07 油断の代償
ヴォイド教国の拠点である洞窟が崩壊してしばらくすると、土砂が堆積している窪地の脇に変化が生じていた。
窪地を形成する壁面に内側から染み出してきた銀色の液体が広がり、ぽっかりと穴を開けたのだ。
「ぷあっ! やっと出られたぁ……」
「ココア、ご主人様とアイス様を!」
「そうだった、えーっと……」
穴から顔を覗かせて安堵の声を上げたのは、土塗れになったココアであった。
ミルクもすぐ奥に居る様で、リュウ達の安否を尋ねられたココアが穴から出て、その場からエルマーの部屋が有った場所を見上げている。
壁際を落下した二人は、更に洞窟が広くなる地下三階層の天井部分にアンカーを咄嗟に打ち込んで天井に取り付き、大量に流れ込む土砂から逃れながら天井を掘り進んで難を逃れていたのだ。
「み、見事に崩れちゃったわね……はぁ……」
「姉さま、見て! ご主人様達は無事みたい!」
「ほ、ほんとだ……奥まった場所が功を奏したのね!」
ミルクが遅れて穴から這い出て辺りを見回し、現状にため息を吐くのも束の間、ココアが明るい声で指し示す場所を見て、ようやく声を弾ませた。
地上より上に有った、洞窟壁面に面した部屋や階段なども削り取られる様に崩落していたが、その更に奥に有ったエルマーの部屋は難を逃れており、二人の目には飛び出して来た扉が見えていた。
「ねぇ……ご主人様達、気付いてない……なんて事、無いよね?」
土煙も収まった今、月明かりに照らされる断崖にぽつんと佇む扉を見て、何故かミルクはふと、そんな事を思った。
「えっ!? まっさかぁ……きっとアイス様の心配してるだけでしょ……」
「そ、そうよね! とにかく綺麗にして……ご、ご報告しないと……」
それを聞いたココアが、あの轟音と揺れでそれは無いでしょ、と思いつつも自信無さげに答えた為、ミルクは無理に明るく肯定して思考を切り替えるが、自分達が引き起こした現状の報告を考えると憂鬱な気分になった。
「姉さま……」
「何? ココア……」
「叱られる……かな?」
「ッ! ちゃ、ちゃんと報告すれば……ご主人様も分かって下さるわよ……」
それはココアも同じだった様で、ミルクはあたふたと場を取り繕った。
「も、もし、凄く怒ったらどうしよう?」
「だ、大丈夫……よ……ミ、ミルクがちゃんとご主人様に、ココアは頑張ったって言うから!」
「姉さまぁ……ありがと……」
それでも拭えない不安を口にするココアにミルクも相当不安になるが、姉らしく気丈に振舞って翼を展開し、ココアも照れた様に礼を言うと姉に倣って翼を開き、二人は扉へと飛翔した。
「うわぁ……この岩のお蔭で助かったのね……」
「うん……だからここを司教の部屋にしたのかも……」
僅かに残る扉の前の足場に降り立った二人は、その足場と天井部分から突き出た平たい岩がエルマーの部屋を守った事に、思わず感嘆していた。
だがその範囲は扉の周り一メートル程であり、外で転がっていたエルマーの姿も消えているのだが、リュウが扉の外へエルマーを放り出した事を知らないミルク達には気付き様が無かった。
そんな中、突然に扉が開いてリュウが顔を半分だけ覗かせた。
「ココア、ちょっと来てくれ……」
「へっ!? ご、ご主人様っ!?」
「え!? あ、あの!」
「ミルクは待っててくれ……」
「えっ……」
ココアがそこに居る事が当然の様に、半分も扉を開かぬまま伸ばされたリュウの手が困惑するココアの腕を引き寄せ、慌てて声を掛けようとしたミルクを止めて、リュウは扉を閉じてしまった。
「はううっ、ご、ご主人様っ……あの、これは一体……それにアイス様は……」
強引に手を引かれるココアはリュウが裸なのに面食らい、訳が分からぬまま奥の寝室へと連れ込まれた。
