二十七話 人探しと依頼の町
僕は、アリシーと行動を共にしながらとある場所へ向かっていた。
「でさー、セラもキルトナもあっくんもどこに居るか分からなくて。近くに居ると思うし、探すことにしたんだ。でも良かったー、リツキが入れば心強いよ」
道中、アリシーからは苦労話を散々聞かされた。情報収集という面では非常に貴重な話となったが、大抵は知人とのやり取りだったので僕には分からなかった。
もしかすると共通の知人の話題を出してくれていたのかもしれなかったが、生憎記憶がない。まぁ、聞いてて苛立つような内容ではなかったからいいだろう。
それよりも、僕はとある話題が気になった。それは、一週間ほど前に起きたという「大災害」のことについてだ。
その言葉を聞いた当初は頭にハテナを咲かせたものだが、しばらく話を聞く内に何となく掴めてきた。
その大災害の一部始終を眺めていたアリシーは、こう語る。
「いつものように学校行こうとしたらね、光線みたいなのが空から降ってきて学校に直撃して、跡形もなく学校が消し飛んじゃって。それから色んな所で異常な雷が各地で発生してね、爆発したり閃光が飛び散ったり、色んな色が空を覆ったりして、最初の雷とは比較にならない量の雷が空を覆い尽くしてね、どんどん建物が破壊されてったんだよ。途中まで見学していた私も、流石にやばいなって思って逃げたんだけど……」
で、街が崩壊した。というわけだった。
中々抽象的な説明だったが、ヤバさは伝わってきた。もしかしたら、この記憶喪失の原因はその天災によるものなのかもしれない。全く、見て分かる危険からも逃げたくないほどに生活苦で、大災害を言い訳にして死にたかったのだろうか。
話を聞く限り、僕も現場付近の人間だそうだし。
「リツキも逃げて来たんでしょ? 少しも見てなかったの?」
「ああ、実はね。災害時の記憶が曖昧なんだよ。頭でも打ったのかな」
そこは適当に誤魔化しておくことに。というか本当に記憶がないのだ、ボロは出まい。
「そっか……身体、ボロボロだったもんね」
少し気を落としてしまったアリシーを見て、僕は失敗したと自らを叱責した。
「だ、大丈夫だよ! ボロボロなのは服だけだからさ」
僕の服は、アリシーと出会った時にはまっ黒に焦げてしまっていて服の意味を為してなかったのだ。ズボンはほぼ無事だったが、こちらも大分やられている。
そこまで服を損傷していたのに、身体が傷を負っていないというのは謎だが。まぁ、脱ぎ捨てるわけにもいかんだろう。大事な一着だし。
「そう? でも、覚えてないんだ……」
やはり、記憶喪失なのは告げないのが正解だったか。
「ま、気にはしなくていいよ。大したことじゃないし」
さて。僕らが向かっているとある場所ってのが、見えてきた。視界の奥には石造りの巨大な城が町を主張し、それを囲むようにして木造りの建造物が建ち並ぶ姿が見えてきている。
ここが、アリシーの現在での拠点ということらしい。
「あっ、やっと見えてきたー!」
隣で大声を出して喜んでいるのを見るのは微笑ましい。
そういえばこの娘は一体何歳なのだろう。
見た雰囲気で言えば、中学生……いや、高校生? 学生って言ってたし、少し汚れているけど制服も着ているから、そうか。
じゃあ、僕も学生なのかな。着ている服も、制服と言われればそうだし。
あれ。学生だとしたら、浮浪者? じゃあなかったのかな。なるほど、少しだけ昔の自分の株が上がったぞ。
「今はあそこに避難してるんだね」
「そうだよ! ま、まあ問題は山積みなんだけどさ……」
「問題があるの?」
「う、うん」
街が崩壊するような天災だ。避難所が埋まっていたりするのだろうか。
「とりあえず町に入ったら説明するね?」
「分かったよ」
ふぅむ。もしかして、僕を入れられるだけのスペースが無いのかも。それならそれで別の宛を探すからいいとして……。
大体の予測を立てながら、アリシーに先導されて町へと入っていった。
◇
町の中は、存外人通りが多かった。外には僕達以外の人影は見当たらなかったと言うのに。そりゃ大自然に出掛ける人間が大量に居るとは思えないけど、すれ違いもしなかったからな。外にはこれといった道も存在しなかったし、閉鎖的にも程があるだろう。
「……でね?」
それまで前方をちこちこと歩いていたアリシーは、お先真っ暗そうな目で振り返ってきた。
