02 軍司令部にて
「助け――ッ!? えっ!? 何!? えっ!?」
一瞬で変わった視界に、直前の行動を強制的にキャンセルさせられたイリーナが状況を整理しようとしているらしいが、忙しなくキョロキョロする姿に先程までの凛々しさは影も形も見られない。
「大丈夫ですって。ちょっと落ち着いて――」
「森!? 山!? どど、どうなってるの!? ジムはどこなの!?」
そんなイリーナに苦笑しつつ、リュウが落ち着かせようと声を掛けるが、周囲を見れば見る程に混乱を深めたであろうイリーナに、半泣きで掴み掛かられる。
「だから落ち着け」
「づあっ!」
「ご、ご主人様ぁっ! だ、大丈夫ですか!?」
なのでリュウはイリーナの額にデコピンをお見舞いして身の安全を図る。
ミルクが容赦の無い主人に非難の声を上げ、崩れ落ちたイリーナに駆け寄った。
「うごぉぉぉ……よ、よくも……やってくれたわね……」
「掴み掛かって来るからですよ……で、落ち着きました?」
「く……ぬけぬけと……お、覚えてなさい……」
額を押さえてよろよろと立ち上がるイリーナの恨み節を、やれやれと肩を竦めて受け流すリュウが一転、何事も無かった様に問い掛けると、イリーナは額に青筋を浮かべたものの捨て台詞を吐くに留めた。
反撃したいのは山々のイリーナだが、頭部のダメージが抜けていない上に、もし返り討ちに遭ったなら次は耐えられる自信が無いからだ。
「ま、そんな事より、これで分かって貰えました?」
「わ、分かる訳ないでしょ! 何がどうなっているのか、ちゃんと説明して!」
そんなイリーナの心情をあっさりスルーして、両腕を左右に広げて笑顔で周囲をアピールするリュウに、自重したはずのイリーナが金切り声を炸裂させる。
これにはミルクもどこまで本気なの、と主人に呆れ顔になる。
「え~……ミルク、説明頼む……」
「え……わ、分かりました……」
怒鳴られて首を竦めるリュウは、睨むイリーナの視線から逃れる様にして説明をミルクに丸投げしてしまい、仕方なく応じる事にするミルク。
そうして半信半疑でミルクの説明を聞くイリーナであったが、ミルクに乞われてリュウが翼を広げて見せるとイリーナは目を見開いて青褪めてしまい、これまでの無礼をおろおろしながら謝罪した。
そんなイリーナの様子を見て、実際には異なるが、それだけヨルグヘイムという星巡竜の支配はエルナダの民に深く影響を及ぼしていたのだと、リュウもミルクも改めて思い知る。
そしてそんな存在と同列に思われたくないリュウは、慌ててイリーナを宥めると再び転移門を抜けてジムへと戻るのであった。
二月前に激しい戦闘が行われた、中心に直径約二キロのエルナ山を内包する直径八キロ近い軍事施設。
破壊されたり損傷の激しい建物は綺麗さっぱり撤去されてはいるが、よく見れば戦闘の痕跡はあちらこちらに見る事が出来る。
何よりもエルナ山は崩壊した当時のままであり、一緒に崩壊した研究施設と共に痛々しい姿で整備されるのを待っている。
そんな研究施設の南西には、無傷の国政運営部と多少被害を受けた軍の司令部が有るのだが、その司令部の建物から十名近い軍人が出て来ていた。
「大佐、本当に君の言う者なのかね?」
出て来た軍人達の中で最初に口を開いたのは、ゼオス中将であった。
厳しくも部下思いで兵士からの信頼も厚い彼は、レジスタンス側の要請もあって処断される事は無かったが退役する事も許されず、未だ軍を統括する立場に居た。
「彼の存在は本部にも伏せていましたし、保安局が知るはずはありません。なのでその可能性は高いかと。ただ、連れの女性三名というのは私にも見当が……」
その中将の問い掛けに答えるのは元レジスタンス情報部のセグ大佐だ。
