切り札
「どうだい? わかったかい、ギルシュ? 」
広間の沈黙の中で、セルフィスが、静かに尋ねる。
ギルシュは口を開いた。
「恐れながら、この状態では、わかり兼ねます。鑑定の際に、部屋で、インカの香その他、特殊魔法道具を使いたいのですが、よろしいでしょうか? 」
女王が、ザビアンを見る。
「ザビアン、そなたたちでは、わからないのですか? 」
ザビアンが、また頭を下げる。
「恐れながら、陛下、魔力を嗅ぎ分けるというのは、決して、どの魔道士にもできることではありませぬ。このギルシュは、まだ若年の未熟者ながら、特殊な能力には長けておりますゆえ」
渋々納得した女王は、ザビアンとドロワの二人を付き添わせることで、ギルシュの部屋で鑑定することを許可した。
「ザビアン殿、少々お尋ねしたいのですが……」
部屋へ向かう最中、ザビアンの後に続くギルシュが、丁寧な口調で切り出した。
「なんだ? 」
振り返りもせずに、ザビアンが返答する。
「王女殿下が、得体の知れない魔道士と旅をしていることは、ドロワ殿からお聞きし、存じ上げておりましたが、先程のお話では、もうひとり剣士が加わっていたとか。いったい、どのような男だったのでしょう? 」
ギルシュは無邪気に、だが慎重に言った。
「外見から、傭兵らしいことはわかったが、少し気になることがある」
ザビアンの横顔を、ギルシュが、眉をひそめて覗く。
「後で陛下にもご報告するつもりだが、その男は、伝説の剣を持っていたのだ」
「伝説の剣……ですか? 」
ギルシュが不思議そうな顔をする。
ザビアンが初めてギルシュを振り返った。
「その剣は、マスター・ソードだといった。正式には、『ドラゴン・マスター・ソード』であろう」
「ドラゴン・マスターの使う剣……ということですか? 」
ギルシュは不可解な表情で、ザビアンを見つめる。その時、隣にいるドロワの目の端が、ピクッと動いたのを、見逃さなかった。
「マスター・ソードとは、いったい、どのような剣なのでしょう? 」
ギルシュは、さも何もわからないといった様子で、ザビアンに尋ねた。
「正義を貫き、悪を倒す。その程度しか知らぬが、使い手は、意外にも、普通の気楽な青年であった」
「そうなんですか。ドロワ殿は、いかがです? マスター・ソードとやらのことは、何かご存知ですか? 」
ギルシュは何気なく、ドロワに話を振ってみた。
ドロワは、驚いたようでもあったが、すぐに何気なさを装った。
「私も、その程度のことしか、存じ上げませんね。マスター・ソードは与えられた人間にのみ、秘密も伝授されるそうですから」
「へえー、さすがに、何でもよくご存知ですね! 」
ギルシュは、大袈裟に感心してみせた。ドロワは咳払いして、ギルシュから視線を反らした。
ザビアンが、再び口を開く。
「気になることに、その青年は、もうひとつ剣を持っていたのだ。私たち魔道士団と触発した時には、使用してはいなかったが、なんとも大きな剣であった。あまりにも大きかったため、腰には差せず、背負っていた」
「そ、そんなに大きな剣を、ですか? 」
ギルシュは驚いた。ドロワは、まったく反応していなかったが、ギルシュには、それが自然を装った不自然な反応であると取れた。
「その青年の名は? 」
「確か、王女は、彼を、ケインと呼んでいた」
ザビアンの言葉にも、ギルシュにも、ドロワはもう何の興味もないように、ただ前を見据えるだけである。
ギルシュも、それからは、黙って、部屋へ向かった。
部屋から戻ったギルシュは、ザビアンとドロワの後に続いて広間に現れ、証書をセルフィスに差し出した。
人々は、彼の言葉を待つ。
ギルシュが、顔を上げた。
「僅かですが、王女殿下の魔力は感じられました。従って、この証書は、本物だと思われます」
広間は、何度目かのざわめきで、共鳴していた。
女王は、羽扇子で、ほころんだ口元を隠すと、セルフィスから証書を受け取り、かかげてみせた。
「この通り、先代のベアトリクス国王の最後の王女マリスは、正式に、王女の身分を放棄しました。今日を限りに、王女探索のための騎士団、魔道士団は解散とし、本来の仕事に復帰するよう、気持ちを新たにしてもらいたい」
ようやく、女王の、王女に対する執念はおさまったように、人々には思えた。
その後は、いろいろな打ち合わせや会議が行われ、セルフィスとギルシュが自室に戻ったのは、その日の夜になってからであった。
いつものように、ギルシュが結界を張ると、セルフィスが待ち構えていたように、切り出した。
「ねえ、ギルシュ、あれで、本当によかったの? 結局、証書は、お母様のもとだし。正直に言うと、僕は心配だな」
