六十話 地下殲滅作戦③
高電圧の一撃を闇の障壁に阻まれ、僕は小さく舌打ちをした。レイジの時に喰わせた魂よりも少ないのもあるが、それでも瞬時に対応するのは難しい速度と威力だったはずだ。
にたにたと気色の悪い笑みを浮かべる灰色は、ただ一言こう呟いた。
「もっと」
「何がもっとだ、クソが」
心に直接語りかけるような言葉を雷撃で塗り潰す。痛いを通り越して――本当に痛いのかどうかすら理解できないが――感覚の無い両腕に大量の電流を這わせ、力のままに床を殴った。
壁で守るというのなら好きなだけ守っていればいい。この雷は意思ある力、地面を這うのは勿論、これだけ強い電圧を流し込んでいれば空中さえもその支配下だ。全方位からの雷撃をどれだけ防ぎ切れるか、見物だな。
「――」
闇色の障壁はそれを余地してか、前面だけでなくラプスを箱型に守護しようと伸びていく。雷はそれを上回った速さで、ラプスの全身を蹂躙した。一撃当たれば灰色の肉体を焼き、轟音が狭い限定空間を伝って鼓膜を揺さぶる。
「ねえ」
「……だから、それを使うなって、散々言ったはずだがな!」
背後に現れた黒焦げの臭いと“災厄”を感じ取り、感情の昂ぶりをそのまま雷に転じて撃ち放つ。白銀の粒子と共にラプスが消し飛び、
「これは、私の力」
視界の端から伸びた紅蓮の触手が視界を遮った。
鋭い衝撃。重々しい打撃音。
「……が、はっ」
打たれて後方へ吹っ飛ばされたと気付いたのは、血のように赤黒く蠢く触手が遠くに見えてからだった。
内臓を少しやられたか、食道から込み上げた吐き気を口から出すと触手と同じ色をしたどす黒い赤が吐き出される。
別に痛みは感じない。今は限界突破に近い状態だからだろうか。いずれにしてもそこまで長続きはしないのは分かっている。
「気色の悪い。大道芸じゃないんだから、焼け付きの刃を振り翳すのもいい加減にして欲しいね」
地獄そのものとも表現できる大量の触手を背中から顕現させているラプス。その手には力で形作られた黒槍が握られ、白銀と紅蓮の粒子を振り撒いている。
分かりやすい力の見え方だ。いや、それは僕のも同じだが……少なくとも、ルリさんもエクサルもグリーフもレイジも、そこまで力を大っぴらに振舞ったりはしていない。何故なら行動が読まれてしまう危険があるからだ。
威嚇行為に使うのならまだしも、しかしラプスのそれの用途は明らかにその類ではなく。
「あなたの“それ”も同じ」
「一緒にするな」
まだ個々の力を扱い切るだけの容量を持っていないと見た。つまりは慣れていないのだ。
僕の雷は隠すこと自体が不可能な代物だが、ラプスの持つ力はそういうものではない。奴の能力は安易に知られてはいけない類の代物。それを何度も何度も見せ付けられるこっちの身にもなってみろ、手の内を開示した奴などに遅れを取るわけもない。
「ふぅ……」
空間を暴れる雷、その大半を僕の右腕に集約させる。
勿論、彼女が言った通りこちらの手の内は向こう以上に露見している。ルリさんに教わった禁術とサインダを組み合わせただけの戦闘技能など、こいつが相手では分かって当然だ。
だが分かっていても防ぐことは叶わない。
僕の力は、本気さえ出せば一時的にレイジの全力を押さえ込むだけのものなのだから。
最初の雷で相手の盾に使用した力――恐らくラプスだけが取得した固有能力――その防御力は大方把握した。レイジの時とはいかないまでも、あんなものを破壊して奴ごと貫くのは造作もないこと。
「“この一撃に全てを懸ける”」
――変えろ。意思も、意識も、精神も、肉体も、全て力に変えろ。
全部、相手を絶つための剣にして。
右手の先で、僕の雷が凶悪に嗤った気がした。
「消し飛べ」
最大級の雷撃を撃ち出す。途中でラプスが障壁を張る姿を見たが、遅すぎる。
そんなものは、“意味を為さない”のだから。
一直線を駆け抜ける雷は、その守りごと破壊――されなかった。
「そう。“この一撃”ってのはこれだよ、間抜け」
ラプスの張った障壁が雷撃を防いだ瞬間、既に僕は彼女の真横で雷を解放させていた。
右手の雷撃は最初からフェイク。大きな力の元、隠し隠しに溜めたもう一つの“一撃”が、正真正銘僕の“全てを懸けたもの”だ。
