33 忍び寄る暗雲
騒がしかった往来が嘘だったかの様にシーンと静まりかえっている。
先程まで騒ぎを面白そうに眺めていた人々が皆、今は呆然とした表情で目の前の光景を見つめている為だ。
「もう! ホントにもう!」
「も、申し訳ありません、アイス様ぁ……許して……下さいぃぃぃ……」
「ごめんなさい、アイス様ぁ……き、機嫌直して……下さいぃぃぃ……」
赤い頬をぷぅっと膨らませるアイスに、抱き合うミルクとココアが許しを乞うている。
見れば苦悶の表情を浮かべるミルクとココアに、淡い光が纏わりついている。
「アイス、悪かった……だからこれ……解除してくれぇぇぇ……」
その背後から、やはり苦悶の表情を浮かべるリュウがミルクの肩越しにアイスに許しを乞い、密着してくるリゲルとガースを必死に押し留めている。
そう、彼らは一向に収まらない騒ぎに困ったアイスによって、障壁でギリギリと締め上げられているのだ。
その力に、人の力を遥かに凌駕しているミルクとココアですら成す術が無く密着させられ、辛うじてリュウは真っ赤な顔でリゲルとガースの密着を防いでいるが、腕がプルプルと痙攣している。
因みにリゲルとガースが騒いだのはアイスのおじさん呼ばわりが原因なのだが、恥ずかしさで早く事を収めたい余裕の無いアイスによって一緒くたにされ、白目を剥いてビクンビクンしている。
「もう、騒がない?」
「騒がない!」
「「騒ぎません!」」
アイスのジト目の問い掛けに即答するリュウ達。
「ミルクとココアは仲直りする?」
「し、しますっ!」
「もちろんっ、でずっ!」
そして更なるアイスの問い掛けにミルクとココアは必死で答えるのだが、まさかこの場でキスさせられるのでは、と頬を引き攣らせて青褪める。
「リュウは……お、怒らない?」
そんな容赦の無さそうなアイスが一転、リュウには竜力の行使を怒られないかと不安そうに上目遣いで尋ねる。
「怒らない! 怒らないから早ぐぅ……解除じろぉ!」
「や……やっぱり怒ってるぅ……」
対するリュウも必死に答えるものの、堪らず叫んで逆にアイスをおろおろさせてしまう。
ヴォイド教国でのトラウマがまだ残るアイスには、リュウにだけは怒られたくはないのだ。
「怒ってないって! てか……解除じないとぉぉぉ……怒る!」
「ッ!!」
「どわあっ!?」
「うきゃあっ!?」
「うぎゅうっ!」
慌てて怒ってないと叫ぶリュウだったが、さすがに限界だったのだろう、怒ると叫んだ途端にアイスにビクッと障壁を解除され、そのまま折り重なる様にその場に倒れ込んだ。
「いててて……凄えなアイスの障壁は……」
「何も出来ませんでしたぁ……」
「お、重いですぅぅぅ……」
ようやく解かれた拘束に、倒れたまま呆れた様に感嘆するリュウと何も出来ずにがっくりと項垂れるミルク、皆の下敷きとなって呻くココア。
そんなココアを助け起こそうとリュウがミルクを引き起こしていると、アイスがおずおずとリュウの下にやって来る。
「リュ、リュウぅ……ごめんなさい……お、怒ってる?」
「怒ってない、怒ってない。それよか、おっさん達がヤベえぞ? 起こしてやってくれよ」
「あっ……う、うん!」
不安そうな顔でリュウに話し掛けるアイスだったが、リュウの言葉でミゲル達を見て慌てて癒しの竜力を施す。
リュウやミルク達には後々笑い話で済む様な出来事も、普通の人であるリゲル達には結構シャレにならない圧力だったのだ。
「うぅ……なんか酷い目に遭った……」
「まぁまぁ。復活出来て良かったじゃん?」
頭を振って起き上がろうとするリゲルに、リュウがニィっと笑い掛けて手を差し伸べる。
その横ではガースも無事に起こされて、ふらふらと起き上がっている。
「あのなぁ……完全にとばっちりじゃねえか――」
「リゲル殿、リュウ様は星巡竜様ですから……もう少しその……言葉遣いを……」
リュウの手を取って立ち上がるも、その軽い口調と笑顔に文句の一つも言おうとするリゲルだったが、そんな彼を護衛のテオが言い難そうに言葉遣いを窘める。
「別に言葉遣いくらい良いっすよ? 俺も苦手だし……ナイフ投げられるよりは全然マシだし?」
