34 立ちはだかる壁
辺りは再び、いや、先程以上に野次馬達で溢れ返っている。
が、声を立てる者は少なく、皆ひそひそと隣合う者と言葉を交わしている。
彼らの注目を浴びるのは、翼を出した御使いモードのミルクとココアである。
奴隷の少年を追って来た男が、そんなミルクとココアに道を塞がれて、ぽかんとした表情で突っ立っている。
「よぉ、ジャスクじゃねーか。こんな所までご苦労さん」
「お、おお……リゲル……」
呆然とする追手の男は、その場に追い付いたリゲルに声を掛けられるが、返事をするものの状況が飲み込めずにおろおろしたままだ。
二人は顔見知りの様であるが、ジャスクと呼ばれた男には何の余裕も無さそうである。
「この綺麗なお二人は星巡竜様の使いだ。お前も聞いてんだろ? 星巡竜様の事」
「あ、ああ……」
「その星巡竜様がよ、お前が追ってたガキが怪我してるってんで、保護するんだと仰ってな。そういう訳だから、骨折り損で悪いけど諦めてくれよ?」
「い、いや、しかし……」
ジャスクにリゲルが今の状況を説明して引き返す様に促してみるが、ジャスクにだって職務が有るのだろう、口ごもりながら困った様にリゲルとミルク達に何度も視線を走らせる。
ジャスクも星巡竜という凄い存在が、戦争になりそうだった軍を解散させた事は仲間から聞いて知ってはいたし、貼り出された国からの御触れ書きも読んでいた。
だが奴隷を取り逃がして監督官から叱責されたくない、との思いも捨て切れないのである。
「なあに、お前にも監督官にも悪い様にはしねえって。なんたって星巡竜様だからな、国のお偉いさんも大事なんかにゃしねえよ。ですよね? ココア様」
「そうね……。あなたのお仕事の邪魔をしたのはこちらだものね。国王陛下には、ご主人様がちゃんと説明して下さるでしょう……」
「は、はぁ……」
そんなジャスクの心情を見抜いているのだろう、リゲルが今後の流れを推測してココアに尋ねると、ココアもコクリと頷いて御使いらしい振る舞いでリゲルの言を肯定する。
御使いモードのせいか、黒いロングドレス姿のココアの凛々しさに、ジャスクが赤い顔でコクコクと頷いている。
「ジャスクさんと仰いましたね、あなたが少年に怪我を負わせたのですか?」
「ち、違います! あのガキ……いや、あの子供が逃げる時に酒場の裏で転んだんでさぁ! 俺はそれを追っかけてただけで……」
そんなジャスクが今度はミルクに問い掛けられて、慌てて少年の怪我についてを説明して息を呑む。
ジャスクの言葉に偽りが無いか、ミルクの瞳がじっとジャスクを捉えている為である。
「そうですか。では、後はこちらで対処します。本来のお仕事に戻って下さい」
「わ、分かりました……そ、それじゃ、俺はこれで……」
「皆さま、お騒がせしました。どうぞ皆さまも、お引き取り下さい」
そして嘘は無いと判断されたのか、にこりと微笑むミルクに促されてジャスクがぺこぺこと頭を下げてその場を去ると、ミルクは野次馬達にも声を掛けてその場を解散させるのであった。
「どうだ? 他にも痛い所とか有るか?」
「う……ううん……」
「そかそか。良かった、良かった」
アイスによって傷を癒された少年が、呆然とした表情のままリュウの問い掛けに首を横に振ると、リュウは安堵のため息を吐いて少年の頭を撫でるが、それを隠す様に囲んでいたテオ達は、少年の傷が跡形も無く消えた事に目を見開いて固まっている。
「名前は何て言うんだ?」
「アル……アル・マフマット……」
リュウがその場でしゃがんで少年より目線を下げて名を尋ねると、少年は小さい声ながらもリュウの目を見て答える。
アルと名乗った少年は、ノイマン領に住むリックよりは背が高いが痩せており、七、八歳くらいに見える。
