46 悪夢
轟々と音を立てて噴き上がる黒い炎が数百名もの群衆を取り囲んでいる。
滅びを呟いた直後、ふわりと浮き上がったリュウが黒い玉を周囲に放ったのだ。
それは地面や家屋に着弾した途端に噴き上がり、群衆が息を呑む間にそれぞれと結び付く様にして円を描き、群衆の退路を断ったのである。
ただ黒い炎は以前とは違って燃え広がらず、リュウの意志が込められているのか円を描いたその場所で激しく燃え盛るのみであったが、激しいが故に無理に突破を試みようとする者はおらず、誰もが呆然と立ち尽くしていた。
それを成したリュウの所だけは炎が途切れているのだが、リュウが居る為に誰も動けず、グランがその背で皆を守る様にリュウと対峙していた。
「リュウ様! どうかお考え直し下さい! ただ傍観していた者まで滅ぼすなど、あまりにご無体ではありませんか!」
「そう、ただ見ていただけだ。目を背けていた者も多く居たけどな」
「でしたら――」
「だが、止めようとした奴は一人も居ないじゃねーか。それで十分だろ。ここには生かす価値の有る奴は居ない。中途半端に生かせば、それは後の災いの種になる。それはこの国の連中が身を以って知ってる事だろ?」
それまでの姿とは打って変わって、グランが感情を剥き出しにしてリュウを説得しているが、リュウの方は感情を失ったかの様に冷ややかに答えるのみである。
「ですが! 星巡竜の名を恐怖の代名詞にしてしまうおつもりですか!」
「そんな大袈裟な事でも無いだろ……俺は本当の星巡竜じゃないしな。いつの日かアイスの両親が来れば、みんなの考えもまた変わるって。ただ……その時は、俺は裁かれるかも知んねーけどな……」
「リュウ様……」
それでも説得を諦めないグランであったが、自身が裁かれる事もリュウが念頭に入れているのだと知って、言葉を失ってしまう。
「そんなの嫌ですっ!」
そこに声を上げたのはミルクであった。
ミルクは涙を拭いながら立ち上がると、グランの横に並んだ。
「ご主人様、どうか思い直して下さい! 一部の者への怒りでここに居る人達まで巻き込むなんて、明らかにやり過ぎです!」
「残せば災いの種になると言っただろーが。それとな、ここに居る人達じゃねえ。ここから南、居留地に居る全員だ。ここはただ手始めなだけだ」
「そっ、そんなっ!」
グラン同様に主人の説得を試みるミルクだが、主人の対象が居留地全域なのだと知って絶句する。
アイスが呆然とした表情でリュウを見上げている。
ココアは主人とミルクを交互に見やりながら、何かを迷っている様だ。
「本気なんですか!? 罪の無い人達や子供達だって大勢居るんですよ!?」
「ッ!」
「子供だろうが恋人だろうが、災いの種に変わりない。そこを退け」
「い、嫌です!」
「待って下さい! ご主人様! ココアはご主人様の決定に従うつもりでした! でも子供達は! せめて子供達だけは助けて下さい! お願いしますっ!」
ミルクの言葉でハッと我に返るココアは、子供を引き合いに出されても表情一つ変えないリュウの命令を震えながらも拒否するミルクの側に立ち、震える喉に力を込めて訴える。
男達の蛮行を許せなかったココアは、主人の決定に従うべきか否かを決めかねていたのだが、ミルクの言葉でリックやミリィを失う恐怖に囚われたのだ。
「リュウ、そんな怖い事言わないで! お願いだから、優しいリュウに戻って!」
そしてココアを追う様に立ち上がったアイスもまた、泣くのを堪えてリュウへと声を張り上げた。