「えっ……」
そんなテオを苦笑いしながらリュウが制するが、その言葉に絶句するテオに信じられないといった顔で見られ、リゲルは面倒臭そうにガリガリと頭を掻く。
「そんな大昔の事をまだ覚えてんのかよ……」
「まだ3日しか経ってねーよ!」
「分かった。分かりましたよ。じゃあ、これでチャラって事で。な?」
「ほんと調子の良いおっさんだな……」
呆れた様にぼやくリゲルだったが、すかさずリュウに突っ込まれると降参とでも言う様に両手を軽く上げて今回の件での相殺を提案するとニヤリと笑い、リュウも呆れつつどこか楽しそうである。
「だから、おっさん言うな。リゲル・ラシッドって立派な名前が有るんだからよ。せめて名前で呼んでくれよな……え~と……」
「リュウ・アモウだよ……」
「じゃ、よろしく頼むぜ。リュウの旦那!」
そんなリュウに再びおっさん呼ばわりされてジト目を返すリゲルは、言葉遣いは悪いものの自ら名乗り、リュウに名を教えられると笑顔で右手を差し出す。
「旦那って何だよ……」
「まぁまぁ、固い事言うなって。で、何しにここへ? テオ達を連れてるって事は軍務官の許可を得て……観光か何かなのか?」
リュウが口を尖らせながらもリゲルと握手を交わすが、リゲルは気にした様子もなく、気さくにリュウに問い掛ける。
「なんだかリュウが二人居るみたい……」
「話し方のせいでしょうねぇ……」
「ご主人様にタメ口利くなんて……後でシメてやりますぅぅぅ……」
そんなリュウとリゲルのやり取りをアイスとミルクがひそひそと脇で話しつつ、息まくココアを羽交い絞めにしている。
「視察だよ。この国にはどんな物が……そうだ、あんたも一緒に来てくんない?」
「あん? なんでだよ?」
リゲルの問いに答えようとするリュウだったが、ふと思い立ったのかリゲルにも同行を求め、リゲルをきょとんとさせる。
これにはアイス達もきょとんとした表情となっているが、ガースは女神様ともう少し一緒に居られそうだ、と非常に嬉しそうである。
「あんた目端が利くタイプだろ? 色々とこの国の事を教えてくれよ?」
「へぇ……ま、良いぜ。どうせ今日は暇だったしよ……」
同行を求めるリュウの理由を聞いて、リゲルは意外そうな、それでいて少し嬉しそうな表情で了解した。
リュウはキエヌ聖国で揉めた時のリゲルの飄々とした態度の中に見え隠れする、観察する様な用心深そうな目を覚えていたのだ。
「よし、決まりだ。んじゃ早速、視察再開といこう」
そうしてリゲルとガースも一行に加わり、リュウ達はようやく視察を再開させるのであった。
「ほんっっっとに大した物が何にも無いんだなぁ……」
「だから言ったじゃねえか……この国が裕福だったのは、もう大昔の話なんだよ」
視察を再開し、しばらく歩き回ったリュウ達であったが、目ぼしい品を見付ける事が出来ず、遂に愚痴を溢すリュウにリゲルが眉を下げている。
見ればガースも、護衛のテオ達も悔しそうに俯いている。
「しかしこれじゃあ、対等の立場で貿易なんて出来ないよな……」
「あん? 今より暮らしが楽になるってんなら、別に対等じゃなくても俺は一向に構わないぜ? 援助してくれるってんなら、頭を下げるのは当然だろ?」
そんな彼らに気付かずにリュウがう~ん、と考え込んで呟くのを、リゲルが仕方ないじゃないか、と不思議そうにリュウを見る。
「いや、それだと多分ダメだと思うんだよな……」
「何がダメなんだよ?」
「この国が一枚岩ならそれも良いかも知れないけどさ、他国の下に付く事になればきっと現体制への不満が噴出して、下手をすればまた内乱だろ?」
「その可能性は大いに有るな……なるほど……」
そうしてリュウが何を懸念しているのかを知り、同意するリゲルのリュウを見る目が感心の色に変わる。
「だからさ、この国は他国から不足する物資を輸入する代わりに、何かを輸出して均衡を保つ必要が有るんだよ……」
「現体制が他国と対等に渡り合える力が有ると知れば、転覆させるのはマズい、と跳ね返りどももさすがに気付く……ならば内乱の心配も一先ず無い……か」
「そうなってくれれば……言う事無いんだけどな~……てか、なってくれ!」
