第五話 猫の習性 ハク
〜ハク視点〜
僕が宿屋から出て荷馬車を裏の小屋に運ぼうとすると、アリスさん――いや、アリスは未だに地面に座っていた。
「ちっ」
僕の心から何か邪悪な、それはもう邪なモノが、口からと舌打ちとなって出てしまった。
おっと、これではいけない。
心の中で「僕は賢者の息子」と三回唱える。
すると、心の中のもやもやは退散する。
「よしっ!」
僕の声にアリスはビクッとなって、若干震えていた。
まぁさっきは、僕も大人気なかった。
それに折角お父さんが芝居をして、僕が善良な商人と思ってもらったのに、台無しにしてしまったのは、反省すべきだ。
仕方が無く……じゃなくて、心からとびっきりの笑顔で話しかける。
「先程は僕も熱くなってしまい、申し訳ありません」
「い、いえ、こちらが悪かったのです。お気になさらずに」
おかしいな?良い笑顔の筈なのに、アリスの顔は引き攣っていた。
もうこうなれば、そんな事は関係なく、話を進めよう。
「しかし、その服ではお困りでしょう。僕の商品の中に女性物の服がありますので、差し上げますよ」
「お、お気使い、感謝します」
そう言い残し、馬車の中に荷物を取りに行く。
中を開けると――
「ひゃっはー!街だぜー!ここから始まる俺たちのレジェンドだな!」
「おっしゃー、どっか店か公園とかで、曲でも弾いて金稼ごうぜ!」
「そうだな、宿代を稼がないとな、はぁ、はぁ」
「…………」
――彼らがまともな事を口走っている姿に驚愕した。
だけど「いや待て、これが普通なんだ。むしろ、未だにヒャッハーって言ってるし、まともじゃないのか?」と自分に言い聞かせる。
危ない危ない。
しっかりしないと、自分の中の常識が音を立てて崩れそうだ。
きっと街に来る途中に、彼らに与えた干し肉のお陰だろう。
お父さんは「干し肉はなHPが回復するんだよ」と、僕には少し難しい事を言っていたので間違いないだろう。
「おや、皆さん調子は良いようですね?」
「おう、にいちゃん。助かったぜ」
「いえ、助け合いは大切ですからね」
「はっ、そうだな、ありがとよ」
「それで皆さんは、これからどうされるのですか?」
「あー、俺たちはそこら辺で曲でも弾いて、路銀を稼ぐさ」
「そう……ですか」
その言葉にとても不安になった。
また野垂れ死にそうになって、盗賊と間違えられながらも、僕みたいな人に拾われるのではないだろうかと。
もしくは、そのまま討伐されるのではないだろうかと。
「おいてめぇら。そこの宿屋で曲弾いていいってよ」
僕が思案していると、お父さんがフラッと現れて、手を差し伸べてくれた。
「ほ、本当か?クロの旦那?」
「ああ、黒猫に二言はねぇよ。それに宿はここを使いな。大部屋を取っておいたからな」
「ひゃはー!何から何まで恩に着るぜぇええええ!!」
「まぁ、一週間が限度だからな。それ以上は、お前ら自分の金でなんとかしろよ」
「「「「ありがとうございます!!」」」」
「そこは……まぁいい、とりあえず今晩から頼むぞ」
「了解ですぜぇい」
そう言い、彼らはそそくさと自分たちの荷物を運び出していく。
僕とお父さんはそれを見送った後、荷馬車の中でフッと笑う。
「それでハクよ。あの騎士のねえちゃんは……どうすんだ?」
「あっ、そういえば服を取りに来たんですよ。僕がカッとなってしまったせいなので」
「ああ、まぁそうだな。さすがに今回みたいなのは自重するようにな」
「はい、反省しています。でも、少し気なったのですが、お父さんはなぜ彼女のスカートの中を覗いていたのですか?」
僕がそう聞くと、お父さんは固まってしまった。
いや、そう見えただけだったのかもしれない。
「そ、それは……だな……つまりだな……ハッ!」
お父さんは一瞬目を泳がせた後、何か思いついたかの様に言葉を紡ぐ。
「それはだな……恥ずかしい話になるのだがな……そう、猫の習性というやつだ」
「猫の習性ですか?」
「ああ。悲しい事に、本当に悲しい事に、スカートの様なヒラヒラした物を目の前にしたら、居ても経ってもいられなくなるのだ」
「……それが、猫の習性ですか……」
「ああ、猫の習性だ」
お父さんは悲しいと言わんばかりに、少し演技がかった様に見えたが、項垂れる。
「ほら、俺がハクのフードに入っている時も、偶にお前の頭の上のアホ毛に、ついちょっかいを出してしまうだろ?」
「はい、偶に毟られてしまうのではないかと、心配になります。お父さんがアホ毛と呼ぶこの部分は、それほど興味深いモノなのですか?」
僕はお父さんが言う「アホ毛」というのを触りながら問う。
「そうだろう。それは抱いて当然の疑問だ。だが、そのようなモノに興味が出てしまうのだ、猫は。つまり、俺がスカートの中を覗いていたのではなく、猫という生物学的本能、いや、狩猟本能とでも呼ぶべきものが、スカートのヒラヒラを気にしてしまうのだ。そう、気になって仕方が無いのだ。全くもって忌々しいのだがな」
「なるほど。狩猟本能ですか」
