」
「あうぅ……でもこれも食べたかったんだもん……」
どうやらアイスは、ミルクのオムライスを一口貰っただけでは満足できなかった様で、改めてふわふわ卵のハッピーオムライスを注文したいらしい。
上目遣いを駆使して甘えるアイスに、リュウだけでなくミルクとココアも苦笑いである。
「しょうが無えなぁ……んじゃ、自分が食いしん坊だと認めるんなら頼んでやる」
「えっ……ち、ちが……」
「ご主人様ぁ……」
「そうか、違うんだな?」
「そ……、……です……」
なのでニィっと口元を歪めるリュウに条件を付けられると、咄嗟に否定しようとするアイスであったが、ミルクの制止を無視するリュウに改めて問い返されると、顔を赤くして消え入る様に呟く。
「あん? 聞こえねーよ」
「うぅ……ア、アイスは……食いしん坊……ですぅ……」
だがさすがに声が小さすぎた様でリュウに聞き返され、アイスは真っ赤になった頬を両手で隠すと、遂に食いしん坊である事を認めて再びしゅーんと縮こまる。
そんなアイスをミルクとココアがおろおろと宥め、大人げない主人にはジト目を向けるのだが、オムライスが運ばれて来るや否や、瞳を輝かせて再起動を果たしたアイスはまるでぶんぶんとしっぽを振る犬と化しており、ミルクとココアは力無く肩を落とし、リュウは堪らず吹き出すのだった。
賑やかな食事が嘘かの様に、デザートの時間は大人しい三姉妹。
何故なら各自、目の前のスイーツに夢中だからである。
そんな三姉妹にしょうがねーな、と目元を和らげていたリュウであったが、暇になった事でエリの頼みを思い出し、思案を巡らせ始めていた。
エリが小菊姉ちゃんと慕う川端小菊は、リュウと同じ施設の最年長で、リュウがやんちゃ坊主どもの面倒を見ているのに対し、リュウを含む全ての子供達の面倒を見る、頼れるお姉さん的存在である。
料理好きでその腕前は施設の栄養士より人気で、残り物で作る夜食は争いの種になる事もあるが、その争いを回避して恩恵に肖っている筆頭がリュウであった。
なのでリュウとしても恩返しをしたいという思いは有るのだが、エリから聞いた話は深刻で、おいそれと結論を出せるものでは無かった。
両親を亡くしたリュウと違い、小菊には父親が居る。
だがその父親は日常的に暴力を振るい、故意ではないにせよ小菊の母を死なせ、現在は服役中の身であった。
施設で暮らす事になった小菊は、時間は掛かったものの笑顔を取り戻し、今では調理師を目指すまでになっていた。
だがリュウの失踪が小菊から再び笑顔を奪い、追い打ちを掛けるかの様に父親が出所するとの情報がもたらされたのだった。
料理好きの小菊は、エリら施設の女子を伴って隣町の料理体験教室に何度か足を運んだ事が有った。
エリによると、小菊はそこで主催者から料理の腕前を褒められたばかりか、料理学校に勧誘されたのだが、施設暮らしを理由に断った事があるらしい。
それを残念がるも理解を示す主催者は、その後も料理体験教室を開く度には案内状を小菊へ送り、小菊もエリらと参加する間柄へとなっていた。
だがそんな良好な関係が、ある事をきっかけに崩れ始める。
料理学校を運営する社会福祉法人は、他にも児童福祉施設などを経営していた。
料理体験教室の主催者はその法人の理事であり、料理学校の学費を全額免除するという事で再び小菊に入学を勧めてきたのである。
ただしそれには小菊が施設を移る事が条件とされ、小菊は提案を辞退した。
これまで良くして貰った恩もあるし、何より施設の皆と別れたくなかったからであるが、話の強引さに警戒したからでもあった。
そうして料理体験教室の参加も遠慮する様になった小菊であったが、その理事が今月になって再び小菊の前に姿を現す。
小菊の父親が出所して来る、という知らせを持ってきたのだ。
酷く動揺する小菊に、その理事は身の安全の為にも施設を移る様にと強く勧め、いつでも相談に乗ると名刺を置いて去って行った。
だが悩む小菊が連絡せずにいると一週間も経たぬ内に連絡を取ってきて、今では小菊の高校にまで説得しに来る様になったのである。
小菊にとって父親は恐怖の対象でしかなく、思い出しただけで身が震え、呼吸が困難になる程の存在であった。
出来る事なら逃げ出したい小菊であったが、接触してくる理事の男もまた、その執拗さに自分の身を案じてくれているだけとは思えない怖さを感じていた。
だが父親の事を口にしようとするだけで声が出なくなってしまう小菊は、誰にも相談できぬまま、いたずらに時を重ねて体調を崩してしまう。
その時になって異変に気付いたエリが、時間を掛けて小菊からそれまでの経緯を知る事となったのだ。
小菊姉ちゃんを助けて欲しい、というエリの真剣な眼差しを思い出してリュウはレストランの天井を睨む。
小菊の父親がどうかは分からないが、虐待された子供が元の環境に戻されて酷い目に遭うというのはよく聞く話であるし、何故悲劇は再び起こってしまったのか、なんてフレーズもよく耳にする。
確かに今の自分であれば、小菊を別の世界に連れて逃げてやる事は出来る。
だがそれは無関係な人間にはよくある蒸発騒ぎかも知れないが、小菊を良く知る者の心配や悲しみを考えれば、おいそれとは実行する訳にはいかない。
小菊が安心出来て、尚且つ周囲の人々を心配させない為にはどうすれば良いか、追加注文が増えている事にも気付かずに、リュウは天井を睨み続けるのであった。




