九十ニ話 禁忌の術式
その力は圧倒的と言われていた。
しかし同時に、使えば世界が崩壊するとも言われていた。
その術は開発された後、禁術として国の保管庫に封印されていた。
開発はされてはいたが、誰もそれを起動できる人物がいなかったからだ。使えたとしても、反作用を危惧して誰も使おうとはしなかった。
そんな力を行使してしまった姫が一人。
生まれてしまった者共が三人。
残骸から生まれた者が一人。
戦いは、終わる。
その者共の、消滅でもって。
夢を見ているみたいだった。あまり現実味がなく、ただただ綺麗で終わる夢。どんなものも美しく輝いていて、その中を私は泳いでいる。
ずっと、終わることがない道を泳いでいる。
果たしてこれが何を意味していたのか、本当にただの夢でしかなかったのかは分からない。
一つ言えることとすれば、これから始まるのは綺麗とは無縁な血みどろで凄惨な戦いだということだ。
私は願う。
これで本当に全てが集結へと至ることを。
私は想う。
彼が、後の世界で生きていけますようにと。
その為には自分自身の手で終わらせる必要があった。数年間も掛けて構築した術式を発動しなければならない。だが、それは彼に止められてしまった。
だから私はこうすることにした。
もし、この場に彼ではなく憤怒や狂喜が私と同じく全てにケリを付けようとして現れてしまったのであれば――。
私が責任を持って、最後くらい立ち向かおう。そうするために、ずっとずっと昔から準備は整えてきた。
白銀に輝く空間の中心で、私はこの胸に手を当てる。久しく持ち得ていなかった自分は彼女達と同じく力の塊と化してしまっていて、この身体を構成するのは災厄でしかない。
髪は銀色に輝き、空間と同調するように揺らめいている。
「来るべきところまで来てしまいましたね――」
たった一つの間違いは、幾つもの綻びを生んで巨大になってしまった。
当時の私は禁術が禁術と呼ばれる理由を深く考えていなかったのだ。
今から過去を悔やんだところで現実に影響は及ばないけれど。
「見つけたぞ――アヤクスィダント」
「ここで終わり」
煌めく銀世界に侵入してきた二つの色。
一つは憤怒に染まった赤の禁忌、レイジ。
一つは狂喜に染まった紫の禁忌、エクサル。
私は二人に向き直り、目を細めた。
「皆さんをどうしましたか?」
「ふん、殺してはいない。死ぬのは貴様一人で十分だ」
「律樹さんは、どうしました?」
「倒したよ」
目に見えていた結果ではあった。
「――そうですか」
私は目を閉じた。この一瞬に思い浮かべるのは、これまで駆けて来た道程だ。肉体の概念が消滅してから、一体何十年経ってしまったのだろうか。それとももう、数百年は経ってしまっているのだろうか。
「当然、律樹さんからお話は聞いていたはずですが――ここに来てしまったということは、そういうことでよろしいんですよね」
「無論じゃな。ずっと貴様を捜していたぞ、アヤクスィダント……何故今の今まで貴様が存在していられたのかは知らんが――今度こそ、消え去れ」
いつかこうなることも分かっていた。自分が追い詰められるのが、少々遅れたに過ぎない。
「嫌です」
私ははっきりとそう口にした。レイジは眉をひそめてこちらを睨み付けるが、意にも返さない。その自分勝手だとでも言いたげな目――。
その通りでした。
かつての自身がどのような感情を抱いていたのかなどは知りませんが。律樹さんと出会ってからの私は、少し傲慢なのです。
何故なのでしょうか。
今、はっきりと分かります。
「後のことは、律樹さんに任されましたから」
世界に漂う災厄を、一ヶ所に集結させる。禍々しい量の白銀は宙を流れる川となり、渦となり私の元へ集まってくる。
自己増殖術式が成す、無尽蔵の力だ。
「――まだ任せてないよ、ルリさん」
その。
