科学VS魔法
マリスは、仰向けに倒れたまま、ピクリとも動く様子はない。
ケイン、カイル、ミュミュが、駆けつけた。
「マリス! ……マリス! ウソだろ? まさか、きみが、そんな……!」
信じられない思いで、ケインが震える手を伸ばし、マリスを抱えた。
「……救えなかった! マリス、ごめん! きみを死なせてしまうなんて……!」
ケインはマリスを強く抱きしめた。目尻に涙がたまっていく。
すると、いきなり、マリスが跳ね起きた。
「痛いじゃないのさっ! よくもやったわねーっ!」
「うわーっ! 生きてた!?」
ケインもカイルもミュミュも、驚いて飛び上がると、身を寄せ合い、よほど怖いものでも見たのように、震え上がった。
額を赤く腫れ上がらせたマリスは、立ち上がると、怒りをあらわにしたアメジストの瞳を、ハガネ・ロボットに向けた。
「マ、マリス、ミサイルとかいうのが当たったのに、……大丈夫なのか?」
「そ、そうだよ! 今までの弾よりも、なんかデカかったし、威力もあったぜ!」
ケインもカイルも目をこれ以上できないくらいに見開き、びくびくしながら、きいていた。
「今の科学力じゃあ、ここまでが限界なんじゃないの?」
マリスは、ケインたちに向き直りもせずに答えていた。
驚いていたのは、彼らだけではなかった。
「は、博士、ミサイルが効きません!」
「う~む、計算では、小屋ほどの建物ならば破壊し、人に当たれば確実に殺傷するものであったが」
「なんですって?」
ぴくっと、マリスの目が細められた。
「火薬の量を、もう少し検討してみる必要があるのう。スコットくん、記録しておくのじゃ」
「はい、博士!」
スコットは、白衣から巻き紙を切ってまとめたものを取り出すと、いそいで書き留めた。
「殺傷能力のある弾丸を、ぶつけるとは。よくも、このあたしに、ふざけた攻撃してくれたわね」
マリスが両手の関節をボキボキ鳴らすと、火のような瞳で、ギロックをにらみつけた。
と同時に走り出すと、今度は、ロボットではなく、博士へと向かったのだった。
驚いたギロックが、慌てて操作する前に、マリスが操作機を蹴飛ばした。
リモートコントローラーは遠くに飛ぶと、落ちた。
「こっ、こらっ! これは、科学と魔法の戦いのはずじゃ! ワシらを直接攻撃するのは、ルール違反じゃぞっ!」
「そんなの関係ないわっ!」
マリスは、ギロックの胸ぐらをつかみ上げると、バシバシッと、頬を平手で打った。
「あ、あなた、やめてください! 博士に、何をするんですっ! やめてったら! 博士が死んでしまうっ!」
「はあ? 人のことは、殺そうとしたくせに、何言ってんのよ!」
止めようとする助手スコットに、マリスが回し蹴りをくらわせると、スコットは、ポ~ンと、軽々飛んでいった。
「マリス、やめるんだ!」
我に返ったケインが、慌てて走り出し、マリスの腕をつかんだ。
「ちゃんと手加減してるから、大丈夫よ」
「……そうは見えないけど」
ケインが横目でギロックを見下ろすと、博士は、はあはあと、息も絶え絶えで、両頬は真っ赤に腫れていた。
ケインは、マリスの手からギロックを開放させると、マリスを抱きしめた。
「ケッ、ケイン!?」
マリスが驚いた。
「生きていてくれて、良かった……!」
ケインは、心からホッとした声になった。
マリスは真っ赤になり、どうしていいかわからずに、固まっていた。
その時、尻餅をついていた博士が、しわがれた声を、振りしぼって叫んだ。
「でかしたぞ、スコットくん!」
その声に、ケインとマリスは、ハッとして、スコットを見た。
目を回していたスコットが、ふらつきながら起き上がり、偶然、近くに落ちていたリモートコントローラーに、手を伸ばしていたのだった。
「う、動くな、小僧ども! こ、これを押すぞ!」
震える声で、スコットが言うと、震える手で、リモートコントローラーの、あるボタンを指さした。
「ぶわーっははは! あのボタンが、貴様らに、わかるか!?」
ギロックが、狂ったような笑い声を上げた。