ギルシュは、にっこり笑って、セルフィスを見た。
そして、手を差し出すと、空中から、何かがパッと、彼のてのひらに現れた。
それは、紛れもなく、広間で見たマリス直筆の証書であった。
セルフィスは、驚きのあまり、言葉も出なかった。
ギルシュが不敵な笑顔になる。
「女王陛下が持っているのはニセモノ。こちらが、正真正銘マリス様の証書です」
セルフィスが、みるみる笑顔になっていく。
「ああ、ギルシュ! きみって、なんて素晴らしいんだ! 」
セルフィスが、ギルシュに抱きついた。
「だけど、ザビアンとドロワの二人が、目の前で見張っていて、どうやってごまかせたんだい? 二人とも、この宮廷では、一、二を争う敏腕の魔道士だって、言われているのに」
「確かに、あのお二人は、魔道士としての能力は、宮廷一かも知れません。しかし、魔道を知り尽くし、使いこなして、実際の能力以上のことをやってのける方法を知っている、抜け目のない魔道士としては、私が一番でしょうね」
ギルシュが、にやっと笑ってみせた。
セルフィスは、好奇心に瞳を輝かせた。
「それで、どうやったんだい? 」
「なあに、簡単なことですよ。実は、私には、証書を拝見したあの時点で、マリス様の魔力を感じ取れたのです。部屋に行って、インカ香や魔法道具が、どうのこうの言っていたのは、なんとかニセモノとすり替えようと思ったからです。いくら私が小ズルくても、あのような、たくさんの魔道士の目を、ごまかすことは難しかったものですから。
私が、『マリス様の魔力ではない』と言ってしまえば、ザビアン殿が叱られ、またマリス様も、ベアトリクスの精鋭たちに追われるはめになってしまいます。それが、うっとおしくて、あのような証書を、自らお書きになったのだと、私なりに解釈し、せめて、それからは解放して差し上げようと思ったのです。もっとも、女王陛下の許可が、あのように簡単に出るとは思いませんでしたが」
(といって、あの女王陛下が、マリス様のことを諦めたと考えるのは、まだ早いかもしれませんが)
その言葉を心の中で付け加えてから、ギルシュは続けた。
「自分の部屋へ行った私は、インカの香を焚き、それを証書の隣に置いて、精神を統一するふりをしました。二人とも、見逃すまいとして、じっと証書を見つめていましたよ。ですが、インカの香とともに、私の魔法の効果はアップし、あの二人に気付かれずに、催眠術のようなものをかけることに、成功したのです」
「それじゃあ、あの証書は……」
「あれは、私が自分で書きました」
ギルシュは、こっけいな調子で、肩をすくめてみせた。
セルフィスは、声も出せずに、目を見開いた。
「できるだけ、筆跡を似せて。といっても、マリス様の筆跡のわかるセルフィス様以外の、王室の先生たちは、今後、証書を見ることはありませんから、バレることはないと思います。用紙は、魔道士が普段の職務で使っているものでしたので、簡単でした。王家の紋章でも入っていたら、ニセモノを作るのに、もっと時間がかかったでしょうけどね」
セルフィスは、つくづく感心して、ギルシュを見つめていた。
「僕も、この間、きみが王家の聖杯を見つけてきてくれなかったら、余裕の演技なんて、していられなかったよ。これで、切り札が、二つになったね! お母様は、マリスの王位が消滅したように、世間には公表するだろうけど、この二つの切り札がある限り、マリスには、まだ王女の資格があるということだね! 」
嬉しそうに証書を握り締めるセルフィスを、ギルシュは、微笑みながら見つめていた。
ひとり部屋に戻ったギルシュは、実は、セルフィスほど、手放しには喜べないでいた。
マントを脱ぎ、ごろんとベッドに転がると、天井を眺めた。
頭の中には、女王が即位して二ヶ月ほどの頃ーー今から三ヶ月ほど前のことが、浮かんでいた。
女王が雇ったヤミ魔道士のうちのひとり、蒼い大魔道士の部下であるドロワは、何かとギルシュに、ちょっかいを出していた。
その日も、ドロワの送り込んだ、下っ端の魔道士数人が、ギルシュの後をつけていき、見張っていた。
わかっていて、ギルシュは、あえて、ベアトリクス国内の辺境へと向かった。そこで、なんとか彼らを撒こうと思っていたのだ。
すると、その辺境で、思いがけない人物に出会ってしまった。
彼が、足元に落ちていた、普通のものよりも大きな剣を、不思議に思い、拾い上げた、その時だった。
『それを、こちらに返してくれないかしら? 』
砂漠の中から、赤い衣装に身を包んだ、ひとりの少女が現れた。
