07 アリア王女の不安
その翌日から、ミルクはオーリス共和国とグーレイア王国の、ココアはマーベル王国とアゼリア王国、そしてキエヌ聖国の法整備に取り組み始めた。
それに伴ってリュウはそれぞれの国へ転移門を開いたままにし、マスターコアが頭の中に有る為に行動制限が掛かるミルクと行動せざるを得なくなった。
ココアは未だマスターコアを独立させているので単独行動可能だが、魔王を説得するのに都合が良いという理由で、こちらにはアイスが同行する事になった。
ミルクとココアの介入は、各国にとっても歓迎された。
それは、どの国もセグ大佐の懸念事項に対して、全てが手探り状態だったからであり、各国との連携にもまだまだ及び腰な一面が有ったからである。
だがミルクとココアであれば、つい最近にも貿易に於いて各国の法整備を手助けした事もあって、各国の事情をある程度把握しているし、何より彼女達がその件で絶大な信頼を皆から得ていたからである。
そんな訳で各国の、他国籍者との婚姻と犯罪に対する法整備は、ミルクの想定を超える事無くスムーズに整っていったのだが、ミルクとリュウがオーリス共和国へ行き来する様になると、法整備とは関係のない所で一つの問題が発生する。
「今日もお疲れ様でしたわね、ミルクさん」
「あ、アリア様。いえ、大した事では。ありがとうございます」
王城へ戻って来るなりアリア王女に声を掛けられ、ミルクは笑顔を返しつつ頭を下げる。
第一王女のアリアは物静かで理知的な美貌を持ち、いつも優し気な笑みを口元にたたえている国民のアイドル的存在である。
彼女もミルクがお手本にしようとしている一人である。
「リュウもお疲れ様ですわね」
「ほんと疲れますよぉ……単なる付き添いだから外で待つって言ってるのに、会議室に通されて……黙って座ってるだけがどんなに辛い事か。ベッド用意して欲しいですよ……」
「まあ!」
「ご、ご主人様ぁ!」
次いでリュウにも声を掛けるアリアだったが、リュウの愚痴に一瞬目を丸くするものの、ミルクの非難の声に肩を竦めるリュウを見て、クスクスと笑った。
「それにしても珍しいですね、こんな所で……何かありました?」
アリアが笑いを収めたところで、今度はリュウがアリアに話し掛ける。
食事の時などは顔を合わせる事も有るアリアだが、読書好きの彼女は部屋に居る事が多く、レオンやサフィアに比べて会う頻度は少ない。
ましてや帰って来たばかりの一階のロビーで声を掛けて来るなんて、勘が冴えていなくともリュウには違和感があったのだろう。
「あ、ええと……ちょっとこちらに……」
「「?」」
するとアリアはキョロキョロと辺りを窺って、人目に付き辛そうな階段の裏側へ小首を傾げるリュウ達を誘導する。
「あ、あの……お二人はまだこれからも、オーリス共和国へ行かれますの?」
「はい……まだ明日以降も何度かはお伺いする予定ですけど……」
声を潜めるアリアに今後の予定を尋ねられ、ミルクが困惑しながらも正直に答える。
その答えを聞いて、アリアは意を決した様に小さく頷く。
「では、次回は私も連れて行って下さいませんか?」
「「えっ?」」
そうしてアリアにお願いされて、リュウとミルクが見事にハモる。
「ミルクさんが法整備に尽力されている事は聞き及んでいますわ。でも、リュウが参加しなくても良いのなら、わ、私の護衛をお願いしたいのです……」
二人が目を丸くするのも当然だ、と思いながらもアリアは更に言い募る。
「は?」
「護衛……ですか? あの、一体どういう事なんでしょう?」
「あっ、えっとですね……実は……」
だが気恥ずかしさからか肝心の目的が抜けている為に、リュウにはきょとんと、ミルクには困惑顔で尋ねられ、アリアは赤面しつつ事情を話し始める。
それはオーリス共和国に居る、アリアの許嫁についての事であった。
アリアの許嫁であるエドワード・オーリスはオーリス共和国議会の議長である、ロバート・オーリスの一人息子である。