「あれは、ハガネの最終兵器じゃ! あれを押すと、ものすごいエネルギーを溜め込み、一気に放射し、大爆発が起きる! さっきのミサイルよりも、さらに広範囲を、悲劇が襲う! このタイスランの町など、あっという間に、火の海じゃーっ!」
そして、ギロックは、数式や化学式だと言って、ペラペラと喋り続けて説明していたが、彼と助手以外には、なんのことやら、さっぱりわからなかった。
「動くな、お前たち! まずは、博士を放せ! 放さないと、スイッチをオンするぞ!」
「汚ねえぞ、お前ら!」
いつの間にか、岩陰に戻ったカイルが、顔だけのぞいて叫ぶ。
「ぶわははは! なんとでも言うがいい! 蔑まれることこそ、天才の証!」
ギロックと助手は、高笑いし続けた。
「大爆発だなんて、そんなのハッタリだわ。さっきのミサイルだって、あの程度だったじゃない。それに、もし、そんなにすごい爆発が起きるんだったら、あんたたちだって、無事でいられないのよ。それでも、そのボタンを押せるの?」
マリスが、冷めた目で、助手と博士とを見る。
「ワシらは、科学のためには、自分の命など惜しくはない。それは、お前たち凡人には、理解出来ぬことかも知れぬがのう」
狂喜さえも感じられる博士の目には、マリスもケインも、ゾクッとした。
ギロックは、よろめきながら、スコットに寄っていった。
「博士! 大丈夫でしたか?」
「なんの、これしき!」
白衣の不健康そうな男は、頬が真っ赤に腫れてしまった老人に、操作機を手渡した。
マリスが悔しそうに、彼らをにらみながら言った。
「どうする、ケイン? あたしたちが、負けを認めちゃえば、町も巻き込まずに済むし、簡単なんだけど、……なんか、イヤだわ」
「ああ」
ケインもうなずく。
「あんな危険なものを、このままマッド・サイエンティストたちの手元に置いておくのは、もっと危険だ。なんとか取り上げないと」
「ぶわははは! かといって、その剣で、直接ハガネに攻撃してみろ。その場で、大爆発が起こる! 例え、その剣から魔法が発動出来たとしても、大爆発は、魔法を上回る! 止められはせん。どうじゃ、手詰まりじゃろう?」
勝ち誇ったように、ギロックが笑った。
「博士、所詮、奴らの意志とは、その程度のものなのです。たいした信念もなく、結局は、自分たちの命が、一番大事なのでしょう」
「まだお子さまじゃから、しょうがあるまいて。ワシらのように、信念に、命を賭けることを知らぬのじゃ」
スコットとギロックが、そのように、聞こえよがしに話すのを、マリスも、ケインも、岩の後ろにいるカイルも、悔しそうに見ているしかなかった。
その時、カイルの後ろで、小さな竜巻が起こった。
カイルが驚いて振り返ると、竜巻はおさまり、吟遊詩人と、クレア、ラン・ファが現れたのだった。
無事に、魔道士の塔で登録を終えた二人が、吟遊詩人と戻って来たのであった。
「ああ、クレア! ラン・ファさん!」
「まあ、カイル!? どうしたの、そのケガは?」
クレアが、カイルのミイラ男さながらの姿に、目を見開いた。
カイルは、情けない声を出した。
「あの機械じかけ人形を造った博士たちにやられたんだよ。ああ、ラン・ファさん、ちょうどいいところにいらした! ボクのこのひどい怪我を、あなたの魔法で、是非治してください!」
そう言って、カイルがラン・ファの手を握ると、側にいたミュミュが、小さな両手をかかげた。カイルの傷は、すぐに回復した。
「ほら、治ったよ」
「余計なことを……!」
カイルが舌打ちして、ミュミュをにらむが、ミュミュは、いいことをしたとしか思っていないようで、にこにこ笑っていた。
「ところで、カイル、あれは、なんなの?」
やさしく慰められることなく、カイルは、クレアたちに、ハガネ・ロボットの説明をすることになった。
「あいつら科学者らしいが、なんでも、魔道よりも科学の方が優れているとか、科学で、この世に貢献するんだとか言って、変な機械じかけの人形で、俺たちに挑戦してきたんだよ」
カイルは、見て来た一部始終を、ざっと話してきかせた。
