12 トラブルの予感
「んー! んー!」
「ちょっ、騒ぐなって! 俺だから、リュウだから! 落ち着いてくれ! な?」
ベッドで体を起こした少女の右側に腰掛ける様にして、右手で少女の口を塞ぎ、自身の体と左手で挟む様にして少女の動きを封じるリュウは、祈る様にして少女の耳元で声を絞る。
「んんっ!?」
リュウが名乗った事で驚きと共に振り向く少女であったが、部屋が暗くて分からないらしく、眉根にしわを寄せている。
「いや、マジだって。今明かり点けるからな? 頼むから、騒がないでくれよ?」
少女の顔を暗視モードで見られるリュウは、その少女がこの施設で三番目の年長者でしっかり者の中学三年生の佐々木エリだと分かって内心で安堵しつつ、エリが体の力を抜いた事もあって、できる限り穏やかな声で騒がない様に念を押す。
そしてエリが小さく頷くのを確認すると、そっと左手を放し、ベッドに備え付けられたスタンドのスイッチを押した。
その途端、エリが目を丸くして息を呑んだのが分かり、リュウは苦笑を浮かべて話し掛ける。
「驚かせて悪かった。今から手を放すけど、絶対騒がないでくれよ? もし騒ぎになったら、マジでヤバいから。約束できるか?」
リュウの頼みにエリがコクコクと頷いて、リュウはそっと右手を放す。
するとエリは近すぎるリュウの顔を、少し身を引いて凝視する。
「ほ、ほんまに……リュウ兄、何があったん? みんな、めっちゃ心配して――」
「ちょ、声でけえって! 心配かけたのは悪かったと思ってる。けど俺もどうにもならない状況に陥っててさ、さっき帰って来たとこなんだよ……」
呟く様に話し出したのも束の間、興奮から声が大きくなるエリをリュウは慌てて止め、人差し指を口の前に立てながら言い訳する。
エリ自身も思わず声が大きくなったのだろう、慌てるリュウを見て自身も慌てて手で口元を押さえた。
「ご、ごめん……ほんで、何があったん? 事件に巻き込まれたとか、猟師に銃で撃たれたとか、めっちゃ噂になってんねんで?」
「あ~、そんなにか……なあ、エリ。悪いんだけど、ちょっとその話は説明が大変なんで、また今度にさせてくれ。それよりさ、俺の部屋はどうなったんだ?」
思わず興奮しかけたのを謝って、エリが改めて声を絞ってリュウに事情を聞こうとするが、騒ぎになるのを恐れるリュウは、早々に退散しようと当初の目的を優先させてしまう。
「それより? リュウ兄、ふざけてんの? みんな心配してんのに、自分の部屋の方が大事なん?」
「あ、いや、そういう訳じゃ無い――」
「じゃあ、どういう訳!?」
「ちょっ、声! 頼むって!」
当然、それはエリを怒らせる結果を生み、リュウはハッとしつつ言い訳しようとするが、エリが声を抑えなくなった事で顔面蒼白になる。
そんな心底困っている様子のリュウを見て、エリもまた困惑する。
エリの知るリュウは、ここで暮らす子供達の面倒見が良いお兄さんであり、今の様な心底困った顔など見た記憶が無かったからだ。
だがそれでも皆の心配をないがしろにする様なリュウの言葉は許し難く、エリはじろりとリュウを睨むと、気持ちを抑えて口を開く。
「リュウ兄。ちゃんと説明してくれへんと、大声出すよ? 夜中に帰って来たって警察にも言うから」
「わ、分かった! 説明する! 説明するから! けど今はマジで勘弁してくれ。明日、何時頃なら出られる?」
静かなエリの脅し文句に、リュウは白旗を上げつつエリの明日の予定を尋ねる。
今のリュウに真実がどうとかは関係なかった。
とにかく騒がれて身動き取れない状況にだけは陥りたくないのだ。
「……朝九時頃やったら……」
「じゃ、じゃあ、九時半に国道脇の神社に来てくれ。ただし絶対にお前一人だぞ。あと、今はまだ誰にも俺の事は言わないでくれ。約束できるか?」
「わ、分かった。誰にも言わんとく……」
必死さ溢れるリュウの姿に軽く驚きつつエリが答えると、リュウは心底安堵した様子で待ち合わせの時間と場所を指定して、エリに必ず一人で来る事と口外しないとの約束を取り付ける。