ココアの目に、全裸のままベッドですやすやと眠るアイスが映る。
「アイスが起きてくれねーんだよ、ココア……」
「へっ!? んんっ!? ちょっ、ちょっとご主人様、待って……ああっ!」
理解が追い付かないまま部屋に入るや否や、不満顔で振り向く主人にキスされるココアは、さすがに訳が分からずに理由を聞こうとして、壁を背に強引に抱きしめられる。
「ご、ご主人様っ、ココア逃げませんからっ! せめて理由を――わあっ!?」
主人が自身を求めるのを受け止めつつ、その訳だけでも聞こうとするココアなのだが、リュウは我慢できないとばかりに人工細胞製のココアの衣服をいとも簡単に破ってしまった。
リュウがいつの間にか竜力で腕を黒く染めており、更には大きく翼を広げた。
「ふわ……ご、ご主人様ぁ……」
そんな主人に驚く事も忘れて思わず見惚れてしまうココア。
その間にもリュウはココアの胸に顔を埋め、ココアの下着さえも破り捨てると、すらりと長いココアの右足を抱え込んだ。
「ご主っ――んん! んん……ッ!? んあっ……あ……あああーっ!」
情熱的と言うには些か性急すぎる主人に呆然としながらも、ココアはキスを経てリュウがアイスから薬物を摂取してしまったのだと悟った。
そして何とかしなければ、とココアは抱かれながら思うのだが、突如として湧き上がった理解不能な感覚にその思考を散らせてしまうのだった。
一方、扉の外に置き去りにされて呆然としていたミルクは、突如部屋から響いてきたココアの激しい喘ぎ声に驚愕し、思わず偵察糸を内部に侵入させていた。
そしてそこで目撃した光景に言葉を失い、呆然と見入ってしまっていた。
「は、う……あ、あのココアが……ごごご、ご主人様が……あう……あう……」
一部始終を見終え、ミルクは扉に背を向けて両手で口元を覆い、真っ赤な顔でしゃがみ込んだ。
ミルクは真面目な性格ながらアイスの押しに弱く、覗きの常習犯である。
当然ココアの情事も見ており、姉ながらココアをエロスの権化だと思っていた。
だが今見たばかりの光景は、そのココアが何も出来ずに機能停止に追い込まれており、それだけでミルクは半ばパニック状態なのであった。
「――ッ! ど、どうしよう……どうしよう……ひ……う……」
そんなミルクの耳が接近する足音を捉え、それが主人のものだと気付くと盛大に慌てるのだが、逃げ場は無く、良い案も浮かばず、開かれる扉に喉を引きつらせた。
「ミルク、来てくれ……」
「いいい、いえええ……ミミ、ミルクは、えええ、遠慮させて頂きま――ひっ!」
開かれた扉から目を背け、真っ赤な顔で主人の頼みを拒否しようとするミルクであったが、腕を掴まれた途端に部屋の中に引き込まれて短く悲鳴を上げた。
「ひいうっ! はっ、放してっ、くく、下さいっ!」
先程まで見ていた黒い四肢と黒い翼を持つ主人はやはり裸であり、真っ赤な顔を背けたまま抱きしめられて、ミルクは必死に抵抗するが、主人の力に敵わない。
押し込まれるミルクの腰に食卓がぶつかり、こぼれ落ちる食器が幾つも割れる。
「ミルク、辛いんだ……頼む、抱かせてくれ……」
そして耳元ではっきりとその意志を伝えられるが、そこにミルクの意志は無く、ミルクは正直恐怖を感じた。
「ダッ、ダメですぅ! ここ、こんなのっ! んん! ぷあっ! ひいいっ!」
食卓と主人に挟まれて抗うミルクをリュウは圧倒的な力で抑え込み、口づけし、衣服を破り裂いた。
「ご主人様っ、止めて下さい! お願いです! 正気に戻って! ダメですっ! こんなのっ! 嫌ですうっ! お願いっ、ヒック……しますうっ!」
半裸にされながらも、ミルクは主人を説得しようと必死に抗う。
大好きなご主人様に戻って欲しい。嫌いになりたくない。
その一心で必死に叫ぶミルクの瞳から涙が溢れ出す。
