23 ロマンチックは大変
コーザ・アルマロンド連合王国を飛び立ったアイスは、ポルト山を越えてキエヌ聖国からは見えない一つ南のマシェリ山中腹でリュウとロダ少佐を降ろし、竜化を解いた。
ポルト山を越えた時には、ヴォイド教国跡地から戻る武芸者達があんぐりと口を開けてアイス達を見上げていたが、そんなものはスルーである。
その後、リュウ達はキエヌ山の坑道へ向かってセルジ大尉に事態が収束した事を報告し、そこで待っていたキエヌ聖国のマウリとトマスと共に山を下り、国長達に夕食をご馳走になりながら事の顛末を話して聞かせた。
大人の姿になったミルクにまずは驚いていた国長達であったが、もう無理な物資徴収に応じなくて良いばかりか、きちんと連合王国と対等な条件で話し合いの場が設けられる事には更に驚き、そして思案顔になった。
「どうされました? 何か心配事でも?」
「いや、実は不安でしてな……これまで我らは国を奪われぬ為に、物資を供出して来た。それが皆さんのお蔭で国が奪われないとなれば、物資を供出する必要自体が無くなってしまう。しかしそれでは連合王国も困るであろうし、その辺の匙加減をどうしたものか……」
ミルクに問われ、国長のテト・バドンは額に手をやり不安な心情を吐露した。
これまでは仕方なく連合王国に従ってきたテトであるが、国の今後を決定するであろう取り決めとなれば、慎重にならざるを得ない。
しかも双方丸く収める形となれば尚更であった。
良くも悪くもこれまでのやり方に慣らされてしまったテトには、うまく事を運ぶ自信を持てなかったのだ。
「これまではどの程度の金額でやり取りしていたのですか?」
「そんな物は何も。代々隣国には、国を守護してもらう代わりに物資を分け与えていたので……」
「えっ!? そ、そうだったんですね……では、今後はきちんと価格を……あ……ダメですね……えっと……」
交渉の目安にと更に質問するミルクは、テトの答えを聞いて彼らの文明レベルがマーベル王国やアデリア王国に追い付いていない事に気付き、思案する。
「何がダメなんだよ? 物資を分けたら対価を貰うのは当たり前じゃん?」
「そうして得たお金や品をどこで使うんですか?」
「へ? あ……そうか……流通が……」
「そうなんです。この南のエリアはここだけで完結してしまっているんですよ……それも歪んだ形で……」
そこにリュウが何を悩む必要があるのか、ときょとんとした表情でミルクに声を掛けるのだが、逆に問い返されてミルクの思案する訳に気付く。
キエヌ聖国の人々は貧しいながらもこれまで自給自足でやって来たのだ。
対価を得てより豊かな暮らしを望もうにも、他国との交易が無ければ変わり様が無いのである。
「なるほどなぁ……んじゃ、二国間で妥協点を探るしかないよな……」
「そ、そうですね……」
「リュウ殿、ミルク殿……申し訳ないのだが、話し合いの場に立ち会って下さらんか? 武力を持たぬ我らだけでは何とも心許ない……この通りだ……」
「え……う~ん……」
現状では仕方が無いか、とポツリと呟くリュウはテトに頭を下げられて、困った様に顎に手を当てて俯き加減で考え込み、ミルクも仕方なさそうに同意した。
実のところ、リュウはキエヌ聖国の現状が良くなればいいとは思ってはいるが、そこまで首を突っ込むつもりは無かった。
そうでなくともアデリア王国では国の守護を頼まれ、マーベル王国ではエルナダ軍の面倒を見る羽目になっているのだ。
立ち合いの場に顔を出せば、その決定に対してまで責任を持たなければならなくなってしまうだろう。
「ご主人様ぁ、こんな美味しい物を作ってくれる人達をこのままにして良いんですかぁ?」
「「ッ!」」
「いや、そうは言うけどさ……」
そんな時、ヨーグルトを食べ終えたココアが器を置いて主人に問うと、リュウは困った様にガシガシと頭を掻くのだが、アイスとミルクはそうだった、とばかりにピクリと反応して目を合わせた。
