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Dragon Sword Saga9『時の歯車』  作者: かがみ透
第 Ⅶ 話 科学と魔道
21/23

科学VS魔法

 マリスは、仰向けに倒れたまま、ピクリとも動く様子はない。


 ケイン、カイル、ミュミュが、駆けつけた。


「マリス! ……マリス! ウソだろ? まさか、きみが、そんな……!」


 信じられない思いで、ケインが震える手を伸ばし、マリスを抱えた。


「……救えなかった! マリス、ごめん! きみを死なせてしまうなんて……!」


 ケインはマリスを強く抱きしめた。目尻に涙がたまっていく。


 すると、いきなり、マリスが跳ね起きた。


「痛いじゃないのさっ! よくもやったわねーっ!」


「うわーっ! 生きてた!?」


 ケインもカイルもミュミュも、驚いて飛び上がると、身を寄せ合い、よほど怖いものでも見たのように、震え上がった。


 額を赤く腫れ上がらせたマリスは、立ち上がると、怒りをあらわにしたアメジストの瞳を、ハガネ・ロボットに向けた。


「マ、マリス、ミサイルとかいうのが当たったのに、……大丈夫なのか?」


「そ、そうだよ! 今までの弾よりも、なんかデカかったし、威力もあったぜ!」


 ケインもカイルも目をこれ以上できないくらいに見開き、びくびくしながら、きいていた。


「今の科学力じゃあ、ここまでが限界なんじゃないの?」


 マリスは、ケインたちに向き直りもせずに答えていた。

 驚いていたのは、彼らだけではなかった。


「は、博士、ミサイルが効きません!」


「う~む、計算では、小屋ほどの建物ならば破壊し、人に当たれば確実に殺傷するものであったが」


「なんですって?」


 ぴくっと、マリスの目が細められた。


「火薬の量を、もう少し検討してみる必要があるのう。スコットくん、記録しておくのじゃ」


「はい、博士!」


 スコットは、白衣から巻き紙を切ってまとめたものを取り出すと、いそいで書き留めた。


「殺傷能力のある弾丸を、ぶつけるとは。よくも、このあたしに、ふざけた攻撃してくれたわね」


 マリスが両手の関節をボキボキ鳴らすと、火のような瞳で、ギロックをにらみつけた。

 と同時に走り出すと、今度は、ロボットではなく、博士へと向かったのだった。


 驚いたギロックが、慌てて操作する前に、マリスが操作機を蹴飛ばした。

 リモートコントローラーは遠くに飛ぶと、落ちた。


「こっ、こらっ! これは、科学と魔法の戦いのはずじゃ! ワシらを直接攻撃するのは、ルール違反じゃぞっ!」


「そんなの関係ないわっ!」


 マリスは、ギロックの胸ぐらをつかみ上げると、バシバシッと、頬を平手で打った。


「あ、あなた、やめてください! 博士に、何をするんですっ! やめてったら! 博士が死んでしまうっ!」


「はあ? 人のことは、殺そうとしたくせに、何言ってんのよ!」


 止めようとする助手スコットに、マリスが回し蹴りをくらわせると、スコットは、ポ~ンと、軽々飛んでいった。


「マリス、やめるんだ!」


 我に返ったケインが、慌てて走り出し、マリスの腕をつかんだ。


「ちゃんと手加減してるから、大丈夫よ」

「……そうは見えないけど」


 ケインが横目でギロックを見下ろすと、博士は、はあはあと、息も絶え絶えで、両頬は真っ赤に腫れていた。


 ケインは、マリスの手からギロックを開放させると、マリスを抱きしめた。


「ケッ、ケイン!?」


 マリスが驚いた。


「生きていてくれて、良かった……!」


 ケインは、心からホッとした声になった。


 マリスは真っ赤になり、どうしていいかわからずに、固まっていた。


 その時、尻餅をついていた博士が、しわがれた声を、振りしぼって叫んだ。


「でかしたぞ、スコットくん!」