「まあ……! あら、でも、挑戦を受けているのは、ケインとマリスで、あなたは、ここで、何をしているの?」
クレアの質問を、まったく気にしない調子で、カイルは続けた。
「ハガネ1号は、あのギロック博士ってじいさんの持ってる小さな箱形機械で、遠隔操作が出来るんだ。あのロボットは、ものすごい大爆発を起こせて、そうなったら、このタイスランの町も吹き飛んじまうんだと。それで、ケインもマリスも、手が出せないんだよ」
「なんてことなの……!」
青ざめるクレアの隣で、吟遊詩人は、特に驚くことなく、呟いた。
「へえ、大爆発ねぇ」
ギロックとスコットの笑い声が、一段と大きくなった。
「ぶわははは! さて、お前たち、いよいよ降参するかね? 魔道よりも科学の方が優れていると、認めるかね?」
妙にやさしい口調で、ギロックは、二人をもう一度見た。
博士もスコットも、勝利を確信した笑いは、とても抑えられないようであった。
「しょうがない。ここは、一旦、負けを認めておいて……」
そう言いかけたケインが、マリスを見るが、彼女の方は、そんなことは考えたくはないようで、キッと前方を見据えている。
「おや? 先ほどの元気は、どこへ行ってしまったのかね? ショックのあまり、声も出ないか? それは、科学の方が上回っていると、認めたということで良いのかね?」
と、笑いながら、ギロックが、嫌味な言い方をした時だった。
ヴゥウン……!
ハガネ・ロボットのすぐ横の景色が、蜃気楼のように歪んだ。
間もなく、そこには、黒ずくめの男の姿が、現れたのだった。
「うわああっ! なっ、なんじゃ、貴様は!? いいい、いったい、どこから現れおった!?」
「ヴァルッ!」
ギロックが叫ぶのと、マリスが叫んだのは、同時だった。
長身の、黒い髪に、碧い瞳の、無表情な男。
それは、一行と旅を続けてきた、魔道士ヴァルドリューズだった。
ギロックは、いきなり現れたヴァルドリューズに、一瞬うろたえたが、すぐに冷静になった。
「そうか、魔道だな? おぬし、魔道使いであるな?」
そのギロックの言葉を聞いて、驚愕していたスコットも、いくらか平静さを取り戻す。
対するヴァルドリューズは、以前とどこも変わりなく、冷静な碧い瞳で、頭一つ分高い、ハガネ・ロボットを見上げた。
「ヴァル! そいつは、町全体を巻き込むほどの、大爆発を起こせるのよ! そして、魔法は効かないというわ。気を付けて!」
マリスの簡単な説明と、場の雰囲気から、ヴァルドリューズは、深刻な事態を察したようであった。
「ふ、ふふん。いくら魔道士どもが現れようと、このワシの傑作品ハガネ・ロボット1号には、勝てぬ! 貴様とて、大爆発は怖かろう?」
ギロックの抑え切れない勝利の笑みは、ヴァルドリューズにも浴びせられた。
ちらっと、ヴァルドリューズは、カイルのいる岩の方へ、目をやった。
カイルの後ろでは、この非常事態にもかかわらず、吟遊詩人が、退屈そうに寝そべり、欠伸をしている。
詩人は、彼に言っていたことがある。
『僕には、ほんの少し先の未来なら、見当が付くんだよ』
ヴァルドリューズは、ハガネ・ロボットに視線を戻す。
「よいか! ワシらの技術には、魔法は通じぬ! これからは、魔道より科学の時代なのじゃ! ぶわーっはっはっはっ!」
ギロックとスコットが、我慢出来ずに、勝利の高笑いを爆発させ、マリスとケインが、悔しそうに二人をにらんでいる。
ヴァルドリューズの片方の手の中で、眩しく光が湧き出した。
それには、マリス、ケイン、ギロック、スコット、岩陰のカイルたちも気が付いた。
「うわっ! バカッ! やめろ、ヴァル!」
「大爆発がぁぁぁ!」
カイルと、スコットが叫ぶ。
「ぶわっははは!」
博士だけは、笑っていた。
「いくら魔法攻撃をしようと無駄じゃ! 計算では、ハガネの力は、そのへんの魔法ごときには、かなわない……」
博士が言いかけた時、ヴァルドリューズのてのひらの光球が徐々に膨張していき、人の頭よりも大きくなった時、それは、ロボットに向かって、発射された!