渦の中を突き抜けて来る何かがあった。飛来したそれは私と立ち並ぶ形で着地し、灰の残滓を振り撒いて笑みを浮かべる。
「僕はまだ終わっていない。こっからが、本番だ」
それは――。
消滅――ラプスの所有する灰の力は、思いの他僕に馴染んでいた。ルリさんから教わっていた魂を削る禁術とやらの上位互換、とでも表現すればいいのか、身体に尋常ではない量の力が湧き起こってくる。
そりゃあ半ばラプスに支配された身なのだから、当たり前と言えば当たり前か。
「律樹、さん……?」
「まだ僕は倒れていないよ。禁術を使うのは、まだ早い」
力の変換作業は慣れている。
自らの持つ魂という漠然とした存在を、消滅へと変換するのにはそこまでの時間を必要とはしない。
禁術によって灰へと変色してしまった雷が四方に弾け飛ぶ最中、僕は徐々に力を解放していく。
「僕に止めを刺さないのであれば、何度でも立ち塞がりますよ」
「貴様では妾に遠く及ばないことが――まだ分からんのか!」
僕とレイジがその場から動くのは、一瞬にも満たない間であった。その攻防で三度の接触を果たした僕は、レイジと数発打ち合って飛び退く。舞うのは血飛沫、赤く染まるは僕の両肩。根本から切り飛ばされた腕はくるくると宙を回り、鈍い音を響かせて荒野に落ちて消失する。
僕は驚きさえしなかった。
「そんなもん、直ぐに治るさ」
消滅の力及ぶ限りは、延々と。
僕の両肩から灰色で構成された腕が生えたその瞬間、レイジは吠える。
「貴様ァァア――!」
数十にも散開した赤い尾が僕を消滅させんと迫り来る。僕はその全てを当たるすれすれで躱し切って、電光を迸らせた。
ばちりと灰の雷が一線、レイジへと突き刺さり――。その箇所を、僕の左拳が抉り抜く。
「同じ土壌で戦われちゃ、たまらないんじゃないのか?」
ふわりと灰が舞い、同色の雷を展開させ、僕はすぅと深く息を吸った。全身が軋んでいる。痛みなんかとうに振り切ったはずだが――限界値を大幅に超えた肉体への負担は、でかい。
「あなたたちがルリさんを諦めない限り、僕が止まることはない」
「――【エクサル】」
次いで現るは、メリーさん。自らの枷を外した彼女は両手にナイフを手に、僕へ斬り掛かる。彼女のその動作を対処できると実感したのは、恐らく今日が初めてなのだろう。
一太刀、二太刀、全てをいなして彼女の体勢を崩させ、生まれた隙に雷を撃ち込む――が、そこはメリーさん。一早く僕から退いたかと思えば、周囲を取り囲むように大量のナイフが待ち構えていた。
「《アンリミテッド・ヘル》」
「懐かしいですね、その技も」
かつての彼女も愛用していた技。圧倒的な手数のナイフで敵を同時攻撃する、残虐極まりない技だったことを記憶している。
技というよりか……物量押し、か。
メリーさんが好きそうな技だ。
「でも」
紫の刃全てと相殺するように、灰の刃が真っ向からぶつかり合って甲高い音を響かせた。
「僕にだって、できる」
他人の猿真似は現在の僕の得意とする最高峰の技であった。災厄、狂喜、悲哀、憤怒の四種から生まれた消滅は微弱ながら全ての力へ干渉するだけの可能性を秘めている。
現在はそれに僕が発動させる禁術で足りない部分を補い、限界まで強化された雷による肉体強化を用いて《アンリミテッド・ヘル》に対応している。目には目を、刃には刃を。
認識した刃全てに、対応する刃を創造してぶつければいいだけだ。
相手の攻撃と同じ量と同じ質の攻撃を同時に放てば避けられない攻撃をも捌くことができる。
今回に限っては、力の消費など何一つ気にする必要はない。
「それだけ?」
メリーさんは忌々しげに吐き、背後に【ローンギング】を顕現させた。今まで姿を現していなかった紫色の龍――刺々しく巨大な体躯は僕へ視線をやった後、野太い咆哮を天高くまで放った。
空を停滞する紫龍を見上げ、僕は大きく静かに息を吸う。
あれの存在をすっかり忘れていた。