解体に伴って正規軍に編入されたレジスタンスの中で、アインダーク達の窓口的役割を担った彼は現在、司令部に新設された特別情報室の室長を任されていた。
その任務は星巡竜に関する情報の管理、統制、直接的な交渉や要請である。
要は今後も星巡竜の窓口を任された、という訳だ。
「ふむ……しかし、どうやって戻って来たというのか……」
「実は別の星には飛ばされていなかった……とか……」
顎に手を当てて新たな疑問を呟くゼオス中将に気さくに口を挟むのは、セグ大佐同様に特別情報室に所属する事になったドッジ中尉だ。
ヨルグヘイムとの戦いで落命し、アインダークの力によって蘇る事となった彼は義手と義足が生身へ戻ってしまった事で以前の様に戦えなくなった為、セグ大佐を頼ったのだ。
見れば他の兵士達もドッジ中尉と同じく落命したロダ少佐の部下達であり、前線任務がままならなくなったが為にセグ大佐を頼り、そうでない者は退役したのだ。
「それならば、アインダーク様が気付かぬ訳が無いだろう……」
「ま、そうですね。お、来たみたいですよ……」
セグ大佐に推測を否定されて肩を竦めるドッジ中尉であったが、車両の接近する音に気付くと、セグ大佐の後ろで横に並ぶ部下達の列に加わって車両を待つ。
車両は司令部へのゲートでチェックを済ませると、セグ大佐達の前で停車する。
「セグ大佐! お久しぶりです!」
「リュウ、本当に君だったか! よく無事でいてくれた!」
「はい! 皆さんもご無事で何よりです!」
車両から飛び出して駆け寄るリュウに、セグ大佐が初めて見せる笑顔で迎える。
リュウと見知った仲である背後のドッジ中尉達も、口々にリュウの無事を喜んでくれてリュウも本当に嬉しそうだ。
「皆さん、ご心配をお掛けしました」
「えっ、ミルクちゃん……なのか? 普通の女の子になってるじゃないか!」
「何!? いや、確かにその容姿も声も彼女そっくりだな……」
そのリュウの背後に追い付いたミルクが声を掛けると、かつてのミルクを知っているドッジ中尉が素っ頓狂な声を上げ、セグ大佐も驚きの声を上げた。
彼らにしてみれば、リュウの腕から投影される小さなミルクの姿しか知らないのだから無理もない。
ミルクの後ろにはアイスとココアも居るのだが、初対面なのでセグ大佐らは困惑するばかりだ。
「あはは……まぁ、話せば長くなるんですけど――」
「お話の所、失礼します。私は保安局のイリーナ・パッセと申します。彼についてこちらも詳しくお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
そんなセグ大佐らの様子を見てリュウが簡単に説明しようとするが、保安局から同行してきたイリーナが、話しが長くなりそうだとスッと彼らの間に割って入る。
「リュウ、お前何かやったのか?」
「いや、誤解だったんですって! 俺は支部に戻ろうとしただけで!」
なのでドッジ中尉が単純に疑問を問うのだが、痴漢に間違われたリュウとしてはそれを知られたくなくて必要以上に焦って答えてしまう。
そんなリュウの狼狽え振りに、ドッジ中尉のジト目がミルクに向けられる。
「ミルクちゃん?」
「ご、ご主人様は悪くないんです。ただ、女子更衣室に飛び込んでしまって……」
なのでミルクは主人を擁護しようとするのだが、それだけでは中尉が納得しないかも、という思いが口を滑らせてしまい、目を泳がせるミルク。
「有罪」
「有罪だな」
「ちょっ!?」
「イリーナさんでしたね、こってり絞ってやって下さい」
「だから誤解なんだって!」
途端に周囲から冷ややかな声を浴びせられて目を丸くするリュウは、イリーナの手を取ってにっこり微笑むドッジ中尉に憤慨する。
「あは……は……い、いえ、それについては事故だったと証明して頂いたんです。ただ、その……現状では調書に不明瞭な点が多くて、もう少し詳しく話を聞かせて頂きたいのです」