「そっか、アルか。俺はリュウだ。こっちはアイス。怖い思いをしただろうけど、これからは俺達が守ってやるから安心しろ。な?」
「え、でも……」
「大丈夫、この兵士さん達も味方なんだ」
そして自分達も名乗ってアルを安心させようとするリュウは、テオ達の姿を見て怯えた様子を見せるアルにアイスと共に笑って見せる。
そうする内に、追手であったジャスクを帰させたミルク達が戻って来る。
「ご主人様、追手の人には事情を説明して帰って貰いました」
「よしよし、ご苦労さん。んじゃ、レオン王子にビークルまで戻って来て貰う様に伝えてくれる?」
「分かりました」
「よし、んじゃ視察は一旦終了して戻ろう」
ミルクの報告に満足するリュウは、ミルクに新たな指示を出すと、まだ困惑から脱していないアルの手を取って、皆と共にその場を引き返すのであった。
「なるほど……しかしリュウ、どうするつもりなんだ?」
王城の前でリゲルとガースの挨拶もそこそこに、リュウから話を聞いたレオンが不安そうなアルを見ながら尋ねる。
レオンと行動を共にしていたゼノ・メイヤー親衛隊長も事情を知って困惑顔だ。
「その前に、マーベル王国では奴隷制度とか有るんすか?」
「いや、無い。オーリス共和国にも無いはずだ。我々は単一民族だからな、犯罪者なら投獄するが、他者を虐げて是とする様な法は無い」
が、その前にリュウに確認されて、レオンはきっぱりと否定する。
そのレオンの口振りから、リュウはマーベル王国が奴隷制度を快く思っていない事に安堵する。
「エルナダはどうなんだ?」
「有りません。そういう国が存在していたのは、千年以上も前の話です……」
「そっか。まぁ、地球より進んでる星だしな……」
同じ様にミルクにエルナダについても尋ねるリュウは、その答えにそうだよな、と納得して頷く。
「あ~、確かにごもっともな話なんだけどよ、大将……この国だって合併しなきゃ奴隷なんざ居なかったんだぜ? アルマロンドの負の遺産を背負わされただけで、コーザが悪みたいに思わないでくれよ?」
「なるほど、そうか……事情は分かった……」
そこにレオン達の話を聞いてばつが悪かったのだろう、リゲルが口を挟んで連合王国の前身となるコーザ王国を擁護すると、リュウも彼らが単一民族では無い事を改めて認識し、リゲルも奴隷制度を良くは思っていない事に少し口元が緩む。
「で、どうするんだ?」
「一先ず話を聞いてみるしか無いでしょ……それ聞いてから考えますよ。ミルク、オーベル達は?」
そうしてレオンに再び今後を尋ねられるリュウは、肩を竦めて見せつつミルクにオーベル達の様子を尋ねる。
リュウの指示で、ミルクは用意したばかりの通信機でセザール政務官へと連絡を取っていたのだ。
「ご主人様の到着を待っておいでです……」
「よし。じゃあ、ココアはアルとビークルで待っていてくれ」
「えっ? あの……」
ミルクの返答に頷くリュウがココアにアルとの待機を命じると、ココアが驚いた表情で言葉に詰まる。
「王城に入るのはアルも不安だろうし、アルを連れて行くとオーベル達も話し辛いかも知れない。万が一何か有るとしても、ここは見通しが良いし俺でもグランでもすぐに駆け付けられる。まぁ、すぐに軍務官さんに通達して貰うから、余計な心配だとは思うけどな。それよりもアルの不安を少しでも払ってやってくれ。お前なら優しくて強いから適任だろ?」
「は、はい! お任せ下さい!」
「なら、私も先程は顔を出しておりませんので、残ろうかと思います。レオン様、よろしいですか?」
「そうだな、そうしてくれ。私は一人でも大丈夫だし、リュウ達も居るからな」