「や、やはりここはご主人様が二国間を取り持つのが最良かと……」
「そ、そうだよリュウ! アイスもそう思う!」
「えっ……いや、それ責任重大じゃん……てか、何でアイスまで……」
そして目を泳がせつつもミルクが意見を翻してアイスが興奮気味に同意すると、リュウは目を丸くして驚き、呆れた様にミルクとアイスにジト目を向ける。
「でも、ご主人様の睨みが利いてないと、連合王国がまたいつやらかすか……」
「いや、でもさ……少佐、少佐はどう思います?」
「そうだな、如何に強大な力を手に入れたと言っても――うっ!? い、いや……それも悪くは無いのかも知れないな……」
「えっ!? ちょ……マジでぇ?」
それでもココアに連合王国への危機感を訴えられて、リュウがロダ少佐に助けを求めるのだが、アイス達三人の視線に気付いたロダ少佐は背筋を流れる冷たい汗にリュウの擁護をあっさり放棄してしまった。
唖然とするリュウがジト目を向けるが、ロダ少佐は腕を組んで頷く様な素振りを見せるが、決してリュウと目を合わせようとはしなかった。
歴戦の軍人を怯ませるアイス達の眼力には恐れ入るが、一瞬で危険を嗅ぎ取ったロダ少佐も流石である。
しかし何より凄いのは、それ程までに女性陣を虜にさせたキエヌ産の甘酸っぱいヨーグルトであろう。
「うふ、決まりですね! ご主人様ぁ!」
「ミ、ミルクも頑張ってサポートしますから!」
「ア、アイスも!」
「しょうがねえなぁ、分かったよ……国長さん、立ち合います……」
「おお! リュウ殿、感謝しますぞ!」
そうして悪戯っぽい笑顔を向けるココア、申し訳無さそうなミルク、これからもヨーグルトが食べられそうだと嬉しそうなアイスに見つめられて、リュウは責任の回避を断念、テト達からも頭を再び下げられて肩を竦めて苦笑いするのだった。
随分と日が西に傾いた頃、国長達に見送られてウノの集落を後にしたリュウは、キエヌ山の麓でアイス、ココア、ロダ少佐の三人が転移装置に向かうのを見送っていた。
ヴォイド教国に入る前に置いて来た、車両の水タンクの回収をミルクに言われるまで忘れていた為、アイスとココアにロダ少佐を先にマーベル王国へ連れて行ってもらい、自身はミルクと水タンクの回収に向かう為である。
当然、アイスはリュウと離れる事を嫌がったのだが、次回はもっとヨーグルトを頼んでやる、と言うリュウの言葉にあっさりと陥落したのであった。
「さて、俺達も行くか」
「はい、ご主人様」
アイス達が見えなくなると、リュウはミルクと北へ歩き出す。
「ここらで良いか……」
「もう黒いコアは復活したんですか?」
人目に付かぬ所まで来てリュウが翼を展開し、ミルクが破壊のコアの竜力が回復したのかを問う。
「いや、どうも新しいコアがカバーしてくれてる感じ? 今までのよりも凄い感じなんだよ、新しいコア……何て言うか、上位互換って感じがするんだよな……」
「そ、そうなんですね……やはり凄いコアなんですね……」
主人の答えは自信が無さそうであったが、ミルクはその答えがあながち外れてはいないのだろう、と頷きつつ、自身も翼を展開する。
これまでの主人の力は身体能力の向上を伴う攻撃に特化した力であったが、今回主人が得た力は、ミルクでも理解不能な不可思議さを秘めている様な気がした為である。
「ご主人様ぁ! ま、待って下さい~!」
「お? あ、すまん……ん~、ちょっと降りるか……」
そうして山脈に沿って飛翔する二人であったが、幾らも進まぬ内にミルクの声に振り向くリュウは、その速度差の違いに一旦地上に降りる事にした。
「ミルク、スピードそれで限界だったか?」
「はい、今のがミルクの精一杯ですぅ。と言うか、ご主人様が速すぎますぅ……」
「あ~……もう日も暮れそうだし、ちょっと急がなきゃ、とは思ったんだけど……となると、もっと早く飛べそうだな……」
