36 本題前の試練
その後、奴隷達を解放させる為の準備として、セザール政務官とロレック軍務官による三民族の説明や、質疑応答などが積極的に行われたのだが、そこに引き締められた緊張感は無く、どこか緩い空気感が漂っている。
馬鹿野郎呼ばわりされたリュウがレオンに食って掛かり、レオンも負けじと応酬したのが発端であり、それを止めようとするアイスとミルクも加わって、いつもの喧しい事態へと移行していったのだ。
まるで子供の悪口の言い合いレベルと化したリュウとレオンのやり取りに、皆がハラハラと見守る中、リゲルが思わず吹き出したのに釣られてサラ皇太后も盛大に吹き出してしまったのが主な原因である。
「以上で大体一通りの事は説明出来たかと思いますが……」
「ふぃ~、大体把握した。後は直接会って、出たとこ勝負だな……」
セザール政務官の言葉を合図に、背もたれに寄り掛かって伸びをする行儀の悪いリュウであるが、誰もそれを咎めずにその後の言葉に頷いている。
「リュウ、私が同行する訳にはいかないから言っておく、一度の交渉で結論を出す必要は無いんだからな? 難題を突き付けられたら、即答を避けて一先ず持ち帰る事だ。皆で検討しよう」
「分かってる、その時はみんなの知恵に頼らせてもらうって。んじゃ、保護区への通達が済み次第、向かう事にするよ」
「リュウ様、本当に私が行かなくて良いのですか?」
そうして席を立つリュウがレオンの助言に肩を竦めて応じていると、オーベルが自分はこのままで良いのか、と不安そうにリュウへと問い掛ける。
オーベル自身、敬愛していた父でさえ解決出来なかった問題をどうして良いのか分からないままなのだが、王という立場である以上、何かせずにはいられなかったのだ。
「むしろ行っちゃダメだろ。アイスが居るから、問答無用で襲い掛かられても守るくらいは出来るだろうけど、お前と懇意だと分かって態度を硬化されたら、余計に交渉が面倒な事になりかねないからな……」
「はい……しかし……」
「いいか、絶対動くなよ? お前に何か有れば、この問題を解決させる意味が無くなっちまうんだからな? 王は王らしく、でーんと構えてりゃ良いんだよ。な?」
「わ、分かりました……」
リュウからダメ出しされるオーベルは、それでもまだ自身の気持ちに踏ん切りが付かなかったのだが、絶対動くなと睨まれてしまうと、それまでの気持ちはどこへやら、慌てて自身を納得させる。
リュウはオーベルに自重を促したかっただけなのだが、初対面の時から気さくに振舞っていたリュウの初めて見せる睨みのギャップが、オーベルには大きかった様である。
お蔭でその後の軽口にオーベルは愛想笑いする余裕も無さそうで、リュウの頬がやり過ぎたか、と引き攣っている。
「まぁ一日、二日で解決出来る問題でもないだろうし、焦っても仕方ない……」
「そうだな。私は一先ず視察団を連れて国へ戻る。国内の準備もまだまだこれからだからな」
肩を竦めつつ気持ちを切り替えるリュウに、レオンは頷くと席から立ち上がって皆に小さく会釈する。
「んじゃ、この場は一旦お開きという事で。向こうと話し合った内容はこっちにも報告を入れるんで、何か気付いた事やアドバイスが有ればミルクの方に頼みます」
「承知致しました」
そうしてリュウが場の終了を告げ、目が合ったセザール政務官に連絡を取り合う事を頼んで部屋を後にする。
「リュウ様、どうかよろしくお願い致します」
背後から掛けられたサラ皇太后の声にリュウがちらりと振り返ると、両脇で頭を下げるセザール政務官とロレック軍務官の間で、不安そうにリュウの事を見つめる母子の姿があった。
二人はリュウが言葉を返さぬものの、口元に笑みを浮かべて頷き返しながら扉の向こうへ消えるのを見守った。
そしてミルクが一礼して扉を静かに閉じた後も、二人は祈る様な瞳で扉を見つめ続けるのであった。
