七十五話 招かれざる者は
北の大陸に到着して早々にお目に掛かったのは、どこまでも続く大雪原だった。白銀に塗り潰された景色がどこまでも広がっており、勿論寒い。
グリーフの作った空間内に居るからこそ気温に左右されることはないが……。
「さて、今日はこの辺りで休みましょうか」
快適空間に腰を下ろしグリーフも竹内も寛ぎ始める。
なんだこの万能な能力……改めて考えてみると中々にチートだった。近距離の空間転移が可能な上に二十四時間展開が可能で外の気温にも左右されない。オマケにグリーフが設定さえすれば中から外の状況を確認することができる。
物がないことから、この空間に物などは置いていけないようだが……。
「二人ともご飯食べます? 少しだけ持ってきてはいるんですけど」
「ああ、貰おう」
「私は遠慮しておきます」
グリーフは食べないのか。まあ保存食だし美味しくないから、要らないなら要らないでいいのだろう。
袋から一食分を竹内にだけ渡し、自分の分も取り出す。
「それで、僕と僕の実力を測るってのはどういった感じにやるんです? 戦うのは分かりますが」
「ああ、単純だよ。俺とお前で手合わせして、どちらかが降参するまで続ける。勿論、全力じゃないぞ。俺もお前も全力で戦ったら肉体の負担が激しいだろうからな」
「ええ、了解です」
尤も、今の僕は何故か禁術を使えないために全力は出せないのだが。
彼はそうではないのだろう。
今はスーツで隠れているが、その右腕の肘間接に嵌め込まれている碧く輝く宝石。あれに秘密があったりなかったり。
グリーフはどのような形で竹内に力を渡しているのだろうね。
「じゃあこれ食べ終わったら早速やりましょうか。僕も竹内さんの実力は見ておきたいですし」
「見て拍子抜けすんなよ」
「いえ、しませんよ」
干し肉を噛み切り、僕は彼へそう言葉を返した。
「うっし、準備出来たぞ」
それから少しして、食べ終えた竹内は上着を脱ぎ捨ててシャツ一枚になった。
それにしてもスーツか。今の世でそんな服を着ているのは竹内只一人だろう。こうした目で見るとスーツってのは中々に奇抜だ。
僕の服装なんかはこう、動きやすく作られた旅人の服みたいなもんだし。
「僕も大丈夫です。それじゃ、食後の運動でもしますかね」
竹内に倣って僕も上着を脱ぎ、準備体操をして身体を柔らかくしておく。
このままでは片足が不自由なので、雷を通して準備は完了。
随分と慣れたもんだ。
「お前があの暗殺者の子を倒していたのはこの目で確認している。――それなりには、行かせて貰う」
「見てたんですか。それじゃあ僕も、それなりで」
先手は僕。大量の雷を脚部へ流し、ありったけの雷を流す。
地面を蹴ればその雷は弾けて機動力をもたらし、一瞬の内に竹内へ迫る速さとなる。
感覚の鋭敏化はしない、あれは“それなり”の範疇を大きく越えた代物。使うのは通常時の力のみだ。
「――予想はしていた」
竹内の動きが、微妙にずれた。僕が打ち放った拳の範囲から外れ。しかし残像を残したその動きは幾つもの彼を生み出し、最終的に拳が空を突いた。
「じゃあ、もう少し」
速く。
攻撃の流れを使い、身体を回転させての裏拳である。しかしそれも寸前で避けられ、今度は竹内からの反撃も付いてきた。
屈んだ状態からの掌底、突き出した右手に青の残留があることから、当たってはいけないと判断した。
グリーフから借りている力だ。使用者が本人でなくて完全でないにしても、警戒しない理由にはならない。
現に僕は、“悲哀”がこのような動きをするところを見たことはない。
――ないが。
僕は目を閉じた。感知方法を漂う電気に任せ、回転と跳躍の合わせで掌底を掠らせることに成功した。
たったそれだけで脇腹が抉れたが、全く問題ない。