「そ、そうなんですね……」
ミルクに問い掛けるリュウは、ミルクの困った様な返事に頬を掻きながら苦笑いするのだが、ミルクは主人がまだ速く飛べるのかと、少々ショックを受けている。
「マニュアルが無いのが困るよなぁ……ま、それよかミルク、翼畳んでくれよ」
「あ、はい……」
そして翼を畳む様に言われて素直に従うミルクなのだが、主人が歩み寄って来てゴクリと息を呑んで頬を赤く染めてしまった。
ミルクは自分だけが翼を畳まされる事に、ひょっとしたらお姫様抱っこされるのかも、と期待してしまったのだ。
「ミルク……。んな、緊張すんなよ……なんか俺まで照れるだろーが……」
「だ、だってぇ……」
見るからにカチコチに硬直してそうなミルクを見て、困り顔のリュウ。
対するミルクは主人の態度から期待が高まるものの、嬉しさと恥ずかしさからか上目遣いで主人を見るのが精一杯の様子である。
「――ッ」
「い、急ぐからな……文句言うなよ?」
「はっ、はい……」
息を呑む間に軽々と抱え上げられるミルクはおずおずと両手を主人の首に回し、ぶっきらぼうに照れ隠しする主人の肩へ真っ赤な頬をキュッとくっつける。
するとリュウはふわりと宙に浮き、慣らす様に徐々に速度を上げ始める。
「は、速い……凄いですぅ、ご主人様……」
速度が上がるにつれ、ミルクがリュウから薄っすらと放たれる金色の光に包まれながら、流れ行く景色に感嘆の呟きを漏らしている。
そして、この光が自分を救ってくれたんだ、と思った途端、ミルクの胸には熱い想いが込み上げてしまう。
「もう着いちまった! 凄いなこのコア……って、おいミルク?」
あっという間にヴォイド教国を翔け抜けて、車両から切り離した水タンクに到着したリュウは、降ろしたミルクにしがみつかれて意外そうな声を上げた。
「ご主人様、ミルクを助けて下さって……あ、ありがと……ござ……ました……」
そしてミルクは主人の胸に顔を埋め、助けて貰った礼を辛うじて言葉にすると、堰を切った様に声を上げて泣き出してしまう。
かつて自身の消滅を主人に委ねてしまった事もあるミルクだが、今回の出来事はそれ以上の恐怖をミルクにもたらし、そこから奇跡的に救い出された事も相まってミルクは感情を抑えられなくなってしまったのだ。
それは主人への想いが当時よりも強く増している事の裏返しとも言えよう。
「うえっ!? いや、ヤバかったけどさ、こうして無事だったんだから……な? が、頑張って泣き止もうぜ? な、ミルク? もう大丈夫だからさ……な?」
「ご主人様ぁ……っく……ご主人、様ぁぁぁ……」
「あ~、う~……」
そんなミルクに慌てふためきながらも声を掛けるリュウであるが、泣き止ませる事は叶わずに困り顔でしばしの間、途方に暮れる事になる。
しかし、ココアに大泣きされた時の経験がまるで役に立っていないのかと言えばそうでもない様で、何を言って良いのか分からないながら、そっと優しくミルクを抱きしめ、その頭を撫でてやるリュウ。
それは感極まったミルクの心をじんわりと和らげていく。
「も、申し訳ありません……お見苦しい所をお見せしました……」
「お、おう……落ち着いたか?」
「は、はい……すみません……」
ようやく落ち着いたミルクが慌てて体を主人から離して謝罪するが、苦笑いする主人に見られると再び顔を真っ赤にして縮こまった。
だがそれも水タンクを回収し終える頃には治まるのだが、再びキエヌ聖国に有る坑道へ戻ろうと主人に抱え上げられると、やはり頬を赤く染めるミルク。
「急いで飛んで来て正解だったな、そろそろ日が落ちそうだ……」
「ご、ごめんなさい……泣いてしまって……」
「まぁ、あんな怖い思いしたんだから仕方ないけどさ。でもやっぱミルクは笑顔の方が可愛いぞ?」
「あう……」