ドヒュウウウウウウン……!
バチバチバチバチッ!
どがああああっ!
電光が、ハガネ・ロボットを包んだと同時に、ロボットは、木っ端みじんに吹き飛んだ!
「うぎゃーっ!」
「ひえーっ!」
近くにいた博士と助手は、爆風で飛ばされたが、せいぜい、ひっくり返って、ゴロゴロと転がる程度だった。
砂煙とともに、小石や木の枝などがバチバチ当たる。ハガネの破片が飛び、彼らの足元に落ちた。
予告された大爆発などは起こることなく、一行がぼう然と立ち尽くす中で、ミュミュが、ぱたぱたと羽をはばたかせながら、指さした。
「ねえ、魔法で壊れたよ」
「あ、ああ、うん……」
「……そうだな」
ケインとカイルだけが、返事をした。
「バッ、バカなっ!? ハガネが、魔法ごときに!」
よろよろと起き上がる博士に、スコットも、げほげほ言いながら、続いた。
「は、博士……、どうやら、大爆発は、計算通りには、いかなかったようです」
「ううむ、そのようじゃな。こうなったら、スコットくん、もう一度、研究のやり直しじゃ」
「は、はい!」
二人は起き上がり、土を払うと、ケインたちに向かって、声を張り上げた。
「よいか、お前たち! 今日のところは帰ってやるが、次に会う時は、もっとすごいロボットを見せてやる! 覚悟しておけ!」
それだけ言うと、二人は、そそくさと、逃げるようにして引き上げていった。
こうして、科学と魔道の戦いは、あっけなく終わったのだった。
そして、ヴァルドリューズは何事もなかったように、一行へと歩き始めた。
「ヴァル……!」
マリスの顔が、ほころんでいく。
旅をしてから、二人が離れたことはなかった。
たった数日であったが、マリスにとって、長い月日に感じられた。
対するヴァルドリューズも、長年に渡る因縁にけりをつけた。短い時間ではあったが、彼にとっても、長い戦いを終えて来たところであった。
彼の、マリスを見つめる瞳が、ふっと和んだ。
マリスが駆け出す。
それを受け止めようと、ヴァルドリューズが手を広げかける。
が……、
「くっくっくっ……!」
奇妙なことに、ヴァルドリューズは微かに吹き出すと、声を押し殺して、笑い出したのだった。
それは、これまで誰も見たことのないリアクションだった。当然、マリスでさえも。
驚いたマリスは、彼に飛びつく手前で、立ち止まった。
「お、おい。あのヴァルが、笑ってるぜ」
そう言わずにいられなかったカイルが、一番に、口を開いた。
他の者も、いったい何が起こったのかわからず、互いに顔を見合わせていた。
「な、なに? あんたが、そんなに笑うなんて、珍しいじゃないの」
マリスが、不思議そうに、ヴァルドリューズを見る。
普通の人間にしてみれば、冷静な笑い方ではあったが、ヴァルドリューズにしては、珍しく、おかしさをこらえるように、肩を震わせていた。
そして、そのまま、片方のてのひらを、マリスの額にかざしたのだった。
マリスの額に出来ていた、拳ほども大きく、赤く広がった腫れが、引いていく。
完全に腫れが消えると、ヴァルドリューズが口を開いた。
「相変わらずだな、マリス」
「そっちこそ、随分なところは、相変わらずね。人の顔見て、いきなり笑うなんてさ」
気分を害したと言わんばかりに、マリスは、ちょっと膨れて、腕を組んだ。
それをも、ヴァルドリューズは微笑みながら、見つめていた。
一行には、感動の再会には、とても見えなかったが、その様子からは、ヴァルドリューズの微笑みが、以前のものとは違うことに気が付いた。
それが、本心からのように見えるほど、彼のしてきた戦いが、重く、大きかったもののように、皆は感じ取ったのだった。
