師弟と妖精との再会
静まり返っている、ある林の中では、いきなり風が、くるくると巻き起こった。
風がやむと同時に、人が現れる。
華奢な中背の少年と、背の高い、黒い髪の、東洋系女性だった。
彼女の浅黒い肩の上には、小さな妖精が留まっていた。
「……ここは……? 」
尋ねた女に、中性的な美少年は、微笑んだ。
「この町の、ハッカイさんという方が、経営している居酒屋に、あなたのお弟子さんが、宿泊していますよ」
「わざわざご親切に、どうも」
女は、感謝しているというよりも、うさん臭く思っているのが明らかな口調だった。
妖精は、じっと、少年を見ている。
いくらか、それからは顔を反らすようにして、少年は、女に告げた。
「それでは、僕は、これで」
女は、ちらりと彼を見る。
「あなたのお守りしている伝説の勇者になろうという人物、その人を、妖精の国へ導くのだったら、あなたが直接連れていってあげたらいいじゃないの。あなたには、それも可能なんじゃなくて? 」
彼は、苦笑した。
「出来なくはありませんよ」
「でも、しないのね? 」
じっと、女が彼を見つめるが、彼は、それ以上、語らなかった。
その時には、妖精の注意は、他の珍しいトリなどに、向いていた。
その隙にと言わんばかりに、少年は、そそくさと、空中に姿を消したのだった。
女と、彼女の髪の中に隠れた妖精とが、林を抜け、ハッカイの居酒屋に、たどり着いた。
ちょうどそこへ、買い物帰りである、マリスの手を引っ張っりながら走っている幼い女の子と、その後に、食材を持ち歩くケインとに、出くわした。
「ケインーッ! 」
妖精が、飛び出した。
驚いて振り返ったケインと、マリスの目には、妖精と東洋風の女が、飛び込んできたのだった。
「ミュミュ! 」
「……ラン・ファ!? ラン・ファなの!? 」
ケインが、頬にくっついたミュミュを、てのひらで抱えたのと、マリスがラン・ファに抱きついたのは、同時だった。
「ミュミュ、良かった、無事で! ずっと心配してた! 怖かったか? 」
ケインは、ミュミュをてのひらに乗せて、改めて見る。
ピンク色の髪に、薄い衣、透明の羽をはばたかせている、見慣れた妖精そのままだ。
ミュミュは、わあっと泣き出して、ケインの胸に飛びついた。
ケインも、瞳を潤ませ、愛おしそうに見つめながら、ミュミュの頭をなでた。
「ヴァルは、どうしたんだ? 」
「まだダグトのおじちゃんと戦ってる。ラン・ファおねえちゃんが、ミュミュを助けてくれて、ヴァルのお兄ちゃんは、ミュミュと、ラン・ファお姉ちゃんを、助けてくれたんだよ」
「そうなの! ヴァルとは会えたのね! 」
マリスがそう言い、ケインと視線を合わせると、ホッとした笑顔になった。
裏庭が騒がしく、見に来たハッカイとフィエラに、クレアとカイルも続いて出て来た。
マリスを抱きしめる、長身の女は、人目を引いた。
浅黒い肌に、長いウェーブの髪、黒い瞳をした東洋人だ。
東洋的な模様を折り込んだ布を巻き付けた着こなしは、非常に神秘的で、彼女を美しく、艶かしく見せていた。
「皆、紹介するわね。あたしの『武浮遊術』の師匠で、姉代わりでもある、ラン・ファよ」
ラン・ファの隣に立ち、マリスが、嬉しそうに言うと、ラン・ファが、皆を見回して、会釈をした。
「東洋とベアトリクス出身の、コウ・ラン・ファです。マリスがいつもお世話になっています」
美しい声と、なめらかな西洋語に、見ていた者の中からは、ほうっと溜め息も聞こえた。
「一年ぶりくらいかしら? どうして、ラン・ファとミュミュが一緒にいるのか、詳しく説明して」
