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肖像画の佳人  作者: 涼華
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第1章


 リーフェンシュタール城では、今、群臣達の会議が始まったところであった。


 「ヴィルヘルム伯。このような条件をのめとおっしゃるのですか。」誰かの声が響く。「それでは、あまりに・・」

 ヴィルヘルム伯は気品のある顔立ちを曇らせた。白髪のかかった額に苦悶のしわが寄る。

 「しかし、他に方法はない。もし、拒絶すれば、リーフェンシュタールは焦土と化すだろう。」

 「戦わずして、このリーフェンシュタール公国を手中に収めようというのか。何と狡猾な・・」若い貴族が叫んだ。

 「黙らっしゃい。そもそも今度のことは、みんな、そなた達の短慮から起きたことじゃ。」

ヴィルヘルム伯は一括した。

 「傭兵上がりのあの男に、そなた達が叶うはずもないだ。それを挑発に乗りおって・・」

貴族の一人が怒りの声を上げた。それを遮るように、ヴィルヘルム伯は続けた。

 「もう良い、覆水盆に返らずじゃ。だがどうあっても、マルガレーテ姫には、」

 「いやです。」

 

 中央の玉座に座っていた若い姫君は叫んだ。栗色の髪が豊かにうねり、生き生きとした瞳の印象的な美しい乙女である。華奢ですらりとした姿、全身を包む紫の衣装は色白の肌に良く合っていた。その乙女が、今怒りに震えながらヴィルヘルム伯を見つめていた。

 

 乙女の名はマルガレーテ。彼女は、先代のリーフェンシュタール公の一人娘であり、公国の正当な王位継承者であった。


 無理もない。

 

 ヴィルヘルム伯は、美しい姪に科せられた運命に同情した。このように美しい乙女、花の盛りの姫をあの傭兵上がりの人身御供に捧げるとは、しかし・・

 「あのような年上の方の所へ嫁ぐなど、私は、私は・・」

 「しかし、姫、二十や三十、年の離れた夫婦など、世間にはいくらでもございます。」

 「いやです。私には・・」マルガレーテ姫は言葉を飲み込んだ。

 「リーフェンシュタールのためですぞ。聞き分けてもらいますぞ。今のそのご様子を亡き兄上が見ればさぞ、」ヴィルヘルム伯も必死だった。

 「お父様が生きておいででしたら、このような恐ろしいことは断じてなさらないでしょう。」そう叫ぶと、マルガレーテ姫は外に飛び出した。

 「姫!」

 慌てる群臣達をヴィルヘルム伯が制した。

 「マルガレーテ姫は、ご自身の本分は十分、解ってらっしゃる。」


 マルガレーテ姫は、中庭に佇んでいた。辺りはすでに暗くなり、月が煌々と照らしている。月の光で、姫の顔はいっそう蒼白く見える。

 断ることなどできるはずもない。でも・・

 マルガレーテ姫はヘルマン一世を嫌悪していた。初めて公と出会ったときのことを思い出す。忘れもしない五年前の、新年祝賀会の席上だった。十三歳になったばかりの姫が公と初めて出会ったのは。あの時、不躾な視線を感じて振り向いた彼女の目が、ゴートベルグ公の姿をとらえた。質素な黒い服に身を包み、群を抜いて背の高い、逞しい体つきの男であった。獲物をねらう猛禽のような風貌、彼女の知っていた貴族達とは全く違う、戦場の匂いのする騎士だった。

 公は姫と目が合うと、薄い笑いを口元に浮かべながら、会釈した。あの冷酷な眼差しが忘れられない。その瞳を思い出すと、今でも全身が総毛だった。あの絡め取るような薄い銀色の瞳、どんな猛獣でも、もう少し優しい瞳をしているのではないか。

 

 あのような殿方と私は・・


 「マルガレーテ姫。」品の良い若い男の声がした。

 年の頃二十ぐらいの、アポロンのような美しい騎士が泉水のそばに立っていた。

 「ローランド。」彼女は騎士に駆け寄った。月明かりの中で互いを見つめ合い、抱擁を交わした。

 「よくご無事で・・」騎士の胸に顔を埋める。

 「許して下さい。少しでも、あなたにふさわしい男となろうと、それがあなたを」

 騎士の顔が苦悩にゆがむ。二人は、前から思い合う仲であった。しかし、一介の騎士に過ぎないローランドは、世継ぎの姫にふさわしい相手ではない。彼は、焦った。この焦りが、無謀とも思えるゴートベルグ進撃に、彼を駆り立てたのであった。

 「良いのです。もう、何も・・」

 騎士は、姫をきつく抱きしめた。甘美な口づけ、柔らかな髪、少年の面差しの残る頬。今宵限り、もう二度と、この腕に抱かれることは叶わないかも知れない。姫は騎士の抱擁を受け入れた。

