22 ミルクのはったり
アラド中尉の要請を受けた北棟の指揮官であるセルジ大尉は、情報部の二人に随行させる二組の分隊と共に北棟の表で城の東から駆け寄って来る少年を見ていた。
「なんだ? あのガキ……おい! ここは立入禁止だ! 近寄るんじゃない!」
兵士の一人が向かって来る少年に叫ぶが、少年は聞こえないと言わんばかりに速度も落とさず駆けて来る。
「ちっ、面倒くせえ……威嚇しますぜ?」
「程々にな」
警告を無視された兵士は、ぼそりと呟いて背後のセルジ大尉を見もせずに威嚇射撃の了承を得ると、右腕の銃のセーフティロックを解除し、マシンガンを選択して少年に向けた。
城の角を過ぎ、残り三十メートルの所まで駆け寄ってきた少年、リュウは銃を向けられた瞬間に進路変更しながら全力疾走に移行、集まる視線を置き去りにする。
「なっ!?」
一瞬呆気に取られる兵士だが、その右腕を左へ向けようと動いていた。
リュウの霞んだ残像を彼の目は辛うじて捉えていたのだ。
だが、彼の銃が火を噴く事は無かった。
何故なら、彼の銃はゴトリと音を立てて地面に転がったからである。
「ぐあっ!?」
「人様に銃なんか向けてんじゃねーぞ、おっさん!」
突き飛ばされ、短く叫び地面を転がる兵士の元居た場所に、リュウが突如現れ怒鳴り声を上げる。
丁度、現れたリュウを正面に見る事になったセルジ大尉が、少年の右腕に溶け込む様に消えて行く剣を見て目を見開いている。
「――ッ! うわっ!?」
次の瞬間、他の兵士達が息を呑みつつ反射的に動こうとするが、リュウが目の前に立つ二名の兵士をそれぞれ突き飛ばしただけで、兵士達はリュウから左右に将棋倒しとなってしまった。
しかし、そんな事ぐらいでは兵士達も戦意を喪失したりなどはしない。
当然の様に体を起こし、即座に反撃に移ろうとする。
呆然としているのは、被害を免れた情報部の二人とリュウの前で立ち竦む駐屯指揮官のセルジ大尉くらいだ。
「動くなっ!」
だが、リュウもそれくらいで事態が収まるとは思っているはずも無く、傍らに停めてあったビークルに叫びながら振り上げた拳を叩きつけた。
「馬鹿なっ!?」
「嘘だろっ!?」
それだけで車らしさを残していたビークルのフロント部分が轟音と共に大きくひしゃげ、兵士達は驚愕の声を発し、本当にその動きを止めてしまっていた。
――この少年は一体何者なのか。
その場の誰もがそう思い絶句する中、まるで場違いな可愛らしい声が更に皆を混乱させる。
「ご主人様ぁぁぁ! 止めて下さいぃぃぃ! 皆さんを刺激しないでぇぇぇ!」
「あ? 何言ってんだミルク。こいつらをとっとと片付けねーと、ココアと合流できねーだろが!」
「だからって、全員を始末するなんて酷過ぎます! 皆さんだって、無事に国に帰る権利は有りますぅ!」
突然現れ、ぎゃいぎゃいと騒ぎだした可愛らしい妖精と、額に青筋を浮かべて反論する得体の知れない少年に誰もがポカンと固まる中、ガリー少尉がハッと我に返る。
「ま、待ってくれ! 皆も撃たないでくれ! 君、それは一体何なんだ!?」
「は? それ?」
ガリー少尉が慌てて仲間達を制止してリュウに問い掛けるが、リュウは不機嫌そうな疑問顔を向けるだけだ。
「そ、それだよ! その、妖精みたいな……女の子は一体何なんだ!?」
「あー、俺の……妖精だけど? んな事より、あんたらナダムから来たんだろ? 帰りたいってんなら、武装解除してくれよ。しないのなら……」
探していたスパイバグとよく似たシルエットのミルクを指差してガリー少尉が叫ぶ様に尋ねるが、リュウはどうでも良いとばかりにその問いを適当に流すと、自身の要求を突き付けながら左腕に光を集め始めた。
「ご主人様!? 殺しちゃダメですっ!」
「人聞きの悪い事を言うな――」
「み、皆さん! 逆らわないで下さい! 何もしなければ安全は保障――ッ! ご主人様っ!」
「ちっ!」
光を集め始めたリュウを見て先走った叫びを上げるミルクは、心外だと言わんばかりの主人を遮ってエルナダ兵達に呼び掛けるが、洋館の二階に潜む狙撃者に気付いて鋭く叫んだ。
リュウは視界のガイドに従って素早く洋館の二階に目をやり、窓の脇に隠れる二つの赤く並ぶ人影を見るや、集めた光の玉を赤い人影の足元に表示された赤く丸い円に向けて発射する。