「ミュミュがね、ダグトのおじちゃんに捕まった時、お姉ちゃんが先に捕まってたの。ダグトはね、古代魔法とかいう、黒でもない、白でもない魔法を使ったから、お姉ちゃんも逃げられなかったみたい。ヴァルのお兄ちゃんも、最初、魔法が通じなくて、大変だったの」
と、マリスの質問には、ミュミュが答えていた。
「人質生活して、お姉ちゃんと仲良くなったんだ。お姉ちゃんは、ミュミュに、とってもやさしくしてくれて、ダグトがいじわるすると叱ってくれたし、ミュミュに食べ物分けてくれたりしたんだよ。いっつも、お姉ちゃんと一緒にいたから、ミュミュ、さびしくなかったよ」
ケインの手の上に乗ったミュミュが、皆の注目が嬉しくて、喋り続けていたのだった。
「ミュミュを助けてくれて、ありがとうございました! 怖がりのミュミュが、人質生活を楽しく送れたなら、何よりです。助かりました! 」
ケインが、まるで保護者のように安堵し、感謝した様子で、ラン・ファに頭を下げた。
「ラン・ファおねえちゃん、これが、ケインだよ」
ラン・ファは、ケインに微笑んだ。
「ミュミュちゃんから、話は聞いていたわ。あなたが、ケインくんね」
「はい。よろしくお願いします」
「それでね、あっちがカイルだよー」
ミュミュは、ケインのてのひらの上に立ち、カイルを指さした。
「そう、カイルくんね。ミュミュちゃんから、いろいろお話聞いてるわ。よろしくね」
にっこり微笑んだラン・ファを前に、カイルは、口をポカ~ンと開けたままであった。
「ん? どうしたんだ、こいつ? 」
ケインが、動かないカイルを不審に思い、揺さぶろうと近付くと、
「けっ、……結婚してくださいっ! 」
カイルがラン・ファの手を握った。ケインが転びかけた。
「アホかーい! 」
マリスが、カイルの頭をぽかっと殴った。
ラン・ファは困ったように笑っている。
そのやり取りを見ていたクレアだけは、内心複雑であった。
以前、マリスの想像だとは言っていたが、それが、もし本当だとすると、ヴァルドリューズとラン・ファは、一時期、恋人同士であったかも知れないのだった。
(まさか、こんなに綺麗な人だったなんて……! )
クレアは戸惑い、助けを求めるようにマリスを見るが、マリスは、すっかり、ラン・ファとの再会を喜んでいる。
「それで、こっちがクレア」
ミュミュの声に、我に返ったクレアは、改めて、美しい東洋人の顔を見上げた。
「あなたのことも、ミュミュちゃんから聞いているわ。元巫女さんで、今はヴァルドリューズに魔法を習っているんですってね」
クレアは、ラン・ファから、目を反らすことは出来ず、何も言えずに、ただみつめているしか出来ないでいた。彼女の心の中は、完全に、困惑していた。
「マリスは、女の子の友達が、あんまりいなかったの。だから、これからも、仲良くしてあげてね」
親し気な微笑みで、ラン・ファが言った。
「そ、そんな、こちらこそ、マリスには、いつも助けられていて……そ、そのぅ、……よろしくお願いします! 」
慌てて、クレアが、ぺこりと頭を下げた。
(ああ、だめだわ。この人には、きっとかなわない。いくら、あのクールなヴァルドリューズさんだって、こんな人を目の前にしたら……やっぱり、そうよ。マリスの勘は、当たっていたんだわ。二人は、きっと恋人同士だったに違いないんだわ! それじゃあ、ヴァルドリューズさんが無事帰ってらしても、私なんか……)
彼の帰りを待ち遠しく思っていたクレアであったが、一気に気分は、消沈していった。
居酒屋を早めに閉めたハッカイは、従業員たちを早めに帰らせた。
灯りを落とした店の中の、ひとつのテーブルを、一行は、取り囲んでいた。
「まずは、ヴァルドリューズとダグトのことを、話さなくちゃね」
ラン・ファがテーブルの上で、手を組むと、ミュミュが、とっとっとっと来て、その上に、ちょこんと乗った。
