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肖像画の佳人  作者: 涼華
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第2章

 マルガレーテ姫が、ゴートベルグ公国に嫁ぐことが決まり、リーフェンシュタール公国の領民は悲しみに沈んだ。人質として敵国に行かされることは誰の目にも明らかであった。人々は、若く美しい姫の苛酷な運命に涙した。


 「お気の毒な姫様・・」


 「リーフェンシュタールのために、犠牲になられて・・」


 それは、城内でも同じであった。廷臣達は事あるごとに、その言葉を口に出した。




  勝手に決めつけないで欲しいものだ。


 マルガレーテ姫は、ウンザリしていた。そんなに気の毒がるのならば、最初からこの話を断ってくれればよいものを、と思っている。

 今日も、姫は若い女官からその言葉を聞かされた。


 「もう、いい加減にしてちょうだい。耳にたこができそうだわ。」慌てた女官に姫はさらに続けた。


 「ゴートベルグに行く前からそんなことを言われ続けたら、気が滅入ってしまう。」


 「でも、姫様・・」


 「あちらに行ったらどうなるか解らないのだから、せめて、リーフェンシュタールにいる間だけでも楽しく過ごしたいのよ。」 そう言うと、姫は、恐縮している女官に微笑みかけた。


 「やっと、マルガレーテ姫らしくなりましたな。」 ヴィルヘルム伯の声がした。姫は、顔を赤らめた。


 「ローランドはどうしておりますの。」マルガレーテ姫は、片時も忘れ得ぬ愛しい人の名を口に出した。


 「彼は、今、謹慎中です。」ヴィルヘルム伯は眉をひそめた。


 「罰を受けるのですか?」


 姫の顔が青ざめた。


 「いいえ、姫の婚礼が終わり次第、謹慎を解く手はずになっています。」


 「合わせて下さい。ローランドに。」


 「滅相もないこと。彼のしたことは、大逆罪にも相当しますぞ。ゴートベルグ公のお許しがなければ、例え軽くとも、追放は免れなかったはず、姫様も公に感謝しなければなりますまい。」


 冗談ではない。公は、ローランドの命と引き替えに自分に婚姻を迫ったのだ。卑劣な男。姫の心にあの屈辱の夜が甦った。


 「マルガレーテ姫、くれぐれも軽率な振る舞いは慎まれるように。よろしいですか。」


 「解っていますわ。でも、せめて晩餐会は、」


 「解っております。ご安心を。」


 その夜、久しぶりに晩餐会が開かれた。着飾った騎士や貴婦人達、ダンス、リュートやハープの物憂げな調べ、洗練された会話、リーフェンシュタール公国の全盛期を彷彿とさせる華やかさであった。マルガレーテ姫はその雰囲気を満喫した。ゴートベルグにいけば二度と味わえないであろう、この華やかさ、しかし、姫はその考えを振り払い、酔いしれたのであった。

 一週間後、姫は出立した。馬車での退屈な旅である。国境まで悲しみに沈んだ領民達が出迎えていた。まるで、葬送の列だ。マルガレーテ姫は苦笑している。あたかも自分の葬儀に参列しているかのようではないか。


 ローランド・・・姫は騎士の指輪を握りしめた。晩餐会の夜、姫は女官からこの指輪と手紙を手渡された。


 「我が心は、永久とわにあなた様とともに。」


 監視の隙を見てかいたのであろう。たった一行に込められた思い、その深さに姫の心は温められた。例え引き離されても心は結ばれている。ローランドはいつも私のそばにいるのだ。



 国境近くの平原にゴートベルグの騎士団が控えていた。リーフェンシュタールの華やかな服装に比べ黒を基調にした質素な出で立ちである。

 何と地味なこと、姫は憂鬱になった。

 ここからは、私一人。姫は手を握りしめた。

 リーフェンシュタールのものは何一つ持っていくことは許されない。姫は身につけているもの全てゴートベルグのものに着替えさせられた。良く、ローランドの指輪が見つからなかったものと、姫は感謝している。


 ゴートベルグ公国に入ると様子が一変した。国を挙げてお祭りムードになっていた。こちらでは、喜ぶべきことなのだ、と姫は皮肉な笑みを浮かべた。


 都市には、市が立ち、人々も活気にあふれている。姫は外の風景に見とれた。



 ゴートベルグ公国は平地が広がり中を大河が流れているため、大型の貿易船も内陸に入りやすい利点がございます。


 彼女は、ヴィルヘルム伯の言葉を思い出した。


 馬車は、ようやくゴートベルグ城に到着した。ヘルマン一世が出迎える。

 こんな男と・・姫に嫌悪の情が湧き起こった。

 ヘルマン一世は涼しい顔で彼女に付き添った。そこもまた、姫のカンに障る。

 彼女は、婚礼の衣装に着替えた。バラ色のドレスは彼女の肌を引き立たせた。もし、これがローランドのために着るものであったなら、姫は悲しげに微笑んだ。あの夜まで、自分は彼との結婚を疑いもしなかったのだ。しかし、今は・・

 現れた姫の姿に、廷臣達はどよめいた。司祭の前に進み出る。公は、黒い服に身を包んでいた。背の高い公と並ぶと、姫はいっそう華奢に見える。司祭の祈りを聞きながら姫は、物思いに沈んだ。