禁術龍――使用にはそれ相応の力が必要だろうが、発動させてしまえばそれはもう絶対的な力となる。
メリーさんとレイジだけなら完璧に抑えられる自信はあったが――これだともう一匹の【デスパイア】も出てくるに違いない。
僕一人じゃ、やっぱり荷が重い。
「だけど、やるって決めたのは僕だ」
今日だけでいい。最後まで戦わせてくれ。
全身に禁術を作動させていく。灰色が更に膨れ上がって、銀世界を闇が浸食していく。
圧倒的な力には、圧倒的な力を。
禁術の代償か、視界が灰色に汚染されてゆく。聞こえてくる音が不明瞭になってゆく。感覚も薄れ、夢の中にいるかのような浮遊感さえ感じる。
――その代わり、彼女達に対抗することが可能な力を手に入れることができる。
「あああああああああああああああああ!」
最初にルリさんに教わったものだ。最初で最後。僕の奥の手はやっぱりこれしか存在しない。
どこまでもどこまでも、削れ。
全てを擦り減らしてでも、力を手に入れろ。
状況は最悪の四対一。そうしなければ戦いに勝利することはできず、そうしなければルリさんは守れない。
することは一つだろ。
ルリさんから貰ったこの力で、ルリさんを守る。
メリーさんは友達だ。でも、敵として登場するってんなら、戦う。叩く。倒す。
過ちは、今日で、最後だ。
「……り、つ――」
「こんな下らない戦い、一刻も早く終わらせてやる」
莫大な力を手に入れても、僕の戦法が変わることはない。灰色に変出してしまった雷を全方位に展開し、その身に這わす。
「――《陽炎》――」
立ち向かうというなら、何度でも倒してやるさ。
その為の力は、ここにある。
見渡す限りの銀色だった世界には、様々な色が溢れ返っていた。暴れ狂う紫、怒り狂う赤、それら全てを浸食せんと迫る灰。
もしかすると、遠くから景色を見渡せば綺麗に映ったのかもしれない。さながら花火のように光り輝くその戦いは――しかし、決して美しくはない。
凄惨な戦いは凄惨なままでしかなく。
醜いものは、醜いままで。
数百年以上も続く、永きに渡った戦の果て――。
深い深い消滅が、徐々に始まりを見せていた。
「……」
ある時から、僕の肉体も灰色に変色してしまっていた。腕も、体も、頭も、全て。かつて敵に回した消滅のように、禍々しく変貌してしまっていた。
足下に崩れるメリーさんを見下ろし、ようやく倒したんだということを実感する。
龍の方も両方の翼を破壊した状態で、メリーさんの隣でその動きを停止させていた。
その両方共に常に雷を流し込んでダメージを蓄積させ続けているので、しばらく再起はしないだろう。
「――そうまでして戦いたいか!」
残るはレイジと【デスパイア】。
どこか躊躇していたメリーさんとは違って、レイジの動きは鋭い。確実に一撃で仕留めんと尾が動き、僕の行動を阻んでゆく。
「聞く耳はありません」
レイジの攻撃は今まで以上に速く、重く、変則的だ。【デスパイア】との連携も相まって、僕の体は着実にぼろぼろになっていく。
それらはすぐに修復されるが……。
複数を相手し続けて疲弊していた僕は、それでもレイジと同等に渡り合っていた。殴ってくれば即座に殴り返し、その連続で僕もレイジも傷を増やしていく。
僕は生身で向こうはそうではないといった違いさえあるが、知ったことではなかった。
彼女達と同じ条件下で戦える。
これほど喜ばしいことはなかった。
これでもう余計に傷を心配する必要はなくなったのだ。後は相手が倒れるまで戦い続ければいいだけ。
「消滅にまで手を借りるとはな――律樹よ」
「人をそこまで追い詰めたのは誰ですか」
自分の中に潜んでいる者を利用するなど正気の沙汰ではない、でも、僕はそれほど心配しちゃいなかった。
こいつが僕を支配をした時、確かに脅威とはなるだろう。力の塊が生身を手に入れてどうなるのかは知らないが、弱体化するのであれば僕の中に入ってきた意味がない。
