七話 予期せぬ旅、思わぬ再会
次に目を覚ました時、確かに僕は生きていた。
基礎の赤いベッドに仰向けで寝かされて四肢を鎖で拘束されているが、ある程度の応急処置はされていて、安静にしてる分には大事に至らないと見える。
右腕には添え木と包帯の処置が為されており、骨が折れていることが分かった。
他に酷い外傷がないのは把握したが、身体は思うように動いてはくれない。
赤いベッドに張り付けられて包帯ぐるぐる巻きで動けないってのは分かるけど、どうしてなんだ。四肢から鎖のようなジャラジャラしたやつが伸びてるけど、これって応急処置には全く関係ないよね。
どうしてこのような状況に至っているのかを認識すべく、頭を回転させる。幼女の哄笑が、脳裏に飛び込んできた。
「あ」
完璧に思い出した。
アウレルキッド・メリー、彼女に完膚無きまでに叩きのめされて意識を失ったのだ。応急処置が為されているも考えものだが、さて――。
「起きたぁ」
舐めるように這われた甘い声が、耳裏を撫でる。それが脳へ伝わった時、全身の毛が総毛立った。
いつの間にか、目の前に登場していた幼女が身動きの取れない僕に覆い被さっている。
彼女の着飾るドレスの白いレースが肌に触れた。
純白のドレスだ。だが、彼女の“黒い”部分を強調させるかのように、白を基調としたドレスには所々真っ黒な装飾が付いている。僕はそこまでしか見ていない。何故なら抱き着かれていたからだ。
今見えるのは、茶色というか木造りの家具や赤茶のカーテン、素朴な鏡台、最後に開けっぱなしのクローゼット。アンティークな色合いの部屋だなと率直な感想を述べてみる。
抱き着いてきた幼女に関して? 何もないね。僕はこんな奴に欲情はできないし、なにより動けないんだからどうしようもない。ノーコメント。
「離して下さい……と言っても、聞いてくれなさそうですね」
「うん、やだ」
即答された。分かっていたから別にどうでもいいのだけれども、じゃあ僕はこう言うしかない。
「じゃあ、代わりに話して下さい。どうして僕がメリーさんに協力しなきゃいけないのかを」
「聞いても理解できないよ」
含みのある言葉を放ち、くすくすと笑った彼女は赤髪を前に垂らす。ぱちりと開かれた真紅の瞳と長い睫毛が至近距離で僕を捉え、形の良い小鼻がずい、と近付けられた。幼いのに妖艶にひしゃげられた唇が、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は、身体を真っ二つにされたの」
という突拍子もない発言をして、メリーさんは瞼を閉じた。そうして紡がれる彼女の言葉を、脳に伝えて消化する。
――かつて、アウレルキッド・メリーは一国の姫だった。しかし、姫という立場にありながらも、自分自身が国を護れるだけの力があったそうだ。
だが。ある日、彼女の身体に異変が起きた。自身の身体がとてつもない振動を発し、二つに分離しようとしていたのだ。
そうなった原因が分からず、彼女から何かが剥がれた。それは、目の前で霧散した。
――次に彼女が意識を覚醒させると、そこは荒野だった。
何もなく、治めていた国もなく、彼女はただ一人でそこに佇んでいた。
その時には、自分が持っていた“力”が弱まっていて、代わりに誰がやったのかということだけは自然と理解ができた。
その犯人の名はアヤクスィダント。自分と言う存在を産み出した人物だそうだが、当の彼女はアヤクスィダントという言葉さえ聞いたことがなかったらしい。
とにかく、その時に自分の置かれている現状を理解した彼女は、「アヤクスィダント」という名称の学校を作って動きを見せた後、それについての情報を手探りで探していて……。
見付けたのが、もれなく僕だったというわけだ。
彼女の言葉をなるべく分かりやすく噛み砕いた僕は、ううむと考える仕草を作った。
「ちょっと分からない、ですね」
話の規模が大きいのもそうだったが、半分以上何を言っているのかが分からなかったのである。そもそも姫ってなんだ。
アヤクスィダントという名前は先ほど聞いたばかりなのだが――。
「だから言ったでしょう?」
最初から分かっていたことのように、彼女は呟いた。元々僕の理解が及ぶ範囲でもないのだが……気がかりなことはある。
「それで、僕が手伝う理由が明らかになっていないと思うのですが……質問いいですか」
「どうぞ」
釈然としない面持ちで、彼女は承諾した。形の整った眉が歪むが、気にせず続けることにする。
「メリーさんは、どこかにあった国の姫だったんですか?」
「そう、さっきも言ったよ」