「お前達の言いたい事は分かった。けど、俺も決定を曲げるつもりなんか無いぞ。それでも立ち塞がるんなら、お前達でも容赦しないからな?」
「ご、ご主人様……」
だがリュウも引くつもりなど無く、そればかりか立ち塞がる四人に鋭い眼差しを向け、息を呑むミルク同様にアイスとココアが狼狽える間に右手に光を集めだす。
ソフトボールを握る様に軽く丸められた手のひらに集まって来る光は、ぐんぐん凝縮されて直視出来ない程に輝きを増していく。
主人が戦闘態勢に入っている事は一目瞭然なのに、その攻撃対象が自分なのだという事が信じられないミルクとココア。
説得していただけなのに何故? どうして? という想いが強過ぎて思考が停滞してしまい、呆然と立ち尽くしてしまっている。
アイスも男の酷い要求から自分達を守ってくれたはずのリュウが、いつの間にか自分達をも攻撃しようとしている事が理解できずにおろおろするばかりの様だ。
そんな彼女達の様子を気に止めようともせず、その背後の群衆へリュウは右手を躊躇なく向ける。
「リュウ様っ!」
グランの叫び声に、呆然としていたミルク達がハッと我に返る。
その直後、彼らから五百メートル程横にずれた赤茶けた大地が轟音と共に巨大な火柱を噴き上げた。
グランが咄嗟にリュウの右腕に飛び付いて光の発射方向を大きく逸らしたのだ。
集まった数百人の群衆を優に飲み込むサイズの火柱から吹き寄せる灼熱の風が、奇しくも黒い炎に巻き上げられて群衆は事無きを得たが、黒い炎越しの光景を目の当たりにして誰もが絶望の表情のままに絶句している。
途端に子供達が泣き叫び始め、親達が抱きしめながら口々にリュウへ許しを乞い叫び始める。
そしてアイス、ミルク、ココアの三人もリュウの放った攻撃の威力に唖然とし、しばし呆然と火柱を見つめた。
「グラン、邪魔すんじゃねーよ……」
「リュウ様……あなたは本当に皆を……」
叫ぶ人々の事などまるで気にした様子も無くリュウに睨まれ、グランがリュウに困惑の眼差しを向ける。
グランだけは昨晩の打ち合わせで、最悪の場合リュウが切れて見せる事を知っていたのだが、リュウがここまでやるとは思っていなかった為である。
それに今の攻撃はグランにとっても間一髪のタイミングであり、何よりも威力が常軌を逸していたからだ。
「冗談でこんな真似できっかよ。てか、マジで俺に敵対すんのか?」
「……敵対はしません。ですが、平和の絵に賛同して下さった多くの方々の想いを無駄にせぬ為にも、リュウ様には虐殺を思い止まって頂きます!」
呆れた様に肩を竦めるリュウに問われ、グランは否定しつつもリュウを力ずくででも諫める道を選択する。
それは今グランが口にした論理的な理由もそうだが、ミルクと同様に心を持った今では、如何なる理由であろうともリュウの選択は間違っている、と直感したからでもあった。
「分かった。なら全力で掛かって来い。ハイブリッドになったと言う戦闘力は俺も興味あるからな。けどさ……お前一人でやれんのか?」
グランが強い意志を以って構えを取るのを見て、リュウが小さく頷いて自然体のままに応じつつ、ニィっと笑いながら疑問を投げ掛ける。
「ッ! ご心配なく。私はそこまで自惚れておりません。姉さま! 援護をお願いします! アイス様、万が一にも皆に被害が及ばぬ様に、守ってあげて下さい! ではリュウ様……お覚悟を!」
リュウの問いにほんの一瞬ピタリと動きを止めるグランだが、すぐに普段通りの柔らかい物腰で応じつつ、二人の姉に戦闘支援を、アイスには後方での障壁展開を要請して、短く叫んでリュウに挑み掛かる。
「んなもん、とっくに出来てんだよぉ!」