「そうなのだ!だからハクよ。これからも、俺はスカートを見ると、ついついその後を追ったりしてしまうかもしれない。更にはついつい、スカートを覗いている様な仕草をとってしまうかもしれない。だが、それは猫の習性、そう、本能なのだ。だから、暖かい目で見てやってほしい。俺もハクにこんな事を言いたくなかったんだ。恥ずかしいからな。でも、そこを理解してくれると……俺は嬉しい」
「分かりました、ご教授ありがとうございます」
お父さんは僕の言葉を聞き、ふぅと額から流れる汗を脱ぐ。
余程、僕にこの事を打ち明けるのに抵抗があったのだろう。
賢者と呼ばれた者が、猫の習性に引っ張られるという事実を隠しておきたかったのかもしれない。
それにしても、猫の習性か。
初耳だ。
やはり、世の中にはまだまだ僕の知らない事がいっぱいあるのだろう。
流石は博識なお父さんだ。
無知な我が身が恥ずかしい。
昔からお父さんが、あの様なセクハラの様な行動をしていたのは、猫の習性によるものだったのか。
てっきり、僕はお父さんが女性の胸やお尻、女性の下着が好きなものとばかり思っていた。
浅はかだ、なんて浅はかなんだ。
賢者と呼ばれるお父さんが、その様なものにうつつを抜かす様な低俗な人の筈はないのに。
僕は上辺しか見ておらず、その本質を見抜く力がまだまだ足りていないのだ。
お父さんがスカートの中を覗いているなんて、一瞬でも考えてしまうとは、先程のアリスと何も変わらないではないか。
今、言葉ではあのような事を言っていたが、むしろ、僕に学ばせる為に自ら率先して、猫の習性というのを見せてくれていたのかもしれない。
おお、なんと慈悲深き御方なのだろうか。
だとすれば、誤解は解かなければならない。
お父さんは、このような事など取るに足らないと言って放置するかもしれないが、お父さんの名誉の為にも、ここは僕が一肌脱ぐべきだろう。
「では、僕はアリスに服を届けてきます」
「お、おう。どうした?急にやる気に満ちた目で?」
「いえ、お父さんは何も心配なさらずに」
少し戸惑ったお父さんに頭を下げ、僕は女性物の服や下着などを何着か持って、アリスの元へと向かった。
*********
僕は先程取った宿屋の部屋の前で、アリスが着替えるのを待っていた。
「服はどうですか?」
「あっ、もう入って頂いても構いません」
その言葉を聞き、部屋の中に入る。
部屋には、街娘の様な服装をしたアリスがいた。
「それを選んだのですね。とても良くお似合いですよ」
「ええ、とてもいいデザインで素晴らしいです。それに、怖いぐらいにピッタリです」
「それは良かった。その服は『調整』と『最適化』の魔法が付与されていますので、着る人に最適なサイズになるのですよ」
人差し指を立てて説明する。
「な、なんと!?では、これはその……アーティファクトなのでは?」
「いえ、僕が作った物ですよ。熟練の職人の方と比べると、少し不出来かもしれませんね」
「じ、自作ですか?ハク殿はもしや、魔道具職人なのですか?」
「いえ、前にも言った通り、どこにでもいるただの商人ですよ。それは趣味で縫ったものです。お小遣い稼ぎの為ですよ。他にも簡単なものですが『清潔』や『防護』の魔法も付与していますので、うっかりコーヒーを溢しても汚れませんし、うっかり商人を切ろうとして転んでも怪我をしませんよ?」
「…………」
僕のお茶目な冗談はスルーされて、アリスはもの凄く胡散臭いモノを見る目で、僕を見つめていた。
おかしいな?何かまずかったかな?
いや、何も言わないし、きっと問題ないだろう。
「それは差し上げますので、大事に使ってやって下さい」
「い、頂けるのですか!?これ程の物を?」
「ええ、もちろんです。お詫びも兼ねていますので断られるとこちらも困ります。これで、先程の件を水に流して頂けると幸いです」
「……そう言う事でしたら、分かりました」
「ありがとうございます」
アリスは何か納得いかない様な顔をしながらも頷いた。
これで、一応は先程の件は解決だ。
本来なら、お父さんに暴言を吐いたアリスには、ここで丁重にお帰り頂きたいところだが、彼女にはもう少し付き合ってもらわなければならない。
「ああそれと、ここの下の酒場で少し食事でもいかがですか?女将さんから聞くところ、ここの主人の料理はとても美味しいらしいですよ」
「ですが、私はまだ職務が――」
残念だが、貴女に断られては困るのですよ。
アリスがお断りのセリフを言いきる前に、仕方が無いのでカードを切る。
「断っていただいても結構ですが、僕もね、お酒が入るとつい口が軽くなってしまうかもしれませんね。そう例えば、商人斬りの騎士様のお話とか――」
「――と思ったのですが、日も暮れてきましたので、今日の私の職務は終わっていました。是非とも、ご同席させていただきましょう」
「おや、無理に引きとめたみたいで申し訳ありません」
僕はにこやかな顔で彼女に頭を下げる。
アリス、君は僕の許可なくここから去ることはできないよ?
さぁ、アリスよ。
僕の掌の上で存分に踊って下さい。