そうなった時、僕は知っている。
あの時、カオナシとか言われる精神寄生体に肉体の支配を奪われた時のことを。
何もできなかった貧弱な時代の僕ではない。
要は支配が逆になるだけ。
僕が消滅の中に入り、消滅が本体となる、だったら内部から抵抗すればいいだけだ。
そうすりゃ後は、ルリさんが何とかしてくれる。彼女には一度もそうすると言ったことはないけれど、彼女ならばやってくれるだろう。
と、僕の思考を聞いているであろうこいつがどう反応してくるか……まぁ、少なくともこの状況じゃ何もしてこないか。
僕の邪魔をすれば、死ぬのは僕と消滅なのだから。
「……妾は、またしても過ちを起こしてしまったようじゃな」
レイジは形造った数十の尾を左右に展開させ、僕の逃げ場を防いでいる。ここは空中、左右を尾に囲まれて上空に龍が待ち伏せしているこの状況下、正面衝突以外に道はなさそうだ。
「随分前に対話を打ち切ったあなたが、まだ喋りますか」
「貴様に語り掛けているつもりはないがな、これはけじめよ……鈴峰律樹という存在をもっと前に消していれば、良かったというな」
「そうですね。もっと前に僕を殺しておけば、少なくとも憐華さんの妨害がなかったかもしれないですし、目の前にルリさんがいるのに僕を相手にしなれば……なんてこともなかったんでしょうね」
だけどレイジは間違えた。
以前にルリさんを生かしたというミスもあるのに、同じように僕にも慈悲を掛けたのだ。
「そいつはいいことじゃないですか」
「何じゃと?」
「あなたが人だってことを、それが証明しています」
「――たわけが」
レイジの拳が僕の脇腹を穿つ。一撃で腹に穴が開いてしまったが、僕は避けようとはしなかった。
代わりにレイジの腕を掴み、こちらへ引き寄せる。
「エクサルは最後まで何かを躊躇っていたからこそ、僕に負けてしまいました」
殺す殺すと口にしていたけれど、その余計な思考があったからこそ僕如きに隙を突かれて伏している。
それに、本気を出せば僕の拘束なんてのは抜けられそうなものだが――そうしないのは……いや、そこまでは考えすぎか。
「じゃなきゃ普通四対一してんのにあっさりやられやしないでしょう? そんな余計な思考を持っているのは、人間だけですよ」
「エクサルが人だから、妾も人だと……未だにそう言うのか?」
「ええ、何度も言いますけどね」
僕は彼女の腕を引き剥がす。脇腹から外れた瞬間に傷は回復し、灰色の禍々しい身体へと変貌していく。
「ルリさんがあなたたちに狙われるだけの過ちを犯してしまったことは変えられない事実です」
ルリさんはレイジ達を生み出た張本人。禁術の代償として生まれてしまった彼女達は、そのルリさんによって唐突に封印されてしまった。
記憶も、力も、共に連れ添った龍でさえも。
ルリさんからすればそうするしかなかったことでも、レイジからすれば自分勝手な理由で自分達を生み出し自分勝手なままに消し去ろうとした最悪の人物にしか見えないことだったろう。
殺したくなるのは当然だった。
「でも、あなた達は途中で踏み止まることができるじゃないですか。確かに昔の話を聞いていた限りではただの化け物だったに違いありませんが……僕が実際に目にしたあなたたちは、そうではなかった」
「今回もそうしろと? 妾の話をも聞いていてそのようなことを抜かすのではないだろうな」
「いいえ、今回だけですよ。次回はありません」
今までルリさんは、自分の過ちを償うためだけに動いてきたのだ。自らが生み出してしまったもの、自らが壊してしまった世界を元に戻すため、孤軍奮闘を繰り返してきた。けれど、この戦いが終わればそれも必要なくなる。
彼女は彼女なりの答えを導き出していたようだし、だから残った問題は三姫だけなのだ。