対するリュウは矢の様なグランのパンチを左腕で払いつつ、叫び返しながら黒い右拳を躊躇なくグランの顔面に放つ。
だがミルク達はグランに呼び掛けられても、すぐには反応出来なかった。
主人と戦闘になる事など想像もしなかったからであるが、主人とグランが激しく殴り合いを始めた事で、ミルクが喉に力を込める。
「まっ、待ってグラン! ご主人様も止めて下さい!」
「姉さま! 今はリュウ様に想いを届けるのが先です! 援護を!」
「でもっ!」
慌てて即座に戦闘を止めさせようと叫ぶミルクが逆にグランに援護を求められ、そんな事できる訳がない、と困惑のままに叫ぶ。
「アテが外れたな、グラン! 何だかんだ言っても! ミルクは俺に! 味方してくれるんだ――」
「ちっ、違っ!」
「――っよ!」
「ぐうっ!」
そんなミルクの様子に、リュウが口元をニィっと歪めながら苛烈にグランを攻め立て始め、ミルクが咄嗟に否定しようとするも、リュウの強烈な前蹴りがグランの防御の隙を縫って腹部に突き刺さる。
「グランっ! 姉さま! 今はそんな事言ってる場合じゃ――くうっ!」
グランの背後に居たココアもミルク同様に迷っていたが、吹き飛ぶグランを反射的に抱き止めた事で主人の説得を断念し、ミルクの協力を仰ごうとして、容赦無い主人の追撃にグランを引き倒す様に飛び退いてグランを庇う。
「ココアっ! ご主人様、止めて下さいっ! ――ッ!」
「姉さまっ!」
その光景に思わず叫ぶミルクは捨て身で主人とグラン達の間に割り込むのだが、迫り来る黒い拳に息を呑んだ瞬間、体勢を立て直したグランに右腕を引っ張られてその腕に抱き止められる。
微塵も減速せずに眼前を吹き抜けた黒い拳に戦慄を覚え、ほんの一瞬だが呆然としてしまうミルク。
「姉さま、今は説得してる場合では! 隙を作ればまたあの攻撃が! アイス様も急いで下さい!」
「――ッ! くっ……そんなっ、どうしてっ!」
「う、うんっ!」
そして再びリュウに挑み掛かるグランの必死さが滲む言葉に我に返るミルクは、やり切れない想いを叫びながらココアと共にグランを援護し始め、アイスも群衆の下へ駆け寄って障壁で皆を包み込む。
黒く激しい炎の内側に展開された大きなドーム状の障壁を前に、グランを中央にミルクとココアが並び立つのを見て、リュウがその動きを止める。
「ふーん、お前達が後ろの連中を守りたい気持ちは良く分かった……」
「「ご主人様……」」
気怠そうなリュウの呟きに、ミルクとココアの瞳が揺れる。
確かにミルク達は群衆を守ろうとするグランを援護してはいる。
だが本当に守りたいのは主人の星巡竜として定着しつつある名声なのだ。
なのに主人と戦わねばならない状況が未だに信じられず、思わずこれで戦わずに済むのだろうか、と甘い期待を抱いてしまう。
「なら、俺を止めて見せるんだな!」
「「――ッ!」」
そんなミルク達を気にも掛けずに言い放ったリュウが、即座に反応するグランと再び戦闘状態に入る。
慌ててグランの援護に回るミルクとココアだが、その動きは精彩を欠いている。
それはリュウとグランのスピードの速さもさることながら、主人と戦いたくないとの思いが強過ぎて、牽制と言えども攻撃を躊躇っているからである。
「姉さま、守勢ではリュウ様を止められません! 攻撃を!」
それはグランも分かっていた様で、ミルクとココアに攻撃を要請する。
「でもっ!」
「心配しなくてもリュウ様にはそう簡単には当たりません! ですが、動きは制限出来ます! 後はお任せを!」
「言うじゃんか、グラン! それでも俺が勝つけどな!」