 「連れて行って、私を、どこか知らないところへ」姫はつぶやいた。

 「マルガレーテ姫?」一度口に出してしまうと、姫の決心は固まった。

 「二人で、どこかに。あなたさえいて下されば、私は・・」栗色の瞳が騎士を見つめた。

 騎士は、しばらく見つめていたが、やがて頷いた。

 「解りました。では、いつ。」

 「今、すぐに。」騎士は、驚いている。「遅くなればなるほど逃げられなくなりますわ。さあ、速く。」

 姫に気圧されるように、騎士は答えた。

 「では、参りましょう。マルガレーテ姫。」


 その時だった。


 「命令違反の上に、脱走か。男の風上にも置けぬな。」低い、威圧的な声がした。

 「何者!」腰の剣に手をかけながらローランドが叫ぶ。

 それに答えるように、月明かりの中、人影が浮かび上がった。上背のある姿、高い鷲鼻、鋭い瞳・・・

 「ゴートベルグ公!」

 「マルガレーテ姫?では、この騎士が・・」

 思いもしない侵入者に二人は呆然としている。

 「これは、どうも。マルガレーテ姫。覚えていていただき、光栄だ。」

 にこりともせずにゴートベルグ公はいった。粗野な口ぶりは姫の嫌悪感を増幅させた。

 「なぜ、あなたが?」

 「未来の花嫁の姿を見に来たといったところかな。」

 「無礼な・・・・私は断じてあなたのものになど・・」

 「申し出を断るというのかな。」

 「その通りですわ。」

 「後悔しますぞ、マルガレーテ姫。」

 「後悔するのは、あなたの申し出を受け入れたときですわ。」

 ヘルマン一世は含み笑いをした。

 「何が可笑しいのです。」

 「お気の強いことだ。だが、いずれにしろ、あなたは私のものになるんだ。申し出を拒否すれば、それこそ戦利品としてね。どちらが姫の名誉を守れるか、とっくりと考えてみるんだな。」

 「私を脅すつもりなのね。」姫は怒りで言葉が続かない。

 「これ以上姫様を侮辱すると、この私が」ローランドも怒りで震えている。

 「『この私が、』なんだね、騎士殿。」小馬鹿にしたような口ぶりだ。

 「黙れ。無礼者。姫の名誉にかけて、貴様に決闘を申し込む。」ローランドが剣を抜く。

 ヘルマン一世は唖然としてマルガレーテ姫を見た。

 「もう少し、ましな男を恋人にすればいいものを。」

 「黙れ!」


 二人の騎士は剣をかわした。金属音が中庭に響き渡る。ローランドの剣は速く鋭い。ヘルマン一世は、騎士の剣を辛くも交わしていた。マルガレーテ姫は固唾をのんで決闘の成り行きを見守っている。ローランドが勝ってくれたら、自分は救われる。神は決してゴートベルグ公のような、卑劣な男をお許しになるはずがないのだ。

 

 神よ、どうかローランドをお守り下さい。

 

 その時、嘲るような公の声がした。「なかなかの腕前だな。」

 「何?」

 「もう、遊びは終わりだ。」

 次の瞬間、ローランドの剣がはじき飛ばされた。若い騎士の体が宙を舞い、地面にたたきつけられる。ヘルマン一世は仰向けに倒れた彼の首に剣を突きつけた。

 「好きにするが良い。」ローランドの完敗だった。

 「好きにさせてもらおうか。」公が冷然といった。

 「止めて、止めて下さい。」マルガレーテ姫は思わず、公の前にひざまずいた。

 「敗者の運命は、勝者の手に委ねられる。決闘の決まりだ。」公は、素っ気なくいった。

 「マルガレーテ姫、止めて下さい。」組み敷かれたまま、ローランドがうめくようにいった。

 最愛の人、ローランド、彼を失ったら自分は生きてはいられない。

 「どのようなことでもいたします。ですから、ローランドの命だけは・・」マルガレーテ姫の眼から涙があふれ出した。

 「では、申し出を受け入れるのか。」

 姫は頷いた。

 「声に出して誓いなさい。『私は、ゴートベルグ公の結婚の申し出を受け入れる』と。」

 冷酷な言葉だった。マルガレーテ姫は涙をこらえ、口を開いた。

 「私は、ゴートベルグ公の結婚の申し出を受け入れます。」

 小さいが、しっかりとした声だった。

 これ以上醜態をさらし、相手に見くびられてなるものか、姫の心は怒りに震えた。この先、どんなに辛いことがあっても、この男の前では、決して涙を見せたりするものか。姫は歯を食いしばり心に誓った。


 騒ぎを聞きつけたのか、ヴィルヘルム伯達がかけつけてきた。伯は、中庭に立っているヘルマン一世の姿に仰天した。

 「ヘルマン一世、どうしてあなたが。」

 「ヴィルヘルム伯、嬉しいことに、今マルガレーテ姫が、私の申し出を快諾してくれましたよ。」ヘルマン一世は平然といった。

 何と白々しい態度であることか。姫は悔しくてたまらない。

 「本当ですか?マルガレーテ姫?」ヴィルヘルム伯は不審そうな顔をしている。

 ヘルマン一世が、目配せした。姫は、胸がむかむかしてきたが、努めて平静を装って答えた。

 「ええ、その通りですわ。私、ゴートベルグに参ります。」




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