翼を開いて呟く主人にシュンとするミルクであったが、続く主人の言葉には爆発しそうな程に真っ赤になってしまう。
「あと、照れてる時もな?」
「みみ、見ないで下さいぃぃぃ……」
そして主人にニィっと笑われて羞恥心に耐えられなくなるミルクは、ぎゅうっと主人の首に縋り付いてその視線から逃れるのであった。
「ご主人様ぁ、少し速度を落としませんか? 日没が凄く綺麗ですよ」
「お? ホントだな……」
ミルクに耳元で話し掛けられて水平になっていた体を起こしたリュウは、しばし滞空して右後方へ振り返り、大陸中央を南北に走る南中央山脈に沈んで行く夕日を眺めた。
山脈に半分以上沈みながらも、燃え盛る様な赤い夕日が包み込もうとする大空の濃紺を撥ね退けるかの様に輝いている。
そんな美しい景色からリュウがふと横を見ると、そこにはミルクがうっとりした表情で夕日を眺めていた。
リュウはその夕日に照らされる横顔を素直に綺麗だと思った。
そしてミルクが失われなくて良かった、と安堵し、もうあんな怖い目には遭わせない、と心の底で誓う。
「ご主人様? あのう……ッ!」
ふと視線を感じて主人を見るミルクは、いつから見られていたのだろう、と少々不安気に声を掛けようとしたところで、グッと背中を抱き寄せられて息を呑んだ。
《こ、これは、キキ、キスを求められているんでしょうか……こんな綺麗な大空でお姫様抱っこされながら? い、いい、良いんでしょうか……アイス様やココアに知られたら何て言われるか……だ、黙っていれば大丈夫よね? 違っ、今はそんな事よりも……って言うか、いきなり過ぎて心の準備が……どど、どんな顔をすれば良いんでしょ――ッ!》
超高速の頭脳でほんの一瞬パニックになっている間に、ミルクの唇に主人の唇が重ねられ、ミルクは見る間に真っ赤になって固まってしまう。
そんなミルクに気付かないリュウは、ミルクとのキスに夢中になっていく。
《ひゃう!? ご、ご主人様の舌先がっ!? 閉じたら噛んじゃう……どど、どうしたら!? こ、こんなのレベルが高過ぎますぅぅぅ……あう……あうぅ……》
傍から見れば熱い口づけを交わす二人であるが、初体験の上級コースにシステムダウン寸前のミルクは、両腕をしっかりと主人の首に巻き付けて、嫌じゃない事をアピールをするのが精一杯なのであった。
「いつまで照れてんだよ、ミルク……」
「そ、そうは言われましてもぉ……」
キエヌ山の麓に戻って来たリュウは、左腕にしがみつく様に俯いて歩くミルクに呆れ気味に声を掛けるが、ミルクは赤い顔のまま困った様に答えるのみである。
他人がしているのを見れば羨ましいと思えるロマンチックな行為も、いざ自分がするとなると嬉しさに比例して羞恥心も増大するんだ、と今更ながらに困っているミルクなのだ。
ミルクの場合、羞恥心が嬉しさよりも大きいのが問題なのである。
「いいか、こういうのは慣れなんだよ。ほら、ミルクからしてみ?」
「えっ!? ミ、ミルクからするんですか!?」
なのでリュウが偉そうに宣ってミルクに提案すると、ミルクは目を真ん丸にして素っ頓狂な声を上げてしまう。
「うん。そうやって二十歩上ったら、今度は俺がするんだよ。そしたら転移装置に着く頃には、そんなに恥ずかしくなくなってるって。な?」
「えええ……」
更にリュウが思い付きで要求を追加してミルクを呆然とさせるのだが、リュウはニンマリと嬉しそうである。
「嫌か? 嫌なら別に――」
「が、頑張ります!」
「お? そ、そうか……んじゃ、レッスン開始だな!」
「あう……は、はいぃ……」
そしてまんまとリュウの提案に乗ってしまうミルクは、何の根拠も無いであろうレッスンに真っ赤になりながらもその身を投じてしまう。
ナダムで生まれた超高性能なAIのミルクは今、嬉しさと恥ずかしさに身悶えする一人の乙女そのものなのであった。
甘い…砂糖を入れ過ぎた…(笑)