ラプスの全身に、最も乱暴で凶暴な一撃が直撃した。
「――あ――」
と。叫ぶ声は爆音に消され、視界は真っ白な光量に埋め尽くされる。
何もかもが希薄になる内、僕は「少しやり過ぎたな」と自嘲した。
「ぁ……」
数分の嵐撃は収束と終息を迎え、静けさと陰鬱な闇に包まれる。
ぱちりと己の肉体から霧散してゆく雷は、まるで命が散る様のよう。
思わず掠れた情けない声が沈黙を揺さぶるが、それもただの一回で終わった。
最後まで立っていたのは、彼女だった。
全身を穿たれ焼かれ、炭と化した身体は動かないけれど。醜悪に地べたに四肢を貼り付けた僕は、漂う四種の禁忌を感じても無のままだった。
「あ、は、はは」
僕よりも言葉として成立すらしない声が鳴り、ぼろ、と崩れて消え去る。炭化した口元は笑った箇所からばきりと割れて剥がれ、ラプスから落ちてゆく。その内腕も、足も。全てが零れ落ちて最後にその頭部が無機質な床に弾けて粉々になった。
ばりん、と隔離空間を隔離空間たらしめていた壁が、割れる音と同時に砕けた。
勝った。
しかし横たわる僕は勝利の実感もなく。
「ごめん、なさい」
謝罪だけを述べた。
もう誰に謝ったのかすら分からない。ただただ、虚しかった。
身体に痛みはなく、代わりに感覚もなく。不明瞭な意識と混濁する記憶が混じり、見える視界が何なのかさえ把握すること叶わない。
抜け殻になった肉体は、動かない。
僕は魂を削り過ぎた。でもそれだけしなければラプスを倒せなかったのだ。それが、僕が持てる全て。
エクサルの言ったことは現実にやってきている。だがこうしなければ、大切な人は助からなかった。
相手が“ラプス”とかいう残滓でさえなければ、禁術にまで手を出す必要は全くなかったのだけれど。流石にそれでは駄目だったよ。
つまり、結局僕はそれまでだったというわけだ。これでは自己犠牲しかしないルリさんを叱ることはできないし……というか僕が叱られてしまう。
「結局、同じ、か」
これでは誰を叱れよう。いいや自分すらも叱れない。呆れて物も言えない。
目には目を。歯には歯を。禁術には禁術を。それでは駄目というのは知っている。けど、それしか方法がなかったのも事実だった。
ルリさんは、この地点から物事を見ていたのだ。
――誰にも任せられない、自分だけの場所から。
「あ、あ、ああ、あああ」
真っ暗な世界。白銀が、心の内に入り込む。暖かい。でも冷たい。
心を侵食される心地を形容し難い感覚と共に享受する。
「――ガ、ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
あるがままに受け入れた瞬間、何かが途絶える音がした。
◇
「……んだよ、こいつは」
ある時を境に、鈴峰律樹と害種が姿を消していた。一刻遅れてそのことに気付いたエステは、ローンギングを収めて辺りを見回す。
両者の気配はなく、静けさだけが地下通路を這う。物音一つ発生しないことに、何らかの力が働いているのだと気付いたエステはともかく身体を動かした。
害種の居た場所、鈴峰律樹が立っていた場所、どこにも消えた形跡はなく、どのような手段を用いたのかさえも確認できない。
「してやられたってのは……そうか」
助けに入られると困るから、鈴峰律樹とエステを早い内から分断した。
相手側から仕掛けてきたともなれば、解決の糸口は見付けられないだろう。
「……ま、俺が居なくても、アイツなら倒すだろ。そんでぶっ倒れたアイツを抱えて無事に戻るのが俺の役目だ。そういうことにしといてやる」
助けに入ると決めた折、直接的に何もできないのはどうかとも思うのだが。
壁際に寄り掛かって、目を閉じた。状況に変化が訪れるまで、こうして感覚を研ぎ澄ましているつもりだった。
「――あ?」
そうもいられなくなったのは、すぐのこと。
「――臭い臭いと思うて来てみれば、どうにも予感は正しかったようじゃな」
「お前は、」
レイジ。
かつての戦場にて相対したエルリア・アヤクスィダントの欠片が、姿を顕した。赤装束と燃え盛る紅の瞳がエステを射抜くと、不敵に笑う。
「このような場面で再会とは中々珍しくはあるが、貴様に用はない。退け」
「俺もお前に用はねぇな。で、誰に用事があると?」