それでもなかなか踏ん切りがつかないミルクにグランが言葉を重ねるが、それはリュウを余計にやる気にさせた様で二人の攻防は熾烈を極めて行く。
グランゼム戦で懲りているのだろう、大振りをせずにコンパクトで素早い攻撃に徹するリュウ。
特に攻撃を引き戻す速度は素早く、グランに攻撃を掴まれない様に心掛けている様である。
一方のグランはグランゼムの記憶を持たないにも拘らず、グランゼム同様に必要最小限の動きで対抗している。
更には体の各所に生成した小型カメラでリュウの動きを細かく観察、先読みする事でリスクを極力減らしていた。
しかしそれでも数十という攻防を繰り広げる内に、グランが劣勢に追い込まれていく。
グランゼム戦の時からミルクは気付いていた事だが、単純な速度ならばリュウの方が速い上に、反省を生かして大振りをしない為に隙が少ないからである。
「っく……姉さま! グランと思考共有を!」
「わ、分かった!」
単純なサポートだけでは主人の勢いを止められない、と判断したココアの叫びにミルクももうそれしか無い、とココアと共にグランと無線リンクする。
するとたちまち、グランを中心に三人の動きが無駄無く洗練されていく。
グランの望む形に姉二人が動いてくれる為、グランが無理せず最適行動を取れる様になったからである。
「へえ、さすがは姉弟って訳か……けど、これならどうだ!」
それにはリュウも攻めあぐねて感心した様子を見せるが、次の瞬間大地を蹴って砲弾の如き飛び蹴りを放つ。
「「ッ!」」
「しまった!」
その飛び蹴りの速さにミルクとココアはビクッと硬直し、狙われたグランは身を捻って回避したものの、リュウの本当の狙いは自分では無かったのだ、と分かって短く叫ぶ。
「わあっう!」
アイスの悲鳴を掻き消す程の轟音が辺りに響き渡る。
リュウの飛び蹴りがアイスの張る障壁に直撃したのだ。
それまでおろおろとリュウ達の戦いを見る事しか出来なかった人々が、大気をも震わせる轟音に真っ青になって固まっている。
子供達はより一層泣き出して、阿鼻叫喚と言える様な状況だ。
それでも障壁は破られず、さすがは星巡竜と言えるアイスであるが、飛び蹴りの威力に驚いたのか、その表情は人々同様に青褪めている。
「くっ!」
「アイス様!」
「これ以上はさせません!」
すかさずミルク達が攻撃を繰り出し、リュウと障壁の間に割って入る。
更にグランは苛烈に攻撃を繰り出して、リュウを障壁から少しでも遠ざける。
人間の関節可動域を無視した人工細胞の集合体ならではと言える攻防一体の攻撃手段に、さすがのリュウも後退を余儀なくされる。
「おまっ! そんなんアリか! ズルいだろ!」
放った黒い拳を上半身だけ左へ捻って躱したはずのグランが、その勢いのままで腰から上だけを三百六十度回転させて右拳を打ってくるのを、リュウが叫びながら辛うじて回避する。
「お褒めに預かり光栄です!」
「褒めてねーよ! おわあっ!?」
それに気を良くしてか、グランが右腕を分割させて異なる角度で同時にパンチを放ちながら謝意を述べ、憤慨したリュウが大振りする隙を狙って連続で左の蹴りを繰り出す。
見ればグランは二本の足で地面を踏みしめており、蹴りを放っているのは腰の左横から生み出した三本目の足であった。
「私に人の枠は狭すぎるのです!」
「普通にキモいわ!」
「そんな馬鹿な!?」
「ふざけてんのか、この野郎!」
「滅相もありません!」
「何なんだよ、この精神攻撃ぃ!」
