八十四話 終焉の幕開け
憐華が表に姿を現してから十五日間もの時が経過した。再び姿を消してしまうこともなく、僕達一行は憐華も引き連れて港町グリーフへと戻っていた。
「なるほど。期間を空けてからの行動ってのは、中々よかったんですね……はぁ……」
ぐぅ、と僕の腹の音が鳴った。心なしか痩せ痩けたようにも見える両手が、食べ物を食べたい食べたいと先程から震えている。やたらに敏感になった嗅覚は町の美味しい料理の匂いを嗅ぎ付け、胃液しかない胃袋を歓喜させていた。
最早匂いだけでお腹がいっぱいになれそうだ。
「腹が減りますよねぇ……人間の性能しかない僕には辛いものがありますよねぇ、ねぇ竹内さん……」
「俺に同意を求めるな……」
港町に辿りついた僕と竹内は、本気で死にそうな勢いで満身創痍だった。
というのも。
これは憐華さんが持ち得ていた情報と共有し、これからの行動を練っていた時の話だ――。
「律樹君はしばらく休養が必要で、グリーフさんはレイジとの戦いで消耗、私と洋助の体力が残っているわけですか」
「私に関してはすぐにでも元通りにはなりますけれど、律樹さんが完全復活するためには時間が掛かりますね。肉体は修復できても、使ってしまった力までは戻すことができません」
現状での問題は、僕達がレイジと派手に戦ってしまったことによる激しい消耗だった。
お陰で僕はまともに戦える状態ではなくなり、グリーフも休養が必要な事態に陥っている。
憐華さんから言わせるとレイジはこの後に間違いなく【デスパイア】を奪取しに行くそうだが、それを阻止するための戦力が圧倒的に足りなかった。
自身の存在すら厭わない勢いで暴れるレイジを相手に、憐華さんと竹内じゃリスクが大きい。
竹内はグリーフの一部を持っているもののあくまで自衛程度の力を持っているだけで、こちらから戦いに出るようなものではない。憐華さんも“災厄”の力を手に入れているが、ルリさんほど扱えるわけではないらしく……そもそもそんな力を連発すればメリーさんがやって来るといった危惧があるため、安易に戦闘へ出していい人物でもなかった。
憐華さんは戦えるだけであって、本来戦わせていい人間じゃないし戦わせたくもない。
従って、僕とグリーフの完全回復を待つことが最優先事項となった。禁術のプロテクトが発動しているお陰で簡単に【デスパイア】を奪えるわけではないし、時間的猶予はあるのだそうだ。
そして、考えなければいけないのはレイジのことだけではなかった。
「どっちにしても、一度でも私が災厄を使ってしまった時点でエクサルには気付かれてしまっているはずです。それを放置しているほど彼女は甘い性格をしていないでしょう。今にもこちらへ向かってきているはずです。ですから、身を隠すのが安全策でしょうね」
というわけだった。
この戦力で【ローンギング】を所有するメリーさんに見付かれば、それこそ終いだろうと思う。今優先すべきはレイジではなく、メリーさんの方か。
「それなら、一度隔離空間の中に入って安全を確保しておきましょうか。エクサルがいつ現れるとも分かりませんし」
「あ……その手がありましたね。しかしそれだと回復の速度も遅くなってしまうのでは?」
「心配は無用です」
そんなこんなでひとまずグリーフの隔離空間へ退避し、いつもの青白い空間へ。ここでは力が漏れることがなく、隔離空間を認知されることがないのでやたらと便利に使えるのである。
もっとも、細心の注意を払えば払うほどグリーフは常に周りと空間に気を配らなければいけなくなるので、多少の力の消費はしてしまうそうだが。
で。
「はい。予想通り、エクサルは全力でこちらに接近しているようですね」
「え……来てるんですか?」
「まだ律樹さんの探知範囲には入っていませんけど……【ローンギング】を移動手段にしているのでしょうね。あんな愚直なことをされてしまえば私でも警戒します。もっとも、向こうも本気で見つけられるとは思ってもいないのでしょうが」
ああ。そういえば、メリーさんは頻繁に龍を出していたっけか。強大過ぎる故に使用すればすぐに気付かれるが……。
もしあれをレイジにまで手にされると、かなりまずい状況になりそうだ。
……これってまずいんじゃないか。もしメリーさんとレイジが結託すれば、エステの力で簡単に【デスパイア】を奪えてしまう。
目的も一致している。
「レイジとエクサルの結託などありませんよ、そのような二人ではありません」
「あれ、グリーフさんって人の心読めるんですかね……? まだ何も言っていないんですが」
「私は予測しているだけで、人の心を直接読み取れるのはエクサルだけです。ですが、律樹さんが考えることくらいなら分かりますよ」