オレンジに輝く茶色の巻き毛、勝ち気な態度に、不敵な笑顔ーーそれは、忘れもしない、アメジストの瞳の王女、マリスだった。
やっと会えた喜びを、ギルシュは、必死に抑えなくてはならなかった。
岩の後ろに隠れているヤミ魔道士たちの存在に、気が付いていたからであった。
セルフィスの計画のためには、マリス救出は、宮廷の者には、一切知られてはならない。
ドロワの主人である蒼い大魔道士が、マリスのことまで狙っていることは知らなかったが、自分の足を引っ張ろうとするドロワに、この計画がバレるのは、最も危険だと判断したため、始めは彼女の敵であるような素振りをした。
そして、彼は、なんとか、ドロワの使いたちを出し抜き、始末することに、成功したのだった。
『セルフィス様は、今でも、あなたのことを……お待ちになっています。私が、特殊な結界をお張り致しますから、一瞬でも、殿下にお会いになってはいかがですか? 』
マリスをセルフィスに会わせれば、セルフィスから、秘密部隊のことや、聖杯、行方不明の国王のことなど、いろいろ伝えることができると思った。
だが、マリスは、セルフィスに会うことを、拒んだ。
『あたしの勝手な言い訳を、押し付けて悪いけど、お願いよ、彼とは会わせないで。今、会ったら、全部終わりになってしまうわ! あたしは、彼と一緒にいたくなってしまう。そうなるわけにはいかないのよ。まだまだ、倒さなくちゃいけないものは多くて、だけど、あたしを助けてくれる仲間も出来たの。あたしは、城の中でぬくぬくしているよりも、その人たちと魔物を倒していくことに決めてるの。その方が、あたしだって、生きてるって思えるんだもの』
その必死な彼女の様子に、ギルシュは、何も言えずにいた。
彼女が、まだ城にいた時、宮廷での生活は、彼女には合わない気がしたのを、思い出す。
(あの辺境で、お会いした時、俺は、なんで、マリス様を、もっと強く引き止めることが出来なかった? 無理矢理にでも、セルフィス様のところへ、連れて行かなければならなかったはずだ)
天井を眺めながら、ギルシュは、そう考えていた。
ギルシュには、マリスの気持ちが理解できた。
そして、彼女を密かに想う彼であったからこそ、今は、マリスの思うようにさせてあげることが良いのだと、判断してしまったのだった。
このことは、それから三ヶ月経った今でも、セルフィスに打ち明けることが出来ないでいた。
王子は、マリスをなんとかベアトリクスに連れ戻し、彼女の身の潔白を証明したい。それは、自分も同じだった。
(正直なところ、俺には、どちらが正しいのか、わからない。セルフィス様がお考えのように、陰謀にはめられたマリス様を連れ戻して、この国を、再び平和に、正しく導くのが、一番だとも思っていたけど、あの時、辺境で、マリス様に会ってから、わからなくなった……)
(マリス様は、あの大きな剣ーー確か、バスター・ブレードとかって、ザビアン殿が言っていたがーーそれを持つ剣士や、ヴァルドリューズさんとも旅を続けている方が、合っているように、俺にも思える。俺のカンでは、彼女の守護神が、戦いの中に生きることを宿命付けているからだ)
(王女の身分も、あの人は、本当にいらなかったから、あのような証書も書いたんだろう。……ということは、彼女は、セルフィス様のことは、もう完全に、諦めてしまったんだろうか? )
ギルシュは、居たたまれなくなって、寝返りを打った。
(彼女は、本当に、ベアトリクスには、戻る気はないのかも知れない。辺境でお会いした時の、あの様子では、セルフィス様には、まだ未練があるようだったが、新しい仲間とも、楽しくやっておられるようだ。伝説の剣を持つ剣士が、ダンさんではなかったのが、せめてもの救いだな)
ほっとしたような微笑を浮かべるギルシュであったが、どこか淋しくも感じていた。
(ま、時は、どんどん移り変わっていってることには、違いないや。俺には、このまま、あの女王が、この国を治め、ひどい政治をしようが、また陰謀を働こうが、王位がセルフィス様に移ってから、この国を立て直したっていいとも思う。マリス様が戻られたところで、あのお方に、一国の女王が勤まるかどうか……。どうせ、また逃げ出そうとするんじゃないのか? 以前のように)
くすっと笑いをもらしてから、またもや、考える。
(所詮は、俺なんかが、ひとつの国の未来を、どうにか変えられるわけないんだから、今は、あれこれ考えてもしょうがない。すべては、なるようになるのだから。俺は、その手助けになればいいのさ)
毛布に包まったギルシュは、目を閉じ、静かに眠りについた。