音も無く発射された光の玉は洋館の中央にぽっかりと穴を開けた。
二名の狙撃者は突然沈み込んだ床に呑まれ、そのまま大きく開いた穴から外に放り出されて地面に落下、呻き声を上げている。
「抵抗なんて無意味ですっ! この方は星巡竜なんですよっ!!」
その様子を唖然とした表情で見つめる北棟前の面々は、ミルクの叫び声を耳にして恐る恐るリュウに顔を向けた。
まるでギギギ、と軋みを立てる錆びた人形の様な不自然な動きで。
「は!?」
突然のミルクの爆弾発言はエルナダ兵達の抵抗を断念させる方便であったが、普段そんな事を意識してないリュウまでもが何言い出すの!? と反応する。
「おい、ミルク――」
『ご主人様は黙ってて下さい! もうこれで押し通すのが一番なんですぅ!』
そして、さすがにそれはいくら何でも烏滸がましいと、素で言い返そうとするリュウだったが、脳内でミルクに一喝されて首を竦めて口を噤んだ。
実はリュウは本気でエルナダ軍を始末しようなどとは思っていなかった。
圧倒的なスピードと力を見せつけて威圧的な態度で臨めば、後はミルクが説得してくれる、そう思っての行動であり、実際その通りになっている。
しかしミルクはそうでは無かった。
ミルクは直前のココアを心配するリュウの態度から、もっと過激な、それこそ死人が出てもおかしくない様な手段を取ると思っていたのだ。
それならばミルクがリュウを止めようとするのにも必死さが溢れ、説得も楽に出来るだろう、と。
だがリュウは生来の優しさなのか、従来通りの戦い方で一人を倒した後は突き飛ばしてなぎ倒しただけであり、ミルクはそのツッコミどころ満載の方法に正直青褪めたのだった。
絶対反撃される、と北棟の偵察機器をフル活用し事前に狙撃を阻止できたから良かったものの、一歩間違えばハチの巣にされていてもおかしく無かったのだ。
状況に適切で恥ずかしくも大袈裟な説得、索敵、そして目標点の表示と、その超高速な頭脳でミルクが対応したからこそ、今の結果が有るのだ。
脳内で怒鳴られたリュウが、そんなミルクの苦労も知らずに仏頂面で再び手に光を集めだし、それを見たセルジ大尉は慌てて我に返った。
「ま、待ってくれ、いや、待って下さい! 全員、撃つな! 命令だ! 絶対に発砲は許さん!」
数千年もの間、ヨルグヘイムを神と崇めていた彼らにとって、星巡竜に盾突く事がどれ程愚かな事であるかは、その遺伝子に刻まれていると言っても過言では無い。
セルジ大尉は慌ててリュウに断りを入れると、振り返って大声で叫んだ。
そして洋館から見える兵士達が従ったのを見て、困った顔をリュウに向ける。
「あの、彼らを……」
「ああ……」
セルジ大尉が二階から転落した二名を見て言い淀むが、リュウが頷き了承した事で傍らの数名を手当てに向かわせた。
「助かります……あの、我々はここで待機を命じられていただけで、星巡竜……様に盾突くつもりなど――」
「命じられたら、容赦なくその武器をこの国の人々に向けるんだろうが?」
「そ、それは……」
手当の許可に礼を述べて弁解を始めたセルジ大尉であったが、リュウの言葉にこの国の人々を敵に回す事が、この星の星巡竜、つまり目の前の少年を敵に回す事になるのだと気付き、言葉に詰まった。
「あなたがここの代表なのですか?」
「そ、そうだ……です……駐屯指揮官のセルジ大尉です」
そこへリュウに代わりミルクが話し掛けると、セルジ大尉は少し困惑した様子だったが、星巡竜に仕える存在が普通である訳が無いと、態度を改めて応じた。
「ではセルジ大尉、あなたはソートン大将のこの国での目的をご存知ですか?」
「それは……鉱石を主にした資源を――」
「いえ、そうではなく、その先にある目的です。資源の回収ならば、ここに拠点など必要有りませんよね? 思うに、ソートン大将は公爵派の連中と結託して、もしくは公爵派も追い落としてこの国を支配、更に周辺の国々も奪うつもりなのではないんですか? 随分と部隊を割いて南に向かわせている様ですけど?」
「そ、そこまでは私も知らされていません! ただ公爵に味方して我々の待遇をより良いものにする、と……」