「……そこまで単純思考してますかね、僕」
安直だったことは認めるけれど。……よくよく考えれば、共闘の線はないか。エクサルの性格然り、レイジの性格然り。潰し合うことはしなさそうだけど、手を組む仲でもなさそうだ。
さて、頭の中を整理しよう。
まず憐華さんが提供してくれた情報は、大きく分けて三つ。
さっき僕が寝ていた時にも聞いたが、ルリさんのやろうとしていること。
ルリさんはこの世界の根本を創り変え、その上で住民をそのままに改変術式を組んでいる。それと同時進行で、三姫全員に人間としての生を与える為にこそこそと準備を進めている。
既に半分以上は出来上がっているらしいが、それを行うことによってルリさんが消えてしまうのであれば僕は絶対に許さない。
そんな行為はさせてたまるか。殴ってでも止める。彼女が犠牲に他の全てが助かる道などあってはならない。
というか何より僕が腹を立てたのは――。
『元の世界に帰ったら、律樹さんは、きっと愛する人と結ばれます』
かつて僕の記憶を封印した際、ルリさんが直接僕に言ったこと。
『ですから』
それが意味するところは、僕だけが元の世界に帰らされるということだ。そして隣には、憐華さんがいる。
自己犠牲の固まりのようなルリさんが思いつきそうな考えだ。まだ僕が憐華さんを好きなままでいると本当に思っているのだろう――少なくとも、ルリさんは憐華さんの気持ちを痛いほど味わっているのだろうし。
『さようなら』
そして。あの人は「私と一緒にいると律樹さんが不幸になります」とかって本気で考えて悩む人だ。
彼女ならやりかねない。僕に別れの挨拶まで放ったのは、即ちそういうことだ。ふざけているだろう。僕の気持ちも知らないで、勝手に決めつけるなって話だ。
きっかけは憐華さんでも――今まで僕が見てきた彼女の姿が、たとえ憐華さんだったのだとしても。
僕が見ていたのは、紛れもなくルリさんだったのだから。
それでは愛する人と結ばれなことはない。その勘違は、正さねばならない。
必ず。
そして、もう一つは“ルリさんの居場所”だ。これは僕達全員が喉から手が出るほど欲しかったもの。レイジにもエクサルにも欠けているこの情報を手に入れたってのは、圧倒的なアドバンテージを有することになる。
しかも肝心の居場所は“アリシー”の中だった。
白銀のペンダント内部に存在していたルリさんは、アリシーが危機に陥った際に彼女の中に入って治癒することで命を助け、あれからずっとアリシーの中にいたという。
アリシーの傷が癒えていたのはルリさんのお陰だったってわけだ。これで地下に潜る際、メリーさんが「アヤクスィダントの気配がした」と呟いていたことに繋がった。
だがこれで、僕が本当に使えない奴だってのが身に染みて分かってしまった。
そりゃルリさんだって僕に気付かれないよう細工はしていただろう。でも、どうして気付けない。アリシーと一年以上一緒に生活して、その一度たりともルリさんの存在に気付けたことはなかったのだ。
一度もだ。あれだけ至近距離にいたはずなのに……いや、もう卑下するのは止めだ。僕だけじゃなく、誰もが気付けなかった。
それだけルリさんが、巧くやったってことの証なのだろう。
んで。そのルリさんは、今は深い眠りについているということ。彼女が意識を戻さなくても例の“準備”は進むようになっているのだが、彼女が眠りについている間はアリシーに接触しても決して覚醒することはないのだとか。
少なくとも憐華さんによると、後一年は眠っているとの予測だ。
憐華さんがそう言っているのだから間違いないことだ。一応目線でグリーフともコンタクトをし、彼女が一つも嘘を吐いていないことは確認済み。今更疑うわけではないが、ルリさんとだけの秘密は隠すかもしれなかったからだ。
杞憂に終わってよかった、としか今は言えない。人を、それも大切な人を疑いたくはない……今後はもう、そんなことはしなくてもよさそうだ。
「……ふぅ」
眉間の間を右手の親指と人差し指で揉みほぐす。
最後は。憐華さん自身の行動だった。
予め僕が危機に遭った際に登場する予定だった憐華さんは、今までずっとルリさんと話し合って全ての行動を決めていたらしい。とにかくルリさんと憐華さんは、そこに至るまでに信頼関係の結び付きが強かったというわけだ。
でも憐華さんは、どこからかルリさんとの認識の食い違いに気付いていたらしい。その内容は主に“僕のこと”だそうだが。流石の僕も詳しく聞くほど野暮じゃない。
「私はエルリアさんの思惑を全て実行させるつもりなどありませんよ。これでも私、力を手にしちゃいましたから……私なりに、色々と小細工させて頂くつもりです」