「よし、約束だぞ。じゃあ、もう遅いから俺は一旦引き上げるな?」
「リュウ兄、泊るとこあんの?」
「あー、それは出てから考える。そんな事より、今はマジで誰にも内緒だぞ?」
「うん……」
「突然やって来た上に、勝手言って悪いな。じゃあ、明日神社で」
「うん……リュウ兄、絶対来てよ?」
「約束してくれたお前を騙したりしねえって。な?」
「うん……」
そうして心に少し余裕が出来た事で立ち去ろうとするリュウは、不安気なエリの問いに答えつつ、その不安を払うかの様にニカッと笑い、入って来たベランダから出て闇に紛れるのだった。
『で、どうするんですか? ご主人様ぁ……』
『どうするって……説明するっきゃねえだろ……』
『最初からミルクを頼って下されば、鉢合わせする事も無かったのにぃ……』
『仕方ねーだろ。んな事、想像もしてなかったし……エリはしっかり者だし、口は堅いから大丈夫だって……』
『本当ですかぁ?』
『た、多分……ま最悪、転移で逃げられるし……何とかなるって……』
『あうう……不安しか無いですぅ……』
『そう言うなって……』
施設からの帰り道、不安そうに脳内で尋ねてくるミルクに半ば開き直って言い訳するリュウは、大きくため息を吐くとアイス達の下へと急ぐのであった。
翌朝、約束の時間にはまだ十分以上も有るが、既にエリが自転車で来ているのを見て、リュウは決意する様に大きく息を吐いて彼女の下へ歩み寄る。
エリの方も気付いたらしく、ほっと安堵の表情を浮かべている。
「おはよ。約束守ってくれたみたいだな」
「そら、あんな必死にお願いされたら……おはよう……」
「そんなに必死っぽかった?」
「エロ本事件以来の必死さやったよ?」
「頼む、あれは忘れてくれ……」
「そんなん無理やわ」
普通に挨拶するはずが、とんだ苦い記憶を掘り起こされて仏頂面になるリュウとくすくす笑うエリ。
部屋の鍵を掛け忘れたが為に、小学校高学年の悪ガキ共に秘匿していたエロ本を持ち出された挙句に食堂に放置され、それを見付けた女性職員に帰宅するなり皆の前で詰問されたのは、リュウが行方不明になる一月程前の出来事である。
人間って、こんなにも真っ青になったり真っ赤になったりするんだ、と感動すら覚えたエリにとっては、忘れろと言う方が無理な話なのだ。
「それでリュウ兄、今までどうしてたん? 連絡すらくれへんって酷ない?」
「あ~……とりあえず、場所を変えよう。俺が漕ぐから後ろに乗れ」
「う、うん……」
そんなちょっと緩んだ空気も、エリが本題を切り出した事でリュウが少し強引にエリの自転車に跨ってしまい、エリは流される様にして自転車の荷台に腰掛ける。
するとリュウはそのまま神社を出て国道を渡り、エリを乗せたまま山への坂道を登り始めた。
「リュウ兄、どこ行くん? ってか、速っ!? しんどないの?」
結構な上り坂にも関わらず、まるで平地を走るかの様にサドルから尻も浮かさず自転車を漕ぎ続けるリュウに、エリが驚きの声を上げる。
リュウはどうせこれから真実を話すのだから、と体内の人工細胞をフル活用して腕力と脚力、そして心肺機能を強化させているのだ。
竜力を使えばもっと速く走れるだろうが、自転車のチェーンが切れてしまうかも知れないので、そこは自重している。
「いや、全然。ちょっとパワーアップしたからな……」
「パワーアップって……これ、めっちゃ凄ない!?」
「いいから、しっかり掴まってろ。落っこちるぞ?」
なのにリュウは疲れる様子も無く、のんびりした口調で応じつつ淡々とペダルを漕ぎ続け、アイスと出会った場所へとやって来ていた。
「凄い、リュウ兄! 自転車レースやってる人でもお尻上げて漕いでんのに!」
「ま、そう興奮すんなって。それよか、こんな高い所まで来た事ねーだろ。ほら、なかなか良い眺めだぞ?」
「え、ほんまや! うわー、綺麗!」
自分なら二、三十分は掛かりそうな傾斜ばかりの道のりを、ほんの五分程で走破したリュウにエリは興奮を抑えられない様子であったが、リュウに促されて景色にしばし目を奪われる。
