01 痴漢騒動
5章スタートです。
よろしくお願いします。
惑星ナダム唯一の国家、エルナダのクーデター成功からおよそ二月。
解体された独裁政府に変わって議会を再開させた臨時政府は、民衆の支持を得てエルナダ平和党と名を改め、他に政党が有る訳でも無いので、そのまま与党の座に収まる事となった。
それに伴いエルナダ軍にも改革がなされ、レジスタンスもその中に組み込まれる事となった。
その為、レジスタンスの各拠点や設備は支援者達に返還され、様々な施設として装いを新たに、早くも人々の生活に溶け込み始めていた。
首都グランエルナーダから南南西に遠く離れた、リュウが拾われて世話になったサウスレガロの拠点もそういう事情により、支援企業によってスポーツジムに作り替えられていた。
――きゃああああっ!
耳をつんざく女性の悲鳴が複数上がり、その場に居合わせた女性達が一斉に警戒して悲鳴の発生源を見る。
そこには持っていた服やタオルで胸を隠して蹲るほぼ裸の複数の女性と、その前で声も無く呆然と立ち竦む少年の姿が有った。
少年は背後の壁の窪みから現れたところであった。
「やっべ! ――ぶっ!? ぐあっ!」
「きゃっ、あがっ!?」
「ふぎっ、あぎっ!?」
「んぶっ、があっ!? おおおぉぉぉ……」
顔を青褪めさせる少年は慌てて壁の窪みへと引き返そうとしたが、そこから出て来た少女の額に鼻をぶつけて仰け反る様に転倒して床で後頭部を強打、少女も仰け反ったところを更に後ろから現れた少女の額に後頭部を強打、次の少女も同じ様に更に後ろに居た若いお姉さんに後頭部を強打、若いお姉さんは鼻をぶつけた反動で後頭部を壁の窪みの角にぶつけてしまった。
頭を抱えて蹲って唸る二人の少女と、鼻と後頭部を押さえて立ったまま悶絶する若いお姉さんに周囲の女性達の憐みの目が向けられるが、床で鼻と後頭部を押さえながらのたうつ少年には冷ややかな目が向けられる。
そこへ一人の女性が勇敢にも飛び掛かり、少年の腕を後ろ手に捻り上げる。
「いででででっ!」
「保安局に突き出してやる、この痴漢野郎! みんな手を貸して!」
「違う、違う! 誤解だって! そんなつもりは全然――」
容赦なく腕を捻られて痛みに叫ぶ少年は、マーベル王国からサウスレガロに転移して来たばかりのリュウであった。
当時の記憶を頼りにレジスタンスの訓練場の隅へと転移したつもりのリュウは、裸の女性に面食らったものの、そこが女子更衣室である事と、自分が如何にマズい状況に置かれているのかを瞬時に悟って弁解しようとして、別の声に遮られる。
因みに、未だ壁際で頭を押さえて唸っているのは、リュウと一緒に転移して来たミルク、アイス、ココアの三人である。
アイスはともかく、今やミルクもココアも痛みというものをデフォルトで感じる様になっているらしい。
「はいはい、みんなそう言うのよ。みんな安心して、私は保安局員よ! 誰か局に通報してちょうだい!」
「いででででっ! ちょっ、待って、待って!」
そこへ非番でトレーニングに来ていた保安局員のイリーナ・パッセが加わって、弁解しようとするリュウを呆れ声で遮り、身分を明かして通報を促す。
イリーナは保安局に入って八年になる二十八才、格闘術は特に秀でており、仲間からの信頼も厚い優秀な局員であった。
イリーナが保安局員と名乗った事で周囲の女性達の表情がパッと明るくなるが、逆にリュウは真っ青である。
二人の女性に無理矢理引き起こされるリュウは、何とか誤解を解こうと叫ぶ。
「ま、待って下さい! 本当に誤解なんです! 乱暴は止して下さい!」
「あなたねえ、この状況で誤解も何も無いじゃないの――」
「本当だもん!」
「ご主人様は星巡竜様なんですよ!」
そこへようやく痛みから解放され、状況を理解したミルクが誤解を解くべく声を上げ、イリーナが呆れ混じりに窘めようとするのを、アイスとココアが遮る。
「ったく、どいつもこいつも。星巡竜って言えば私達がビビると思ってるのね……それに今度はご主人様……開いた口が塞がらないわ……」
だが、イリーナはうんざりといった表情で愚痴と共に深くため息を吐いた。
リュウ達は知る由も無いが、最近エルナダではヨルグヘイムが居なくなった為に星巡竜の名を使った様々な犯罪が横行しているのだ。
「ちょっと、嘘なんか言ってないわよ!」
「はいはい。あなた達がグルだって事は理解したわ。ま、こんな所で言い争っても時間の無駄よ。続きは局で聞いてあげるから、今は大人しくしてなさい」
イリーナの態度にココアが憤慨するが、容疑者が激高するのに慣れているのか、格闘術に自信が有るのか、イリーナは落ち着いた態度を崩さない。
「な、なによこの――」
「ココア、やめとけ。火に油を注ぐんじゃねーよ……」
「でも、ご主人様ぁ……」
その態度がココアの神経を逆撫でするが、主人に止められて渋々ではあるが口を噤むココア。
「あの、ここに有ったレジスタンスの拠点はどうなったんですか?」