何故なら竹内の技は視覚に働き掛ける能力だから。目を閉じた僕にはその回避は行えない。
そして、もう当たらない。
そもそも接近して危険が伴うなら、その距離では戦わない。
宙に浮いた身体、両の五指に雷撃を準備する。そしてそれらを広げて交差させ、真上から十本もの雷撃を御見舞いした。
檻のように竹内を取り囲み、だが最後の一手を加えず――中断する。
「まあ、こんなところですかね」
彼から少し離れたところに着地し、戦闘の終了を伝える。
いや、何。人を殺すつもりでやる戦いでもないだろうし、やろうとしたところであれ以上の攻撃はグリーフに止められたに違いない。
にしても、疲れた。神経使う戦いを二度もすると、流石に疲労が溜まる。
「ああ、充分だ」
竹内は両手を上げてそう言った。降参、か。けどまあ、彼が本気を出していたら脇腹の一撃で終わりだったかもしれないけど。
ともあれ僕の実力測定は終了。どうやらもう充分だそうだ。
「ちなみにどうでしょう。僕の力はグリーフさんに通用するでしょうか?」
「言われて気付く性質か?」
「しないでしょうね。分かっていますよ、冗談です」
二人の方までゆっくりと歩いて近付き、脱力する。さて、予定を聞かねば。
「これからどうするんです? この大陸にはレイジの禁術龍が封印される都市があるそうですが」
メリーさんのように、【デスパイア】が眠っている可能性がある。レイジが奪いに向かってさえいなければ、だが。
「ええ、ありますね。レイジの反応を感じますが……律樹さんが向かいたいと言うのであれば、行きましょうか?」
レイジがいる。
この距離じゃレイジの存在を感知することはできなかったが、そこは本場との違いか。
「レイジはまだ禁術龍を手にしてはいないんですよね?」
「ええ。尤も、彼女が【デスパイア】を手中に収めるのは不可能に近いでしょう。あまり心配はいらないかと」
「ん、何故ですか?」
「レイジやグリーフ、エクサルの三大都市を創造したのはアヤクスィダントですよ。その中心部に核として封印されてしまった龍は、自分では取りに行けないのですよ」
グリーフはそのことを僕が知らないとは思っていなかったのか、不思議そうに首を傾げた後に説明してくれた。
そうだったのか、全然知らなかった。
「ああ、だからエクサルは僕に核を取らせようと思ったんですね」
「はい。加えて補足すれば、私達と同じ禁術を手にする律樹さんも、洋助も近寄れませんよ」
つまりルリさんが弾く対象は、自身と三姫の禁術そのもの、か。なるほど。
記憶と力の封印に加え、使役する龍まで封印した。ちょっとやそっとじゃ突破できないのにも頷ける。
「かといって無闇に一般人をけしかければ、無意識的に核を護るように操作された集団に返り討ち。そもそもレイジに仲間がいるとは思えませんけどね」
その集団が『ワイル=ルーリア』ってわけね。じゃああの場にエステがいなければ、返り討ちに遭っていた可能性も大だったのか。
「そりゃ僕も思いますよ。仮に居たとすればそいつはよっぽど変わった人間でしょうし」
あの性格で仲間を得られるかと言われれば、とてもそうは思えない。
「ってか、それだとグリーフさんは【アスピレイ】を手にしていないんですか?」
「はい」
彼女は、短く一言でそう答える。
ってことは、未だ力を手にしているのはエクサルだけ、か。
「なので、あまり私に戦力的な期待はしないで下さいね。添えるか分かりません」
「……いやそれでも一番強いのは貴女なんですけどね? 頼りにしていますよ」
「うふふ、そうですねぇ。それでは頼られましょう」
薄く笑みを引き、グリーフは「じゃあ」と次の言葉を放つ。
「障害になる前に、レイジを潰しておきますか?」
「うわ、言うことがえげつない」
「ではご退場願いましょうか?」
どっちも変わらないのではと思ったが、それが定石なのか?
