五十七話 策謀廻る水面下で
薄暗闇が何処までも広がる地下通路。申し訳程度の照明は戦いの余波でいくつも破壊され、照らす明かりはほとんど消滅している。
鉄製の床は見渡す限りが深い闇色に浸食され、表面の一つも出てくることがない異質な空間と化していた。
その中。打ち鳴らされる鉄の音が通路に響き、壁を蹴る鈍い音が断続的に発生する。
鋭い銀光が走り、灰色の物体が血飛沫を撒き散らしてどろりとした暗闇を転がっていった。
「むだ」
飛んだのは足だ。綺麗な切り口で大腿部から骨ごと断たれてはあるが、切られた当人は何でもないことのように薄気味悪い笑みを浮かべるのみだった。
「無駄かどうかは、私を倒してから言いなよ」
天井の出っ張りを掴んで宙吊りで構える黒ずくめ――アリシード・ソニアは、切断面から超速再生する足を眺める。
これで部位切断をした回数は二桁になった。しかし相手の調子は変わらず、怯まず、動きの鈍りも窺えない。
左手の握力のみで全身を持ち上げ、斜めに天井を蹴って壁を蹴りながら敵を撹乱する作業へ戻った。
床に着地すると危ない、と考えての行動だったが、その予想が正しいかは足を落としてみなければ分からない。だからこそ、無用心に着地して敵に“殺”られるなど論外である。
しゅうと蒸気の漏れる身体を加速させ、敵の周囲を縦横無尽に駆け巡る。
敵は、これを視線で追っては不可思議な灰での中距離攻撃を放ってくるものの、いずれ追い付かなくなって生まれた隙に短刀は容赦なく襲い来る。
左手から灰の光線を放てば、その右斜め後ろの死角から隙だらけの右腕を肩からばっさり落して離脱する。
以前までのアリシード・ソニアにはそこまでの機動性と実力は備わっていなかったが、片腕を失った後、彼女の力は急速な成長を見せていた。
――身体から発生する蒸気が、それである。
凍竜戦後から、彼女の肉体は寒さに対抗するように“汗をかかない”ことを覚えていた。
体温調節を行わないことによる体温の上昇。彼女は肉体に自らの熱を閉じ込めることにより、発動下においてより高速に動けるようになっていた。
だが欠点も多く、長期の使用は直接死に繋がってしまうことから、普段の戦闘では決して行わなかった技だ。
対抗策としては常に発する蒸気がある程度の余分な熱を飛ばしているが、身体の水分が失われればそれまで。
「再生出来なくなるまで、いくらでも攻撃すればいい。いくら驚異的な回復力を誇っていても、いずれ力尽きるのは確か」
――可能であれば首を切断して司令塔である脳味噌を破壊する。
相手は頭部への攻撃だけには強烈な警戒を見せている。あわよくば、それを壊せば戦闘不能に追い込めるだろう。
それが、アリシード・ソニアの目論見だった。
「私に、限界は、ない。死んで」
敵が呟くと、灰色の瞳が紺碧へと変化する。アリシード・ソニアは、敵も本気を出したのだと理解した。
壁を蹴る内に短剣を順手から逆手に構え、様子見を――。
「しね」
世界が一瞬、停滞した。時間さえも硬直したように身体の自由が効かなくなり、焦る心を押し止めて敵から離れようと後方へ飛ぶ。が、そう後退しない内、見えない壁に阻まれた。
「隔離空間。もう、逃げられない」
確かにそう呟いた敵の頭髪が、漆黒に染まる。一部始終を見届けながら、アリシード・ソニアは床に足をつけないよう空間の壁を蹴って別の壁へ飛んだ。
「しね」
隙が見えない。
敵の身体から大量の赤い奔流が流れ出し、それらが意思持つようにして数十にも及ぶ鞭を形成する。
目を見張ったアリシード・ソニアは、斜めから振り下ろされた一本目を寸でのところで身体を捻り躱す。続く二、三本を短剣で切り裂いた。
「……」
明らかな敵の攻勢変質によって守勢に徹さざるを得なくなった。総数二十三にも渡る赤の鞭が空を裂いて撒かれ、処理に短剣を使えば徐々に刃が鈍るし、避けるにしてもある一定の距離以上は下がれない。