その後もグランが人体の可動域を無視したトリッキーな攻撃でリュウを翻弄するのだが、リュウの反射速度も尋常のものではなく、クリーンヒットを取るまでには至らない。
それをグランの背後から見ているミルクとココアは、思考共有によってグランがどんな攻撃を仕掛けるのか分かっている為に驚きはしなかったが、主人とグランのどこか間の抜けたやり取りに、ついつい油断をしてしまう。
「隙有りだ、お前ら」
「しま――ッ!」
「あぐうっ!」
グランの変則的な回し蹴りから逃げる様にその裏側へ一気に踏み込んだリュウによって、二人は腹部に掌底を受けてその場に崩れ落ちてしまう。
「姉さまっ!」
「ミ、ミルク! ココア!」
「くっ……!?」
「え……どうしてっ!?」
グランとアイスの叫びを耳にして即座に起き上がろうとするミルクとココアは、手足が動かない事に混乱する。
マスターコアからの命令が首から下に届かないのだ。
「悪いな。ちょっとそこで寝てろ」
「一体、姉さま達に何を!」
地面に這いつくばるミルクとココアへ、ほんの少し済まなそうに声を掛けてやるリュウ。
グランはいつまでも起き上がらない二人の姉を見て、背中を見せるリュウへ叫びながら襲い掛かる。
「種が知りたいか? なら、教えてやるよ!」
「なっ!? ぐうっ!」
だが、それを見越していたリュウに攻撃を躱されて反撃に備えるグランは、突然体が硬直した事に混乱し、姉同様に腹部に掌底を受けて地面を転がる事になった。
辛うじて首だけを持ち上げてリュウを見るグランが、リュウの右手が金色の光を纏っている事に目を見開く。
「く……何なんですか、それは……」
「俺の奥の手だ。凄えだろ。説明は難しいんだけどな……」
「答えになっていませんよ……」
「まぁ、ちょっと待てって。先に向こうを終わらせて来るわ」
「な……お待ち下さい! リュウ様! リュウ様ぁぁぁ!」
自身が動けない原因がリュウの纏う光なのかと問い掛けるグランだが、リュウが話を切って踵を返し、障壁に向かうのを見て声を振り絞った。
「こ、来ないでリュウぅ! みんなを滅ぼすなんて間違ってる! お願いだから、来ないでぇぇぇ!」
「ご主人様! 考え直して下さい! ご主人様ぁぁぁ!」
「止めて下さい、ご主人様! お願いします! お願いしますぅぅぅ!」
「あー、もう! ごちゃごちゃうるせー! 負けた奴は黙って見てろ!」
同時に三姉妹からも悲鳴を上げられてイラっとするリュウは、額に青筋を浮かべながら叫び返して無理矢理皆を黙らせ、障壁へと歩み寄る。
「アイス。障壁解除してくれよ?」
「い、嫌だよ! 絶対、解除しないもん!」
障壁の外側からリュウに障壁の解除を頼まれるアイスは、震える喉に力を込めて初めてリュウに反発する。
「お前もこいつらの酷さは見ただろ。生かす価値が有ると思うか?」
「そ、それは一部の人達だけだもん! 他のみんなは何もしてないでしょ!」
「何もせず見てるだけってのは良い事か?」
「よ、良くないけど……でも、だから滅ぼすって言うのは違うの!」
「残すと後々、面倒な事になるぞ?」
「そ、そんなの……分からないでしょ! 決めつけちゃダメなの!」
「交渉決裂……だな?」
「う……さ、させないよ! いくらリュウでも、こんな事は絶対にダメ!」
その後も尽く反発して見せるアイスは、リュウが静かに構えを取ったのを見て、後ろの人々を守る様に両手を広げ、震える足で大地を踏みしめる。
障壁の輝きが一段と増すのを見て、人々が縋る様な目でアイスを見つめている。
「そっか……んじゃ、仕方ねえな……」
「リュ、リュウ……」
