六話 狂喜の姫
結果から言えば、僕が寮に帰ることはなかった。
――もっと正確に伝えるのならば、自分の“号室の前”までは辿り着けたのだが。
着いたという表現も些かおかしいのかもしれないけど、半分は合っているのでよしとしよう。
では何が起こったのかを短い回想をしながら追っていこうか。
学校をフケた僕はそのまま直帰することに。家までは勿論徒歩で帰ったが、道中で迷ってしまった他には異常なし。
つつがなく寮まで到着し、八時頃にルリさん宅へ向かおうかなぁ、などと考えながら号室の前に人影を発見――、
現れた。
その名もアウレルキッド・メリー。忘却の幼女だった。
回想終わり。
「うふ、うふふふふ。ここで会ったが当日目、貴方の家に上がるの」
似合わない仁王立ちで両手を腰に当てた幼女が、現在進行形で意味の分からないことを告げている。
ここで会ったが……って、僕の家だよ。
てか当日目って、アレは年単位計算から来るライバルとの再会の言葉じゃなかったのかな。
「何か用ですか?」
鼻白んだ僕は頬を人差し指で掻き、冷淡に答える。
「女の子が男の子の家に上がるといったら、一つしか」
「何もないですよ?」
要らないことを吐き出そうとしていたので一蹴し、そのまま無視して扉を開けようとドアノブに手を掛けたところで、あることに気付いた。
「そう言えば、どうやって僕の家を知ったんですか?」
見落としていたが、どうして僕の部屋を知っていたんだ。
ストーカーをするにしたって、僕は家に着いてすらいない。だから、彼女が部屋の前で待ち伏せしているのは物理的に有り得ない。
事前に知るにしても、部屋を借りたのが昨日なのだ。一体。
「私だよ、あの学校を運営してるの。どうやってもなにも、知らないわけないの」
「……?」
意味不明だった。
彼女の言葉を反芻し、苦笑を口元に浮かべた僕は引き気味に応対する。
「嘘吐かないでください。メリーさんは生徒じゃないですか」
「生徒が学校を動かしていて何かおかしなこと、ある?」
ドヤ顔だった。真っ赤な髪をかきあげた彼女は紫紺の瞳を輝かせて「私がアヤクスィダント学園を動かしている張本人だ」とか言っている。
痛い子だ。物理的にも精神的にも痛々しい子だ。
まぁ、この際それはいい。それならそれでいいし、確かに学校運営しているともなれば昨日の時点で僕の存在を知っていても不思議ではない。
問題はそこじゃなく、どんな理由でここに来たのか、だ。
「では学園を運営しているような連中のトップが、どうして僕に?」
「楽しみだったの」
「え?」
意味が分からなかった。セラさんの言っていたことが僕の頭で反響していたが、つまりはどうなんだ。
彼女は期待だのなんだの言って、僕を納得させようとしていたみたいだが……。
「もしかして、僕に何らかの期待をしていたとか?」
言ってから、自分が恥ずかしい言葉を放ってしまったことに気付く。
痛い子だ。これ自分で言っちゃうとただの自意識過剰だ。
「違うよ。驚きさえしたけれど、期待していたわけじゃないの」
……じゃあ何だろう。とりあえずセラさんは殴るけど、僕に接触してくる意味が分からない。
さっきの謝罪をしてくれるなら大歓迎だけど。
「貴方から――“災厄”の臭いがした」
彼女が見せていた雰囲気、一変した。漂わせていた和やかな雰囲気が鬼気に変じ、全身が総毛立つ。
さっきまでのドヤ顔も、子供らしい雰囲気も何もあったものではない。
まるで違う人物と相対しているような気さえして、僕は冷や汗を流した。
「それは、どういった意味ですか?」
怒っているのかどうかすら定かではないにしろ、彼女が発する得体の知れない恐怖がこちらに向けられているのは事実だ。
災厄とは、どういうことだ。