 その声に、ケインとマリスは、ハッとして、スコットを見た。

 目を回していたスコットが、ふらつきながら起き上がり、偶然、近くに落ちていたリモートコントローラーに、手を伸ばしていたのだった。


「う、動くな、小僧ども! こ、これを押すぞ!」


 震える声で、スコットが言うと、震える手で、リモートコントローラーの、あるボタンを指さした。


「ぶわーっははは! あのボタンが、貴様らに、わかるか!?」


 ギロックが、狂ったような笑い声を上げた。


「あれは、ハガネの最終兵器じゃ! あれを押すと、ものすごいエネルギーを溜め込み、一気に放射し、大爆発が起きる! さっきのミサイルよりも、さらに広範囲を、悲劇が襲う! このタイスランの町など、あっという間に、火の海じゃーっ!」


 そして、ギロックは、数式や化学式だと言って、ペラペラと喋り続けて説明していたが、彼と助手以外には、なんのことやら、さっぱりわからなかった。


「動くな、お前たち! まずは、博士を放せ! 放さないと、スイッチをオンするぞ!」


「汚ねえぞ、お前ら!」


 いつの間にか、岩陰に戻ったカイルが、顔だけのぞいて叫ぶ。


「ぶわははは! なんとでも言うがいい! (さげす)まれることこそ、天才の(あかし)!」


 ギロックと助手は、高笑いし続けた。


「大爆発だなんて、そんなのハッタリだわ。さっきのミサイルだって、あの程度だったじゃない。それに、もし、そんなにすごい爆発が起きるんだったら、あんたたちだって、無事でいられないのよ。それでも、そのボタンを押せるの?」


 マリスが、冷めた目で、助手と博士とを見る。


「ワシらは、科学のためには、自分の命など惜しくはない。それは、お前たち凡人には、理解出来ぬことかも知れぬがのう」


 狂喜さえも感じられる博士の目には、マリスもケインも、ゾクッとした。


 ギロックは、よろめきながら、スコットに寄っていった。


「博士! 大丈夫でしたか?」

「なんの、これしき!」


 白衣の不健康そうな男は、頬が真っ赤に腫れてしまった老人に、操作機を手渡した。

 マリスが悔しそうに、彼らをにらみながら言った。


「どうする、ケイン? あたしたちが、負けを認めちゃえば、町も巻き込まずに済むし、簡単なんだけど、……なんか、イヤだわ」


「ああ」


 ケインもうなずく。


「あんな危険なものを、このままマッド・サイエンティストたちの手元に置いておくのは、もっと危険だ。なんとか取り上げないと」


「ぶわははは! かといって、その剣で、直接ハガネに攻撃してみろ。その場で、大爆発が起こる! 例え、その剣から魔法が発動出来たとしても、大爆発は、魔法を上回る! 止められはせん。どうじゃ、手詰まりじゃろう?」


 勝ち誇ったように、ギロックが笑った。


「博士、所詮、奴らの意志とは、その程度のものなのです。たいした信念もなく、結局は、自分たちの命が、一番大事なのでしょう」


「まだお子さまじゃから、しょうがあるまいて。ワシらのように、信念に、命を賭けることを知らぬのじゃ」


 スコットとギロックが、そのように、聞こえよがしに話すのを、マリスも、ケインも、岩の後ろにいるカイルも、悔しそうに見ているしかなかった。


 その時、カイルの後ろで、小さな竜巻が起こった。


 カイルが驚いて振り返ると、竜巻はおさまり、吟遊詩人と、クレア、ラン・ファが現れたのだった。

 無事に、魔道士の塔で登録を終えた二人が、吟遊詩人と戻って来たのであった。


「ああ、クレア! ラン・ファさん!」


「まあ、カイル!? どうしたの、そのケガは?」


 クレアが、カイルのミイラ男さながらの姿に、目を見開いた。

 カイルは、情けない声を出した。


「あの機械じかけ人形を造った博士たちにやられたんだよ。ああ、ラン・ファさん、ちょうどいいところにいらした! ボクのこのひどい怪我を、あなたの魔法で、是非治してください!」


