02 教国の本拠地
ラーゼと別れてからも相変わらず殺風景な荒野ではあるが、所々には畑や簡素な小屋が建ち、農作業に従事している人々を遠目に見ながらリュウ達は歩いた。
しかしいつまで経っても変わり映えの無い景色にアイスが音を上げ始め、一行は仕方なくアイスを宥めながら辛抱強く歩いた。
そうして会話のネタも尽き、リュウも音を上げかけた頃、アナが振り返って皆に頭を下げて前方を指差した。
「みなさん、遠路お疲れ様でした。あちらが私達の家であり、大司教様がお待ちになる戴竜殿ですわ」
アナが指し示す先は、ポルト山のほぼ中央で山に抱かれる様に建てられた、地上二十メートルはありそうな巨大な木造の塔であった。
「おぉ……す、凄いですね……」
「え……」
「な、七階建て……無茶したものねぇ……」
「や、山を利用して造られたのですね! さぞ大変だったでしょう……」
リュウが何とか感想を口にするもののアイスは絶句しており、ココアに至っては呆れ口調だった為、ミルクが冷や汗混じりに明るい声でフォローを入れるのだが、語尾が弱々しい。
それもそのはず、戴竜殿なるご大層な名前の塔は、ポルト山の斜面を削り取って出来た溝の部分に、巨大な掘っ立て小屋を七つ積み重ねた様な代物だったのだ。
一応、下の階への重量負担を考慮しているのか、上階になる程に小屋の幅は狭く造られてはいるが、それだけでは建っていられないのだろう、小屋から左右の崖に伸びる梁や無数のロープが見る者の不安を掻き立てる仕様となっている。
見様によっては山に縛られている塔、とも言える有様なのであった。
「さ、みなさん、目的の為にも大司教様に謁見して教国の一員として認めてもらいましょう!」
「は、はい……」
「そ、そうですね! アナさんよろしくお願いします」
だがアナにとっては生まれた時から見慣れている為か、リュウ達の反応を大して気にした様子もなく、丁寧に頭を下げたミルクに微笑むと戴竜殿へと歩き始めた。
「リュウぅ……」
「ご主人様ぁ……」
「だ、大丈夫だ……住んでる人が居るんだから、見た目に反して頑丈だって……」
アナから少し間を開けて追従するリュウが、両側から不安気なアイスとココアにしがみつかれて自身に言い聞かせる様に二人を励ましている。
そんなリュウ達の様子を後ろから見るミルクが、ぷくーっと頬を膨らます。
『ココア! 何やってるの!』
『え? どうしたの姉さま?』
『どうしたのじゃないでしょ! ご主人様をサポートするべきココアが、どうしてご主人様にサポートされてるのよ! 離れなさい!』
『え~、だって姉さまがサポートしてくれているじゃない……』
『え~、じゃないの! 少しでもご主人様とアイス様に安心して頂ける様にミルク達が頑張らなきゃダメでしょ!』
『はぁい、姉さま……』
半分はやっかみも有ったであろうが、ミルクの正論にココアは渋々リュウと手を繋ぐに留めて各種センサーの感度を上げた。
『……ご主人様に甘えるのは、それからにしなさい……』
『はい、姉さま!』
そんなココアに少し言い過ぎたかとミルクがフォローを入れてやると、ココアの元気な返事が返り、ミルクは肩を竦めて微笑むのであった。
戴竜殿が大きく見える位置までやってくると、リュウの視界にその外寸が追加で表示され、リュウは頭の中で読み上げる。
『なになに……一階正面の長さは二十メートル、各階の高さは三メートル、上階は両サイドが一メートルずつ狭まってんのか……にしても、よく建ってんな……』
『スキャンしたところ、一応各階の柱は継ぎ足しているものの、下階の柱の位置に合わせてあります……が、それだけでは絶対的に一階や二階の柱は保ちませんので崖に梁を架け渡したりロープで補強して下階への負担を減らしていますね……』
そんな主人の不安そうな思考に、ミルクが少しでも不安を軽減できればと補足を入れているが、スキャンだけでは詳細不明な為に言葉尻がやはり弱々しい。
マスターコアをリュウから分離させているココアは、自身が繋ぐ気にならないとリュウの思考は見られない為、現在は自分なりに周囲を警戒、観察している。
「……めっちゃ柱が割れているんだが……」
「ひぅ……」
戴竜殿に踏み込んだリュウが、柱に大きな亀裂が入っているのを発見して口元をひくつかせ、アイスがしがみついている。
「心配ないですわ、そこは私が生まれる前からそうなんですよ」
そんなリュウとアイスをクスクスと笑うアナは、簡単に説明して先に進む。
そしてリュウ達は、拍子抜けする程にあっさりと建物を潜り抜けてしまった。
「あ、え? 建物抜けた? って事は、ここって山の中?」