「ううん。意味なんてない。強いて意味付けするともなれば、――それは、私の“忌み”に関係するのかな、あは、あははは」
彼女は笑いながらナイフを一本取り出し、切っ先を僕に突きつけた。
「もしも私が、“災厄”であるかもしれない貴方を今から殺すと言ったら、どうするの?」
「あのですね、災厄ってのが分からないので、まず何か教えてくれるとありがたいんですけど……」
翻訳どうした。機能しないってことはそのままの意味での災厄ではないのだろうけど、じゃあなんなんだ。
ナイフで刺されるなんざお断りだ。今度こそ洒落にならん。
そして敵意ないよとかのたまっていたセラさんは表出てこい。
「ふぅん。だったら貴方は“災厄”ではないのかもしれないね。でも、私には関係ない。例えば今から自分が殺されるかもしれない状況で、目の前の相手が自分のことを殺すかもしれないのだとしたら、どうする? 私なら殺しちゃう。殺られるよりも前に、ヤって、犯って、殺って――終わり。貴方もそうでしょう?」
全く話が通じなかった。
しかし分かったことはある。それは、目の前の彼女が僕を外敵と見なし、今にも殺そうと迫って来ている――ってことだ。
「そりゃいくら何でも唐突すぎやしませんかね。全く身に覚えがないので、もう少し話し合う時間を頂ければと思うのですが」
「んむっ。貴方はそうじゃないって言えるの?」
「違います。僕は災厄ではありません」
あくまでも災厄の意味を教えない、というわけか。
……マジでどうしよう。会話だけで死の危険が回避できる気がしない。
悩んだ挙句、僕は口を開いた。
「僕がメリーさんを殺すかもしれない? そう言いましたよね」
「うん」
「じゃあそれはないですね」
このまま自分の身の安全は掴めない。だったら、することは一つしかないだろう。
「僕は、平和主義者なんですよ。人を殺すのは愚か、動物さえも殺しません。殺すのは精々、害虫だけです」
戦略的撤退だ。時間稼ぎだけして、上手く逃げる隙を作らねば。
「他人が奪った命を食べることはありますが、僕は手を下しません、動かしません。自分では何もしていない汚い人間なんですよ。ですから、僕は貴女を殺そうとは考えない――僕は今、こう考えています」
さあ、聞いて来い。
「うん? じゃあ何を考えているの、教えて?」
来た。
「メリーさん。まだ気付いていないんですか?」
とっておきの一言を、メリーさんに叩き付けた。
「……む?」
眉間に皺を寄せた彼女は身構える。
僕は彼女を指差し、戯言を放つ。
「僕は殺さないとは言いましたが、“殺そうとしない”とは言っていないんですよ」
そう。もっともらしい台詞を並べ立て、相手を騙して信じ込ませて逃走の時間を謀るのだ。
「貴女は僕を殺すんですよね? 僕は殺されたくない。でも殺されるつもりは毛頭ない。ですから――」
こんなことはしたこともないけれど、僕を敵と見なす彼女であればそれなりにハッタリが効くに違いない。
「貴女の背後に仕掛させていただきました」
なまじ殺気も気配もないハッタリだが、だからこそ彼女は僕の言葉を真正面から
受け取るしかない。何もしていないからこそ、これから何が起こるのか分からないのだから。
わざとらしく、僕は憎たらしい笑みを浮かべて――言った。
「――閉じ込めろ!」
僕の雄叫びに反応して、彼女は後ろへ、身体ごと振り返る。
同時に振り切ったナイフが、虚空を切り裂いた。
僕が視界に入れたのは、そこまで。
タッ、と短く刻まれたコンクリートを叩く足音。
何も起きやしない、起きるわけがない。
勝手に警戒して勝手に危惧して後ろを向いたのは彼女だ、ざまあみろってんだ馬鹿。
まあ、でも。同じ相手に対して使えるのは“一回”だけ。二度目はハッタリだと見抜かれてしまう。
だから、逃げるのはこれがラストチャンスだ。