一番大事な局面で立ちはだかるであろうメリーさん。更にレイジまで現れたら洒落にならない。
……が。
「いえ、止めておきましょう」
レイジと僕らが戦って、もし僕らが負けたらどうするのか。この中の誰かが欠けたらどうするのか。
一番不安なのは、決着が付かない可能性だ。とにかくメリットよりもデメリットか多いのは確実で、下手にレイジを刺激するのは良くないだろう。
リスキーなのは勿論だし、僕はそのようなやり方はしたいとは思わない。
「分かりました」
グリーフはまるで僕の結論が分かっていたかのように、静かに頷いた。
となると、やるべきは魔方陣の破壊である。数もそんなに多くないそうで、この大陸に遺された魔方陣は三つだそうだ。
ひとまずはこれらを破壊して回り、またルリさんの手懸かり探しに奔走することになる。
キルトナの捜索はオマケ程度ということにしたので当然後回しだ。……彼に関してはほぼ覚えていないから、捜しようがないってのが本音だけど。
結果的に僕が二人の付き添いになっているが、それで充分。
「一番近い場所へ行きましょう」
グリーフが言い、竹内は「ああ」と相槌を打ち、僕も二つ返事をする。
隔離空間を利用しての瞬間移動――原理は不明なのだが――で、僕らはその場所へと移動した。
次に隔離空間から出ると、そこは暗闇だった。グリーフが何らかの能力を行使して明かりを灯すと、ここがどこだか判明した。
「地下か洞窟、ですか」
その半ばのぽっかり空いた空間。そこには地面、壁、中空に至るまで白銀に光る線がびっしりと刻まれ、鈍く光っている。これが魔方陣……以前にルリさんが禁術を行使する最に見せていた半透明の魔方陣と、似たようなものだ。
あれより複雑な代物ではあるが……これが神隠しの元、か。
「これの破壊には少々時間を要します。なので、お二人はここから離れていて下さい」
「了解。鈴峰、向こうへ退避するぞ。この場に居てもグリーフの邪魔になるだけだ」
「あ、はい、分かりました」
悲哀が表出されるや否や、僕と竹内は逃げるようにそこから離脱する。
魔方陣を破壊するには膨大なエネルギーが必要なのだろう。
その他にも特殊な技術があったりするかもしれないし、確かにここは僕の出る幕ではないな。
下手なことをすると逆効果になりかねないのだし。
なので、ここの破壊は全面的にグリーフへと任せることに。
僕と竹内は、魔方陣の敷かれていた位置から少し離れたところで待機していた。
ここからではグリーフの様子を窺うこともできないが、まぁ心配は要らないか。
「なぁ鈴峰」
ごつごつとした岩壁に背を預けて待っていると、竹内は神妙な面持ちをして僕を呼んだ。
「何ですか」
「正直、俺はあまり実感が湧かないんだよな」
「今更どうしたんですか、竹内さん。感傷に浸るような時間じゃないですよ」
「知ってるわ馬鹿野郎」
まあ聞けよ、と彼は言葉を続けた。
「俺は……こっちの世界に来てから、六年か七年は経ってんだ」
「僕の三倍以上ですね」
「そうだ」
僕は約二年。この時間を長いか短いかで聞かれたら、僕は短いと答えるのだろう。
「俺はお前みたいにハードなことはしていないが、それなりに事件はあったんだぜ」
事件、ね。そりゃ誰にだって必ず何かは起きているに決まってる。異世界に飛ばされたんだ、何かしらはあって然るべきだろう。
僕が今まで出会ってきた人間も、その例に洩れることはなかったのだから。
「グリーフと出逢ったのは割りと最初の方。真相を教えて貰ったのも最初の方。んでなし崩し的に教師やって、やってる内、教え子に同じ日本人が来やがった」
ああ。
その教え子は奇しくも僕の初恋だった人。奇しくもルリさんに肉体を渡していた、憐華さんだ。
そんな奇跡もあるものだ、あんまり嬉しくはないけれど。
「そん時俺は、単純に嬉しかったのかもな。教師としてはやってはいけないが、贔屓はしていたからな」
「別に誰も気にしませんよ、同郷の人なら気に掛けて当然じゃないですか」
「そうかもしれんな……」
あの教育機関は必須じゃない。受ければ最低限の知識を身に付け、後はどうでもいい雑学を覚え続けるだけだ。