やれやれと肩を落として脱力するリュウに、諦めてくれたのかと淡い期待を抱きかけたアイスが目を見開き、小さく呟いてゴクリと息を呑んだ。
リュウの黒い腕の外側に、淡く輝く金色のラインが浮かび上がったからである。
そしてリュウはふらりと障壁に対して右足を引き、弓を構える様な格好で左手を障壁に沿え、右拳を後方に引き絞る。
その姿に誰もが目を奪われ、アイス同様に息を呑む。
「ダ、ダメぇぇぇっ!」
リュウがギリっと歯を食い縛ったのを見て、思わず叫ぶアイス。
その刹那、轟音と共に障壁が砕け散り、無数の粒子となって空中へ消えて行く。
「あ……あ……」
その光景に呆然とするアイスが、その場でぺたんと尻もちを突いた。
そしてゆっくりと近づいて来るリュウを呆然としたまま見上げている。
ミルク達姉弟も這いつくばったまま唖然とその光景を見上げ、アイスに守られていた人々も自分達の置かれた状況を忘れたかの様に、キラキラと空中へ消えて行く光の粒子を呆然と見上げている。
そんな中、赤ん坊を抱いた一人の女性がアイスに近付くリュウを見て我に返り、アイスの下へ駆け寄った。
そしてアイスを庇う様に前へ出た女性は、リュウに向かって膝をつくと赤ん坊を抱いたまま平伏して声を張り上げた。
「待って下さい! どうか不敬をお許し下さい! 私達は、脅されて――」
「おい! てめ――ッ! う……」
女性の悲鳴に似た叫びをリュウを蹴った男の一人が恫喝で掻き消すが、リュウにギロリと睨まれると男は目を泳がせて口ごもり、おずおずと前に立ち並ぶ仲間達の陰に隠れた。
突然の母の叫びに赤ん坊が泣き出すが、リュウの不興を買わない様にか、女性はぎゅっと赤ん坊を抱きしめたまま頭を深く下げて震えている。
睨み付けた男達が目を伏せる様子を見て、これ以上は口を挟まないだろうと判断したリュウは、再び視線を目の前で平伏する女性に戻す。
「脅されて? 詳しく教えてくれます?」
「わ、私達はあの男達、南部解放同盟の連中にあなた達と決して話すな、自分達と一緒になって追い返せ、と強く言われていたのです!」
それまでの恐ろしい雰囲気とは打って変わった穏やかなリュウの口調に、女性が困惑混じりにリュウを見上げて話し出す。
「脅されて、ってのは?」
「私達の代表と一部の子供達が南部解放同盟に捕らえられたのです! そ、それで私達は仕方なく……お、お許し下さい! どうか、お慈悲を!」
そうして事情を釈明する女性が再び地に頭を擦り付けると、周囲の人々も女性に倣って次々に謝罪を口にしながら平伏し始めた。
おろおろと立ったままなのは、リュウに暴行を加えた男達だけだ。
腕を潰された男だけは、未だ蹲って呻いているが。
「ふーん……南部解放同盟ねぇ……皆さん、この人の話は本当ですか?」
そうして女性の話が本当かどうかを周りで平伏する人々にも確認するリュウは、人々が口を揃えて同意する様子に納得し、孤立し立ち尽くす男達の下へ向かう。
「おい、捕らえた人達はどこだ」
「……だ、誰が言うか――ッ」
リュウに質問を向けられた男が反抗の姿勢を見せた途端、後ろに居た仲間を巻き込んで倒れた。
ドアをノックする様に、リュウがスナップを利かせた裏拳を男の額に叩き込んだのだ。
巻き込まれた男達は倒れたものの、何が起こったのか、と驚いているだけだが、質問された男はどうやら気絶している様でピクリとも動かない。
打撃が当たる瞬間に拳を握り込んでいなくとも、見えない速度で打たれればその衝撃はご覧の通り、という訳だ。
「芝居は終わりだ。お前らが混乱の元凶だと確定した以上、お前らに慈悲は無い。生きたまま解体されたくなかったら、とっとと答えろ」