「ええ、その通りですよ。木造部分には階段が無くて、こちらから上がるんです」
木造の建物を十メートル程進んだ所で周囲が洞窟の様相へと変わり、ポルト山に足を踏み入れている事に気付いたリュウにアナが微笑んで進路を変える。
辺りには所々に松明が設置され、周囲をぼんやりと照らしている。
その明かりの中、一部の壁にぽっかりと穴が開けられ、階段が見えていた。
「階段が掘ってあるんだ……すげえ……」
「この部分は元々、教国が出来る前から掘られていたのです。それが教国の時代になって斜面が崩れ落ちてしまい、一部の作物が全滅しかけたとか……」
「それで戴竜殿を建てて蓋をしたんですね?」
階段を螺旋状に登りながらのリュウの感嘆混じりの呟きにアナが応じ、ミルクが戴竜殿を無理をしてでも建てた理由に気付く。
「ええ。明るすぎても、風通しが良すぎても育たない作物もあるのですよ。でも、そのお蔭で昔より良い環境になった……らしいですわ」
「あ~、だから無理にでも高く建てたのか……大変なんだなぁ……」
そんなミルクに笑顔で答えるアナの言葉に、リュウもなるほど、と納得しながらアナの後に続く。
そうして螺旋階段を五階で降りたリュウは、壁の松明で照らされる木造部分へと目を向けた。
そこには表とはまるで違う厳かな雰囲気の両開きの扉が閉まっており、その周りの壁も扉に合わせた装飾がなされていた。
「お~、雰囲気あるなぁ……おっかねえ感じ……でも見張りの人とか居ないんですね……」
「ここは司教様の間で、日のある内は自由に出入りが許されています。大司教様はご高齢なので、司教様にご都合を伺う必要があるのです」
「なるほど……んじゃ、行きますか……」
司教の間を見たリュウの感想にアナが穏やかに説明すると、皆は納得した様子でアナの後に続いた。
「どうぞ」
アナが扉をノックすると若い男性の応答があり、アナは扉の片側を引き開けた。
すると室内の明かりが洞窟内に漏れ、僅かに目を細める間にリュウの視界が調整される。
「アナ!? アナじゃないか!」
入室してきたアナを見て若い男性が驚き、机越しに立ち上がると喜びの声を上げた。
脇に控える様に立っていたフードをかぶったままの数人の信者も、一斉にアナの方を向いて驚きの表情を見せている。
「はい! お久しぶりです、エルマー司教! お元気そうで何よりです!」
アナも声を弾ませて部屋に入ると、若い男性の机の向かいに歩み寄った。
エルマー司教と呼ばれた二十代半ば頃の端正な顔立ちの青年は、皆と同じフード付きのローブ姿だが、司祭だからか生地は上質そうな光沢のある黒であった。
フードはかぶっておらず、金髪の襟足が長い。
だがリュウはそんな事よりも部屋の床が気になっていた。
アナが既に入っているのに、床が抜けたりしないか感触を確かめながら恐る恐る入室する。
「君の方こそ無事だったんだね! チェルシーから事件を聞いて――ッ! っと、そちらの皆は……」
「あ、そうでした。こちらの方々はマーベル王国で出会ったリュウ・アモウさんとモ、モリナガ姉妹の三人です……こちらからミルクさん、ココアさん、アイスさん、皆さん私の話に興味を持って下さって、お連れしたんです」
「おお、それはそれは! 遠路ご苦労だったね、私は司教のエルマー・コリント。君達を歓迎するよ! それにしても美しいお嬢さん達だねえ……皆も喜ぶよ!」
嬉しそうに笑みを溢してアナに話し掛けるエルマー司教だったが、遅れて入って来たリュウ達に気付くと態度を改めるものの、アナの説明に再び笑顔でリュウ達を歓迎した。
特にアイス達の容姿はいたく気に入った様子である。
「ど、ども、リュウ・アモウです……」
「ミルクです……」
「ココアですぅ」
「ア、アイスです……」
「いやぁ、良いね! 久し振りの若い信者さんだ。 今日はゆっくり休んでくれると良い。トリ―ナ、彼らを星空の間に案内してくれ。アナも疲れてるだろうけど、少し残って話を聞かせてくれないかい?」
「はい、エルマー様。ですが、あの……大司教様には……」
ぎこちなく挨拶するリュウ達を気にした風でもなく、エルマー司教はにこにこと傍らに控えていた女性にリュウ達の案内を任せた。
だが残る様に言われたアナは、エルマー司教に大司教へ謁見しなくて良いのかを困惑気味に尋ねる。
「実は、大司教様は半年前から体調を崩されていてね……今は私が全てを任されているんだよ……」
「まぁ……それは大変ですわね……」
「でも、こうして皆が補佐してくれるし、小言を言われなくて助かっているよ」
「まぁ!」
するとエルマー司教は物憂げな表情で事情を説明するのだが、アナが同情すると表情を一変させて悪戯っぽく笑って見せて、目を丸くするアナも釣られて笑った。