リュウの言葉の先に有るものをリゲルが真面目な顔で代弁すると、リュウは少しばかり深刻になった空気を払う様にう~ん、と伸びをしながら明るい口調で上手く事が運ぶ事を願う。
そんなリュウに皆が笑顔で頷く中、ミルクの顔が少し赤い。
なんだかんだと言いながらも、この国の事や貿易の事をリュウが真面目に考えている事が嬉しいのだろう。
「……旦那。肝心の貿易ってのは、いつから始まるんだ?」
「まだ決まってない。今はマーベル王国がその為の準備をしているけど、この国とキエヌ聖国にしか話はしてないんだ。この後でオーリス共和国、アデリア王国へと交渉を持ち掛けて、同意を得られれば皆で足並み揃えて開始……のつもりだ」
「アデリア王国? そんな国……あったっけ?」
そんな中、リゲルに貿易の開始時期を尋ねられるリュウが実情を話して聞かせると、リゲルはアデリア王国の名を知らなかった様で、首を傾げてガースやテオ達に知っているかと視線を向けるのだが、ガースもテオ達も怪訝な表情で首を横に振るばかりであった。
「あ~、魔人族の国だよ。正式にはアデリア王国って言うんだよ」
「魔人族って……旦那、向こうにも知り合いとか居るんですかい?」
「知り合いって言うか……人間族領に来る前は、魔王城で厄介になってたんだよ、俺達は。なんでも大昔に国を星巡竜に救われたとかで、魔王城で歓迎してもらったんだよ……ヴォイド教国なんかと違って、向こうはマジで星巡竜に恩義を忘れずにいてさ……俺達は直接関係無いんだけど、まぁ、成り行きで……」
アデリア王国の名を知らないリゲル達にリュウが教えてやると、リゲルに驚いた様子で問われ、リュウは簡単に魔人族の事を話してポリポリと頬を掻いた。
そんなリュウをぽかんとした表情で見つめるリゲル達。
リゲル達にしてみれば、魔人族という存在はおとぎ話の中の存在と言っても過言ではない程に隔絶しているのだから致し方ないのであるが。
「なぁ、旦那。城で貿易を取り仕切るのは政務官かい? それとも王様直々に?」
「え~っと……どうだっけ……」
「決定権はオーベル陛下に有りますが、実務面に於いてはセザール政務官の指揮で行われるのではないかと推測します」
しばし呆けていたリゲル達だったが、我に返るリゲルがリュウに問い掛けると、考え込む主人に代わってミルクが推測を聞かせる。
「なら、頼みが有る……俺を現地視察員として、政務官に推薦してくれねえか?」
「あん? 何で自分で行かないんだよ?」
「武芸者が一人で行ったところで、何だかんだと余計な詮索に時間を取られるだけだろうからな……旦那が推薦してくれた方が話が早いだろ?」
「ふ~ん……んじゃ後でもう一度、政務官さんに話してみるか……」
「恩に着るぜ、大将!」
するとリゲルは自身も貿易メンバーとして加われる様にリュウに推薦してくれる様に願い出て、リュウの肯定的な反応に心底嬉しそうな笑顔を見せる。
「今度は大将かよ……ほんと調子良いよな、おっさん……」
「だから、おっさん言うなって!」
「あ~、悪かった、悪かった。リゲル……さん?」
「リゲルで良いって! 大将にさん付けされちゃあ、こっちが気味悪い……」
「分かったよ。んじゃ、呼び捨てでリゲルな……まぁ、いっか……」
そんなリゲルに半ば呆れ気味のリュウであるが、倍近く年上のリゲルの呼び方を改めようとすると逆に嫌がられてしまい、今更ながらに年上を呼び捨てにする事に若干の後ろめたさを覚えつつ、本人の希望もあって納得する事にする。
「良いんですか? ご主人様ぁ……」
「ココアは反対か?」
「いえ、そういう訳では……でも、あまりに急じゃ……」
「ココアは知らんだろうけどさ、このおっさ……んんっ、リゲルはこう見えて注意深くて物事を良く見てんだよ。一度やり合った時も隙を突かれて、危うく――」
「待った! その話は水に流したじゃねーか! な?」
二人の間でとんとん拍子に話が進んで行く事に、ココアが珍しく心配そうに口を挟むと、リュウが揉めた時の事を話して聞かせようとするのだが、慌てるリゲルがすかさず割り込んで引き攣った笑みを浮かべた。