二台のビークルに戻って来た視察要員達が次々と乗り込む中、ビークルの脇ではリュウとロダ少佐が話しており、レオンやグランも傍に控えている。
「そんな事になっていたのか……」
「はい……なので、とりあえず話だけでも聞いて来ます。済みませんが先に戻っていて下さい……」
「分かった。無理はしない様にな?」
「了解っす」
事情を聞いたロダ少佐は最初こそ驚いたものの、説明するリュウから何かを感じ取ったのか、言葉少なに理解を示すに留めた。
「リュウ、くどい様だが慎重にな……」
「分かってる。んじゃ、そっちはよろしく。何か有ればグラン、頼んだぞ?」
「お任せ下さい、リュウ様」
ロダ少佐との会話を終えたリュウは続くレオンにしっかり頷くと、帰路の安全をグランに頼む。
リュウ自身、実際には帰路に何か起こるとは正直思っていないのだが、グランの頼もしい返事に満足していると、レオンが再び口を開く。
「しかしリュウ、本当に彼の事は良いのか?」
「仕方ないでしょ……本人の希望だし、俺も本当はその方が良いと思うし……」
レオンが尋ねるのはアルの事であった。
皆が視察から戻る前、リュウはアルに問題が片付くまでの間だけマーベル王国へ身を置く事を提案したのだが、アルに両親と一緒に居たいと泣かれてしまった為、それ以上の説得を断念してアルの希望を受け入れたのである。
その時の事を思い出して、そりゃそうだよな、と肩を竦めるリュウ。
現時点で奴隷制度を解消できる見込みは無くとも、自身も早くに両親を失くしたリュウには、アルに少しの間でも寂しい思いをさせたくなかったのだ。
「そうか……ま、お前が頑張って皆を解放させるまでの辛抱だしな」
「う……簡単そうに言うなよな……」
リュウの決定に頷きつつも心配はしていない、と言わんばかりのレオンの言葉にジト目を返すリュウ。
「首を突っ込んだのはお前だからな。しかし、お前ならば何とかしてしまいそうな気がするよ。まぁ、こっちは準備を進めるだけだから、お前は心置きなく目の前の問題に集中してくれ」
「へいへい……」
だが自業自得としつつも行動を認めてくれるレオンの姿勢に、リュウは短く返事するに留め、ビークルに乗り込んで去って行くレオン達を見届ける。
「さて……と。んじゃ、俺達も向かうとするか」
「はい、ご主人様」
ビークルが見えなくなってリュウが振り返ると、アルを囲む様にして待つミルク達の他に、リゲルとガースも去らずに残っていた。
「リゲルとガースも来るのか?」
「俺達は道案内兼、見学……かな」
「見学ぅ?」
「俺達武芸者はコーザの民だからな。あんまり前に出て大将の足を引っ張る訳にはいかねえだろ? けど話を聞いていれば、分からない事が有っても補足説明くらい出来そうだからな……ま、必要になるかは分かんねえけど……」
「そっか、助かる。よし、アルの父ちゃん達に会いに行くか!」
「はい!」
「じゃあ、出発しますぜ」
そうしてリゲルが去らずに残っていた理由に笑みを浮かべるリュウは、そのまま明るくアルに呼び掛けて、元気よく返事をするアルの手を取って先導するリゲルとガースの後に続く。
「上手く行くといいね……」
「そうですね……」
「ご主人様なら、きっと何とかしてくれますよぉ」
その後ろでは、アイスがリュウを真似る様に左手をミルク、右手をココアと手を繋ぎながら後に続き、リュウとアルを微笑ましく見つめるのであった。
「着きましたぜ、大将」
「ん、分かった」
リゲルに声を掛けられて、リュウは途中で借りた馬車から降りた。
徒歩だと数時間は掛かる為、リゲルが借りてくれたのだ。
リュウの目の前には石造りの武骨な二階建ての建物と、そこから東と南へ伸びる高さ五メートル程の板塀が延々と続いており、どうやらここは保護区の北西に位置する様である。
「それにしても、アルはよくあそこまで逃げて来れたな……」