「そんな訳で申し訳ないけど、大司教様の体調が良い時まで待って欲しい」
「仕方ありませんね……では皆さん、先に休んでいて下さい。私もお話が済み次第伺う様にしますので……」
「分かりました。じゃあ、お先に失礼します……」
そうしてエルマー司教とアナに済まなそうに断りを入れられたリュウ達は、短く挨拶を済ませると、トリ―ナと呼ばれた二十代半ばの女性信者の後に続いて部屋を出るのだった。
「ここが星空の間よ。アナが後から来るから、それまでは部屋から出ないでね? 一応ここには必要な物は揃っているから」
リュウ達を目的の部屋へ案内したトリーナは、簡単に説明を済ませて引き返そうとしたところをリュウに呼び止められて振り返った。
「あの、部屋から出てはいけないのはどうしてですか?」
「あなた達の格好を見て、不敬だ何だと騒ぐ神経過敏な人が居たら面倒でしょ? アナが来ればあなた達の服を持って来てくれるわ。それまでは待って欲しいの」
「なるほど、分かりました」
「もう良いかしら?」
「あ、はい。ありがとうございました」
「いいえ。じゃあ、これからよろしくね」
リュウの問いに答えるトリーナは気怠そうに応対するものの、最後にはパチンとウインクして去って行ってしまった。
アナと同い年くらいのお姉さんのウインクに、リュウの頬が少し赤い。
「なによ、最後のウインクは! 年増が色目使ってんじゃないわよ!」
「コ、ココア!」
「リュウぅ……アイスの方が良いよね? ね?」
「あ、当たり前だろ……ちょっと意外だっただけだ……」
退室したトリーナの足音が聞こえなくなると、即座にココアが毒突いてミルクが目を丸くし、リュウはアイスにしがみつかれて冷静を装いながら辺りを見回した。
「木造部分よりは安心できるけど、星空の間ねぇ……」
「山をくり抜いただけの部屋ですからねぇ……」
苦笑いするリュウにミルクが仕方ありませんよ、とばかりに追従する。
星空の間は必要な家具類は揃っている様だが、壁や天井はごつごつとした岩肌でひんやりしていた。
天井のほんの一部には天窓が嵌めてあり、ここが最上階だと分かるものの夕暮れ時の今では星はまだ見えない。
なのでリュウは、ミルクとココアに暇つぶしがてらに尋ねてみる。
「で、様子はどうだ? ミル……森永ミルクココア」
「「わざわざ言い直さないで下さい!」」
「お前らこそ今のシンクロは狙っただろ……で、どうなんだよ?」
ぷくっと頬をふくらませるミルクとココアに苦笑いするリュウが改めて尋ねると、二人はお互いをちらっと見たものの、平静を装って報告を始める。
二人は戴竜殿に入ってから、偵察糸による情報収集を行っていたのである。
「四階より上については把握できました。ほぼ居住区画になっています」
「三階より下も居住区画はありますけど、農業区画がほとんどの様ですぅ。ただ、姉さまのデータと照合すると、数千人は居そうですぅ……」
「数千人!? マジで!? 外で百人も見てないのに?」
「移動しながらの偵察糸の運用は効率が悪いので、全容の把握には至っていませんけど、一階と二階はかなり広い空間がありますので恐らくは……」
「なんかますます魔窟って感じに思えるな……アナさんの方は?」
ミルクとココアの報告に素っ頓狂な声を上げるリュウだが、ミルクの説明に一応の納得を見せるとアナの事を尋ねた。
リュウはミルクがアナを監視していると知っていた訳ではない。
ただしっかり者のミルクが不確定要素をそのままにはしないだろう、とは思っていたのだ。
「それが……最初は襲撃事件の話や再会を喜んでいたんですが、洞窟の井戸が枯渇したとかで深刻そうな話になってます……」
「ふーん、大変そうだなぁ……んじゃ怪しい所は無しか?」
「そ、そうですね……すみませんご主人様、無用な心配だったみたいです……」
リュウの予想通り、アナ達の会話を盗み聞きしていたミルクにリュウがからかう様な瞳を向けると、ミルクはアナに怪しい点は無かった、自身の考えすぎだったと頭を下げた。
「ねぇ、アナがどうかしたの?」
「何でもねえよ、アイス。それよりさ、ここに来て悪意とか感じたりってする?」
そこに事情を知らないアイスがきょとんとした表情で口を挟むと、リュウは軽く流して思い付いた様に話題を反らした。
「え? ううん……全然しないよ?」
「そか。なら良いんだ……んじゃ、アナさん来るまでのんびりしようぜ」
「う、うん!」
そしてアイスがやはりきょとんと首を横に振ると、リュウはにっこりと微笑んで古めかしいベッドに腰かけ、アイスにまとわりつかれるのだった。