「ダグトと、私と、ヴァルドリューズは、実は、幼馴染みだったの」
「えっ、そうだったの!? 」
マリスが驚いた。
ケインもカイルも驚くが、クレアはそれ以上に衝撃を受け、下を向いた。
「ダグトが言うには、幼い頃から、ヴァルドリューズのことを気に食わなくて、それが発端で、今回のような戦いにまで及んで、ミュミュちゃんまで巻き込んでしまったわけなんだけど、決着は、もうすぐ着くことでしょう。多分、……安心していいわ」
「多分て、どういうことよ? 」
マリスが、慎重な面持ちで、尋ねた。
「ちょっと厄介なこともあって……。さっきのミュミュちゃんの話を、詳しく話すと、ダグトは、『魔道士の塔』が内密にしていた研究材料を、持ち出してしまったの。現在、使われている白・黒魔法とは原理の異なった、古代魔法を。詳しくは、ヴァルドリューズが帰ってきてから、聞いた方がいいでしょうね」
「ヴァルに聞くったってなあ。あいつ、あんまり喋らないからなぁ、ちゃんと俺たちに説明してくれるかどうか……。それよか僕は、あなたの話が、もっと聞きたいな」
カイルが少し顔を傾けて、頬杖を付き、口の端を上げて、ラン・ファを見つめた。
それは、隣のラン・ファから見て、彼がもっとも美しく移る角度であり、幾度となく、女たちに自分を売り込むことに成功してきた微笑みであった。
こんな時に口説いてるんじゃない、とケインが言おうとする前に、
「まあ! いくら、ヴァルドリューズさんがもの静かだからって、必要なことは、いつも教えて下さったじゃないの」
と、クレアが咎めたが、カイルは、ヘラヘラ笑っているだけだった。
ケインは、何も言わずにおいた。
「ミュミュね、大変だったの。ダグトのおじちゃん、ミュミュが空間移動できないようにって、羽を取っちゃったんだよ! ミュミュ、とっても痛くて、泣いちゃったの」
「ええっ!? 」
驚いた皆は、ミュミュに注目した。
「ミュミュ、羽取られちゃったのか!? 」
ミュミュは、注目されて嬉しそうにしながら、そう訊いたケインに、大きく頷いてみせた。
「あの野郎! マリスのことは、結界から突き落とすし、ミュミュの羽はむしるし、まったく、どこまで非道なんだ! とても、人間とは思えない! 」
ケインのセリフには、ラン・ファの隣にいるマリスも、「まったく同感だわ。ヴァルも、とんでもないヤツに目をつけられたもんだわ」と、大きく頷いた。
「それにしても、ミュミュ、大丈夫なのか? もう羽は生えてるよな。妖精って、そんなに早く羽が生え変わるものなのか? 」
ケインが心配そうに、ミュミュを手に乗せ、見つめる。
ミュミュは、にこにこ笑った。
「吟遊詩人のお兄ちゃんが、治してくれたよ」
「なんだって? 」
ケインだけではなく、マリスもカイルも、怪訝そうな顔になった。
「あいつ、『そっち』にも現れたのか? なんだよ、俺たちのことは、ドラゴンの谷に放ったらかしておいてさー」
カイルが、口を尖らせた。
「さっき、ここまで、ミュミュとラン・ファおねえちゃんを、運んで来てくれたんだよ」
一行は、不可解な表情を浮かべた。
「彼は、ケインくんを、妖精の国に向かわせたいみたいだったわ。ヴァルドリューズに頼まれて、ダグトとの戦いに巻き込まないよう、私とミュミュちゃんを、安全なところへ移すこともあって、ここまで送ってくれたの」
ラン・ファが、言った。
「吟遊詩人のヤツ、ヴァルが戻ってくるまで、暇つぶしでもして待っていろって、言ってたからな。ヴァルが帰ってきたら、マスター・ソードの魔石目指して、さっそく妖精の国へ向かおう。ミュミュは、自分の故郷なんだから、道も知ってるんだろ? 」
「う……うん……」
ミュミュは、ケインに、曖昧に返事をした。