「うん、続き言っていいよ」
そんだけ溜め込まれたら、もう何言われても驚かないよ。多分。
「実は“配布所”も消滅しちゃって、食糧はもう尽きちゃって……。この町はそこと提携していて、ちょくちょく食糧が運ばれてきていたんだけどね」
「ああ、食べ物が無いのか」
予想はしていたよ。
配布所の名は初耳だが、流れで何だか理解した。つまるとこ、ある日までは食糧がこの町に配布されていたが、現在はそれがなく、避難者に配る食べ物はないってやつだ。
「それだけならいいんだけど。この町、“通貨”があるんだ」
そりゃどこにでもあるだろうけどさ、そう深刻そうに告げることか。
「家に住むにもその通貨がいるし、食べ物を買うのにも通貨がいるし……どうしよう、生活できないよ」
僕は、ある意味静止した。そして、極めて真剣そうに悩んでいるアリシーにこう言ってみる。
「じゃあ、仕事をすればいいんじゃ?」
「え、仕事?」
初耳、みたいな反応を示した彼女は、目を見開いて首を傾げている。
どうしてそこで驚くんだろう。
金が欲しいなら働くのが定石だが……もしかして「あなたが仕事という単語を口に出すなんて天変地異だわ」ってやつ? そんな馬鹿な。
「で、でも。一応学生だったわけだから、ここの仕事とかはまだよく分かってないし」
なるほど。
どちらにせよ、仕事が歩いて自分の元にやって来ることは絶対にない。
「まあ、今はもう学生じゃないからね。だったら今から探しに行く?」
確かに学生の内は楽だ。学費も食費も家賃も全てが親から出ていき、何をしなくても生きていける。
でも、それじゃあ駄目だ。きっと前の僕も何も考えていないボンクラだったに違いない、今の僕は一皮剥けたのだ。
そうだ、金がないなら仕事をしろ。やってやろうじゃないか。
「でも、どこに仕事があるのか」
「例えばあの城とか。人通り激しいし行けば何か分かるもしれないよ」
「リ、リツキ頼もしいね」
というわけで。
情報収集のため、中央で異彩を放っている城へと向かうことにした。
「……えっと」
城の中まで入ってみると、そこは到底“城”とは言えない中身だった。
僕のイメージをそのまま言えば、こういう城には国王だか貴族のお偉いさんだかが最上階の部屋でどっかり座っていて、鎧に身を包む兵が城内と城門を警備し、王族や貴族が私腹を肥やしている。そんな感じ。
まぁ、城への人通りが多いことから、最初からその線は考えていなかったのだが……。
まず王族の方も貴族の方も見当たらない。
しかも一般の……平民? に位置するであろう人々が(僕達も)平然と城内に入っていき、赤いカーペットが敷かれた上をずかずか進み、中央に設置された受付内の女の人に案内を受けている。両サイドには幅の広い階段があり、二階へ上がれるようだ。ちなみにこちらも、入場制限はない。
「アリシー、受付に話を伺ってみようか」
「う、うん。なんだか緊張するね」
隣でアリシーはそわそわしていた。
多分ここは、公共機関である。すれ違う人々の会話を盗み聞きしていると言葉の節々に「依頼」という単語が聞こえてきたりもしたので、何らかの事業を展開させていると見た。
このような形態は知らないが、チャンスだ。他ではともかく、この町で生きていくには城を通る他ないのだろう。
これを城と形容するのは金輪際止めにした方がよさそうだ。紛らわしい。
「すみません、ここでは何をされている場なのでしょうか?」
前で受付嬢と話していた三人組がいなくなったので、早速声を掛ける。すると、僕らを少しだけ不思議そうに見やる受付嬢。しかし、直ぐに表情を取り繕って説明をしてくれた。
「ここに来るのは初めてのようですね。ここでは“グループ”というお仕事を斡旋させて頂く場となっております」
「あ、そうなんですか」
そりゃ丁度いい。話だけは聞いてみて、良ければこの仕事をやらせて頂こう。
「はい。このグループというのはですね――」
そこからは、長い説明を聞かされた。隣でぼけっと突っ立っているアリシーは、相変わらずそわそわしている。
さて。いい感じに要点を摘まむと、こんなところだ。
ここではグループに登録することによって、住民の依頼を受けることができる。
この階では主に町内での雑務、雑用、警護などの依頼が受けられる受付で、上の階は町の外を対象にした依頼が受けられる。