当然と言えば当然だけど。このたった“一瞬しか作れない隙”の内に逃げ切られなければまず助からない。ナイフで刺されて昇天だ。
今、僕が居る階は七階。階段はすぐそこにある、ダッシュで降りれば自分の一回り以上小さい彼女の追跡なんて余裕で撒けるだろう。
――なんて、事が上手く運ぶわけもなく。
僕が廊下を曲がり、階段の一段目に差し掛かったところで――。
「――エクサル!」
怒り切った、それでいて楽しそうな――。
狂喜にまみれた叫びが、轟いた。
あ、マズイ。
直感的にそう思った。
メリーさんの姿は見えないが、彼女の“それ”はハッタリの類いではない。
僕の嘘がバレたかバレてないかは別にして、メリーさんからしてみれば相当な屈辱を覚えたはずだ。
だからって立ち止まれない、走らなければ――。
「え」
次の瞬間。僕の下っていた階段が、七階の廊下ごとまるまる吹き飛んだ。
見えぬ爆風に弾き飛ばされた僕は、大量の瓦礫と共に呆気なく落下していた。
今のところメリーさんが襲ってくる気配はないが、六階の地面に頭部から叩き付けられ、僕は力なく横たわっていた。
一応腕でガードはしたが如何ほどの効果があったのか。全身が痛みに痺れて自由が効かない。
「あ……ああ」
這いずって逃走を試みるが、そもそも階下への階段は見事に瓦礫に塞がれ、廊下への道も同じように忌々しい瓦礫に塞がれて、とてもじゃないが抜けられなかった。
かといって僕に六階から飛び降りて生還する能力も魔法もないし、それ以前に肉体が危ない。
頭から血が流れているのもそうだが、どうやら内臓を激しく打ったみたいだ。気分も悪いし、意識も半分あるかないか。しかも瓦礫が身体中に刺さっているし。
口から血反吐が出るって相当なダメージなんだろうか、分からない。
「んふふっ」
ふふふふふふ。奇怪な笑い声が上から響いて、耳へ突入していく。
メリーさんだ。
この畜生が、僕が何をしたと言うんだ。
腐れ幼女は僕を“災厄”だと言うが、そもそも災厄ってのは何だ。
意味不明なことに、彼女は空中を悠々と浮游しつつ僕の元へ降りてくる。恐ろしい笑い声はそのままに、純粋無垢の笑顔は僕を見据える。
のそり、彼女の小さい手の平が僕の首筋を這った。
「死ぬ?」
両手が添えられ、そこで初めて凶悪な力で首を締め上げられた。
「ぁ……!」
息が止まり、顔が熱くなる。吐き気と苦しさが脳を駆け巡る中、狂喜に満ちたい声が空間を支配する。
「ねぇ、鈴峰律樹君。早く本気を出してみてよ、そうしないと死んじゃうよ? ねえ、ねえ、どうしたの、そんなに真っ青な顔をして」
どうやら僕は、選択を間違えたらしい。
「そんなの面白くないよ。ほんとは戦えるでしょ? ほら。やってみせて、ほら」
彼女は化け物だ。
そして彼女はまだ僕が“力”を持っていると本気で信じてる。本気で信じてるからこそ、彼女は力を温存しながら僕をいたぶっている。
いっそ一撃で葬ってくれればありがたいが、それだけに性質が悪い。
本気があるのなら出してやりたいが、生憎僕そんなものはないのだ。
これが本気、これ以上は存在しない。
しかも、首を絞められているお陰で言葉を口に出すことすら叶わない。
絶対絶命。
もう駄目だ――と、諦めかけた時だった。
「エクサル」
今度は淡々と、感情のない無機質な声が静かに囁かれる。
「……ガハッ――ケホッ、ゲハ……」
するとどうしてだろう、先程まで馬鹿力を発揮していた幼女の手の怪力が、収まったのだ。
どさりと瓦礫に落下し、喉に溜まっていた血液を吐き出す。
開かれた気管に酸素を送り込んだ僕は、酷く咳込んで呼吸を整えた。
「気持ち良くない」
彼女から発されていた異質な何かが止み、静寂が辺りを包む。
「ねえ、もしかして鈴峰律樹君は、嘘を吐いたの?」