「なんだあ、ミュミュ? 自信なさそうだけど、自分の家、忘れちゃったのか? 」
カイルが、からかった。
「違うよっ! そんなことないよっ! だけど……」
「あれえ? あやしいなぁ! 」
むきになるミュミュを、ますますカイルがからかう。
ミュミュが、テーブルに立ち、つんのめった。
「だから、ミュミュ、ユリウス探してって、言ったんだもんっ! 」
皆は、首を傾げて、ミュミュを見下ろした。
「前に、ミュミュ、そんなこと言ってたよな。誰か、探してくれって。もしかして、そいつか? 」
ミュミュは、ケインの方を向いて、何度も大きく頷いた。
「はっはっはっ! お前、実は、迷子だったのかよ? そんな人間なんかに、道聞かないと、自分のうちにすら、帰れないのか? 」
ゲラゲラ笑い飛ばしていたカイルが、ふと真顔になった。
「ちょっと待て。それって……! 」
「……そう。お手上げだな」
ケインが、肩をすくめた。
その場は、しーんと静まり返った。
「そのユリウスさんて、人間なのに、どうして妖精の国を知っているの? 」
クレアの質問に、ミュミュは、しばらく首を傾げていた。
「よくわかんないけど……、ユリウスは、妖精のお願い事を叶えてくれる、妖精たちの憧れの人間なんだよ」
「妖精の憧れの人間? 」
マリスが奇妙な表情で、首をひねった。
「ああ、ミュミュがその話をした時、マリスは、いなかったもんな。ミュミュは、前から、そのユリウスって人間を探してたんだよ」
ケインが説明する。
「人間からすると、妖精の方が、願い事を叶えてくれるように思えるけど。妖精の願い事を叶えられるということは、魔道士か何かなのかしら? 」
テーブルの上のミュミュは、クレアの疑問に応えるように、ふたつの羽をぱたぱたとさせた。
「最初はね、ミュミュ、ヴァルのお兄ちゃんが、ユリウスなのかと思ったんだけど、違ったって、すぐにわかって……。ケインといると、ユリウスに会えるような気がしたんだよ」
「そのユリウスの特徴って、前に聞いた時は、わからないって言ってたけど、まだわからないのか? 」
「……うん」
ケインに、ミュミュは、小さく頷いた。
一同は、怒ることもなく、深い溜め息をついた。どうせ、そんなことだろうと、誰もが予想はついていたのだ。
「で、でもっ、会えば、絶対にわかると思うよ! 」
必死に言い訳するミュミュに、ケインは「わかった、わかった」と言った。
一行は、思った。手掛かりは、ないに等しいと。
「……ま、ヴァルが戻ってきて、彼も何も手掛かりをつかんでいないようだったら、なんとかして、あの吟遊詩人を呼び出してみましょう。彼は、ケインを『そこ』に行かせたがってるんだから、場所くらい心当たりがあるかも知れない。その方が、ユリウス探すよりは早く、妖精の国を見つけられるかも知れないわ」
マリスが、提案した。
「ミュミュも、別に、ユリウスは、後でもいいよ。その間に、他のお願い事を考えておくから」
ミュミュの方は、気楽なものであった。
「ところで、ラン・ファ、ごめん。話の続きを、お願い」
マリスが言うと、ラン・ファは、再び口を開いた。
「ダグトとの決着は、ヴァルドリューズが戻ってくれば、わかることだから。次に、私がお話ししたいのは、ベアトリクスのことなの」
皆は、また顔を引き締めて、ラン・ファに注目した。
自分には、もう注意は向かないであろうと悟ったミュミュは、ラン・ファの手の内側に回り、ひとりで勝手に遊び始めた。
「私は、ダグトに捕まる前に、ベアトリクスの様子を見に行っていたの。マリスの住んでいた伯爵家の人々とは、親しかったからね。久しぶりに、会いに行ってみようと思ったのよ。