いや、“下がることができない”のだ。先程敵が使った隔離空間の力によって空間に壁が作られ、何もない部分からの後退が許されない状況になっている。
加えて床には得体の知れない液体が広がり、中空には再生を繰り返す鞭が暴れ狂う。
隙などとうに見付けられなくなっていた。
如何に素早いアリシード・ソニアとて本分は一撃必殺離脱の暗殺者。底の見えない相手と渡り合う訓練などされておらず、鈴峰律樹のように大局を覆すような技は会得していない。
けれど。諦めるわけにはいかなかった。
「私は他でもないリッキーに任されたんだよ。だから、ここで貴女は始末する。誰にも手は出させない!」
彼もすぐに都市に帰還してくるはずだ。それまでにこの害種を消して、危険から街を守っておかねばならないのだ。
肉体を最高潮まで昂らせる。体温を限界まで上昇させる。
動きは更に俊敏に、脳が沸騰しそうなほどに熱くなる。
――彼は、鈴峰律樹はもう紛い物の『リッキー』などではない。
そんなことは最初から最後まで理解していた。彼の記憶がいずれ戻るかもしれないことなど。
「また、遠くにいっちゃったね。“律樹”」
そう呼ぶ練習はしていた。既にその名で呼ぶことは可能ではあったが、これまでそうしなかったのは――何故か。
「色々あったけど。それはやっぱり、知っていたからなのかもね」
彼が記憶を無くす前、誰かに好意を寄せていたことを知っていたからか。
彼に好意を寄せてしまったあの日。彼が記憶喪失で良かったと、少しでも思ってしまったからか。
それとも。
「私はリッキーが、好き」
逆手に持つ短剣はぼろぼろになっていたが、ウェインに託された剣は十分に役に経っている。この戦いに勝利した後は綺麗に手入れをしてあげよう。
「たとえ思いが伝わらなくてもいい」
だが今は、リッキーから託されたことを実行するのみ。今求められているのは、外敵を始末し、仲間を守ることだけだ。
人殺しに雑念は必要ない。
「すぅ――……」
動きながら深呼吸。翡翠の瞳を目標に突き刺し、それから気配を絶った。《絶体》は自らの殺意を消し去る技術。そう、いつも通りにやればいい。
ただ相手が死なないというだけで、自分のスタイルを変えて苦戦するのは馬鹿馬鹿しい。
攻撃の手に迷いが生じられるのを見計らい、暗闇を蹴った。無音歩行の応用で壁を蹴り、敵の懐へと着実に近寄る。邪魔する鞭は最小限切り落とし、気付かれれば気配を絶つ。
――喰らえ。
首裏に隙が見えた。そこに二つ目の技、《絶命》を御見舞いする。《絶命》は一撃の元に敵を下す必殺の技術。二つ合わさって《絶体絶命》。その危機から逃れることはできず、気配無しの斬撃は吸い込まれるように狙った位置を正確に切断する。
首はただ切ろうと刃を振るだけでは切ることは叶わない。ましてや長剣や力任せの大剣とは違って短剣だ。相手の筋肉と骨の関節を正確に断つだけの分析力や肉体構造の理解を求められ、何より証拠を遺さないことが肝心だ。
その一撃を。
敵の背後を取った。気付いた様子は欠片もなく、弛緩した全身に緊張と爆発を付加する。まだまだ切れ味の残るウェインの剣は、刹那の内に相手の首を――断った。
「くすっ」
――後ろを振り返る。首と胴体が切り離され落ち行くそれ。その頭はこちらを向き、満面の笑みを晒していた。
まるで首を切られるのを、心待ちにしていたかのような。
嵌められた。
そう気付いたのは、二十三全ての鞭が全方位から向かって来るのを確認した時だった。
別に油断したつもりはない。気を抜いたわけでもない。
ただ最初から相手は“隙”と“弱点”があると思わせ、そこを突いてくる絶好の機会を作ってあげていたのだ。
アリシード・ソニアの行動をあれだけ視認していれば、どこから極め手を放つかの推測は行えるだろう。
つまり、最初から弱点など存在しなかったのだ。