「「「――ッ、…………」」」
「はぁ……」
再びリュウが男達に問い掛けるが、男達が青褪めて固まってしまったのを見て、脅し文句が効き過ぎたか、とため息を吐く。
そして蹲って呻いている腕を潰した男の前へしゃがみ込む。
「おい、腕を治して欲しいか?」
リュウに問われて、男は涙目でコクコクと頷いた。
折れ曲がって垂れ下がる男の腕は紫色に腫れ上がっており、それを成したリュウ自身が痛そうに口元を歪めている。
「なら、質問に正直に答えろ。そうしたら元に戻る様に頼んでやる」
リュウに言われて、男は苦痛に顔を歪めながら必死にリュウの問いに答える。
その頃になって体の自由が戻って来たらしく、グランがリュウの傍に歩み寄り、ミルクとココアは不安そうな面持ちで茫然自失状態のアイスの下へ向かった。
「どうやら上手く行きましたね」
「おう、お疲れ。お前のお蔭だよ、グラン」
グランに話し掛けられてリュウが笑顔で応じながら、ほっとため息を吐く。
その二人の会話に、三姉妹がハッと顔を上げた。
「しかし、一時は混乱しました……ここまでやるとは聞いていなかったので……」
「けど、予定通りみんな巻き込む様に言ったろ?」
「『お前一人でやれんのか?』ですね……あれが無ければ半信半疑のままでした。主演男優賞ものですよ、リュウ様」
「いやぁ、結構マジでムカついたしな。ま、そのお蔭で上手く行った訳だし、結果オーライよ!」
そんな三姉妹の様子に気付かないリュウとグラン。
二人は最悪のパターンだったとは言え、昨晩の打ち合わせの想定内で済んだ事に笑みまで浮かべ合っている。
「「「……酷い……」」」
「ん?」
そんな時、震える様な声にリュウが三姉妹へと目を向けた。
絶望すら覚えた戦闘が、実は人々から真実を引き出す為の主人とグランによって仕組まれた芝居だったと分かって、三姉妹が信じられないという表情でわなわなと震えている。
「怖かった……アイス、どうして良いのか……う……う……うえぇぇぇぇん……」
「何が主演男優賞ですか……ミ、ミルクがどんな想いで……わぁぁぁぁぁっ……」
「結果オーライって何ですか……ほ、ほんとにココアは……うわぁぁぁぁぁ……」
「ちょっ!? い、いや……悪かった! お、おい、グラン! 泣き止ませろ!」
そして三者三様に号泣しだした三姉妹に慌てたリュウが、周りの目も憚る事無くグランに丸投げする。
「えっ!? そんな無茶な! この結末はリュウ様の想定内なのでしょう!?」
「いや……『なーんだ、びっくりした』くらいで済むかと……」
「そんな訳無いでしょう! 慰めの言葉くらい、用意していて貰わないと!」
だがグランもそこまでは頼られると想定していなかった様で、リュウのあまりの楽観ぶりに声を裏返して抗議する。
「お、お前だって共犯なんだぞ! 超々高速演算で何とかしてくれ!」
「くっ……リュウ様! エラーの嵐ですっ!」
「な、何だとぉ!?」
「どうやら私の乏しい恋愛経験値では、要件を満たせない様です!」
「つ、使えねー! 一体、誰が作ったんだよぉ!」
「酷い! そ、それが創造主様の言葉ですかぁ!」
三姉妹の号泣が止まぬ中、喧しく騒ぎ立てるリュウとグラン。
その様子を人々は、疲れ切った表情でしばし眺め続けるのであった。
今回は切るに切れなくて済みません…
と言うよりは、読み応えが有って良い!
と開き直る事にします(笑)
とは言え、お叱りは甘んじて受けます…m(_ _)m
勿論、ご意見、ご感想もお待ちしております。