そうしたら、ベアトリクスの国境での関門が、とても厳しくなっていて……。それも、どうも、マリスや伯爵家とかかわりのあった者を、チェックしているようだったの」
ラン・ファは、マリスを気遣うように見つめていた。
マリスも皆も、黙って、話に耳を傾けていた。
「それでも、最近は、それも和らいできたようだったけど、念のため、男装して、身分証明も偽って、入国してみたわ。ミラー伯爵家の監視は、特別厳しかったけど、なんとか、その目をかいくぐって、伯爵にお会いすることが出来て、あの国の現状を知ることになったの」
ミュミュはすることがなくなったのか、ラン・ファの手の中で、大きなあくびをし、眠る体勢になっていった。
「伯爵は、マリスが失踪した後、すぐに牢へ入れられたそうよ。もちろん、他の罪人とは全然待遇は違っていたし、拷問にかけられるようなこともなくて、単なる見せしめのためだけだったみたい。ご家族の方たちも、マリスの行方について、相当しつこく聞かれたようよ。
数ヶ月後には、セルフィス王子のはからいで、伯爵は牢を出ることが出来たけど、女王陛下が、元流星軍の子たちや、士官学校時代の子たち、ミラー家と交流のあったすべての人々を尋問し、気に入らない者は投獄しているのが、まだ続いているそうなの」
「狂ってる……! 」
マリスが、低く言った。
「あたしが、あの国を出たことと、ルイスお父様たちは関係ないのに。流星軍や学校の子たちなんて、もっと関係ないわ。あの女王、相当血迷ってたのね」
マリスの口調は、冷静であったが、そうであればあるほど、皆には、彼女が本当に怒りを感じているのが、伝わっていた。
「セルフィス様が、あなたとの婚約を、破棄したことは知ってる? 」
ラン・ファが尋ねると、マリスは、静かに頷いた。
「もちろん、噂でしか聞いてないけど」
「伯爵によると、それはね、伯爵を牢から出すために、あえて、そうなさったらしいのよ。だから、伯爵が言うには、セルフィス様は、あなたのことを、今でも心配していることだろうって」
「それは、わかっているわ。旅の途中で、ベアトリクスの辺境に迷い込んでしまった時、偶然、彼の側付き魔道士に会ったの。その彼から、はっきりと聞いたわ。セルフィスは、まだあたしのことを、待っていてくれてるって」
「それなら、いいわ。王子殿下のことを、誤解しないで、もらいたかったものだから」
ラン・ファは、ほっとした顔になり、話を続けた。
エリザベスが即位した経過だった。記憶喪失のベアトリクス国王が行方不明であること、国王付き魔道士バルカスの焼死、その時、王家に伝わる聖杯も紛失したが、戴冠式は行われた。
女王は外交にも積極的であり、遠くの国とも交流を盛んにしている、ということだった。
その間中、マリスは、信じられない顔で、ラン・ファを見ていた。
「あのバルカスが、死ぬなんて……! 王も行方不明……! 」
マリスは愕然とし、それだけ言うのが、やっとであった。
「バルカスは、セルフィスの側付き魔道士ギルシュの上司だった。あたしが、しょっちゅう城から脱け出そうとしても、必ず、バルカスに捕まって。かなり凄腕の、優秀な魔道士だった。それが、焼死なんて、……するはずないわ! 」
「ええ、私も、そう思ったわ。バルカスさんのことは私も知っているけれど、ただの火事で焼死なんて、するはずはないって。陰謀があった……と考えてもいいのかも知れない」
「……! 」
側にいたクレアが、マリスを抱きしめた。
マリスは、クレアに身を預けるように、寄りかかった。
「それからね、これは、ごく最近のことなんだけど、マリス、あなた、ベアトリクスの宮廷魔道士に、王女の身分を辞退する内容の文書を渡したの? 」
そのラン・ファの質問に、驚いたクレアが、マリスを見つめた。