ミルクの説明と推測に驚くセルジ大尉は、ミルクの冷ややかな視線にゴクリと唾を飲み込むと、慌てて正直なところを話した。
「あんたらさ、この国に永住するつもりなのか?」
「い、いえ、そこまでは……出来れば早く国に帰りたいと……」
続くリュウの問いにもセルジ大尉は正直な気持ちを話し、左右で尻もちをつく兵士達もコクコクと頷いている。
「では、一先ず武装を解除して下さい。皆さんの安全の保障は、ご主人様が国王陛下に頼んで下さいます。この要求を呑めない、ソートン大将の下に戻るというのであれば、武装解除、徒歩、という条件で解放しても構いませんが……それは結局、ご主人様と敵対する事を意味しますのでお勧めはしません」
「あ、あの、この場に居ない他の仲間達は……」
「敵対するならぶっ飛ばす。しないのなら、あんたらと一緒に仲良く見学だな」
静かに淡々と告げられるミルクの言葉に、セルジ大尉が緊張した様子で各地に別れた仲間達の処遇を尋ねると、リュウは即座にあっけらかんと言い放ちニィっと笑うのだが、セルジ大尉はその笑みが余計に不気味だったのか、表情を青褪めさせている。
「言っておきますが、あなた方は捕虜になるのではありませんよ? あくまでも対等な関係でこの国の人達と過ごしてもらうつもりです。ですが、それには先ず武装の解除が必要なのです。その武器はこの世界では脅威そのものですから」
「わ、分かりました。早急に皆の意見を確認します」
なのでミルクがフォローを入れてやると、セルジ大尉と周りの兵士達は安堵の表情を覗かせ、セルジ大尉は一礼して一人北棟に入って行った。
中で聞き耳を立てていた兵士達に事情を説明するのだろう。
「そうだ、情報部の人は?」
「わ、我々がそうですが……」
セルジ大尉が居なくなり、リュウが傍らの兵士達に声を掛けるとガリー少尉が返答し、後ろに居たアラド中尉が横に並んだ。
「どこまでこっちの情報を掴んでる? 通信を妨害したろ?」
「えっ、あ、いえ……その……」
リュウの言葉にガリー少尉が青褪めながら、アラド中尉をちらりと見る。
「情報部のアラド中尉です……私から話させて頂きます……」
アラド中尉はガリー少尉を守る様に彼の前に出ると、リュウに説明を始めた。
「なるほど……動体検知式のカメラですか、それで――」
「んな事より、今すぐ情報部にそのスパイバグには手を出すなと伝えてくれ」
説明を聞いてミルクが納得して呟くのを遮り、リュウがアラド中尉にココアの安全を確保させようとした。
「あ、いえ、しかし……」
「ご主人様、アンテナはさっき……」
「あ……」
だが、アラド中尉は言い難そうに口ごもり、ミルクも気まずそうにアンテナについて言及しようとすると、リュウも自身の行動を思い出したのだろう、目線をアンテナが有った場所に向けて固まってしまった。
「じゃ、じゃあ、直接……」
そして直接行って伝えれば、と思ったリュウであったが、ビークルを見て再び固まった。
その場の皆が非常に気まずそうにリュウから目を逸らしている。
そんな中、残る兵士達との意見をまとめたセルジ大尉が戻り、その後に義手を外した兵士達がぞろぞろと北棟前に整列し始めた。
「せ、星巡竜様……我々は先の申し出をお受け致します。その、出来ましたら、他の仲間達にも寛大な処遇を……」
「敵対しなけりゃな……けど、今は約束は無しだ。ココアの、仲間の安全が不明のままだからな……」
セルジ大尉から北棟全員の提案受諾の報告を受けるリュウだが、ココアの事が気になるせいか、優れない顔色のままに再び手に光を集めだした。
「ミルク、レオン王子の位置を出して、王子より北に居る騎士達が居たら下げる様に言ってくれ」
「はい」
リュウの指示にミルクはリュウの視界にレオンの位置を表示し、レオンに確認する間にも光はどんどんと集まり、エルナダ軍の兵士達が目を見開いている。
「ご主人様、大丈夫との事です」
「よし」
そして通信を終えたミルクからの返事に小さく頷いたリュウは、無造作に西の森へと巨大に膨れ上がった光の玉を放った。
音も無く放たれた光は一瞬で触れた物を消滅させ、森に真円のトンネルを作り上げるが、足元を失った木々が次々と落下し、リュウ達の耳に木々の倒れる音が伝わってくる。