「……しね」
生首が言葉を発し、全ての鞭がアリシード・ソニアを叩き潰した。全身の至る箇所に凶悪な打撃が加わり、暗闇の床に落ちる。
咄嗟に立ち上がろうとするが、床の暗闇がまとわりついて身動きが取れない。
敵の手中に堕ちた。それだけで、アリシード・ソニアの敗北は決定した。
「まだ、だ、から……」
「死んで」
既に首から下を再生させていた敵。自由に動く鞭の数本が重なって巨大な槍を生成した。
それがこちらに狙いを定めたのを見て、彼女は苦笑いを一つ浮かべる。
絶望でも諦めでも悟った表情でもなく、それはただただ悲しそうな笑みだった。
「まだ」
その瞳から、血にまみれた涙が一つ。無情な暗闇に落ちて消滅する。
「邪魔」
「ま――」
赤黒く禍々しく形を為した巨大な槍。それは銀のペンダントごとアリシード・ソニアの胸を、無慈悲に貫いた。
「おしまい」
無。
全てが停滞し止まった世界で、一人満足げに灰色の女は名乗りを上げる。
「ラプス。消滅、それが私。貴女も私と共に。絶望を、希望を、渇望を、悲哀を、狂喜を、憤怒を、この地に、世界に、還元する。全部消える、それこそが定め」
膝立ちで胸を貫かれた彼女は彫像のように固まったまま、動かない。瞳から光は失われ、最後の生を僅かに灯してラプスを見やる。
「……り」
名乗りは彼女の耳に届いたのか、絞り出そうとした言葉は返事だったのか、ラプスは彼女に手を差し伸べようと――。
砕けた銀のペンダントが、アリシード・ソニアの全身を白銀の輝きに包み込んだ。
◇
コンスタリエを先頭に地下を歩きはじめてからしばらくのこと。
「アヤクスィダントの臭いが強まった」
唐突にそんな言葉を洩らしたメリーさんが二股に別れた道にて一人だけ進路を変えようとした。
「ちょっとそっちは緊急避難経路じゃないんだけどなー」
困った風にコンスタリエが呟くが、メリーさんは何かにとり憑かれたような足取りでそちらへ歩を進めてしまう。
「アヤクスィダントってことは、やっぱりいるのかな……? ルリさん」
メリーさんがそう言うのなら、いる可能性が高い。少なくとも自分では何も感じられないのだが、ここは一つ彼女に付いていくのもありか。
と。結論付けた僕は、すぐ二人へ提案をした。
「では二手に別れるのはどうですかね。エステとコンスタリエさんには避難場まで一直線に向かって貰って、僕とメリーさんでここに来ているかもしれない“ルリさん”を捜します」
エステが傍に居れば間違いなくコンスタリエは無事だし、メリーさんが害種如きに引けを取る可能性は万に一つもありはしない。
「ああ安心して下さい。エステは僕の三倍は強いですし、向こうにはアリシーも居ます。コンスタリエさんが襲われることはないですよ」
「いんや、そうじゃなくてだね……道迷うよ?」
「メリーさんなら大丈夫ですよ」
多分。
赤毛の後ろ姿を一瞥し、僕は頷いた。
「それと二人きりになったからってメリーさんには何もできないから、エステも心配しなくていいよ」
「テメェはいきなり何言ってんだ」
あ、ちょっと怒ってる。若干頬を引き攣らせて冗談について謝った後、コンスタリエもそれでいいとのことで、この道で二人とは一旦別行動を取ることになった。
会話を終えた時既にメリーさんはずんずんと先へ進んでしまっていたので走って追い掛ける。
「遅かったね」
「え、いや話聞こえてたんですか。なら待ってて下さいよ」
「時間が惜しい、来るなら急いで」
追い付くや否や、彼女は紫の狂喜を纏って宙に浮いた。
「ちょっ、それずる――」
言い終えるよりも先、弾丸よろしく彼女は奥へ突っ込んでいく。
「ああ畜生、できれば雷は温存したかったのに」
しかし彼女を見失ったりするのは一番マズイ。全身に雷を流して身体強化を施した僕は、負けじと突っ走った。
「はぁ、はぁ――ってメリーさん、どこまで行くんです」