要は、ルリさんの自己犠牲を快く思っていないのは憐華さんも同じらしかった。
具体的に何をするのかは教えてくれなかったけど、彼女の行為によって僕達共通の目的の邪魔になったりする類ではない、とは言ってくれた。
何をするのかくらいは聞いておきたかったけど彼女が頑なに嫌がったので結局聞けず、グリーフにも止められたところで諦めることになったが。
危ないことだけはして欲しくない。僕が言える立場じゃないのは重々承知だけど、禁術は己の力を滅ぼす諸刃の剣なのだ。気を付け過ぎてもいいくらいに使用は控えて欲しい……そんなことを忠告したら、まず僕が皆にこっぴどく叱られるだろうから強くは言えないけれど。
いや、経験者は語るってやつかな? ……違うな。
「――で」
これらのことを考えた結果。僕達からレイジやメリーさんに対して攻撃を仕掛ける選択肢が消えることとなり、レイジの行動を阻害することが不可能となった。
そうなるとレイジが【デスパイア】を手にした時の戦力差が圧倒的なまでに開いてしまう。
少しでも力関係を均等に保つため、グリーフが【アスピレイ】を手中に収める算段を憐華さんが提言してくれた。禁術の中でも発動者と同じ“災厄”を手にする憐華さんであれば、封印に対して直接的な影響力を受けないらしく、彼女が動けば港町の攻略が可能だ。
もっとも。
それをするにはメリーさんの探知範囲から遠ざかる必要があり、更にはレイジの警戒網を掻い潜って行う必要がある。
レイジはこちらのメンバー構成を把握しているのだ、グリーフが【アスピレイ】を奪取する可能性くらいは考えているかもしれない。
よって、そこから導き出された結論は雲隠れをしてしまうこと。簡単に言えば、レイジとメリーさんの二人が遠くへ離れてくれるまでこのまま隔離空間で身を隠すってことだった。
その際、完璧に隠れようとするのであればグリーフの隔離空間から一歩も出ることは許されないのだ。今居る面子の全員が禁術に関わってしまった以上、外に出るリスクが高過ぎるというわけで。
食糧の確保もままならないまま、約二週間だ。水も飲まず、食物も摂ることができず、グリーフの隔離空間内でずっと存在を消していたのである。
まあグリーフと憐華さんは何食わぬ顔をしてその日々を過ごしていたのだけれど、残念ながら僕と竹内はそうではなかった。
僕にしたって、通常時なら二週間程度は耐え切れるとは思うのだが……如何せんスタートの状態が悪すぎた。レイジと死闘を繰り広げて疲弊した身体で絶食など苦行以外の何物でもない。
ぐうぐうぎゅるると腹の虫が鳴り、男性陣は無様に倒れ伏す。
そんなこんなで、時折グリーフと憐華さんに体力を回復させて貰いながら魔の十五日を過ごしたのである。
美味しい匂いで、僕の腹がぐるると鳴った。
うん、我ながらよく耐え切ったと思う。人間極限状態になると周りのものが全て食べ物に見えるとか言うけど、別にそんなことはなかった。グリーフはちゃんと最後までグリーフに見えたし、憐華さんも竹内もそのままだった。
けれど、もう限界だ。レイジとメリーさんの気配が遠ざかった今だからこそ港町にまで移動が行えたのだ。なら今のうちにやっておくべきことがあるだろう。
まずは飯だ。飯を食わないと腹が減って戦なんてできないのだ。
「皆さん聞いて下さいご飯にしましょう」
声を振り絞って、僕はこれからの行き先を提案した。ああ、目の前の定食屋っぽいところでもいいし、あそこの肉でもいいな。生肉だけど今の僕ならむしゃむしゃ食べられる自信があるぞ。
「……あれ、皆さん……?」
しかし、誰も返事を返してはくれなかった。あの竹内ですら、腹を空かせながらも微妙な顔を作っている。
何だろう。
「やっぱり対応が早いですね」
憐華さんが渋顔でそう言う。仕方なしに僕も意識を切り替えると、すぐ異変に気が付いた。
周りを見渡してみれば、人が慌ただしく行動しているのが分かった。そのほとんどが民間人だったが、中には中央部を守っているはずの兵士達も確認できる。
これは。
「まさか……」
「そのまさか、ですね」
グリーフがそう返事をした。彼女の視線の先は港町の中央部を捉えており――近未来的な建物を見据えたまま、言葉を付け加えた。
「向こうの都市に封印されている【デスパイア】は――もう取られているようです」
それはいい、重要なのはそこではない。
レイジの気配がなくなって、メリーさんもどこかへ消えて。
僕らがいざこれから取りに行こうとした物は。
「しかも、この町に封印されているはずの【アスピレイ】が――レイジによって奪われています。完全に、してやられましたね」
既に、もぬけの殻と化していた。