ロバートの父アルバートが王政を廃して議会を開いてから五十年になるのだが、王家であったオーリス家の財力や権力に擦り寄る者は未だに多い。
それでも二代目議長となったロバートはそれらの力に溺れる事無く、議長として公明正大で健全な議会運営に務めてきた。
だが一人息子のエドワードには甘やかしが過ぎた様で、エドワードは二十二歳となった今でも議会に参加せず、何不自由無い暮らしを満喫しているのであった。
十年前の親善パーティーにて、レント国王とロバート議長は当時八歳のアリアと十二才のエドワードが仲良く笑い合う姿を見て、冗談交じりに二人を結婚させようと盛り上がった事が有った。
アリアとエドワードは照れはしたものの悪い気はせず、何より盛り上がる父達が喜んでくれるなら、と素直に話を受け入れたのである。
とは言え、二人が会えるのは一年か二年に一回程であり、普段は手紙をやり取りするくらいの関係でしかなかった。
それでもアリアは、エドワードのお嫁さんになるんだ、という八歳の時に抱いた胸のときめきをずっと大事に育んできたのである。
そんなアリアがエドワードに対して、初めて不審に思った出来事が起こる。
それは、エルナダ軍の造反騒ぎが起こった時の事だ。
オーリス共和国への被害を未然に防ぐ為にエルナダ軍を派遣する際、顔繋ぎ役を買って出たアリアは、ロバート議長の下で数日を過ごす事になったのだが、ただの一度もエドワードと会う事が出来なかったのだ。
議長や周囲の者に尋ねてもどこか歯切れが悪く、アリアは釈然としないまま帰国する事となったのだ。
その時になってアリアは初めて、エドワードの表層しか知らない事に気付く。
なので親しくしている商人達からそれとなく情報を集めるのだが、彼らもどこか歯切れが悪く、アリアは自身で行動しようと思い立ったのだ。
だがオーリス共和国には議長以外の知己は無く、何をどうすれば良いのか途方に暮れていたところだったのだ。
「なるほど……それは心配ですよね……」
「心配ってか、めっちゃ怪しくね?」
「ご、ご主人様!」
ようやく事情が呑み込めてアリアを気遣うミルクが、主人の無頓着な発言に目を丸くして注意する。
「いえ良いんです、ミルクさん。私もリュウと似た様な気持ちなので……」
「アリア様ぁ……」
だが肩を竦めるリュウをアリアが苦笑いで庇うと、ミルクは眉を下げるものの、アリアを慮ってそれ以上の言及は避けた。
そんなミルクの思い遣りに、にっこり微笑むアリア。
「で……俺に護衛を頼むって事は、現地で色々調べるって事ですか?」
「え、ええ……そうしたいのですけれど、具体的にはまだ何も……」
そうして具体的な話を始めようとするリュウであったが、そこはアリアも考えが纏まっていないらしく、申し訳なさそうに縮こまってしまった。
「あの、国王陛下やレオン様には……」
「できれば知らせずにおきたいのです。特にレオンは、一緒に行くと言い出しかねないので……」
そこへおずおずとミルクが口を挟むと、そこはアリアも方針が固まっていた様で苦笑しつつも即答する。
「でも、心配されるんじゃ――」
「だから俺達なんだろ、ミルク。俺ならこっそり行き来できるし、お前だって最終調整するだけなんだから、こっちに余力を割けるだろ?」
「それは……まぁ、はい……」
「なら俺達だけで大丈夫だって。ミルクが二、三機偵察機を飛ばして婚約者さんを見付けてくれたら、後は俺達で何とかするって。な?」
「え……あう……わ、分かりました……」
それでも不安そうなミルクだったが、割り込む主人の勢いと、どこか頼もし気な笑顔に負けて、ちょっと頬を赤らめて頷いた。
それを横で見ているアリアは、どこか不安そうだ。
何故ならリュウの語る内容がどこか軽く、ミルクを当てにするばかりで、自身の事についてはまるで具体性が無い為である。