「まだ距離がある。でもその前に、誰か手前に居る」
「え?」
景色の変わらぬ地下通路、前方から逃げてくる数人の人影を確認して僕は立ち止まった。
流石にメリーさんも素通りというわけでもなく、僕が止まると調子を合わせて動きを止めてくれた。
「あれ、あっくん……達?」
逃げてきていたのは、あっくん、サカクサ・ギンラ、リセルさん。それとタッピスの店主さんだった。
「リッキーさん!」
僕の姿を見るなり飛び込んできた彼女の勢いに負け、押し倒される形となった僕は続く彼女の涙に表情を険しくした。
「リッキー、さん……遅い、です……怖かった、です……アリシーさんが、戦って、それで、私達だけ逃がされて……」
「何があったんですか?」
押し倒されたままではあるが、まさか引き剥がすわけにもいかない。安心させるよう頭を撫でてやりながら、一番冷静そうなギンラに問う。
「先程、私達は害種のリーダーと思しき女性と相対しました。それが規格外でして、現在はアリシード・ソニアさんが全員を逃がして単身戦ってくれています」
――女性。害種。
つまり、あの女とアリシーが戦ってるってのか。
「リセルさん、もう大丈夫です。僕が行きますから」
起き上がるついでに彼女を立たせると、涙を流したまま彼女は胸に顔を埋めてくる。
「お願い、します」
よっぽど怖かったのだ。今は自分より頭の位置が下なので髪の毛をくしゃくしゃ撫でてやり、リセルさんの不安を取り除く。
しかし、まさかよりにもよってあの女とアリシーが戦う羽目に遭うとは――彼女なら大丈夫だと思いたいが、相手は化物。すぐに加勢してやらねば。
「この先にいるんですか?」
「ええ。私も戦えたらよかったのですが」
「いや、そこで逃げなきゃアリシーのやったことが無駄になるだけです。僕に任せて下さい」
それに、今回はメリーさんという心強い味方がいるんだ。負けやしないさ。
「鈴峰君。そちらはメリーさん、だよね……?」
「あ、ああそうだよ、町で再会したんだ。詳しくはまた後で話すよ」
「分かった。気を付けて」
そういや、メリーさんはクラスの中でも有名人で人気者だったか。当の本人はあっくんのことを覚えていないのか、意識すらせず前方へ目をくれているが。
「では行ってきます。タッピスさん、僕らが来た道を戻って行けば避難場まで近付けますので、そのように向かって下さい」
「ああ、助かる。申し訳ないが、力になれなくてすまない。気を付けてくれ」
「はい」
再会も早々、時間が惜しくなった僕は雷を再度付加する。メリーさんも身に狂喜を纏い、僕らは先を急いだ。
この先にルリさんがいる。同時にあの女もいる。
――まさか。そんなはずは、あってたまるか。
嫌な予感を掻き消し、全力で駆ける。先を行くメリーさんを必死に追いつつ、胸に訪れる不安を一つ一つ潰していった。
ぴた、とメリーさんが無言の内に動きを止める。
そこは何者かが争った形跡が見え、照明が割れてほぼほぼ視界が取れない。
「いた」
メリーさんが、小さく呟く。
目を凝らしてみると、その方向には誰かが倒れていた。
「……――あ」
その誰かは、黒い服に身を包んでいた。鮮やかな緑色の頭髪を血に染め、目を瞑って何かにすがり付くように倒れている。
それは。
「………………」
がしゃり、と袖に隠していた弾が地に落ちて弾けた。だがそんな細事は意にも介さず、僕は血だまりに倒れる“彼女”へ一心不乱に駆け寄る。
そっ、と。抱き寄せた。口を堅く閉ざし、優しくその身体を抱き締め、彼女の左手を右手で包み込んだ。
ああ。
彼女の横には、ぼろぼろに刃こぼれした短剣が落ちている。彼女に渡したペンダントは、砕けて辺りに散らばっている。
ああ。
「アリシー」
アリシーは。アリシード・ソニアは。
自らの流した血の池に倒れ伏し、傷だらけで力尽きていた。