 そう言って、カイルがラン・ファの手を握ると、側にいたミュミュが、小さな両手をかかげた。カイルの傷は、すぐに回復した。


「ほら、治ったよ」

「余計なことを……!」


 カイルが舌打ちして、ミュミュをにらむが、ミュミュは、いいことをしたとしか思っていないようで、にこにこ笑っていた。


「ところで、カイル、あれは、なんなの?」


 やさしく慰められることなく、カイルは、クレアたちに、ハガネ・ロボットの説明をすることになった。


「あいつら科学者らしいが、なんでも、魔道よりも科学の方が優れているとか、科学で、この世に貢献するんだとか言って、変な機械じかけの人形で、俺たちに挑戦してきたんだよ」


 カイルは、見て来た一部始終を、ざっと話してきかせた。


「まあ……! あら、でも、挑戦を受けているのは、ケインとマリスで、あなたは、ここで、何をしているの?」


 クレアの質問を、まったく気にしない調子で、カイルは続けた。


「ハガネ1号は、あのギロック博士ってじいさんの持ってる小さな箱形機械で、遠隔操作が出来るんだ。あのロボットは、ものすごい大爆発を起こせて、そうなったら、このタイスランの町も吹き飛んじまうんだと。それで、ケインもマリスも、手が出せないんだよ」


「なんてことなの……!」


 青ざめるクレアの隣で、吟遊詩人は、特に驚くことなく、呟いた。


「へえ、大爆発ねぇ」


 ギロックとスコットの笑い声が、一段と大きくなった。


「ぶわははは! さて、お前たち、いよいよ降参するかね? 魔道よりも科学の方が優れていると、認めるかね?」


 妙にやさしい口調で、ギロックは、二人をもう一度見た。

 博士もスコットも、勝利を確信した笑いは、とても抑えられないようであった。


「しょうがない。ここは、一旦、負けを認めておいて……」


 そう言いかけたケインが、マリスを見るが、彼女の方は、そんなことは考えたくはないようで、キッと前方を見据えている。


「おや? 先ほどの元気は、どこへ行ってしまったのかね? ショックのあまり、声も出ないか? それは、科学の方が上回っていると、認めたということで良いのかね?」


 と、笑いながら、ギロックが、嫌味な言い方をした時だった。


 ヴゥウン……!