そんなリュウ達のやり取りに苦笑いを溢すイリーナは、リュウを擁護しつつ少し事情を明かして聞き取りを願い出る。
イリーナ自身は正体を明かされた事もあって、リュウが言う事は事実であろうと思ってはいるが、前後の事情は聞いておかねばならないのだ。
何故なら事故とは言え、実際に裸を見られた女性達が居るのだ。
彼女らを納得させる為にも、リュウが痴漢を働くつもりなど無かったと証明する詳細な調書が必要なのである。
「ふむ……今となっては隠すべき事も無いか……中将、よろしいですね?」
「うむ、では場所を移そう。私も聞きたい事が有るのでな」
そうして少し思案するセグ大佐に促され、頷くゼオス中将が踵を返して司令部へ歩き出すと、リュウ達もドッジ中尉らに囲まれて司令部へと入って行くのだった。
司令部の会議室に通されて、リュウ達は勧められるままに席に着いた。
横に四人、縦に十人程が向かい合って座れる長方形の席の、入口に近い四人席の中央右寄りにリュウ、右隣にココア、左にアイス、更にその左にミルクが座る。
対面の四人席の中央右にはゼオス中将、左隣にセグ大佐が座り、ドッジ中尉達はセグ大佐寄りに左右別れて縦の席に、保安局員のイリーナは距離を置いてミルクのすぐ傍の縦の席に座った。
出されたお茶にすぐさま口を付けるリュウがカップを置くなり、セグ大佐が口を開く。
「本当によく戻って来てくれた、リュウ。聞きたい事が色々有るから時間が掛かるだろうが、そこは勘弁して欲しい」
「はい」
「先ずその前に、こちらはゼオス中将。エルナダ軍の現最高責任者で私にとっても直属の上官となる」
「あ、はい。リュウ・アモウです、よろしくお願いします」
「君の事はセグ大佐からよく聞かされている。レヴァン・ゼオス中将だ、この星の民でもない君を巻き込んでしまった事を、まずはお詫びする」
前置きを済ませるなりセグ大佐にゼオス中将を紹介され、リュウはぺこりと頭を下げる。
ゼオス中将はにこやかな自己紹介もそこそこに、リュウに対して僅かではあるが頭を下げた。
「あー……いえ、きょ、恐縮です……あの、レジスタンスは勝ったんですよね?」
「ああ……レジスタンスの目的は軍に勝つ事では無く、独裁政権の解体だ。それを成せば軍は新政府の下で正しく運用されるのだから、軍はそのまま中将に統括して頂くのが最も混乱も軋轢も少ないのだ。目的を果たしレジスタンスは解散したが、主だった者は軍に好待遇で迎えられているから、何も心配する事は無い」
「そうですか、なら良かった」
面識も無い軍のトップからの謝罪に恐縮するリュウであったが、その時になって軍とレジスタンスが一緒に居る事が奇妙に思えたのだが、それを察したセグ大佐の説明に納得してニカッと笑った。
ここへ来る途中にもイリーナから大体の事情は聞いていたリュウではあったが、レジスタンスのその後などの事はイリーナも知らなかったからである。
「さて……私としてはミルクが普通の女の子になっているだけでも驚きなのだが、そちらのお嬢さん方がどなたなのか、まずは紹介してくれないかね」
「あ、はい。こっちはココア。こんな見た目ですが、ミルクの妹になります」
「皆さま、初めまして。ご主人様の彼女のココアで~す!」
「ッ! ココアっ!」
そうしてセグ大佐に促されてリュウがココアの紹介から始めるのだが、ココアの相変わらずで場違いな明るい自己紹介に、ミルクが目を丸くして叱りつける。
見れば無言ではあるが、アイスもココアにジト目を向けている。
「な……なるほど……」
「あ、あの……それで納得なさるのですか? どう見たって彼女の方が年上だし、肌の色も違うのに……それに、普通の女の子になってるって……どういう事なんでしょうか?」