「おにいちゃーん!」
ミュミュが、ぱたぱたと飛んでいくと、ヴァルドリューズに飛びついた。
「わーい! ヴァルのおにいちゃんだー! ホンモノだー!」
ミュミュが嬉しそうに、ヴァルドリューズをぺたぺた触っている間に、ケインもカイルも駆けつけ、クレアとラン・ファも追いついた。
「ヴァル、大丈夫だったか?」
ケインが、久しぶりに会うヴァルドリューズに、眩しそうな目を向ける。
戻って来たことを嬉しく思っているのは、その表情全体に現れていた。
彼を見るヴァルドリューズの瞳が、一層和んだ。
彼から見たケインは、どこか成長したようでもあった。
互いに意識していた以上に、信頼を寄せていたと、気が付いた瞬間でもあった。
皆の顔を一通り見てから、ヴァルドリューズが言った。
「皆、待たせたな。私の方のことは、何とか片付いたので、安心して欲しい」
ほっと安堵の空気が流れる。
「やっぱなー! お前が、負けるわけねえって、俺は、最初から信じてたぜ!」
カイルが片目をつぶって、ヴァルドリューズを肘でつついた。
「そうだわ、ヴァル、あなたがいない間、クレアが、すごく頑張ったのよ」
マリスがクレアの腕を引っ張り、連れ出した。
「えっ、わ、私っ、そんな……!」
クレアは頬を染めてうつむき、ヴァルドリューズの前に立たされる。
ヴァルドリューズがクレアを見つめるが、クレアの方は、顔を上げることが出来ないでいた。
「魔力が、かなり上がっている。私のいなかった僅かな時間に、相当、能力を付けたようだな」
「ホントだ! あっ、月の女神ルナ・ティアが見えるよ!」
ミュミュが、目を丸くした。
ヴァルドリューズは、クレアの肩に手を乗せた。
ハッとして、クレアが顔を上げると、ヴァルドリューズは、やさしく微笑んでいた。
「……私、……私、……やっぱり、皆の足を引っ張ってしまって……。だけど、皆に助けられて……」
クレアは瞳を潤ませると、言葉に詰まってしまった。
「あー、もう、ごちゃごちゃ言わなくていいから、ほらっ」
マリスが、クレアの背を押した。
よろめいたクレアが、ヴァルドリューズの胸に、飛び込む形になった。
「クレア、よく頑張ったな」
ヴァルドリューズが、クレアの両肩に、軽く手を添えた。
「ヴァルドリューズさん……!」
混乱しかけていたクレアであったが、言葉にならないこれまでの思いが、あふれ出したように、その黒い瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれていた。
一時期スランプに陥ったクレアが、魔族との戦いで活躍したのを、マリスも、ケインもカイルも思い出し、感動が甦っていた。
その夜。白い騎士団一行の再会を祝して、ハッカイの居酒屋では、宴会が開かれていた。
翌朝、早々に旅立つ一行と、ハッカイ家族と従業員たちとの晩餐会でもあるのだった。
ヴァルドリューズとクレアは、魔道士が唯一飲むのを許されたアルコールであるカシス酒を、他の者は、一般的に飲まれる木の実酒を飲んでいた。魔法を使うが、ラン・ファは、木の実酒の方を飲んでいた。
そこでは、ミュミュとラン・ファ、ヴァルドリューズのいない間に経験して来た出来事を、カイルが中心に語っていて、いつものように、誇大な表現で、事実と違う箇所は、クレアに指摘されていた。