ご主人様大好き補正が掛かっているミルクと違って、アリアにはリュウの笑顔は頼もしいどころか、単に調子がいい様に見えていたらしい。
「そういう事ですんでアリアさんは明日、昼食後に俺の部屋に来て下さい。そこで簡単な打ち合わせをしたら、一緒に共和国へ向かいましょう」
「ええ、よろしくお願いしますわ。リュウ……ミ、ミルクさん! 本当によろしくお願いしますわね!」
そんな頬が少々引きつりそうなアリアは、リュウから今後の予定を聞かされて、何とか王女スマイルを取り戻すのだが、ミルクの手を取った途端、思わず縋る様な目を向けてしまう。
「は、はい! 全力でお手伝いさせて頂きますので、ご安心下さい! ご主人様、ミルクに幾つか案が有ります。ここでは何なので、お部屋に戻りましょう!」
「お、おう……んじゃアリアさん、明日の昼に~」
そんなアリアに驚きつつ、それ程までに思い詰めていたんですね、と勘違いするミルクは、アリアに全力サポートを約束して、主人を促して部屋へと向かう。
その剣幕に押されたリュウが、挨拶もそこそこにミルクを追って去って行く。
「は、はい……よろしく……お願い……致します……」
去って行く二人を、呆然とした様子で見送るアリア。
その時になって何かを間違えた様な気がするアリアは、落ち着かない気分のまま翌日を迎える事になるのだった。
その後、部屋に戻ったミルクはアリアの期待に応えるべく、てきぱきとプランを用意して主人と打ち合わせを行った。
とは言え、実際のところはミルクが複数の子機を飛ばしてアリアの婚約者を捜索するのがメインなので、リュウはアリアと共に目立たぬ様に行動するだけである。
しかもミルクは法整備の会議に出席しながらの並列作業となる訳だが、ミルクは主人にできるAIっぷりを見てもらえる、とかえって張り切っている程であった。
そんなどこかウキウキして見えるミルクの様子が、夕食前のココアからの通信で一変する事になる。
「そっか。ま、明日で協議も終わるってんなら、お言葉に甘えさせてもらえば?」
『え、いいの!? じゃ、じゃあ、王妃様にそう伝えるね! 明日はちゃんと帰るからね!』
ミルクから中継されたアイスの嬉しそうな声が、脳内ツールを通してリュウの頭に響く。
アイスとココアは、協議が明日で終わるという事で、シエラ王妃から何度も足を運ばせるのは忍びない、と泊っていく様に勧められたのだ。
とは言え、それを画策したのはアイスに少しでも長く留まって欲しい魔王ジーグと、貿易の時に続いて今回の法整備でも尽力してくれたココアにもはやメロメロな主席司法官デルク・ロトなのであるが。
だがそんな事情を知らないリュウには別に止める理由も無い訳で、今回頑張ったご褒美として丁度良い、くらいにしか思っていない。
『すみません、ご主人様ぁ。断り切れなくて……』
「いいって、いいって。折角用意してくれてんだから、のんびりしてこい」
『ありがとうございますぅ! では失礼します、ご主人様ぁ』
なので申し訳無さそうなココアに対しても、リュウは笑って許可を出して通信を終えるのだが、そこでミルクに目をやって苦笑する。
ミルクが赤い顔でおろおろしているからだ。
「そういう訳で、ミルク……」
「は、はい……」
頬をポリポリ掻いて話し掛けて来る主人に、辛うじて返事するミルクがごくりと息を呑む。
「今夜は二人っきりだな!」
「あああ、あの……ミミミ、ミルクはその……あう……あうぅ……」
先程までのできるAIっぷりはどこへやら、主人にニヤリと笑い掛けられた途端、真っ赤になってポンコツと化してしまうミルクなのであった。
二ヶ月もお待たせしてしまい申し訳ありません。
少し前に執筆できる環境にはなったのですが、なかなか元の調子に戻れませんでした…。
今後はなんとか以前のペースに戻せると良いのですが…。
ともあれ、今後ともよろしくお願い致します。m(_ _)m