「ほんと、よく頑張ったわね。アル」
「ううん、本当は南に逃げたかったんだけど……できなくて……」
ここまでの道のりを振り返るリュウが、その行程の八割近くを逃げて来たアルに感心すると、ココアもアルの頑張りを褒めるのだが、アル自身は両親の教え通りに逃げられなかった事を恥じたのか、赤い顔で俯いてしまう。
「でも、そのお蔭でリュウに会えたんだねぇ」
「何だか運命的なものを感じちゃいますねぇ……」
そんなアルにアイスがにっこりと微笑み掛けると、ミルクもAIらしからぬ呟きを溢しながらアルの頭を優しく撫でる。
アル少年の赤い顔がますます赤くなるのを、ガースが羨ましそうに睨んでいる。
「へぇ、AIのお前でも運命とか言うんだな……」
「えっ、それはそうですよ。ミルクにはちゃんと心が有るんですから……それに、アイス様のお力でご主人様の中に生まれる事自体、運命的じゃないですかぁ……」
リュウに意外そうにからかわれて心外だと言わんばかりのミルクが、続く自身の言葉にポッと頬を赤らめる。
何を想像したのかは言わずもがな、さすがはムッツ……ロマンチストのミルクである。
「そうですよぉ! ココアがご主人様と結ばれたのも、運命なんですよぉ!」
「ア、アイスもぉ!」
「あ~……ハイハイ……」
そしてその通り、とミルクに続くココアとアイスがリュウを照れさせるのだが、ココアの余計な一言にミルクがわなわなとココアを睨み、ガースが見てはいけない物を見てしまった、とでも言う様に挙動不審になっている。
そんな時、目の前の建物の扉が開き、ぽっちゃり丸く肥え太る口ひげを生やした中年男性が出て来る。
「リュウ・アモウ様でいらっしゃいまシュか? 私は保護区の北西地区を任されておりまシュ、監督官のマーシュ・マウロと申しまシュ。ロレック軍務官から事情は通達されておりまシュので皆様の行動に制限などはほぼありませんが、入出の際にはこちらで入出記録をお願い致しまシュ」
「あ、はい。リュ、リュウ・アモウ……です。それで、こっちが星巡竜のアイス、こっちは従者のミルクと……ココア。こっちの二人の武芸者は案内と説明を頼んでいるリゲルとガースです」
奴隷の監督官と言えば暴力に屈しない屈強な男、という勝手なイメージを持っていたリュウにとって、穏やかな笑みを浮かべるマーシュと名乗った監督官の丁寧な口調や立ち居振る舞いは、貴族の様な優雅ささえ感じられる程であった。
しかし丸い体型と短い手足のせいで、その動きはどこかコミカルであり、独特な口調も相まって、色々と面食らうリュウ。
それでも何とか頑張って挨拶を返すリュウであったが、ココアは既にプルプルと限界に達しており、紹介の際にリュウがちらりと目をやると、目をぎゅっと閉じて俯いたままミルクにしがみついていた。
この時リュウは気付いてないが、ココアのつま先はミルクに渾身の力で踏みつけられていたりする。
因みにアルはミルク達の後ろに居た為、敢えてリュウは黙っていた。
脱走の事で問い詰められても面倒だったからである。
「これはこれは。わざわざ、ご丁寧にありがとうございまシュ。リゲルとガースは存じておりまシュが、彼らが居るという事は護衛の必要はございませんか?」
「あ~、はい……そうですね。大丈夫だと……」
そんなリュウ達に気付かぬままマーシュが胸に手を当てて丁寧に腰を折ったり、身振り手振りを交えて話すのだが、いかんせん手足の長さが足りない。
込み上げてくる笑いを堪えて返事をするリュウが、目が合ったリゲルとガースのニマニマと歪む口元に気付き、こいつら知ってやがったな、とジト目になる。
そのお蔭もあって笑いを鎮めさせる事が出来たリュウを、更なる試練が襲う。
「そうでシュか……。では一応、念の為にこの笛をお持ち下さい。これを吹けば、衛兵達が駆け付けまシュので」
「わ、分かり……ました……」