卒業式もない。終わればそこで終わり。そんなところで贔屓など意味すら為さないだろ。
「って、いいんだよそんなことは……」
「要は憐華さんがルリさんに連れ去られて、僕が現れ、そんなこんなで数年。経ちはしましたが、ここで確かに生きている自分が実感出来ない、ってことですよね」
「あ? ああ……そういうことだ」
僕だって、実感など出来てやいないさ。
ルリさんと出逢って、それこそなし崩し的に学校に通い、メリーさんに半殺しに遭ったあの日。【ローンギング】を回収しに向かったり、ルリさんのことを知ったり。がむしゃらに力だけを求めた結果、記憶を封印されなければ生存できないところまで魂を損傷してしまったり。
まるで、夢物語。そんな体験談、誰が信じるのかってくらいぶっ飛んだ人生だった。
でも。僕は今、こうして生きている。その今をもふわふわとした夢物語と言いたくはない。
僕が無力であることには変わりがないけれど。何も知らなかった無知の自分じゃないはずだ。
「……お前がこの世界に来ちまった理由が分かるってもんだな」
「あれ、無差別に転移されるんじゃないんですか?」
「無差別だよ。だがお前が来たのは俺が“地球に細工を施した”後だ」
「ああ、『パラノイア』ですか」
「そう。その噂話は、知っているだけで効力を発揮する――はずだった。だがお前はそれを破ってまでこっちに来た。よっぽど今までの生活にうんざりしていたに違いねぇな」
「もう覚えていないですよ。別にうんざりしていたわけじゃあ、なかったと思うんですがね」
どうだかなと竹内が言うので、僕は適当な相槌を打っておくことにした。
この世界に来た理由、か。
――今考えると、それが必然だったのかもしれない。ピースが揃い過ぎている。面白いほど、完璧に。
まあ必然は偶然とも言うのだし、きっとそれも偶然の産物に過ぎないのだろうけど。
「……数奇なもんだ、お前の存在ってのは」
「そんな、人を天然記念物みたいに」
言われても仕方ないか。
その考えは、全ての事情を知る竹内洋助だからこそ得たものだから――。
「――呑気なもんじゃな」
そんな。和気あいあいとした昔話に花を咲かせる時間は、その一言で消滅させられた。
怜悧な声調。落ち着き過ぎたその台詞からは節々に妖艶さが醸し出され、眉をひそめる僕は声が反響する方へと首を傾ける。
こっ、こっ、と。一定のリズムで刻まれる足音。次第、暗闇から現れた真っ赤な憤怒を視認して、僕も竹内も距離を取った。
「久し振りじゃのう、鈴峰律樹よ」
何故、こいつがこんなところにいる。
暗闇から出てきたのは、原色の赤をぶち撒けたような衣類を纏い、恐ろしい色香と憤怒を漂わす女――三姫、レイジだった。
「どうしてこの位置が……?」
僕は奥歯を噛み締め、雷を身に纏わせる。隣の竹内も同じように悲哀を発動させて警戒している。
ぴりぴりと大気が揺れる狭っ苦しい洞穴の中で。レイジは含み笑いを浮かべ、余裕そうな面持ちで毒を吐く。
「挨拶も無し、か。たわけめ」
「……招かざる者にする挨拶は、ありませんね」
今吐ける精一杯の毒を吐き返すと、レイジは嘲笑うような目で僕を見た。僕はこの目も、喋り方も、好きではない。この前のような、ただ嫌いだという感情は持っていないにせよ――。
「ほう。それもそうじゃな、では招かれなかった妾はここで去るとしよう……ああ、そうじゃった」
わざとらしく。まるで今ふと思い出したかのうように手を叩き、レイジは懐に手を突っ込んだ。じゃらり、と取り出されたそれを目に入れた瞬間、僕は固まる。
「貴様に渡してやろうと思って持ってきたものじゃが……妾と目を合わせるのも嫌で、すぐにでもここから去って欲しいのじゃろう? ならば致し方あるまい、これを渡す時間も無いようで――ああ口惜しいのう、残念で仕方ない」
「……それ、は」
右手に摘まれてぶら下がった、それは。
「では、大人しく退散するとしようかのう」
僕がかつて身に付け、アリシーに渡した――。
白銀のペンダントだった。