「何? レジスタンスの残した物資でも漁りに来たの? だとしたら、リサーチがお粗末過ぎるわね……ここはもう半月前からジムよ」
そうしてリュウが自身の腕を捻り上げるイリーナに首だけを回して質問すると、イリーナはただの痴漢では無いのか、とリュウを胡乱げな目で見つつも、質問には素っ気なく応じた。
「じゃあ、レジスタンスはどうなったんですか?」
「はぁ……今度は記憶喪失のフリでもしようって言うの?」
なのでリュウは更に質問を続けようとするが、イリーナは大きくため息を吐いて呆れてしまった様子である。
容疑者とその関係者が三名も居る為、応援の到着を待つ必要が有るイリーナにはリュウ達を出来るだけ刺激しない様に会話で時間を稼ぐつもりなのだが、これまで多くの容疑者が見苦しく言い逃れするのを散々見て来た彼女には、リュウの言葉も同じ様に聞こえていたのかも知れない。
「いや、本当に知らないんです。俺達、ちょっと遠くに行ってたもので。そうだ、ちょっと良いですか――」
「ッ! 動かないで!」
イリーナの反応に苦笑いしつつ正直なところを話すリュウだが、ふと直ぐ後ろに転移門が残ったままなのを思い出して、そちらへ向き直る。
慌ててイリーナが叫びつつリュウの腕を捻り上げようとするが、リュウもそれは想定しているのでビクともしない。
「こ、今度勝手な真似をしたら――」
「別に逃げませんって。それよりここに隠れられると思います?」
リュウの力の強さに危機感を覚えて警告するイリーナだが、リュウは逃げないと断りを入れると、壁を顎でしゃくってイリーナに問い掛ける。
リュウが出て来た転移門は、幅約二メートル、奥行き五十センチ程の壁の窪みにすっぽり収まる形で残っていた。
部屋の明るさで門の内側の光が目立たないが、白い壁がそこだけ石造りの入口に見える。
「何言ってるのよ、その入口から入って来たんでしょ」
「更衣室の奥に別の入口なんて普通有ると思います?」
「え……現にそこに有る……じゃないの……」
リュウの問いにイリーナが見たままを答えるが、続くリュウの指摘にイリーナも違和感を覚えたのだろう、答える声が弱々しくなる。
「んじゃ、この向こうがどこに繋がってるか確認してみましょう」
「ま、待ちなさい!」
そうして不意にリュウが入口へと向かおうとした為、イリーナは慌ててリュウを引き留めるべく腕に力を込めるのだが、リュウは何事も無かったかの様にくるりとイリーナに向き合う。
「俺が痴漢だったなら、犯行経路の確認は必要でしょ?」
「い、今はダメよ! それは後でも確認できるわ!」
そのままリュウがイリーナに問い掛けるが、あっさりと拘束を解かれてしまったイリーナは驚愕しつつ声を張り上げる。
屈強な保安局の男達でも、イリーナが本気で腕を後ろ手に拘束してしまえば容易には抜け出せないと言うのに、目の前の少年は顔を顰める事無く普通に振り向いたのだ。
確かに少年はイリーナよりも背が高く、体格もしっかりしてはいるが、保安局のがっしりした体格の男達程には見えない。
なのに、そのパワーが鍛え抜かれた男達を上回っているという事がイリーナには信じられず、丸腰である事を後悔する。
「でも俺だって、痴漢じゃないって事を証明したいんですけど? まさか状況証拠だけで冤罪かどうかの検証をしないつもりとか?」
「もちろん検証はするわ! でも今はダメよ!」
イリーナのそんな心情に気付かず、リュウはガリガリと右腕で頭を掻きつつ不満そうに訴えるが、何とか増援が到着するまで現状を維持したいイリーナとしては、どうする事も出来ないリュウの左手首を掴んだまま説得を試みるが、声にはまるで余裕が無い。
「お姉さん、結構分からず屋ですね……」
「あ、あなたこそ、指示に従いなさい!」
当然ながら二人の意見は噛み合わず、リュウのジト目をイリーナが気合の眼光で跳ね返している。
イリーナの目を見てリュウはこれ以上の問答は時間の無駄だと理解した様子で、それは大きなため息を吐いた。
「もう、面倒くせえなぁ……言っときますけど、俺この星の人間じゃ無いんです。だから指示に従う必要無いっすよね?」
「ちょ――ッ!」
ぼそりと呟き、直後に自分勝手な主張を始めたリュウに、リュウの左手を掴んでいた右手の手首を掴まれて、イリーナは叫び掛けて目を見開き、息を呑んだ。
警戒していたはずなのに手首を掴まれてしまった事にも驚いたが、その一掴みでこの少年は何か危険だ、と本能的に直感したからだ。
「ココア、アイス、他に誰も通すなよ」
「はい!」
「う、うん」
イリーナが固まっている間に、リュウはココアとアイスに指示しながら掴まれた左手を外すと、右手で掴んでいたイリーナの右手を左手で掴み直す。
「ミルクは来てくれ」
「はい、ご主人様」
「ま、待ちなさい! だ、誰か――」
残る少女に同行を求めて歩き出す少年をイリーナは慌てて制止しようとしたが、腕を引く力にまるで抗えずに引きずられる。
更衣室に残る他の女性達は、なりふり構わず助けを求めようとしたイリーナが、先の見えない壁の穴に消えて行くのをただ呆然と見つめるのだった。