「二ヶ月前は、紅葉が綺麗だったんだけどな……」
だがぽつりと呟く様なリュウの声が、エリの意識を現実へと引き戻す。
「これから話す事は、お前が好きなラノベみたいな現実離れした話だ。ただ、嘘は言わないと約束する。聞くか?」
「うん、聞く」
「よし……」
するとリュウはエリが聞きたがっていた話への前置きをして、エリがしっかりと頷くのを見ると、腹を決めてこれまでの出来事を語り始めるのだった。
「リュウ兄が嘘吐いてる様には見えへんけど、ほんまに小説みたいな話って言うか……その、なんか……証拠みたいなもん、あんの?」
「証拠か……んじゃさ、そのガードレールちょっとでも戻せるか? やってみ?」
リュウの話を一通り聞き終えたものの、その真偽の判断に困ったであろうエリに証拠を問われるリュウは、道路脇に事故でひしゃげたらしいガードレールを見て、エリに逆に問い掛ける。
「え、そんなん無理に決まってるやん……」
「だよな。けどさ……」
「えっ、嘘やん!? えっ!? ええっ!?」
一目でそのガードレールが人の力でどうにかなるとは思えず、呆れ気味に答えるエリであったが、リュウの伸ばした左手がガードレールを掴んだ途端、エリは目を見開いて驚愕の声を上げる事となった。
リュウが力を込めている様には見えないのに、メキメキ、ギギギ、と音を立ててガードレールがいとも簡単に伸ばされだしたからだ。
「ま、元通りに真っすぐって訳にはいかないんだけどな~」
ガードレールをある程度伸ばして手を放すリュウは、肩を竦めて言い訳しつつ、驚き固まるエリに苦笑いを溢す。
「す、凄っ……ほ、ほな……竜の力で帰って来たって言うんもほんまなんや……」
「だから嘘なんか吐いてねえって……」
呆然と呟きを漏らすエリにリュウが肩を竦めて答えると、エリは何かを思案する様に俯いて押し黙ってしまった。
そんなエリを見て、そりゃあ混乱するよな、と同情するリュウは、エリが混乱を脱するまでの間を黙って見守った。
「なあリュウ兄、また向こうに戻らなアカンって言うてたやん?」
「ああ」
「こっちにも戻って来る?」
「あ~、ちょくちょく帰っては来るつもりだぞ? こっそりだけどな~」
そうして俯いたままぽつりぽつりと確認するかの様にエリに尋ねられ、リュウは少しでもエリを安心させてやろうと明るく答えてやる。
するとエリは意を決したかの様に顔を上げ、リュウの目を見つめる。
「ほ、ほな……頼みたい事があんねんけど……」
「頼み? ……この力をアテにした頼みって事か?」
エリが頼み事を口にして眉根を寄せるリュウは、声のトーンも少し下がった。
力を見せた事で、もうそれをアテにされるのか、と少し残念に思ったからだ。
「え……アテにしてる事になるんかな……? 多分、リュウ兄次第やと思う……」
だがエリはそんな事は思いもしなかった様で、きょとんとした表情で首を傾げると、自信無さそうにリュウを上目遣いで見る。
エリにそんなつもりが無かったと分かって、リュウの下がりかけたテンションが復調する。
「はぁ? セクハラ親父にげんこつ一発、生きるか死ぬかは俺次第、みたいな?」
「ちゃうわ! さらっと怖い事言わんといて!」
そうして飛び出したリュウの軽口に、エリが目を丸くして憤慨する。
だがエリとのこういったやり取りは施設では日常茶飯事だったらしく、リュウは久し振りにエリの「ちゃうわ!」が聞けてニィっと笑うのみである。
「んじゃ、何だよ?」
「小菊姉ちゃんを助けたって欲しいねん!」
「……は?」
だが改めてエリの頼みを問うリュウは、予想だにしなかったエリの言葉に間抜け面を晒す事となった。
その間にエリが逃がすもんか、とリュウの両腕をがしっと掴む。
「小菊姉ちゃんが大変やねん! だからリュウ兄、助けたって!」
「ええ……」
そして困惑から抜け出せぬ内に再びエリに叫ばれて、リュウは腕を掴まれたまま呆然と立ち尽くしてしまうのであった。
今回の関西弁、もし分からない方は感想でお尋ね下さい。