それは残念そうにシュンと項垂れるマーシュに鎮めたはずの笑いが一気に戻り、必死に耐えるリュウ。
そんなリュウにマーシュはずいっと近付くと、懐から手で握り込める程度の笛を取り出し、短い手で差し出した。
笛を受け取るリュウの腹がビクビクと波打っている。
その後ろではアイスとミルクが必死に自身の手をつねっており、既に限界を突破しているココアは、ミルクの容赦の無い電撃により小刻みに痙攣していた。
声を漏らしていないのが奇跡である。
「では、どうぞ。今回は初めてのご来訪、各民族の長を呼んでおりまシュ。衛兵に案内させまシュので」
「は……はい……ど、ども……」
ようやく訪れた解放の時、マーシュが胸に右手を当てて優雅に腰を折り、左手で扉を指し示すのだが、やはり体に比して手足が極端に短い。
だが、本人は額に汗までかいて至って大真面目なのだろうから、ここで笑うのは失礼の極みである。
リュウ達は必死に耐えながら扉を潜った。
電撃されたままのココアだけは、アイスのお蔭で僅かに宙を浮いていたが。
この時、アルもマーシュの前を通った訳だが、マーシュは何も言わないどころかニコニコとアルを見送っている。
「いやぁ、お見事。さすがは星巡竜様とその御使い様。ココア様は……無念だったでしょうが……」
「別に死んでねーよ!」
監督官のマーシュが後は衛兵に任せて去ると、早速リゲルがリュウに笑い掛け、ジト目のリュウに突っ込まれる。
脇に控える衛兵二人が、事情を察しているのか苦笑いを溢している。
「んう……」
「気が付いた? ココア、大丈夫ぅ?」
「はっ! ココアは何を……あのマシュマロオヤジは!?」
「ぶふうっ!」
「コっ、ココア!」
そんな時、ミルクにもたれかかるココアが再起動し、心配するアイスを無視して辺りを見回しながら発した問い掛けに、遂にリュウが吹き出してしまい、ミルクの叱咤も虚しく皆がゲラゲラと笑い出す。
「いやぁ、マジ何なんだよ、あの人……いつもああなの?」
「らしいぜ? 俺も初めは無理でさ、なのに怒りもしないんだよ! なぁ?」
「ああ……俺も耐えられなかった……」
「アルはよく耐えたな?」
「あの人、優しいよ? いつも面白い事言ってくれるし」
「そ、そうなのか……」
ひとしきり笑ったリュウが尋ねると、リゲルが当時を思い出して再び笑い出し、ガースも悔しそうに苦笑いを溢す。
どうやらここへ来た者は、誰しもマーシュの洗礼を受ける様だ。
逆に普段からマーシュと接しているらしいアルは、リュウ達の反応にきょとんとしている。
「あれ、素なんです?」
「監督官はいつもあの調子です……相手が吹き出しても怒りません……」
「ちょっと狙ってるフシは有る様な気はしますが……実際は分かりません……」
「マジかよぉ……」
そして問い掛けた衛兵達の返答に、半笑いで呆れるリュウ。
衛兵さん達も数々の出来事を思い出しているのだろうか、平静を保つのが非常に辛そうである。
「本題に入る前に、とんだ試練だったな……」
「この先、難題にぶち当たったら思い出すのも手かも知れねえな、大将?」
「あのなぁ、おっさん……」
「ア、アイス思い出しちゃったらどうしよう?」
「こ、心を落ち着けて耐えましょう! アイス様なら大丈夫ですぅ!」
「ふひっ……姉さま……ココア無理ぃ……」
「……記憶、消す?」
「……が、頑張るぅ……」
やれやれと呟くリュウがリゲルの軽口に苦笑いを溢す背後では、ミルクが弱音を吐くアイスとココアを激励している。
「ったく締まらねえなぁ……もっと気合入れないと。んじゃ衛兵さん、案内を頼みます」
「はっ。では、ご案内します」
その後、リュウが気を取り直して衛兵に案内を頼むと、皆もそれなりに気を引き締めてリュウの後に続くのであった。
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