メリーさんが冷徹なまでの無表情で僕を見据える。
ある意味恐ろしい、静かな怒りの合図だ。
「嘘……とは?」
「貴方に戦う力はないの。殺そうとも、してこない。できない」
呼吸は回復した。だが状況は少しも好転していない。
今の彼女に“異能”は顕れていないみたいだが、次“エクサル”とかいう単語を叫ばれたら恐らく――それだけはご勘弁願いたい。
どうする? と、考えて出てくる選択肢は最早浮かばない。
することは一つ、僕にできるのはただ――。
「すいませんでしたぁ!」
無様に頭を地面に擦り付けて、渾身の土下座で謝罪することだけだった。
いや、しょうがないじゃない。どうしようもできないんだから。
ただ全面降伏している姿を見たら、もう僕に反撃の余地がないことくらいは察知してくれるはずだ。わざわざ力を収めたくらいだし、止めを刺されないことに賭けよう。
「……えっ」
少しの間、空白があり。
僕が顔を上げてみると、引き攣った表情のアウレルキッド・メリーがそこにいた。
完全に目が引いている。
待て、まてまて。渾身の土下座だぞ。なんでドン引きされてるんだ僕は。
まあ状況だけ見てみれば、僕が幼女に向かって土下座して死に物狂いで頭を瓦礫に打ち付けているんだ、だから第三者が見たらドン引きするのは分かるよ。
でもメリーさんは当事者なのに。
血反吐を吐いた僕は、視線を下に戻さざるを得なかった。意識が朦朧とする。
「……え、きも……きもいのはいいとしても、ほんとに、嘘……なの? 何もしてこないの?」
色々な意味で僕の心は折られそうだった。
というか実に予想外の反応だった。
きもい……って。
自分でもこの構図は気持ち悪いなとは思ったが、改めて他人に言われると実感させられる。
キモいな。もういいよ、キモくていい。
助かりたい。今は、それだけ。
「そうですよ、嘘です。僕には力なんかこれっぽっちもありません。ただメリーさんが現れて僕を殺すっていうんですから、ただ必死だっただけです」
喋るだけでも血が溜まり、口から少量の赤が溢れる。どこかの内臓がやられていた。
しかし止まらない、ここで言葉を紡がないわけにはいかないのだ。僕は会話をすることしかできないのだから――。
「もういいよ」
だが、止められた。殴られて止められたのでもないし、首根っ子を掴まれて再び息を止められたのでもない。
静謐な一言で一蹴した後、彼女は無言で僕に歩み寄る。
「貴方は何の力も持っていない。でも私は貴方から力を感じたの。でも虐めてみて分かった、貴方にそんなのない。どうして?」
どうして?
そんなのは僕が一番聞きたいことだ。
もっと言えば、朝っぱらから殺意を振りまいていた彼女の心境から洗いざらい吐いて欲しいもんだ。
「どうして僕が、“災厄”と呼ばれたのかは分かりません。きっと何かの勘違いでしょうし、もしかしたら僕に容姿や態度が似ていたってだけかもしれない。どうしてと訊かれても、残念ですが……僕は、答えを持ち合わせていません」
メリーさんは黙り、神妙な面持ちで僕を眺めている。
どうやら言い返してはこないみたいだ。メリーさんもこれで諦めてくれれば一番なのだが。
「残念ですが、災厄でない以上、メリーさんの力にはなれません」
ここで無理が祟ったか、今まででよりも多いの血を口から吐いた僕は、今度こそ倒れる。
限界だ。
まあ、そうだな。
次に目が覚める時には、僕が生きていることを、祈ろう。
そうしたら、ルリさんに会いに行かなきゃな。
「うふ、わかった。私の力になれなかったと言うのなら……これから力になって貰うよ。うふふ、ふふふふ」
混濁した意識下で、彼女の言葉は僕の耳にしっかりと届いてしまった。
え?
けれども返答する気力は残っておらず。
僕は、そのまま意識を投げ出した。