 ハガネ・ロボットのすぐ横の景色が、蜃気楼(しんきろう)のように歪んだ。


 間もなく、そこには、黒ずくめの男の姿が、現れたのだった。


「うわああっ! なっ、なんじゃ、貴様は!? いいい、いったい、どこから現れおった!?」


「ヴァルッ!」


 ギロックが叫ぶのと、マリスが叫んだのは、同時だった。


 長身の、黒い髪に、碧い瞳の、無表情な男。

 それは、一行と旅を続けてきた、魔道士ヴァルドリューズだった。


 ギロックは、いきなり現れたヴァルドリューズに、一瞬うろたえたが、すぐに冷静になった。


「そうか、魔道だな? おぬし、魔道使いであるな?」


 そのギロックの言葉を聞いて、驚愕していたスコットも、いくらか平静さを取り戻す。


 対するヴァルドリューズは、以前とどこも変わりなく、冷静な碧い瞳で、頭一つ分高い、ハガネ・ロボットを見上げた。


「ヴァル! そいつは、町全体を巻き込むほどの、大爆発を起こせるのよ! そして、魔法は効かないというわ。気を付けて!」


 マリスの簡単な説明と、場の雰囲気から、ヴァルドリューズは、深刻な事態を察したようであった。


「ふ、ふふん。いくら魔道士どもが現れようと、このワシの傑作品ハガネ・ロボット1号には、勝てぬ! 貴様とて、大爆発は怖かろう?」


 ギロックの抑え切れない勝利の笑みは、ヴァルドリューズにも浴びせられた。


 ちらっと、ヴァルドリューズは、カイルのいる岩の方へ、目をやった。


 カイルの後ろでは、この非常事態にもかかわらず、吟遊詩人が、退屈そうに寝そべり、欠伸(あくび)をしている。


 詩人は、彼に言っていたことがある。

『僕には、ほんの少し先の未来なら、見当が付くんだよ』


 ヴァルドリューズは、ハガネ・ロボットに視線を戻す。


「よいか! ワシらの技術には、魔法は通じぬ! これからは、魔道より科学の時代なのじゃ! ぶわーっはっはっはっ!」


 ギロックとスコットが、我慢出来ずに、勝利の高笑いを爆発させ、マリスとケインが、悔しそうに二人をにらんでいる。


 ヴァルドリューズの片方の手の中で、眩しく光が湧き出した。


 それには、マリス、ケイン、ギロック、スコット、岩陰のカイルたちも気が付いた。


「うわっ! バカッ! やめろ、ヴァル!」

「大爆発がぁぁぁ!」


 カイルと、スコットが叫ぶ。


「ぶわっははは!」


 博士だけは、笑っていた。


「いくら魔法攻撃をしようと無駄じゃ! 計算では、ハガネの力は、そのへんの魔法ごときには、かなわない……」


 博士が言いかけた時、ヴァルドリューズのてのひらの光球が徐々に膨張していき、人の頭よりも大きくなった時、それは、ロボットに向かって、発射された!


 ドヒュウウウウウウン……!

 バチバチバチバチッ!

 どがああああっ!


 電光が、ハガネ・ロボットを包んだと同時に、ロボットは、木っ端みじんに吹き飛んだ!