グリーフはそれを理解して僕らに協力した。
メリーさんはどうなんだろう……レイジは分かっているけど解せないって感じだが。
「何度も言っておる。奴は何度でも過ちを犯すと!」
「彼女はそこまで馬鹿じゃありませんよ。僕はそう思っていますし……もしも彼女がそうしようとしているのであれば、僕が止めるだけですから」
「ならば貴様が死んだ後はどうするつもりだ?」
「人は成長するものですよ。二度失敗したのなら、流石に三度目は学習します」
あぁ、そっか。
僕が死んだ後か。
……僕は明らかルリさんより若いんだけど、僕の方が死ぬのは早いんだろうな。ルリさん、禁術の影響で死ねないからこそあんなことになってるんだろうし。
「って……それじゃ、前と言ってること変わらないですね。僕は水掛け論をしに語ったんじゃありません、レイジがルリさんを消そうとするなら僕があなたを止めるんで、別にそりゃ構わないんですよ」
「貴様……」
「あなたは、何を望んでいるんですか?」
生まれるべきではなかった禁忌の存在。
「何をだと?」
彼女達はそれを知らない内は、赤子のように本能の赴くまま、自由に世界を暴れ回った。
「今、あなたは確かな目的を持ってルリさんを消そうとしています。じゃあ、その先に何を求めているんですか?」
純粋な本能でしかなかった当時とは違って、彼女達は理性を持っている。自分が存在する理由を探し求めたり、他者に対して感情を持ったりもするようになった。
「たとえばの話ですよ。ルリさんに大切な人が囚われているとか、ルリさんを倒せば自分達に掛けられた呪縛が解けるだとか、そういう理由ですよ。その場合、彼女を殺さなければいけないってことになりますけど。そういうわけでもないんでしょう?」
「奴を消さなければ同じことが起こるからと言っておるが?」
「そんなこと言ったら、ルリさんが一度目の失敗で消滅したり諦めていたりとかで何もしなければ、無自覚なあなた達が暴れているだけでとっくに世界は滅びていましたよ。結果的にこの世を延命したのは、ルリさんです。そういうことを言いたいんじゃありません。あなたはルリさんを殺した先に、何を求めるんですか?」
世界平和? 馬鹿げている。少なくともレイジはそんなこと考えちゃいないだろうさ。言う必要もないけど大切な人なんて囚われちゃいないし、だったら考えられることは限られてくる。
「ルリさんを殺しても、あなたに掛けられた呪縛は消えませんよ」
「知ったようなことを言うな」
「ルリさんを殺しても、それで消えることなどできませんよ」
「下らん、妾に何を吐かせるつもりじゃ」
「あなたはただ、行き場のない憎しみと怒りを彼女にぶつけたいだけです」
「違う」
「八つ当たりは復讐と同じくらい質が悪い。あなたがやろうとしていることは、それと同じです。彼女を殺したところで何も変わらないし、変えることはできない」
ルリさんが敷いたこの空間。目に見える景色全てが白銀に染まるほど強大な術式を組んでいたことには僕も驚いている。
一歩でも使い方を違えれば、それだけで天変地異を起こしてしまえるほどの威力を秘めている代物だ。
けど、この術式にそんなものは込められてはいない。そんな禍々しいものはどこにも描かれてはいない。
ここに描かれているほとんどが自己増殖の術式と――レイジ達と僕を禁忌のしがらみから解放させるための術式だ。
これは消滅と完全同化を果たした今だからこそ解析できたものだ。
僕で分かるようなもんが、レイジに分からないわけがないだろ。
「ルリさんは、レイジ、エクサル、グリーフの全員をルリさんと繋がる“禁忌”から解放したいだけです。それが個になるってだけのことで。そうなればあなたはアヤクスィダントではなく、レイジ個人として存在していくことができる」
「妾は、一度たりともそうして欲しいと頼んでおったか?」
「……いいえ」