なのに薬物で理性を失ったリュウは、食卓の上にミルクを押さえつけ、その足を抱える。
「ひいいっ! いやあっ! 助けてっ! ココアっ! いやあああああっ!」
どんなに叫んでもミルクの声は主人に届かず、助けてくれる者も無く、ミルクは悲鳴を上げて出力制限も掛けぬまま電撃を放っていた。
リュウの体を青白い光が舐め尽くし、硬直したまま激しく痙攣している。
それを呆然と見つめるミルクは、ハッと我に返ると慌てて電撃を中止する。
その直後、リュウの体はぐらりと傾き、まるで棒の様に床へと倒れた。
リュウの体からはうっすらと煙が立ち上っている。
「あ……あ……ご、ご主人……様……ゆ、許して下さい……うわああああああっ」
体を起こして食卓を下りたミルクは、震える足でリュウの横へ行くと崩れ落ちる様に座り込み、揺すっても起きない主人に泣き縋るのであった。
一夜が明けたが断崖に面した扉にはまだ日が当たらず、部屋には燭台の灯が揺れている。
散々その後泣いたミルクは、後に目を覚ましたココアと協力して主人とアイスの腕に人工細胞を繋ぎ、血液をろ過して薬物の血中濃度を下げ、体に塗られた薬物も可能な限りの除去を試みた。
その甲斐が有ったのかは不明だが、リュウもアイスも服を着せられて今は仲良く眠っている。
ココアは目覚めると渋るミルクを説得して、ミルクがどうして泣き腫らした顔をしているのかを知り、主人の異変に気付きながら何も出来なかった事を謝った。
ミルクはそんなココアに目を丸くしつつ、大丈夫だと笑って見せたが、ミルクの乙女ぶりを一番良く知るココアは、気にしない訳にはいかず、今は率先して朝食の用意などをしているのであった。
そんな時、寝室の扉が開きリュウが顔を覗かせた。
「ッ! お、おはよう……ござい、ます……」
「ご主人様、おはようございます。体の調子は如何ですか?」
努めて平静を装おうとするミルクの声が僅かに震えていたのを、ココアが即座にフォローする。
しかしリュウはそれに答えず、何やら難しい顔でミルクを見ると、その場で床に手を突いて深く頭を下げた。
「ミルク、すまん! 俺、お前に無理矢理酷い事を……マジで悪かった!」
リュウが謝罪して頭を下げたままでいるのを唖然とした表情で見ていたミルクがハッとしてココアに鋭い目を向けた。
ミルクが一連の出来事をココアに話した際、リュウには言わない様に念を押していたからであるが、当然リュウは眠っていてココアはそんな事を言うはずもなく、ブンブンと首を横に振っている。
「ご主人様……お、覚えているん、ですか?」
ミルクが震えそうになる喉をこらえて問い掛ける。
薬物で何も分からなかった訳ではなく、ミルクを認識していての暴挙だったのかとの思いがミルクを怯えさせ、震えとなって現れる。
「いや……覚えてるって言うか、その……嫌がってても、抱いてしまえば大丈夫、みたいに凄く都合よく思ってて……まるで我慢できなかった……ごめん……」
「それが薬物の怖いところですよね……簡単に人を別人に変えてしまう……」
リュウは余程ばつが悪いのだろう、顔を伏せたまま途切れ途切れに、だが正直にその時の事を語り、再び深く頭を下げた。
そこに間髪入れずにココアが口を挟んだ事で、ミルクは主人を庇える要素がある事に気付いた。
「そ、そうよね! ご主人様は知らずにアイス様から薬物を摂取してしまっただけで、む、むしろ被害者よね! だったら、あ……か、顔を上げて下さい!」
「……許してくれんのか?」
「も、勿論です……」
なのでミルクは精一杯明るい声で主人を庇って見せたが、顔上げぬままの主人に改めて問われると、やはり喉が震えてしまった。
そして沈黙の時が訪れるかと思われた刹那、再びココアが口を開いた。