「うぎゃーっ!」

「ひえーっ!」


 近くにいた博士と助手は、爆風で飛ばされたが、せいぜい、ひっくり返って、ゴロゴロと転がる程度だった。


 砂煙とともに、小石や木の枝などがバチバチ当たる。ハガネの破片が飛び、彼らの足元に落ちた。


 予告された大爆発などは起こることなく、一行がぼう然と立ち尽くす中で、ミュミュが、ぱたぱたと羽をはばたかせながら、指さした。


「ねえ、魔法で壊れたよ」


「あ、ああ、うん……」


「……そうだな」


 ケインとカイルだけが、返事をした。


「バッ、バカなっ!? ハガネが、魔法ごときに!」


 よろよろと起き上がる博士に、スコットも、げほげほ言いながら、続いた。


「は、博士……、どうやら、大爆発は、計算通りには、いかなかったようです」


「ううむ、そのようじゃな。こうなったら、スコットくん、もう一度、研究のやり直しじゃ」


「は、はい!」


 二人は起き上がり、土を払うと、ケインたちに向かって、声を張り上げた。


「よいか、お前たち! 今日のところは帰ってやるが、次に会う時は、もっとすごいロボットを見せてやる! 覚悟しておけ!」


 それだけ言うと、二人は、そそくさと、逃げるようにして引き上げていった。


 こうして、科学と魔道の戦いは、あっけなく終わったのだった。


 そして、ヴァルドリューズは何事もなかったように、一行へと歩き始めた。


「ヴァル……!」


 マリスの顔が、ほころんでいく。

 旅をしてから、二人が離れたことはなかった。

 たった数日であったが、マリスにとって、長い月日に感じられた。


 対するヴァルドリューズも、長年に渡る因縁にけりをつけた。短い時間ではあったが、彼にとっても、長い戦いを終えて来たところであった。


 彼の、マリスを見つめる瞳が、ふっと和んだ。


 マリスが駆け出す。

 それを受け止めようと、ヴァルドリューズが手を広げかける。

 が……、


「くっくっくっ……!」


 奇妙なことに、ヴァルドリューズは微かに吹き出すと、声を押し殺して、笑い出したのだった。


 それは、これまで誰も見たことのないリアクションだった。当然、マリスでさえも。


 驚いたマリスは、彼に飛びつく手前で、立ち止まった。


「お、おい。あのヴァルが、笑ってるぜ」


 そう言わずにいられなかったカイルが、一番に、口を開いた。

 他の者も、いったい何が起こったのかわからず、互いに顔を見合わせていた。


「な、なに? あんたが、そんなに笑うなんて、珍しいじゃないの」


 マリスが、不思議そうに、ヴァルドリューズを見る。


 普通の人間にしてみれば、冷静な笑い方ではあったが、ヴァルドリューズにしては、珍しく、おかしさをこらえるように、肩を震わせていた。


 そして、そのまま、片方のてのひらを、マリスの額にかざしたのだった。


 マリスの額に出来ていた、拳ほども大きく、赤く広がった腫れが、引いていく。


 完全に腫れが消えると、ヴァルドリューズが口を開いた。


「相変わらずだな、マリス」


「そっちこそ、随分なところは、相変わらずね。人の顔見て、いきなり笑うなんてさ」


 気分を害したと言わんばかりに、マリスは、ちょっと膨れて、腕を組んだ。

 それをも、ヴァルドリューズは微笑みながら、見つめていた。


 一行には、感動の再会には、とても見えなかったが、その様子からは、ヴァルドリューズの微笑みが、以前のものとは違うことに気が付いた。

 それが、本心からのように見えるほど、彼のしてきた戦いが、重く、大きかったもののように、皆は感じ取ったのだった。


「おにいちゃーん!」


 ミュミュが、ぱたぱたと飛んでいくと、ヴァルドリューズに飛びついた。


「わーい! ヴァルのおにいちゃんだー! ホンモノだー!」


 ミュミュが嬉しそうに、ヴァルドリューズをぺたぺた触っている間に、ケインもカイルも駆けつけ、クレアとラン・ファも追いついた。


「ヴァル、大丈夫だったか?」


 ケインが、久しぶりに会うヴァルドリューズに、眩しそうな目を向ける。

 戻って来たことを嬉しく思っているのは、その表情全体に現れていた。


 彼を見るヴァルドリューズの瞳が、一層和んだ。


 彼から見たケインは、どこか成長したようでもあった。

 互いに意識していた以上に、信頼を寄せていたと、気が付いた瞬間でもあった。


 皆の顔を一通り見てから、ヴァルドリューズが言った。


「皆、待たせたな。私の方のことは、何とか片付いたので、安心して欲しい」


 ほっと安堵の空気が流れる。


「やっぱなー! お前が、負けるわけねえって、俺は、最初から信じてたぜ!」


 カイルが片目をつぶって、ヴァルドリューズを肘でつついた。


「そうだわ、ヴァル、あなたがいない間、クレアが、すごく頑張ったのよ」


 マリスがクレアの腕を引っ張り、連れ出した。


「えっ、わ、私っ、そんな……!」


 クレアは頬を染めてうつむき、ヴァルドリューズの前に立たされる。

 ヴァルドリューズがクレアを見つめるが、クレアの方は、顔を上げることが出来ないでいた。


「魔力が、かなり上がっている。私のいなかった僅かな時間に、相当、能力(ちから)を付けたようだな」


「ホントだ! あっ、月の女神ルナ・ティアが見えるよ!」


 ミュミュが、目を丸くした。

 ヴァルドリューズは、クレアの肩に手を乗せた。

 ハッとして、クレアが顔を上げると、ヴァルドリューズは、やさしく微笑んでいた。


「……私、……私、……やっぱり、皆の足を引っ張ってしまって……。だけど、皆に助けられて……」


 クレアは瞳を潤ませると、言葉に詰まってしまった。


「あー、もう、ごちゃごちゃ言わなくていいから、ほらっ」


 マリスが、クレアの背を押した。

 よろめいたクレアが、ヴァルドリューズの胸に、飛び込む形になった。


「クレア、よく頑張ったな」


 ヴァルドリューズが、クレアの両肩に、軽く手を添えた。


「ヴァルドリューズさん……!」


 混乱しかけていたクレアであったが、言葉にならないこれまでの思いが、あふれ出したように、その黒い瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれていた。


 一時期スランプに陥ったクレアが、魔族との戦いで活躍したのを、マリスも、ケインもカイルも思い出し、感動が甦っていた。




 その夜。白い騎士団一行の再会を祝して、ハッカイの居酒屋では、宴会が開かれていた。

 翌朝、早々に旅立つ一行と、ハッカイ家族と従業員たちとの晩餐会でもあるのだった。


 ヴァルドリューズとクレアは、魔道士が唯一飲むのを許されたアルコールであるカシス酒を、他の者は、一般的に飲まれる木の実酒を飲んでいた。魔法を使うが、ラン・ファは、木の実酒の方を飲んでいた。


