七十六話 そして憤怒の姫は嗤う
「――それを何処で見付けた」
自分の喉からここまで低い声が出るのか、という程に。冷淡な言葉を吐き出した。
それでもレイジは表情を一切変えることもなく、吐き返す。
「おや、話す気になったのか? しかし今度は妾の興が削がれた。貴様のせいでな」
「ならペンダントを見せ付けた理由は? 僕の気分を煽ろうというならそりゃ正解ですがね……返して貰います」
「ホレ、こんなものくれてやるわ」
そう言い、レイジは摘まんでいたペンダントを投げた。慌てて掴み取ろうとすると、ペンダントよりも早くレイジの“憤怒”が鞭となって僕を弾き飛ばす。
からん、と地面に落ちたペンダントは襲撃で奥へと滑っていった。
「お前……!」
「なんじゃ。そう意識が散乱していては、妾の攻撃にすら気付けないではないか。どうした、そんなにアレが大事か? んん?」
視界の全てが紅蓮の赤に染まり、数十もの尾のように、憤怒が実体を形作る。羽虫でも殺すようにして僕の首根っ子を絞め、レイジのつり目が鋭さを帯びた。
竹内はレイジのから発生した憤怒に邪魔をされているため、襲い来る鞭を払うのに必死で近付くことが出来ないでいる。
「おま、え、何……し、に」
「単なる道楽と変わりはないわ。貴様に一つ、面白い情報を伝えてやろうと考えていてな」
もがき、苦しむ僕を嘲笑い、レイジは悪辣に口端を歪める。
「面白い情報……? それを僕に教えて、なんの、得が」
「さてな。ないかもしれんし、あるかもしれん。しかしどちらにせよ……聞いておいた方が、貴様のためにはなるじゃろうな」
レイジが何を言わんとしているのか、どんな爆弾を投げ込もうとしているのか、僕には分からなかった。
「そこに捨ててあるペンダント。あの中に、エルリア・アヤクスィダントの魂が入っている」
「何……」
「いいや違うのう。正しくは“入っていた”が正しいな」
聞いた瞬間。僕は体内に溜め込んでいた雷をレイジへ撃ち放った。流石に電撃は逃げられなかったのか、レイジは直撃に顔そしかめる。痺れて力の弱まった手首を無理矢理離し、仰向けの状態から蹴りを放った。
それは間一髪避けられるが、距離を離すことに成功。満足に空気を取りこめなかったことで咳き込みつつも、僕は戦闘態勢を整える。
「入っていたってのは……どういうことなんですか」
「阿呆め、その通りに決まっているだろう」
どこまでも上から見下ろすような口調で、傲岸不遜な物言いで、レイジが言う。
「エルリア・アヤクスィダントは貴様を癒すため、そのペンダントに入っていた。貴様が気付かない内も、ずっとな」
紅蓮に猛る憤怒の力を収め、紅玉のような真紅の瞳が僕を睨む。その言い方は、なんだ。まるでそれだと――ルリさんは、ずっと……いや、でも。僕は、最後まで彼女だってことに、気付かなかった。
傍にいればすぐにでも分かるはずなのに。
「信じられないのか? はて、妾を信じられないのか、エルリア・アヤクスィダントを信じられないのか、それとも――自分を信じられないのか? 鈴峰律樹よ」
「あなたの言葉を信じるわけがないでしょう。きっと、真に受けても踊らされるだけです。僕にそれを伝えてどういう反応をするのか確かめたいだけなのでは?」
僕の言葉の一体どこに面白い要素があるというのだろうか。レイジは笑う、嗤う、哂う。僕を見て、嘲笑う。その端正な顔が、機嫌悪そうに歪められた。
彼女の言うことが正しいとは、思わない。だけれど。違和感は、確かにこの胸の奥にある。
なんだこれは。これは一体、何から発生している。
「――さて。貴様の戯言はどうでもいい。妾が一方的に話をするために来ただけなのであって、貴様と会話をするつもりは毛頭ない」
レイジは僕の返答に一切の言葉を返さず、こう紡いだ。
「妾の準備はそろそろ完了する。そうなれば、まずは貴様らから終いにしてやろう――では、さらばじゃ」
そして。
勝手に言いたいことだけ並べて僕らをボロ雑巾のように扱って、レイジは消えたのだった。
「……なんだったんだ、今の」
僕は腑に落ちない顔で溜め息を吐くと、遠くに投げ捨ててあるペンダントを拾い上げる。あの時首に引っ提げられていたペンダントと、寸分違わず同じものだ。どうしてこれをレイジが持っていて、僕に渡したんだ。
分からない。
それに、このペンダントからは何も感じない。ルリさんが、分からない。本当に彼女が居たのなら何かを感じるはずなのに……まるで寸分違わず造られた模造品のように、何も感じなかった。
「持っておこう」
しかし、間違いなくこれはあの時と同じ物だ。捨てる理由はないし、持っておいたとしてもレイジの得にはならないはずだ。
それを首に掛け直し、胸元で鈍く輝くそれを右手で握り締める。
あの時感じていた気持ちは、一切湧き起こらなかった。それに僕は眉をひそめる。
静かにペンダントから手を離し、駆け寄ってきた竹内に声を掛けた。
「大丈夫ですか」
「ああ……今のはレイジだろ。奴は何をしに、ここまで」
「さあ分かりません。宣戦布告だけして、帰っていきましたけど」
きっとそれだけが目的ではないのだろう。その程度は理解していたが、結局レイジが何をしたかったのかは最後まで分からなかった。
ただ、準備が出来ると、そう言っていたが。
「そのペンダントは?」
「数年前に、ルリさんが僕にくれたものです……何故か、レイジが持ってましたが。しかも僕に投げて寄越して行きましたけど……さっぱりですね」