「でもココア言いましたよ? アイス様に薬物がって……ご主人様、聞いてましたよね? なのにアイス様とキスとかして、まんまと薬物の罠に嵌ったんでしょ? 未遂で済んだから良かったものの……警戒心が無さ過ぎですぅ!」
「コ、ココア! 言い過ぎよ……だ、だからご主人様もこうやって――」
「いや、ココアの言う通りだよな……ほんとに……面目ない……」
ココアの容赦無い非難に慌てたのはミルクだ。
確かにココアの言う事は理解できるが、何もご主人様が反省して落ち込んでいる今じゃなくても、と慌てて場を取り繕おうとするのだが、リュウもそれは理解しているのだろう、またも深く頭を下げた。
「当分、ご主人様は姉さまとの接触は禁止です! アイス様も薬物の影響が残っているかも知れないので、接触厳禁です! そういう訳でご主人様は今後、ココアとずっと一緒です! いいですねっ!」
「ちょっ、ちょっとココア! 真面目にしなさい!」
「え~、ココアはこれでも真面目に――」
「それじゃあ、尚更悪いわよ!」
そんなリュウに更にココアが今後の制約を設けるのだが、個人的な願望が過分に含まれた内容に、リュウは思わずジト目を向け、ミルクも呆れてココアを叱った。
「いやあっ! リュウっ、どこっ!? リュウっ!」
「「アイス様っ!?」」
とその時、寝室からアイスの泣き声が響き、三人は慌ててベッドへと向かった。
「怖い夢でも見たのか――」
「リュウ! 良かった……」
リュウがベッドへ向かいながら声を掛けると、アイスは涙目でリュウの胸に飛び込む様に抱き付き、安心した表情を浮かべた。
その必死さ溢れる様子に、ミルクとココアが顔を見合わせる。
「アイス様、大丈夫ですか?」
「おはようございます、アイス様」
「う、うん。もう大丈夫……お、おはよ……ミルクぅ、ココアぁ……あ、あの……き、昨日は、し、心配かけて、ごめんなさい……」
心配そうにミルクとココアが声を掛けると、リュウの左腕をしっかり抱きしめたアイスが振り返って挨拶を返し、そして心配を掛けた事を謝るのだが、昨夜の事がある為か終始俯き加減であり、二人に謝る時には見る見る顔を赤くした。
「いえ、良いんですよ、アイス様。お体の調子も何とも有りませんか?」
「え……う、うん……」
そんなアイスにミルクはにっこり微笑むのだが、薬物の影響を確認しない訳にはいかずに改めて尋ねると、アイスは少し考える素振りを見せてぎこちなく頷いた。
「姉さまぁ……そんなの、うんって言うしか無いじゃないですかぁ……」
「えっ?」
するとミルクを横目で見ていたココアが、やれやれ、といった具合で口を開き、ミルクはきょとんとした表情でココアを見る。
「ね? アイス様ぁ。おめでとうございますぅ!」
ミルクの様子にやはりやれやれ、という顔をするココアは一転、アイスに微笑み掛けて、祝いの言葉を述べた。
「ッ!」
「へっ!? あ……あっ、お、お、おめでとう、ご、ございますっ!」
途端にドキッとするアイスと一瞬フリーズするミルク。
そこでミルクもようやくアイスが昨夜リュウと結ばれたのだと思い至った様で、見る見る顔を赤くしてあたふたとアイスに祝いの言葉を贈った。
「あ、あああ、ありが……と……ぅ……」
そして一瞬にして爆発しそうな程に顔を真っ赤に染めたアイスは、恥ずかしさでお礼もそこそこにリュウにしがみつき、顔を埋めて小さくなってしまった。
そんな、絹糸の様な金髪の分かれ目から真っ赤な耳をちょこんと覗かせプルプルする姿は、ミルクとココアにかつてリズにしがみついていた、まだ小竜だった頃のアイスを思い出させ、二人は一先ずアイスが無事だった事に安堵するのであった。
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