 そこでは、ミュミュとラン・ファ、ヴァルドリューズのいない間に経験して来た出来事を、カイルが中心に語っていて、いつものように、誇大な表現で、事実と違う箇所は、クレアに指摘されていた。


 ミュミュは、用意されたミルクだけでは、つまらなかったのか、木の実酒やカシス酒を味見し、カイルの食べている干し肉のつまみに興味を示し、話に夢中になっているカイルの横から、肉の端をかじってみたり、ケインの食べている、果物を薄く切って乾燥させたものを、両手にかかえるほど取ってきて、一枚一枚食べ、飽きると、それにはもう見向きもせずに、マリスの食べている骨付き肉を物欲し気に見ていたが、もらえそうもないとわかると、ラン・ファのところへ向かっていった。


 ラン・ファの食べていた野菜の酢漬けを、一切れずつもらうと、野菜の芯が気に入ったのか、芯だけを食べて、葉は残した。


 ミュミュの居場所は、最終的に、ラン・ファのところに、落ち着いた。


 いつもは、隅で、ただ黙っているだけのヴァルドリューズであったが、意外にも、カイルを始め、初対面のハッカイたちも、ロボットを倒して町を救ってくれたことや、物珍しさもあったのか、彼を放そうとしないのだった。

 ヴァルドリューズとしても、このように引っ張りだこに合った経験などは、なかったことだろう。


「あたし、あのカタブツ魔道士が、ここまで、皆に受け入れられるなんて、思いもしなかったわ」


 マリスが、くすくす笑いながら、ラン・ファにささやいた。


「そうね」


 ラン・ファも笑った。


 従業員の帰った後は、一行だけの宴会が続いていた。

 ハッカイが、新しいつまみや、酒を、用意している。


 大テーブルでは、カイルとクレア、マリス、ケインが、その近くのテーブルには、ラン・ファとヴァルドリューズが腰かけた。


 カイルの話に、クレアが笑っている。ケインもマリスも、ツッコミながら笑う。


 ミュミュが、ぱたぱたと、まだろくに話もしていないヴァルドリューズたちの方へと、ゆっくりと飛んで来た。


「おにいちゃん、ラン・ファおねえちゃん、ミュミュね、こっちに戻ってから、ずっとおかしいと思ってたんだけどね、ケインが、なんか違うよ。妖精の魔法がかけられてるよ」


 ヴァルドリューズとラン・ファは、ミュミュを見た。


「ミュミュちゃん、妖精の魔法って、どいういうことなの?」

「多分、人間には見えないと思うけど、ケインの周りに、妖精の魔法と似たようなキラキラが、時々だけど見えるんだよ」


 ヴァルドリューズが、立ち上がった。


「ケイン、少し、診せてくれないか」

「えっ?」


 わけのわかっていない顔でケインは、テーブルを離れた。


 部屋の隅で、インカの香をたくと、ヴァルドリューズは、その近くに、ケインを座らせる。

 呪文を唱えるうちに、ケインは目を瞑り、座ったまま、催眠状態となった。


 ヴァルドリューズはてのひらをかざし、念入りにケインを『診る』。

 その様子を、ラン・ファとミュミュが見守っている。


 ミュミュは、二人にしか聞こえないように、小さな声で言った。


「やっぱり、ヘンだよ。だって、ケインは、マリスを見る度に、ドキドキしてたんだよ。マリスのことばかり気にしてたし。それで、余計にミュミュのこと忘れがちになっちゃってさ、ミュミュ、つまんなくなってさ。


 でも、さっき、ミュミュが戻ってからは、ケインがマリスと話してても普通で。ミュミュの知らない間に、マリスにフラレてたとしても、そんなにすぐにドキドキがなくなるかなぁ? ああ、さすがに、さっき、ミサイルが当たった時は、マリスのこと、すごく心配してたけどね」