ミュミュは、用意されたミルクだけでは、つまらなかったのか、木の実酒やカシス酒を味見し、カイルの食べている干し肉のつまみに興味を示し、話に夢中になっているカイルの横から、肉の端をかじってみたり、ケインの食べている、果物を薄く切って乾燥させたものを、両手にかかえるほど取ってきて、一枚一枚食べ、飽きると、それにはもう見向きもせずに、マリスの食べている骨付き肉を物欲し気に見ていたが、もらえそうもないとわかると、ラン・ファのところへ向かっていった。
ラン・ファの食べていた野菜の酢漬けを、一切れずつもらうと、野菜の芯が気に入ったのか、芯だけを食べて、葉は残した。
ミュミュの居場所は、最終的に、ラン・ファのところに、落ち着いた。
いつもは、隅で、ただ黙っているだけのヴァルドリューズであったが、意外にも、カイルを始め、初対面のハッカイたちも、ロボットを倒して町を救ってくれたことや、物珍しさもあったのか、彼を放そうとしないのだった。
ヴァルドリューズとしても、このように引っ張りだこに合った経験などは、なかったことだろう。
「あたし、あのカタブツ魔道士が、ここまで、皆に受け入れられるなんて、思いもしなかったわ」
マリスが、くすくす笑いながら、ラン・ファにささやいた。
「そうね」
ラン・ファも笑った。
従業員の帰った後は、一行だけの宴会が続いていた。
ハッカイが、新しいつまみや、酒を、用意している。
大テーブルでは、カイルとクレア、マリス、ケインが、その近くのテーブルには、ラン・ファとヴァルドリューズが腰かけた。
カイルの話に、クレアが笑っている。ケインもマリスも、ツッコミながら笑う。
ミュミュが、ぱたぱたと、まだろくに話もしていないヴァルドリューズたちの方へと、ゆっくりと飛んで来た。
「おにいちゃん、ラン・ファおねえちゃん、ミュミュね、こっちに戻ってから、ずっとおかしいと思ってたんだけどね、ケインが、なんか違うよ。妖精の魔法がかけられてるよ」
ヴァルドリューズとラン・ファは、ミュミュを見た。
「ミュミュちゃん、妖精の魔法って、どいういうことなの?」
「多分、人間には見えないと思うけど、ケインの周りに、妖精の魔法と似たようなキラキラが、時々だけど見えるんだよ」
ヴァルドリューズが、立ち上がった。
「ケイン、少し、診せてくれないか」
「えっ?」
わけのわかっていない顔でケインは、テーブルを離れた。
部屋の隅で、インカの香をたくと、ヴァルドリューズは、その近くに、ケインを座らせる。
呪文を唱えるうちに、ケインは目を瞑り、座ったまま、催眠状態となった。
ヴァルドリューズはてのひらをかざし、念入りにケインを『診る』。
その様子を、ラン・ファとミュミュが見守っている。
ミュミュは、二人にしか聞こえないように、小さな声で言った。
「やっぱり、ヘンだよ。だって、ケインは、マリスを見る度に、ドキドキしてたんだよ。マリスのことばかり気にしてたし。それで、余計にミュミュのこと忘れがちになっちゃってさ、ミュミュ、つまんなくなってさ。
でも、さっき、ミュミュが戻ってからは、ケインがマリスと話してても普通で。ミュミュの知らない間に、マリスにフラレてたとしても、そんなにすぐにドキドキがなくなるかなぁ? ああ、さすがに、さっき、ミサイルが当たった時は、マリスのこと、すごく心配してたけどね」
ラン・ファが、ヴァルドリューズを見る。
「マリスも、似たようなことを言っていたわ。ケインくんは、マリスとの会話だとか、やり取りしたことを断片的に忘れているみたい。聞いていると、……どうも、彼女への想いを封印されてるように思えたのだけど、そんなことって、魔法で可能なのかしら? 私は、聞いたことないわ」
人間の使う魔法では、人の気持ちを変えるとすれば、催眠術である。だが、それならば、ヴァルドリューズにも見破ることが出来るが、彼が『診た』ところ、黒魔法を使った痕跡はなかった。