「僕はセラさんから、メリーさんには“忌み”というものがあると聞かされました。貴女のその“幼女”は昔からなんですか? それとも、アヤクスィダントという者から身体を真っ二つにされた時ですか?」
「覚えてない。何かされたかして、記憶が改竄されているから」
即答した彼女の瞳には、困惑と少しばかりの不安が差していた。どちらにせよ、覚えていないと言うのであればこれ以上聞くことはできない。
「分かりました、それは大丈夫です。では“災厄”とはなんですか?」
彼女は僕から災厄を感じると言っていて、だからこうして彼女に拘束されている。
「アヤクスィダントが“災厄”。貴方からは、アヤクスィダントと同じ臭いがする、ってことだよ」
「……」
またか。
つまり彼女が僕を襲ったのは、憎きアヤクスィダントの何かだと勘違いしたからだ。
「僕は、災厄でしたか?」
「臭いはするよ」
無表情で呟き、彼女はすうと僕から離れた。元々の体重が軽いのか大した重みは感じなかったが、こうして居なくなられると身体が軽くなったという実感がある。
「……では、一体何を手伝って欲しいんですか」
「私の名前の“学校”が遠くにあるの。そこには私の大切な“核”がある。それを取るのに貴方には付いてきて貰うから」
「……核」
「私の最終兵器、みたいなものだよ」
どこか重要な部分を説明しなくてもいいように、彼女は言葉を濁した。だが最終兵器というくらいなのだから、そういうものだろう。
「それ、僕が付いていく必要がありますか?」
「なかったら言わないよ。とにかく貴方には付いてきて貰う。無事に取り戻せたら、貴方は晴れて自由だよ」
僕の心臓に人差し指を突き付け、彼女は酷薄に笑う。
色々分からないことがあるのは確かだが、ともかく今は言うことを聞くしか助かる道はなさそうだ。
「分かりました」
言って、僕は口を閉ざした。
――その後、彼女は四肢に繋がる鎖を外してくれた。長時間の拘束が思いの他身体を蝕んでいたのか、大きく伸びをすると結構気持ちが良い。
一方彼女は部屋から出て行ったが、しばらくして制服に着替えて帰ってきた。
彼女の最終兵器は遠くの街に保管されている。何らかの理由で自らが所持するそれが街にあるので、奪還すべく動くらしい。何故僕が同行するのかといえば、彼女曰く有用性があるとのことだった。
「ねえ」
ところで、
「どうして制服なんですかね」
適当な生返事さえ返せば続きを言いたそうな彼女の声を遮って、吐き捨てるように僕は言った。
「今から学校に向かうんでしょ」
「今は時間的に深夜じゃないですか? それに学校に侵入するのだとしても、その制服じゃもっと怪しまれると思うのですが」
メリーさんはアヤクスィダントの制服を身に付けている。馬鹿なのか天然なのかは分からないけど、せめてあっちの制服を着るべきだ。
「別に怪しまれないよ、いいからいこ」
謎の自信を放出しながら堂々と言った彼女には、閉口するしかなかった。
「メリーさん。思うんですけど、僕が行って何の得があるというんですか? 邪魔になりさえしても他はないですよ。何に使えるのか説明して欲しいですね」
「いやだ」
なんだ「いやだ」って。そんな馬鹿な。
「どうしても断るなら、ここに鎖で縛り直してから行くよ」
「行きます」
駄目だった。
それなら大人しく金魚のフンをしていた方がいい。そんなのもし彼女の道中何かあったりしたら僕は間違いなく餓死だ。頑強な鎖に繋げられたまま泣き叫んで糞尿垂れ流したまま死ぬことになるんだ、絶対嫌だ。
「邪魔になるとは思ってないよ。きっと、貴方にしか成せないことがあるから。それに、どのみち貴方は私を裏切れない。背いたら殺せばいい、従わなければ虐めればいい。選択肢はないよ」
「はぁ、確かにその通りですが」
それは僕が死にたくないと思っている場合にのみ適応される言葉なのだが、まぁ、死にたくないのは事実だ。
「分かりました、付いていきますから。ところでメリーさん」
アウレルキッド・メリー。何も考えていないようで考えているような、恐ろしさを裏に秘めている。こうして会話をしているのが奇跡といえば奇跡だし、いつ殺されるかも分かったものではない。
一度だけ眉をしかめた彼女だが、それきり笑顔に変貌した。いや、別に可愛くない。
「“キャラ”崩れてません?」
「……んむっ?」
学校での彼女と今の彼女。その二つが別人のように重ならなかった。明らかに故意的な感じだが、そこにどんな意味が込められているのか。
「……あー、家に帰りたい」
でも行くしかないのだ。どうしてこうなったんだろ、本当に。
小声で呟いた僕は、僕の腕を引っ張る彼女に着いていくように足を動かす。
足取りは、岩石のように重かった。
道中、僕は考えていた。ルリさんのことだ。