 「何を考えている。」ゴートベルグ公の声がした。


 「偽りの誓いなど立てて、神様の罰がくだらないかと思っているのよ。私にもあなたにも。」姫は小声で答えた。公は、平然と言う。


 「じゃあ、真実の誓いにしてしまえばいいだろう。そんなことより、彼らの目はマルガレーテ姫、あなたに釘付けだ。」


 「それがどうかして。」


 「なんて言ってると思う?」


 「存じません。」


 「何と美しい、妖精のような姫、少女のように無垢な姫、そう言ってるのさ。」


 リーフェンシュタールの貴族の優美な賛辞に比べ何と陳腐な言い回しだろう。


 「お褒めにあずかりまして、光栄ですわ。」姫はつんとしていった。


 「だが、中身は大変な発展家だ。」姫の頬が、赤く染まる。「それに、情熱的でもある。」


 ローランドとの逢瀬を、この男は一部始終見ていたに違いない。怒りに震える眼差しで姫は公を睨みつけた。銀色の鷹の瞳がそれに応える。


 「今宵が楽しみだ。マルガレーテ姫。」

 公は薄い笑いを口元に浮かべた。



 誰があなたなんかと!



 相手の向こうずねを蹴飛ばしてやりたい。その思いを抑えながらマルガレーテ姫は身じろぎもせず立っていた。




 式が済むと、晩餐会が開かれた。予想していたこととはいえ、リーフェンシュタール城の華やかさとは比べものにならない。退屈で荒削りなものであった。姫は辟易している。もう少し、洗練されたものにならないものか、せめて楽士だけでも侍らせることができるなら。マルガレーテ姫は考えずにはいられなかった。リーフェンシュタールの楽士の調べ、あの甘美な音色なら、ここ、ゴートベルグの騎士達もきっと気に入ることだろう。姫は二度と聞くこともない故郷の調べに思いをはせた。


ようやく晩餐会が終わり、姫はヘルマン一世と寝室に向かった。姫の体に緊張が走る。


 「怖いのか。」公が静かに言った。姫は黙っている。「ここが私たちの部屋だ。」


 広い部屋に天蓋つきのベッドが置かれていた。調度品も城の他の部屋よりは洗練され、絨毯も柔らかい色彩のものが敷き詰められている。


 「あなたの好みに合うかどうか。リーフェンシュタールの職人を使ってそろえたんだ。」


 「いくらかましといったところですわ。」姫は冷ややかに言った。


 「愛想のない姫だな。もともと、俺はこんなぴらぴらしたものは嫌いなんだ。」


 粗野な口ぶりに、姫はぞっとした。公に腕を捕まれた。


 「放して。」何と粗暴な振る舞いだろう。恐怖で指先が冷たくなる。


 「なぜ。夫婦なら当然するべきことをするまでだ。」彼は、荒々しく姫を抱きすくめた。


 「いや。」


 「おとなしくするんだ。マルガレーテ姫。」


 口づけをしようとしたゴートベルグ公の唇に姫は噛みついた。一瞬ひるんだ隙をついて、姫は公の腕を振りほどき、石の窓によじ登った。城は断崖に面しており、風が吹き上がってくる。


 「よせ。」


 「これ以上近づいたら、ここから飛び下りるわ。」


 「バカな。」


 「初夜に花嫁が死んだと知れたら、リーフェンシュタールではどう思うかしら。きっと、あなたが殺したと思うでしょうね。先代の、ゴートベルグ公のようにね。そうなったら、あなたの野望の妨げになるのじゃなくって。」


 マルガレーテ姫は毅然とした口調で言った。しかし、心の中は不安で一杯だった。もし、勝手にしろと言われたらどうしよう。彼なら言い出しかねない。その時は、覚悟を決めなければと、眼下の漆黒の闇を見つめながら、姫は思った。膝の震えが止まらない。公は黙って見つめている。彼が何を考えているのか、姫には読みとれなかった。しばらくして、公が口を開いた。


 「とんだ、じゃじゃ馬だな。まあいい。時間はたっぷりある。」


 公はシーツをはぎ取ると、血のにじんだ唇に押し当てた。


 「この印さえあれば、当座の目的は達したことになる。」


 初夜の印を廷臣に見せようというのだろう。マルガレーテ姫は屈辱に震えた。


 「あの騎士に操を立てようというのか。つくづくあなたは男を見る目がないと見える。」


 ローランドを侮辱されて、姫の怒りが爆発した。


 「あなたにローランドのことを悪くいう資格などありません。」


 「そうかな。」


 「あなたは、あの人の・・」


 「靴ひもも結ぶ資格のない男ですかな。」


 姫は言葉に詰まった。


 「とにかく、そこから降りるんだ。マルガレーテ姫。当分、あなたに触れるのはやめにしておいた方が良さそうだ。」


 彼女は、ずり落ちるように窓から降りた。足が震え、立っているのがやっとだった。これを、公に気取られてはならない。姫は公を見つめた。


 「だが、これで終わったと思うな。私は悍馬を乗りこなすのが趣味なんでね。」


 当てこすられ、姫は怒りのあまり声も出なかった。公はそう言い捨てると、扉に向かった。


 ヘルマン一世の姿が視界から消えると、マルガレーテ姫は絨毯の上にへたり込んだ。口がからからに乾いている。足に力が入らない。彼女は這うようにしてベッドに近づき、体を横たえた。いつまで、自分は身を守れるのだろうか。いつまで・・・

しかし、考えるのも、もう限界だった。泥のような眠りが襲ってくる。彼女は急速に意識を失っていった。








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