身分を辞退した話は知っていたが、伯爵令嬢だと聞いていた彼女の本当の身分を、知らなかったからだった。
「黙ってて、ごめん、クレア。後で、詳しく話すから」
マリスが、クレアを見てから、諦めたように、ラン・ファを見た。
「以前、宮廷魔道士のザビアンと接して、それで、もう面倒臭かったから、身分を放棄するって言ったのよ。だって、あたしには身分なんて、ホントにいらなかったんだもの」
「じゃあ、その証書は本物だったのね。もしかしたら、女王側の細工じゃないかとも思ったんだけど、セルフィス様も立ち会っていたと言うし。それが公にされ、あなたは、あの国での身分を失ったと、国民にも告知されたのよ。なぜ、そんなことをしたの? セルフィス様があなたを待っていることは、知っていたんでしょう? 」
ラン・ファは、マリスを責めるようではなく、単に理由を聞いていた。
皆が、しんとする中、マリスは静かに言った。
「本当に、あたしには、もうあの国のことは関係ないの。セルフィスがいくら待っていてくれても、あたしは、あの国に帰る気はないの。だって、それどころじゃないでしょう? 世界では、魔物が増えていて、封印されている魔王の復活が近付いてるって言われてる時に、身分がどーのこーのなんて、何の価値があるというの?
旅をしている方が、貴族でいるよりも自分に合ってるってわかったし。だから、もう帰らない。記憶喪失になってしまった国王のことも、気にはなるけど、あのふてぶてしい男が簡単にやられるとも思えないし。
女王に対しては、許せないことは多いけど復讐する気はないわ。今は世界の方が大事。万が一、世界が平和になっても、帰らないわ。セルフィスにも会わない、そう決めたの」
「なんでだよ」
遮ったケインの声に、マリスは振り返った。
「なんで、そんなに意地張るんだよ。全部片付いたら、俺がベアトリクスまで送るって、言ってるじゃないか。記憶喪失で行方不明の国王が、マリスの実の父親なんだろ? 俺も探すの手伝うから。
それに、セルフィス王子は、マリスのことを待っててくれてるんだろう? せめて、一目くらい会ってから、その後、どうするか決めればいいじゃないか」
マリスは、キッと、睨むように、ケインを見た。
「何の手掛かりもないのに、今、国王を探すのは無謀だわ。それと、セルフィスに会ったって、あたしの気持ちは変わらないわ。だったら、会う必要もないでしょ? 」
「そんなの、一方的すぎるよ。王子の気持ちは、どうなるんだよ? 」
「そんなこと、ケインには、関係ないでしょう! 」
そう言ったマリスの瞳は、怒りをあらわしたようでもあったが、うっすらと潤んでいた。
その様子に、カイルもクレアも驚いて、マリスとケインを交互に見た。
「……確かに、関係ないよ。悪かったな、首突っ込んで」
ケインが幾分不機嫌そうに言うと、彼女から顔を背けた。
マリスの方も、もうケインを見ようとしなかった。
カイルとクレアは、密かに、目を見合わせた。
ラン・ファは、静かに、マリスとケインを見てから、続けた。
「ベアトリクスとは別のことだけど、他にも噂を聞いたのよ」
そのラン・ファの思い出したような口調に、マリスが我に返った。
「ベアトリクス以外のところで耳にしたことなんだけど、どこかからか降って湧いたように現れた青年が、傭兵団を作ったのだとか。それが、規模はまだ小さいんだけど、かなり腕のいい連中らしいわ。傭兵団にありがちのゴロツキ集団とは違っていて、落とした町でも略奪なんかは決してしない、信念を持った人達みたい。特に、リーダーの男は、かなりの実力者で、剣の腕が立つと言われているわ」
ぴくっと、マリスの目付きが変わった。
「へー」