「ミルク、レオン王子に――」
『落ち着け! 陣形を整えろ!』
『エルナダ軍の攻撃か!?』
『ミルク! ミルク! どうなってる!?』
リュウがミルクに再び指示を出そうとすると、ミルクがリュウの回線も繋ぎ、リュウの頭の中にレオンの通信機を通した彼らの混乱する声が飛び込んで来る。
「もう伝えました……けど、向こうは馬が暴れてパニック状態になってますぅ、もうちょっとやり方無かったんですかぁ?」
「あは……は……」
それはすぐに切られたが、現在も並列処理でレオンへの弁明と謝罪をしているミルクにジト目で抗議され、リュウはポリポリと頬を掻きながら目を泳がせるのだった。
その後、頬を引き攣らせるエルナダ軍の面々にリュウの正体を秘密にする事を約束させ、合流したレオン王子とフォレスト騎士団に謝罪、エルナダ軍の事情を説明したリュウは、エンマイヤー領に向かおうとしてミルクに止められる。
『ご主人様、ノイマン男爵とフォレスト伯爵を盾にしようと騎士の一部が話してます! どうも襲撃が知られた様ですね……二人を盾にされてしまう前に、救出すべきかと』
『くそ、マジか……騎士のくせに……こっちは急いでるっつーのに……』
『ご主人様、ココアは余程の事が無い限り大丈夫です。しかし、人の命はいとも簡単に失われてしまいます。お気持ちは十分に分かりますが、ここは――』
『分かったよ……男爵達までのルート表示頼む』
フォレスト騎士団が動揺しない様にと脳内で報告され歯噛みするリュウだが、ミルクに諭されて逸る気持ちを飲み込む。
因みに今のリュウは竜力を抑え、その黒い腕は元に戻っている。
「レオン王子、皆さんとこの一帯を警戒してて下さい。この東側の柵は一部撤去されているので、エンマイヤー騎士団が来るかも知れません。もしエルナダ軍が来る様なら、すぐに撤退してミルクに連絡を。それとこの場に居るエルナダ軍の皆さんは非戦闘員です。後方に下げて、安全の確保を」
「分かった。任せてくれ」
「皆さんはレオン王子の指示に必ず従って下さい。決してあなた方の武器を手にしてはいけません。それが例えレオン王子の助けになる為だったとしても、その武器を使えばあなた方は恐れられ、ここでの自由を手放す事になります。どうか忘れないで下さい」
「わ、分かりました。皆に徹底させます」
リュウが落ち着いたのを見て、ミルクはレオンに周囲の警戒と注意を促すと、セルジ大尉の下に飛び、今は外している武装の使用を戒めた。
レオンは信頼を、セルジ大尉は畏れを、それぞれその瞳に湛えて答えている。
「リュウ、大丈夫か?」
ミルクがリュウの肩に戻り、レオンがリュウに声を掛ける。
「大丈夫ですよ、ちゃちゃっと済ませて戻って来ますよ。レオン王子こそ、無茶しないで後方でデーンと構えてて下さいね?」
「柄じゃないな……王族だからと守られるだけだなんて御免だ……」
気負い無く答えるリュウが、そっちこそ王子様なんだから、と悪戯っぽく心配して見せると、レオンも素っ気なく答えて少し気取って見せた。
「やんちゃ盛りですもんね」
「お、お前だって一緒だろ!?」
リュウにニィっと笑って茶化され、目を丸くして言い返すレオン。
自分でも少し格好をつけた意識が有るのだろう、レオンの顔が赤い。
「さて、冗談はこの位にして……ミルク、行くぞ~」
「おい!? 無視するな!」
「レオン様、済みません……行って来ますぅぅぅ!」
そんなレオンにくるりと背を向け、パシュッとワイヤーフックを城の北東塔の天辺に打ち込むリュウに、唖然とするレオン。
ミルクが苦笑いでレオンに頭を下げるものの、リュウがワイヤーを巻き上げた為にミルクは挨拶しながらリュウと共に塔の天辺へと上って行った。
「くそう……リュウの奴め……」
ひらりと塔の天辺に取り付き、手を振って城の屋根へと消えて行ったリュウに毒突くレオンは、視線を周囲に向けて固まった。
ワイヤーフックであっという間に王城の天辺に消えたリュウを、誰もが唖然と見上げていたからである。
そんな彼らを見て苦笑いを溢すレオンであったが、彼らを現実に引き戻すと、てきぱきと指示を出して周囲の警戒に当たるのであった。