「答える義理も理由もどこにもないようじゃが……貴様であれば教えてやるのも吝かではない。して、聞いたら退くのか?」
「馬鹿言うんじゃねぇな。こう訊くってことは、内容を俺の物差しで量って俺の行動を決めるため以外にありはしない。お前の言葉によっちゃ、退かない場合も当然あるもんだ」
「そうか。では退かなかった場合、妾は貴様を亡き者にするじゃろうな」
レイジが鬱陶しそうに後ろ髪を掻き上げると、腰まで伸びる黒髪が僅かに揺れる。そうしてからつり上げた眼差しは、冷徹なものを孕んでいた。
その害意に呼応するように、紅蓮が彼女を覆う。顕現されたのは圧倒的なまでの力、エステに託された【ローンギング】と同等の、禁忌の力。
「で。誰だ?」
しかし、エステは今更そのような嚇しに狼狽える男でもなかった。
泰然と構えるまま、短く口火を切ること少し。
「安心せい。妾は“ラプス”と名乗る者に会いに来ただけじゃ。鈴峰律樹に危害を加えるつもりはない。尤も、彼奴が彼奴であるならば話は別じゃがな」
失笑したレイジが矛を収めたので、一応の目的も同じであることを理解したエステは鼻白む。
「多少気になるが、まあいい。それならそれで素直に退いてやるとして、もう一つ訊きたい。――ラプスってのは、“何”だ? わざわざお前が出張る辺り、大事なんだろ」
交戦する必要が薄れたことはいいとして、問題なのは鈴峰律樹が戦う相手のことだ。
エステもこの目で見た“アレ”は、どう見ても――眼前のレイジと同種の何か。延いてはグリーフとも、エクサルとも同じようなもの。
「貴様も勘付いておるか。そうじゃ、妾と後の三人が戦いに行使した力の残り香、それが天文学的な確率を叩き出して産み出した思念の集合体。ラプスはそのような存在よ」
「まぁ、んなこったろうと思ったが。なぁお前、そのラプスとやらは」
「知らぬ、じゃが今すぐに殺す気はない。相手の出方を伺い、必要があれば殺す――奴が妾の一部だとしても、それは変わらぬ。そろそろ、退け」
一歩二歩と前に進んだ彼女はエステの横で唐突に立ち止まる。何をしようというのか、何もない空間に手を“食い込ませた”。
「妾の邪魔じゃ」
ばき、と。青白い亀裂が走り、軽快な衝撃音が連鎖し重なった。
目を見張るエステは舌打ちを鳴らす。
空間の隔離。
そんな能力まで使われてしまえば、エステが見破れなかったのも当然である。
舌打ちを鳴らし、まず安全圏へと一歩下がる。怒りよりも呆れの先行した呟きが洩れた。
「道理で分かんねぇわけだ――おい、これは」
粉々に砕ける空間の狭間の先に、映ったもの。そこには力を失って倒れ込む鈴峰律樹の姿と、上部で黒く輝く黒い靄。
吸い込まれるように彼の身体に溶け込む姿が、はっきりと見えていた。
「ほう。何やらまた厄介事に巻き込まれとるようじゃな、鈴峰律樹よ」
レイジは興味深そうな溜め息を吐く。眼前のおぞましい光景に一瞬足の竦んだエステを置き去りにし、意識のない彼の元へ屈み――。
その背から大量の触手が顔を覗かせたのを視認し、危険を感じ取ったエステはローンギングを解放した。
「させねぇぞ、レイジ」
赤の触手が濃霧の如く襲う紫に押し止められ、レイジのこめかみがぴくりと動いた。
「貴様、それはもしやエクサルの」
「だったらどうすんだ。この場で死闘になりたくなきゃ、お前が退け」
左手の爆弾を数個起爆させ、爆風でレイジと鈴峰律樹を引き剥がす。直撃は免れたようで、後方へ退いた彼女は紅の瞳を尖らせた。
「そいつは【ローンギング】か……。ふん、これでは退くしかあるまい。ならば貴様の選択、しばし見届けてやろうぞ」
「何言ってやが――」
すう、と。
言い切る前にレイジの姿が消滅する。まだ聞きたいことはあったのだが、と煮え切らない面持ちで気配の消失を確認したエステは、あっさりと消えたレイジから視線を逸らして動かない鈴峰律樹の姿へ移した。
黒い靄。あれはなんだったのだろうかという疑問も、もう答えは出ない。
「しかしまあ、ラプスとやらの残骸が転がっている。律樹の野郎は宣言通り、勝ちはしたみたいだな」
考えるのはエクサルのところへ戻ってからだ、と倒れたままの彼を背負って、エステは少々苦い顔をした。