ああ、やっぱここか。
あれこれと言っていたけど、彼女はこの部分を不満に思っていたのだ。
ルリさんの誰かのためは、常に自分勝手なもので構成されている。たとえそうすることが最善なのだとしても、当人の考えを聞かず分かり合わないままにやってしまえば――そんなのは、迷惑にしかならないもんな。
「妾は、奴のその行動がいけないと言っておるんじゃ。奴はいつまで経っても成長せん。今後何十年何百年生きようと、その脳味噌が変わらん限り――過ちを繰り返し続けるじゃろう」
「だから殺す、と」
――ふぅ。
ああ、長く喋り続ちゃったみたいだ。
両手をちらりと窺うと、乾燥した大地のように、酷い亀裂が幾つも入っていた。五感の機能がどんどん低下しているのも、ちょっと痛い。
この状態が長く続かないことは、始める前から知っていたんだけどな。
長ったらしく暢気に会話しているような暇はない。
そろそろ僕でいられる時間も、限界だ。
言いたいことだけ、伝えよう。
「おい、貴様――」
「ええ。そろそろ僕は終わりみたいなんで、これからは一方的に喋らせて貰うことにします」
僕の異変に気が付いたのか、彼女の目が鋭く細められた。
攻撃しちゃえばいいのに。
律儀に待ってるのかい? じゃあ、遠慮なく話すとしよう。
「腐ってもあなたはルリさんから生まれた存在です。僕から見りゃ、あなたのその強引さはルリさんとそう変わりはしません。あなたがそう思うんだったら、一度だってルリさんに思いの丈を伝えたことはありますか? 何が嫌で何が気に食わないとか、伝え合って確認したことはありましたか? あなたとルリさんは一度だってルリさんと会話をしたことがありますか? ないのならば、今一度考え直してみて下さい。自分の気持ちばっかり他人に押し付けないで、たまには相手の考えと自分の考えをぶつけてみるってことを。時にはそのタイミングがなくて、失敗することだってあるでしょう。けれど今はそのチャンスもあるはず。これは当たり前のことですけど、その当たり前なことを忘れてしまいがちなのが人間です。そういう余計な考えを持ってしまうのも人間です。けれど考えることができる人間だからこそ、分かり合うことができて、成長することができるんだと思いますよ」
僕にはそのチャンスはなかったけど――。ま、それをレイジとかのせいにするのはお門違い。僕はチャンスが沢山あった時代に、そのチャンスを活かすことができなかったってだけだ。
「だから、一度だけルリさんと話してみて下さい。その上でルリさんが消えるって結論をするんであれば――僕に文句なんて言えませんよ」
文句を言わないだけであって、そんな結論をしたらルリさんのことは今度こそ許さないってなるんだろうけど。
まぁ、そこはあまり心配しちゃいない。
「ええと、もうちょっと言いたいことあるんですけど、そろそろ辛いんで止めときます」
周りを確認する。いつの間にか、レイジによる拘束は完全に解けていた。相変わらず龍は空で停滞しているが、ただそれだけだった。
感覚が失われていく。夢のような浮遊感ですら、薄まってきている。
――やっぱり。
これは、カオナシに乗っ取られた時と似たものだ。
だったらやりようはある。
とりあえず。
「――最後まで僕の話を聞いてくれて、ありがとうございました」
それができたのなら、ルリさんと話すことくらい訳ないんじゃないのかな。
最後の抵抗とばかりに、僕は自身に展開していた雷を一点に集める。その雷の照準を自分に合わせ、躊躇いなく撃ち放った。
――いやまぁ、強大な敵を倒す為に敵同士が手を取り合うってのは王道ってもんだし、いやちょっと違うけど、まぁ仲良くなったら万々歳――。
灰色の雷に身を焼かれながら、とうとう僕は、意識を手放す。
直前に思ったことは、一つだけ。
後は任せたよ。
ルリさん。
僕を――。