 ラン・ファが、ヴァルドリューズを見る。


「マリスも、似たようなことを言っていたわ。ケインくんは、マリスとの会話だとか、やり取りしたことを断片的に忘れているみたい。聞いていると、……どうも、彼女への想いを封印されてるように思えたのだけど、そんなことって、魔法で可能なのかしら? 私は、聞いたことないわ」


 人間の使う魔法では、人の気持ちを変えるとすれば、催眠術である。だが、それならば、ヴァルドリューズにも見破ることが出来るが、彼が『診た』ところ、黒魔法を使った痕跡はなかった。


 ヴァルドリューズが香の火を消すと、しばらくして、ケインは、目を覚ました。


「黒魔法であれば、私に解けないことはないのだが……黒魔法を使った形跡はない」


「だとすれば、ミュミュちゃんの言うように、妖精の力?」


 ラン・ファが尋ねる。


「ああ。そして、どこか、神の力にも似ているように感じる」


 古代の神々の門番と接した彼には、そのように思えたようだった。


「その妖精だか神だかが、何で俺に? 何のためにだ?」


 ケインは、首を傾げた。


「黒魔法でない、このような特殊な術を解くには、その術をかけた本人でないと難しいだろう。ケイン、私たちのいない間に、接触した妖精か、もしくは、……神は、いなかったか?」


「そんなのいなかったよ。ドラゴンに会った時に、竜神のゲートをくぐったけど、皆もだし、別に普通だったと思う」


 思い出しながら、ケインは語り続けた。


「ああ、それと、あの吟遊詩人くらいかなぁ、得体の知れないヤツは。あいつが、癒しの谷に案内したんだ。それからは、ずっと現れなくて。そういえば、マリスの話だと、俺の頭に石が落ちてきた時に、吟遊詩人がいたらしいんだけど、俺のことを助けもせずに、すぐに消えたって。ヴァルの方にも現れたんなら、あいつ、ただ俺たちの様子を見に来ただけだったのかも。あいつが何かしたとは思えないし」


 ラン・ファとヴァルドリューズは、顔を見合わせた。


 ハッカイの居酒屋二階では、ベッドが足りないため、ヴァルドリューズは、魔除けのインカの香を、マリスに預けてから、宿へ向かう。


 ヴァルドリューズが、途中、ラン・ファの泊まる宿まで送る。

 その道中に、ラン・ファが切り出した。


「ますますアヤシイわね、あの吟遊詩人くん」


 当の吟遊詩人は、ラン・ファとミュミュを送り届けると、ロボットの大爆発後から、姿を消している。


「彼は、ケインの持つ、『ドラゴン・マスターが持つ剣』を作った、マスター・ジャスティニアスの使いだ」


「ということは、普通の人間ではないのよね。とは、私も気付いたけれど」


「神の血を引くと言っていた。彼の髪で作られたアミュレットは、古代の魔法から私を護っていた」


 ヴァルドリューズは、腕に巻かれた、ライト・ブラウンの髪で編まれたアミュレットを見せた。


「それが、なぜ、ケインくんの記憶を封じるようなことを? マリスをベアトリクスに送り届ける使命を実行してもらうには、邪魔な感情だから、ということかしら? でも、彼は、ケインくんを導く役であって、ベアトリクスの問題とは関係ないでしょう? それとも、ベアトリクスの問題は、世界を揺るがすほどのことになる、とでも?」


「蒼い大魔道士が、ベアトリクスを狙っている。彼がベアトリクスを手にすれば、いずれは、そうなるかも知れないが……」


「蒼い大魔道士が狙っていることは、私も、ゴールダヌスから聞いたことがあるわ。それでも、魔族が人間界を支配するほどのことではないと思うわ。なのに、なぜ……」


 それ以上考えても、答えは出ないと、二人は悟り、しばらく無言で、歩き続けた。


「とにかく、無事で良かったわ、フェイ・ロン」


 ラン・ファが、さらりと言った。

 東洋語だった。

 フェイ・ロンとは、魔道士名ヴァルドリューズの本名であった。


「でも、……大変だったでしょう?」

「ああ」


 同じく、東洋語で答える。

 ヴァルドリューズが、そう認めることは珍しい。


「一年前に出会ったあなたよりも、表情が豊かになったわ。もちろん、人から見れば、まだまだ冷静に映るでしょうけれど。それだけ、あなたのしてきた経験は、あなたに影響を与えた、ということね」