元々僕が学校に通うことになったのはルリさんのお陰だ。彼女が持ってきたあの『紙』がなければ、僕は今頃制服なんて着ちゃいないだろう。
問題にするべき点は、どうして彼女が僕を学校――『アヤクスィダント』に入れたか、である。彼女自身がアヤクスィダントであるのなら、普通は敵の拠点とも言える学校に僕を入れたいと思うのか。
そして、自分までもが平然と学校に通ったりするものなのか。
答えは知らないけど、少なくとも僕はノーだ。そうする意味が分からないし、学校に潜入するにしても本名は使わない。
あの先生が言っていたのは「エルリア・アヤクスィダント」という名前だったから、まず偽名でもないだろうし……。
だからルリさんが黒に近いとはいえ、必ずしも黒だとは限らないってことだ。無関係の可能性だってある。
ルリさんの言う通り、この世界は僕の知らないことが沢山ある。法則だったり、能力だったり、物体だったり、概念だったり。それは様々だろう。
僕はまだ“異能”持ちの人はルリさんとメリーさんの二人しか知らない。二人の力が同種じゃない可能性の方がよっぽど高いのだ。
色々と決め付けるには、決定打が足りない。
「はぁ」
「どうしたの?」
溜め息を吐いている僕に、メリーさんは心配して声を掛けてきた。僕の右腕は彼女に固く引っ張られたままだ。
「いや、ちょっと考え事を……」
ふぅん、と意味ありげに呟いて、彼女は依然僕の腕を引き続ける。
「それで、学校まではどのくらいの距離なんですか?」
歩き始めてから割りと時間が経っている。メリーさんは“遠くの学校”と言っていたけど、一体どれくらいの距離なんだろうか。
「このペースで歩けば、日が暮れる頃には着くんじゃないかな」
……はい?
今は夜中ですけど?
「日が明けるの間違いじゃないんですかね」
「ううん、日が暮れる頃」
げんなりした。同時に、一気に未来の分まで疲労が到来してきた。
あんなハードな一日を過ごした上、そのまま何十時間も歩いてようやく到着って、死んじゃう。
というか到着して終わりならまだしも、そこで一悶着やら二悶着やらあるわけだ。ついでに言えば、そこから十時間余りもの時間を費やして帰るわけだから、ええと。
「帰っていいですか?」
これ絶対僕いらない、断言できる。結局家に帰れるの明後日とかじゃないですか。
幼女はこちらの方向を窺って(何故か僕の目は見ていない)、にっこり微笑むと、
「いっ、いだだだ!」
もげるんじゃないかっていう程の力強さで、折れてない方の腕を思い切り引っ張ってきた。
どうやら駄目らしい。持って行かれ過ぎて最終的に彼女にぶつかった僕は、若干涙目で訴える。
「ごめんなさ、痛っ、あっ、すみません行きます」
そこでやっとこさ解放された腕は、だらりと地面に伸びて動かなくなった。これ筋が伸びきったんじゃなかろうか、冗談抜きで。
「来る以外の選択肢はないよ。死にたいの?」
まあ、それもそうなんだけど。僕に選択肢がないのは最初から分かりきっていたことだけど。
「ならせめて車とか自転車とか、そういうのないですかね……?」
伸びてしまった腕を折れた右の手でなんとか優しく愛でながら、僕は溜め息混じりに言う。が、
「?」
登頂部にクエスチョンを展開させたのを見て、諦めた。彼女には乗り物の概念が存在しないらしい。
「ああ、エンダーでも使いたいの?」
あ、伝わった。
「ええ、それです」
それが何なのかは全く分からないけど、とりあえず肯定しておいた。乗り物ってのが分かればそれで十分だ。
「貴方はエンダーのことをくるまとかじてんしゃって言うんだね」
「まあそんな感じです」
全然違うけど、余計な混乱を生まないためにも口を閉ざしておいた。
「あれば乗りたいね」
「……そうですか」
そうだね。手段があるのなら、最初から使ってるか。
最早この話をした時点で無駄だった臭い。
仕方ない、歩こう。これから二日間ルリさんと顔を会わせられないことを考えるととても億劫だけど、あの時の一週間の劣化版だと考えれば取るに足らないことだ。
「分かりました、なら仕方ないですよね。歩きましょう」
既に棒になってしまっている脚に鞭打って、延々と続く道の一歩を踏み出した。
「……え?」
中断。
まさか一歩目で足取りが止まるとは思わなかったけど、止まらずにはいられなかった。
メリーさんは僕を軽く睨んだけど、表情を察して僕の視線を辿っていく。
暗闇の中、僕が止まった原因は“コイツ”だった。
「あぁ? 初日でそこのガキと逢い引きってのはどうかと思うんだが……まあいい。また会ったな、生ゴミ君」
つまるところ、不良改め口の悪い男――“悪口君”に、出会ってしまったからである。