だが理由を聞く内にココアの不安そうな顔色は払拭され、嬉しそうに返事をするココアに続いてゼノもレオンに残留を申し出て了承され、リュウはアルの頭に手をやりながら目線をアルに合わせる。
「アルがもう追われたりしない様に王様と話をして来る。それまでこの騎士さんとお姉さんと待っててくれな?」
「は、はい……」
「なーに、心配しなくても大丈夫だ。この二人は優しいし、戦いになったら物凄く強いからな」
「はい」
「じゃあ、アル君。私達はこっちでお留守番よ」
リュウに待つ様に言われて不安そうなアルであったが、一緒に残る二人が強いと教えられたからか、リュウのニカッと笑う顔に安心したのかは不明だが、しっかり頷くとココア、ゼノと共にビークルの荷台へと乗り込んでいく。
正直なところ、リュウも立ちはだかる壁にどう対処すれば良いのか分からない。
だが知ってしまった以上、見て見ぬふりは出来ないし、何よりアルを放っておく事などリュウには出来ないのだ。
アルが荷台に座るのを見届けて歩き出そうとするリュウに、リゲルが困惑気味に声を掛ける。
「大将、俺達も行っても良いのか?」
「あん? だって、現地視察員に推薦すんだろ? 当人が居なくちゃ推薦出来ないじゃん……」
「ああ、いや……しかし……それはまた別の機会でも……」
意外そうに返答するリュウに、リゲルの方が尋ねておいて尻込みしている。
これから議論されるであろう奴隷問題の大きさに比べれば、視察員の推薦などはクソみたいな話だ、と思うリゲルの感性は正しい。
そんな場で、リゲルの推薦を持ち出そうとするリュウの方がおかしいのだ。
それは、主人を胡乱げな表情で見るミルクの目を見れば一目瞭然だ。
「良いって、良いって。改めてまた伺うなんて面倒じゃん? 国民代表でも武芸者代表でも構わないから参加して、意見出してくれたって良いからさ」
「そ、そうか? なら、そうさせて貰うか……」
だがリュウはそんなリゲルを軽く流して同席を勧めると、アイスを伴って城へと歩き出し、リゲルも釈然としないまま流される様にリュウの後に付いて行く。
そんな前を行く三人に少々呆れた表情で付いて行くレオンは、隣で何やら難しい表情をしているミルクを見て、クスリと微笑むと小声で話し掛ける。
「やはり、ミルクの苦労は絶えないな?」
「あう……何かお考えが有るのでしょうけど……ノリが軽すぎますぅ……」
レオンに見られていた事に顔を赤くしつつ、ミルクがお気楽そうな主人の態度に頬を膨らませる。
「何にも考えて無い……なんて事も有るからなぁ……」
「それが一番厄介ですぅ……」
更に遠い目のレオンの呟きに追い打ちされて、頭を抱え込むミルク。
実はリュウも奴隷問題を解決させねば貿易など始められない、とは思っているのだが、解決させるつもりでいる為にリゲルの事も一括りに考えているのだ。
問題は、解決させる手立てについてはこれから考えるという、正にレオンが指摘するところに有るのだが。
「まぁ、私も出来るだけ手助けするから……」
「ありがとうございますぅ、心強いですぅ……」
そんなミルクを横目で見てクスリと微笑むレオンが、少し赤い顔を誤魔化す様にポリポリと頬を掻きながら協力を口にすると、ミルクが胸の前で手を組んで、縋る様に潤んだ瞳で感謝する。
思わずミルクに見惚れるレオンと、自身の仕草の影響力にまるで気付きもしないミルク。
「ああ。まかてて……ん、んんっ、……任せておいてくれ……」
「はい!」
いきなり噛んでしまって慌てて咳払いするレオンは、赤い顔で舞い上がりそうになった自身を戒めるのだが、直後には延々と脳内で再生されるミルクの嬉しそうな返事に表情筋が崩れない様に、眉間に皺を寄せて入城するのであった。