 ダグトから返された首飾りを、ヴァルドリューズは、ラン・ファに返した。

 ラン・ファは、それですべてを悟った。


「あなたとの戦いを、こんなものに頼るなんて……」


「ダグトは孤独だった。深く関わりのあった人間は、私たちのみ。奴は、古代魔法を使った罰を受けた。せめて、奴のことは、忘れないでいてやりたいと思う」


 ヴァルドリューズが、ラン・ファを見下ろす。


「あなたが、無事で良かった。ダグトは、非情にも、ミュミュの羽を奪った。あなたも、傷付けられたのではないかと、心配していた」


 ラン・ファが立ち止まり、ヴァルドリューズを見上げた。


 抑えていた思いが、解き放たれたように、彼女の顔は、女戦士のそれから、彼女自身へと変わっていった。


「あいつは、私を汚そうとした。耐えられなかった! それで、ミュミュちゃんと、脱出に踏み切ったの。以前の私なら、耐えられたわ。むしろ、『武浮遊術』の愛技で、あいつを騙し、言うことをきかせるくらい出来たはず。なのに……」


 ラン・ファの瞳が、潤んでいく。


「使いたくなかったの。ダグトでなくても、誰であろうと。一年前、あなたと別れてから、ずっと……!」


 ヴァルドリューズがラン・ファを抱えると、ラン・ファは彼の胸にすがった。


「ラン・ファ、すまない。私が、もっと早くダグトの元へ駆けつけられれば、……いや、一年前に、あなたと離れなければ、あなたに、そんな思いをさせずに済んだのかも知れない」


「いいえ、フェイ・ロン、あなたのせいじゃないわ。私の中の問題なの。あなたを愛していたのは、もう過去のことだって……結局は、割り切れてなかったのよ」


 ヴァルドリューズは、ラン・ファを見つめた。


「私は、忘れたつもりだった。だが、あなたを見ると……言葉を交わしてしまうと、甦る。やはり、あなたは、今でも……大事な人に変わりはない」


 ラン・ファが顔を上げ、二人の視線が、絡み合った。


「一年前、私たちは、戦いのために、別れることを選択した。今でも、それが正しいと思っているわ。冷静で最強の魔道士と、無敵の女戦士でいるためには、そうするしかないと。だけど……!」


 せつない表情のラン・ファから、思わず口をついて、抑えていた言葉が出ていた。


「今は……、今だけは、忘れたいの……」


 ヴァルドリューズが、なんとも言えない表情を浮かべ、強く、彼女を抱きしめた。


 ラン・ファの手は、ヴァルドリューズの背を、愛おしい仕草で包み込んだ。


 そうしていると、互いが無事であったことを、実感することが出来た。

 改めて二人は、自分たちが安堵したことに、気が付いたのだった。


「あなたを愛したことを、後悔しているんじゃないの。むしろ、愛したからこそ、今、こうして、あなたの無事が、こんなにも嬉しいのだとわかるの。あなたにも、周りにも、感謝さえしているわ。そして、それが、私のやすらぎとなっていることも」


「私も同じ思いだ」


 黒いウェーブの髪をからめたヴァルドリューズの手は、彼女の背を上り、頭を、彼の胸に、やさしく押し付けた。


「あなたとのことは、後悔はしていない」


「フェイ・ロン……!」


 ラン・ファの声は、感動に打ち震え、小さく掠れていた。


 無言のまま、短い時は過ぎた。


「ありがとう。もう大丈夫だわ。これで、明日からは、女戦士と上級魔道士に戻れる。あなたは、本来の使命通り、マリスの側にいて。彼女を守って」


 ラン・ファの表情は、ひとりの女から、女戦士へと、戻りつつあった。


 魔道士ヴァルドリューズは、無言のまま、彼女から、手を放していった。


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