ヴァルドリューズが香の火を消すと、しばらくして、ケインは、目を覚ました。
「黒魔法であれば、私に解けないことはないのだが……黒魔法を使った形跡はない」
「だとすれば、ミュミュちゃんの言うように、妖精の力?」
ラン・ファが尋ねる。
「ああ。そして、どこか、神の力にも似ているように感じる」
古代の神々の門番と接した彼には、そのように思えたようだった。
「その妖精だか神だかが、何で俺に? 何のためにだ?」
ケインは、首を傾げた。
「黒魔法でない、このような特殊な術を解くには、その術をかけた本人でないと難しいだろう。ケイン、私たちのいない間に、接触した妖精か、もしくは、……神は、いなかったか?」
「そんなのいなかったよ。ドラゴンに会った時に、竜神のゲートをくぐったけど、皆もだし、別に普通だったと思う」
思い出しながら、ケインは語り続けた。
「ああ、それと、あの吟遊詩人くらいかなぁ、得体の知れないヤツは。あいつが、癒しの谷に案内したんだ。それからは、ずっと現れなくて。そういえば、マリスの話だと、俺の頭に石が落ちてきた時に、吟遊詩人がいたらしいんだけど、俺のことを助けもせずに、すぐに消えたって。ヴァルの方にも現れたんなら、あいつ、ただ俺たちの様子を見に来ただけだったのかも。あいつが何かしたとは思えないし」
ラン・ファとヴァルドリューズは、顔を見合わせた。
ハッカイの居酒屋二階では、ベッドが足りないため、ヴァルドリューズは、魔除けのインカの香を、マリスに預けてから、宿へ向かう。
ヴァルドリューズが、途中、ラン・ファの泊まる宿まで送る。
その道中に、ラン・ファが切り出した。
「ますますアヤシイわね、あの吟遊詩人くん」
当の吟遊詩人は、ラン・ファとミュミュを送り届けると、ロボットの大爆発後から、姿を消している。
「彼は、ケインの持つ、『ドラゴン・マスターが持つ剣』を作った、マスター・ジャスティニアスの使いだ」
「ということは、普通の人間ではないのよね。とは、私も気付いたけれど」
「神の血を引くと言っていた。彼の髪で作られたアミュレットは、古代の魔法から私を護っていた」
ヴァルドリューズは、腕に巻かれた、ライト・ブラウンの髪で編まれたアミュレットを見せた。
「それが、なぜ、ケインくんの記憶を封じるようなことを? マリスをベアトリクスに送り届ける使命を実行してもらうには、邪魔な感情だから、ということかしら? でも、彼は、ケインくんを導く役であって、ベアトリクスの問題とは関係ないでしょう? それとも、ベアトリクスの問題は、世界を揺るがすほどのことになる、とでも?」
「蒼い大魔道士が、ベアトリクスを狙っている。彼がベアトリクスを手にすれば、いずれは、そうなるかも知れないが……」
「蒼い大魔道士が狙っていることは、私も、ゴールダヌスから聞いたことがあるわ。それでも、魔族が人間界を支配するほどのことではないと思うわ。なのに、なぜ……」
それ以上考えても、答えは出ないと、二人は悟り、しばらく無言で、歩き続けた。
「とにかく、無事で良かったわ、フェイ・ロン」
ラン・ファが、さらりと言った。
東洋語だった。
フェイ・ロンとは、魔道士名ヴァルドリューズの本名であった。
「でも、……大変だったでしょう?」
「ああ」
同じく、東洋語で答える。
ヴァルドリューズが、そう認めることは珍しい。
「一年前に出会ったあなたよりも、表情が豊かになったわ。もちろん、人から見れば、まだまだ冷静に映るでしょうけれど。それだけ、あなたのしてきた経験は、あなたに影響を与えた、ということね」