カイルが、あまり興味もなさそうな相槌を打った。
ケインは、黙ったままだ。
「その傭兵団の名前は、『真ハヤブサ団』。リーダーの青年は、『黒いハヤブサ』の異名を持つそうよ」
「『真ハヤブサ団』ですって!? 」
マリスが、テーブルに、思わず身を乗り出し、ラン・ファを見つめた。
「ラン・ファ、それは、……その傭兵団のリーダーっていうのは、もしかして、……ダンのことなの? 」
ラン・ファが穏やかに微笑む。
「多分。私も、そうだと思ったわ」
マリスの表情が明るくなっていく。
「そんな傭兵団を作れるのは、ダンしかいないわ! ああ、ハヤブサ団を作っていた頃と、何も変わっていない。ダンは、ちゃんと自分の夢に向かって、自分の手で実現しようとして、本当に自分の軍隊を作っていたのね! 幼い頃、あたしに、その夢を語ってくれた、あの時のままなんだわ! 」
暗い灯りの中でも、マリスのアメジストの瞳は、きらきらと輝いていった。
カイルとクレアは、なんのことかわからないような顔で、そんなマリスを見ていたが、ケインは何の反応も示さなかった。
ラン・ファの話が終わったところで、マリスは、改めて、クレアの方を向いた。
「王女だって、黙ってて、ごめんなさい。ただの貴族ならともかく、あんな大国の王女だなんて言ったら、皆があたしに気を遣っちゃうと思ったから。特別扱いなんて、してもらいたくなかったの」
「カイルは、知ってたの? 」
話が出た時に、カイルが別段驚かなかったのも、クレアには不思議だったのだ。
「ああ、……なんとなくな。単なる伯爵令嬢が、王子様と婚約ってのも、ベアトリクスみたいな大国では異例だと思ったし、王女が失踪してるって知った時に、もしかしたら……と思ったんだ。
女王サマほどのお方が、たかが伯爵令嬢をぶっ潰そうとするのも、違和感があった。王女なら、王位継承権があるだろ? だから、やっきになって、潰そうとしてるんじゃないかって。そう考えたら、すべてつじつまが合うからさ」
カイルは、咳払いをして、マリスとクレアを見た。
「でも、マリスが自分から話すまでは、言いたくないのか、事情があって話せないかだろうと思ったから、言わないでいた」
「カイル……、ありがとう」
マリスは、小さく、彼に笑った。
「ケインも知ってたんでしょう? 」
訊いたクレアに、ケインが頷いた。
「じゃあ、知らなかったのは、私だけじゃないの。ひどいわ。友達なら、本当のことを話して欲しかったわ。しかも、偶然、知ってしまうのではなく、ちゃんと、あなたから打ち明けて欲しかったわ」
クレアが、少し拗ねたので、マリスが慌てた。
「こんな形で、知らせることになっちゃって、ごめん! でも、あたし、クレアが知らないでくれてたのが、ありがたかったの。出生の秘密を隠されて、ずっと、ルイス・ミラー伯爵家に預けられてたけど、やっぱり、それも貴族ではあったから、そういうものを取っ払った関係に憧れてて。
それと、ラン・ファも言ってたように、女の子の友達あんまりいなかったから、クレアが対等に、友達として接してくれたのが嬉しくて。いつかは言おうと思ってたんだけど、なんだか言いそびれちゃって……だから、……本当に、ごめんね! 」
クレアは、必死に謝るマリスを見て、やっと微笑んだ。
「確かに、私の性格だと、マリスが王女だなんて知ってたら、ずっと敬語で、敬った態度でいようとしたかも知れないわ。マリスが、そういうのが嫌なら、これからも、今まで通り、対等に話してもいいのかしら」
マリスの顔が明るくなった。
「是非、そうして、クレア! 」
マリスは、クレアの首に抱きついた。
クレアは、母のような微笑みで、マリスを抱きしめた。
ラン・ファも、それを、微笑ましく見つめていた。