「な? こんな調子だから気付かねーけど、肝心な部分は言わせない所とかホント抜け目無いんだよ……」
「勘弁してくれよ、大将ぉ……」
そんなリゲルを見て、リュウが肩を竦めてココアを見るのを、リゲルが参ったと言わんばかりに眉を下げる。
「なるほど……確かに先程からココアの視線を気にしている辺り、抜け目無さそうです……で、隙を突かれてどうなったんですか?」
「心臓目掛けてナイフを投げられた。ま、掴み取ったけどさ……」
「ちょっ!?」
主人の説明に、自分でもリゲルを観察していたココアが一応の納得を見せるが、さらりとスルーされかけた話を戻し、リュウもあっさり答えた為に、リゲルが目をまん丸にして口をパクパクさせている。
「さすがご主人様です! そのご主人様が信用すると言うんなら、ココアに異論は有りません。……良かったわね、ご主人様が寛大な方で。そのご主人様を裏切ったなら……」
「いやいやいや、信用してくれ! 絶対それは無い! 俺だってあの一件で大将の怖さは身に染みてんだって! 本当だって!」
満面の笑みで主人を称え、その方針に納得するココアがにっこり微笑んでリゲルへと話し掛けるのだが、その絶対零度の瞳にリゲルはココアの疑念を晴らすべく、慌てて言葉をまくし立てる。
「そう? なら、良いの。これからよろしくね、リゲル」
「お、おっかねえ姉ちゃんだぜ……」
「何か言った?」
「いえ! 何でも!」
「……うふ……」
その甲斐あって、ココアから笑顔を向けられるリゲルであったが、ぼそりとした呟きをココアに拾われると、ココアが怪しく微笑んで視線を外すまで、直立不動で否定を貫くのであった。
そうして再び一行が残り時間まで一応視察を再開しようとした、その時である。
「ん? 何か騒がしいな……」
「物盗りっぽいな……別に珍しくもねえよ……」
前方から聞こえてくる喧騒にリュウが逸早く反応し、リゲルはその内容を聞いていつもの事だと肩を竦めた。
テオ達、護衛の兵士は万が一の為にリュウ達の前へ素早く出て警戒態勢を取る。
「脱走だ! 誰か捕まえてくれ!」
リュウ達の耳に狭い路地からはっきりと男の叫び声が聞こえ、その路地から飛び出した小さな人影がリュウ達に向かって駆けて来て、リュウは目を見開く。
ボロ切れの様な衣服の左肩を赤く染めた十歳にも満たないであろう少年が、泣きながら必死に駆けて来るのだ。
「奴隷の脱走とは珍しい……こりゃ、監督官の首が代わるな……」
「奴隷!? 聞いてねえぞ!」
「まぁ、そりゃあ……こんな事、わざわざ進んで言う奴なんざ居ねえって……」
同じく少年を視認したリゲルがぼそりと呟くとリュウが声を荒げ、リゲルは仕方無いじゃないか、と言わんばかりに肩を竦める。
これまで順調に事が運んでいた事もあって、肩を血で染めてこちらに駆けて来る少年の姿に、リュウは少なくない衝撃を受けていた。
更に少年が奴隷だと知ると、リュウの胸の内に言い様の無い怒りが込み上げる。
「ちっ……ミルク、ココア! 御使いモードで追手を止めろ!」
「えっ!? ご、ご主人様、どうするおつもりですか!?」
「とりあえず、保護する! 後はそれから考える! 行け!」
「は、はい!」
「分かりました!」
舌打ちする主人の突然の命令に困惑するミルクであったが、主人の明確な意志と有無を言わさぬ迫力に、ココアと共にその場から飛び出して行く。
「へえ……なら、俺も一肌脱ぐぜ、大将。ガースも良いよな?」
「おう。早速、女神様の役に立てるぜ!」
その様子にリゲルは協力を申し出ると、どこか嬉しそうにガースに声を掛ける。
ガースもリゲルと同じ気持ちなのか、嬉しそうな笑みを浮かべるとリゲルを追う様に駆け出して行く。
「リュウ……」
「大丈夫だ、アイス。あの子を連れて来るから、怪我を治してやってくれな?」
「う、うん!」
そしてリュウは不安そうに寄り添うアイスの頭を撫で、しっかりと頷くアイスにニカッと笑うと、少年の下へ向かうのであった。
長らくお待たせして申し訳ありませんでした。m(_ _)m
何とか更新に漕ぎ付けました。
よろしくお願いします。