ダグトから返された首飾りを、ヴァルドリューズは、ラン・ファに返した。
ラン・ファは、それですべてを悟った。
「あなたとの戦いを、こんなものに頼るなんて……」
「ダグトは孤独だった。深く関わりのあった人間は、私たちのみ。奴は、古代魔法を使った罰を受けた。せめて、奴のことは、忘れないでいてやりたいと思う」
ヴァルドリューズが、ラン・ファを見下ろす。
「あなたが、無事で良かった。ダグトは、非情にも、ミュミュの羽を奪った。あなたも、傷付けられたのではないかと、心配していた」
ラン・ファが立ち止まり、ヴァルドリューズを見上げた。
抑えていた思いが、解き放たれたように、彼女の顔は、女戦士のそれから、彼女自身へと変わっていった。
「あいつは、私を汚そうとした。耐えられなかった! それで、ミュミュちゃんと、脱出に踏み切ったの。以前の私なら、耐えられたわ。むしろ、『武浮遊術』の愛技で、あいつを騙し、言うことをきかせるくらい出来たはず。なのに……」
ラン・ファの瞳が、潤んでいく。
「使いたくなかったの。ダグトでなくても、誰であろうと。一年前、あなたと別れてから、ずっと……!」
ヴァルドリューズがラン・ファを抱えると、ラン・ファは彼の胸にすがった。
「ラン・ファ、すまない。私が、もっと早くダグトの元へ駆けつけられれば、……いや、一年前に、あなたと離れなければ、あなたに、そんな思いをさせずに済んだのかも知れない」
「いいえ、フェイ・ロン、あなたのせいじゃないわ。私の中の問題なの。あなたを愛していたのは、もう過去のことだって……結局は、割り切れてなかったのよ」
ヴァルドリューズは、ラン・ファを見つめた。
「私は、忘れたつもりだった。だが、あなたを見ると……言葉を交わしてしまうと、甦る。やはり、あなたは、今でも……大事な人に変わりはない」
ラン・ファが顔を上げ、二人の視線が、絡み合った。
「一年前、私たちは、戦いのために、別れることを選択した。今でも、それが正しいと思っているわ。冷静で最強の魔道士と、無敵の女戦士でいるためには、そうするしかないと。だけど……!」
せつない表情のラン・ファから、思わず口をついて、抑えていた言葉が出ていた。
「今は……、今だけは、忘れたいの……」
ヴァルドリューズが、なんとも言えない表情を浮かべ、強く、彼女を抱きしめた。
ラン・ファの手は、ヴァルドリューズの背を、愛おしい仕草で包み込んだ。
そうしていると、互いが無事であったことを、実感することが出来た。
改めて二人は、自分たちが安堵したことに、気が付いたのだった。
「あなたを愛したことを、後悔しているんじゃないの。むしろ、愛したからこそ、今、こうして、あなたの無事が、こんなにも嬉しいのだとわかるの。あなたにも、周りにも、感謝さえしているわ。そして、それが、私のやすらぎとなっていることも」
「私も同じ思いだ」
黒いウェーブの髪をからめたヴァルドリューズの手は、彼女の背を上り、頭を、彼の胸に、やさしく押し付けた。
「あなたとのことは、後悔はしていない」
「フェイ・ロン……!」
ラン・ファの声は、感動に打ち震え、小さく掠れていた。
無言のまま、短い時は過ぎた。
「ありがとう。もう大丈夫だわ。これで、明日からは、女戦士と上級魔道士に戻れる。あなたは、本来の使命通り、マリスの側にいて。彼女を守って」
ラン・ファの表情は、ひとりの女から、女戦士へと、戻りつつあった。
魔道士ヴァルドリューズは、無言のまま、彼女から、手を放していった。