このペンダントを渡す意味があったのかだろうか。果たしてあの言葉の真意はどこにある。ルリさんはどこにいるんだ。今までここに存在していたってのが本当なら、この世界で始まっている異変はどう説明付ける。なら、何でメリーさんはルリさんを殺そうとしているんだ。何でレイジは僕らの邪魔をする。
もう、そんな理由はとっくの昔になくなっているはずなのに。
「――駄目だ。これが、踊らされるってやつなのかな」
レイジが僕を混乱させようとしていたのなら、そりゃあもう大ダメージだよ。完全にやられた。
……とにかく今考えても更に混乱するだけだ。ひとまず思考を停止して、後で一旦情報を整理しよう。
そうすれば、小さなことでも何か分かることがあるかもしれない。
「魔法陣の破壊、終わりましたよ」
「グリーフ、たった今レイジがここまでやって来た」
「知っています。本当に危険な状態になれば、途中でもこちらへ戻るつもりでしたから」
そこでようやく、グリーフが魔法陣を壊して戻ってきた。魔法陣の敷かれていた空間は丸ごと潰れ、影も形もなくなっている。
とりあえず、一つ目の目的は達成した。この大陸には後二つほど魔法陣が敷かれているが、壊すのにはそこまで時間は掛からないだろう。
やるのは僕ではなくグリーフなので、完全に任せっきりなのだが。
「では、ここから脱出しましょうか」
グリーフの言葉に僕と竹内が頷き、隔離空間が生み出される。その中に入り――ここから、抜け出した。
「グリーフさん」
脱出した後、僕は彼女に一つ聞いてみることにした。何をって言われたら、このペンダントのことしかない。僕には分からないことも、この人なら分かる。だから、それとレイジの言葉と照らし合わせるために。
……正直に言ってしまえば、レイジの言葉の全てを否定して欲しかっただけなのかもしれない。だって、そっちの方が単純で、分かりやすい。
しかし、グリーフは期待とは別の言葉を返してきた。
「この中にエルリア・アヤクスィダントの存在は全く感じませんね。貴方と再会したのは最近なので過去のことは知りませんが――しかし、それは、確かにエルリア・アヤクスィダントが造ったものですよ」
これがルリさんの作った物である。
グリーフがそう言うのであれば、もう間違いでも嘘でもないのだろう。認めよう、これはルリさんが僕に掛けてくれた白銀のペンダントだ。
だがそうなると、どうしてレイジはこれを僕に渡したんだ。何が目的で、再び僕にこれを握らせようとしたのかが、分からない。何か裏があるはずだ。考えろ。
「……そうですか。ありがとうございます」
残念ながら、グリーフからの言葉を貰ったところで、答えは何も生まれなかった。僕の中に発生した疑問が払拭されることはなく、残り続けた。
だから今は、こう思うことにしよう。今はただ、彼女が遺してくれた物が返ってきたことをただ純粋に喜ぶことにしよう、と。無理はあったけど、嬉しいのは確かなのだから。
そう思うことにして、僕はグリーフにお礼を言った。
「では、次はどうしましょうか。このまま二つ目に行くのもいいですが、少しレイジのことが気に掛かりますね」
「ああ、そのことなんですが……」
僕は、レイジが言っていた言葉をそのまま復唱する。
「レイジが去り際に、“妾の準備はそろそろ完了する。そうなれば、まずは貴様らから終いにしてやろう”と言っていたんですが、準備ってのは一体なんでしょう」
「……そんなことを、レイジが言ったのですか」
グリーフは口元に手を当ててしばらく考え、それならばと指を一本立てた。
「先に、都市レイジにお邪魔しましょう。あまり考えたくはありませんが、このタイミングでそのようなことを言ったのであれば、十中八九【デスパイア】に関係することなのでしょう。誘われていると言ってもいいですが、そう思わせるための罠の可能性も考えられます。なので行かないという選択肢はないですね」
「ええ、そうしましょう」
「……なるほどな、了解した」
レイジの言葉。その準備が【デスパイア】を手中に収めることであれば、どうやっても阻止するしかない。これがレイジの誘いだとしても、だ。このまま魔法陣を壊しに向かっても僕らの動向はレイジには筒抜けなようなものだし、今度こそ奇襲を掛けられて全滅、ということもなくはない。
どう動いたところで、レイジはあの悪辣な笑みを湛えて僕らのところにやってくる。ならばこっちから接触してやろうじゃないかってことだ。
「私は少しだけ疲れました。休んでから向かいましょう」
「おう」
「分かりました」
隔離空間に腰を下ろした僕は、大の字に倒れ込む。そんな無様な仰向けを晒して、レイジと戦った際の疲労を回復させることにした。
その際に横目でグリーフを見やり、物想いに耽っている彼女を少しの間だけ眺める。
――グリーフにも、もう時間は残されていないんだろう。メリーさんのように心がずたずたに切り裂かれて穢れてしまって、魂はあまり長くはもってくれない。後数年。それが、彼女達の命。
未だにエステの言ったことを全ては理解していないが、メリーさんの心を覗いた僕にはなんとなく分かる。
……じゃあ、同じようにレイジも、限界なんだな。だからこうやって行動を起こしている。そう考えると、少し納得がいった気がした。いずれにせよ、早く終わらせてやるしかない。僕がさっさとルリさんを見つけて、彼女を止めてやればそれで全てが終わるのだ。
ペンダントに右手を置き、僕は目を閉じる。
一体貴女は、どこで何をやっているんですか。どこにいるんですか?
白銀に輝くペンダントは、何も語らない。
僕はその格好のまま、眠りに落ちた。