「あ、いや……」
そんなミルク達の様子に呆気に取られつつも納得して見せるセグ大佐だったが、何の事情も知らないイリーナにおずおずと問い掛けられて、どこまで話すべきかと答えに窮する。
だがリュウはそんな事に頓着する事無く口を開く。
「イリーナさん、人工細胞って知ってます?」
「もちろん知ってる……ますよ。ぎ、義肢接続の新機軸となった有機デバイス……の事、ですよね……」
リュウに口を挟まれて素で応対しかけたイリーナだったが、相手が星巡竜だったと思い出して慌てて口調を改める。
イリーナの緊張する様子に、セグ大佐らは何が有ったのかと怪訝な表情になる。
「ミルクとココアはAIを組み込んだ人工細胞の集合体なんですよ」
「ええっ!?」
「なんと……」
そして続くリュウの言葉に、イリーナだけでなくゼオス中将までもが驚く羽目になった。
セグ大佐の部下の中にも知らなかった者達が同じ様に驚いている。
「と言っても、この子の力が有ってこその存在なんですけどね」
「え……その子の……力?」
そんな驚く者達を意に介さず、アイスの頭にポンポンと手をやりながらリュウは話を続けるが、イリーナの理解が追い付いていない様子に苦笑いを溢すと、視線をセグ大佐へと向ける。
話の流れから察しがついたのか、セグ大佐が表情を緊張させて背筋を伸ばす。
「セグ大佐、俺が奪還する様に言われた小竜、それがこの子です」
「ほ……本当に……」
そうしてリュウによって推測が当たっていたと知るセグ大佐なのだが、ぽつりと一言口にすると、ゴクリと喉を鳴らした。
見れば周りの面々も同様で、星巡竜という存在が如何に彼らにとって大きな存在だったのかが伺い知れる。
「ほら、アイス。自己紹介、自己紹介」
「ア、アイシャンテ・エール・ヴォイドです。アイスと呼んで下さい……えっと、皆さんがアイスを助ける為に頑張ってくれてたってリュウやミルクから教えて貰いました。アイスがこうしていられるのも皆さんのお蔭です。感謝しています……」
そんなセグ大佐らの姿に目元を和らげるリュウに自己紹介を促されて、アイスも緊張から頬を赤く染めながら挨拶し、ぺこりと頭を下げた。
「い、いえいえ、そんな……私達の方こそ、アインダーク様とエルシャンドラ様のお蔭でこうしていられるのです! 感謝を申し上げるのはこちらの方です!」
「大佐の言う通りです。アインダーク様とエルシャンドラ様は、恐怖に濁る我々の目を覚まして下さったのです。星巡竜の名を騙る侵食者から……」
するとセグ大佐が畏れ多いと慌てて言葉を紡いで頭を下げ、ゼオス中将もそれに続いた。
軍のトップまでもが頭を下げる事態に場の空気が重苦しくなりかけるが、中将の最後の言葉がそういう空気を人一倍苦手なリュウに払わせる。
「あ、皆さんも知ってたんですね、ヨルグヘイムの正体」
「皆さんもって、リュウ……何でお前は知ってるんだよ?」
明るいリュウの声を、これ幸いとばかりにドッジ中尉が問い掛ける。
中尉もリュウ同様で、重苦しい雰囲気は苦手らしい。
「つい最近、本人から聞いたんすよ」
「本人だと!? まさか――」
「あ~、いえいえ。俺が言ってるのは、ここを支配する前の本当のヨルグヘイムの事ですからね?」
「む……どういう事かきちんと説明してくれ、リュウ……」
そしてあっけらかんとしたリュウの答えにセグ大佐が血相を変えると、リュウは悪戯が成功した子供の様にニィっと笑って訂正するのだが、それだけで納得できるはずもなく、すぐに落ち着きを取り戻したセグ大佐はリュウに続きを促す。
「ですよねぇ……分かりました。ちょっと長くなるかもですけど……」
そりゃそうだと肩を竦めるリュウは、笑みを引っ込めてこれまでの経緯を話して聞かせるのだった。