依頼を受けると、まずは依頼人と対面して面接。そこで依頼を受けるに足る人材だと判断されれば採用、契約完了となる。
依頼は一つしか受けられない。依頼は、報告が完了した時点で契約終了とする。
依頼料や成功報酬はグループを仲介して行われるので、依頼人から依頼完了のサインを貰い、それを受付で渡せば報酬が貰える。
依頼料は、依頼を完了させた数や危険度によって上昇していく。本人達の希望さえあれば、依頼料を減らすことも可能である。
グループの規約は、グループとしてのモラルを守ることである。依頼人との契約を身勝手に破棄した場合や、依頼人を裏切る行為が発覚した場合は違約金として今までに稼いできた通貨を半分没収し、金輪際依頼を受けることはできない。また、違約金の通貨が足りなかったり、依頼人を殺してしまった場合は、通貨の全額没収と町からの永久追放の処置が為される。
と、いうのがグループの説明だった。なるほど、ここは依頼人とそれを受けるグループを仲介し、紹介する施設なわけだ。何でも屋さんという認識でいいのかな。……殺人の処置がちょっと軽くはないのか、という疑問はあったが、僕の関与すべき部分ではないか。
「アリシー、どうする? 仕事が見つかったけど」
僕としては、やってみても良いと思える仕事だ。こちらが何かをしなければ規約違反なんて起きないわけだし、悪くない仕事の形式だとも思う。
「うーん。リツキに任せる」
「そっか、じゃあやってみよう」
アリシーは、あれか。自分から率先して動くのが苦手なのかな。それとも……ああ、そうか。僕は記憶喪失で事態の重みを知らないけど、アリシーはあの災害から必死に逃げてきたんだ。あれからまだ数日、学校も消滅して、友達とも離れ離れになってしまったんだ。気丈に振る舞ってはいるが、辛いに決まってる。
まだ数日しか経っていない、仕事を探す余裕なんか無かったのだろう。
ここからは、僕が先導してやらなければな。
「あの、登録するにはどうすれば?」
「名前と年齢だけを私に教えてくだされば結構ですよ。こちらで処理をしておきます」
やべぇ。名前も年齢も分からないぞ。リツキというのは呼び名だがフルネームではないのだし、年齢も大雑把にしか理解していない。
……よし。じゃあこうしよう。
「名前は愛称でもいいですか?」
「登録名と顔さえ一致すればいいので、それでも構いません」
「分かりました。アリシー、先いいよ」
「え? うん、分かった。おねーさん、私はアリシード・ソニア、十六歳です。登録お願いします」
「アリシード・ソニア様……年齢が十六歳。はい、登録完了ですよ」
にこりと受付嬢が言い、アリシーの登録が無事に完了した。アリシーのフルネームって、アリシード・ソニアなのか。で、年齢は十六歳と。あ、失礼中学生かと思ってた。
「僕もよろしいですか?」
「はい」
一応準備が出来てるかと聞くと、営業スマイルが返ってきた。この人さっきからメモ取ったり機械に名前を打ち込んだりもしないんだけど、本当に大丈夫なのだろうか。
「僕はリツキです。年齢はアリシーと同じで十六。大丈夫ですか?」
「はい、リッキー様で、十六歳ですね」
「え? いや、リツ……」
いや。リツキって確かに言い難いな、リッキーでいいかもしれない。愛称でもいいと言っていたわけだし。
「あ、それで大丈夫です」
「登録完了です。依頼の方はどうしますか?」
こうして、僕はリッキーという名前で『グループ』に登録した。アリシーはフルネームで登録してたみたいだけど、まあいいか。
「アリシー、どうする?」
「受けよっかな! だらだらもしていられないし」
「了解。受付嬢さん、依頼の一覧とか教えてくれませんか?」
アリシーも、どうやらやる気を出してくれているみたいだ。それならよかった。この仕事じゃなくても探せば別にあるだろうし、無理にやるつもりもなかったしさ。
「分かりました。現在、ルーキーの方で受けられる依頼が一つしかありません。それでもよろしいですか?」
「内容を聞いても?」
「はい、いいですよ」
一度聞いてしまってはもう戻れませんが、よろしいですか? とか言われなくてよかった。
依頼は、受付嬢さんから口で伝えられた。
依頼人は野菜売りのパーリィ。畑の野菜を収穫したいのだが、ギックリ腰を起こしてしまって収穫できない。それで、代わりに収穫して欲しいそうだ。依頼料は鉄硬貨十枚、ちょっと金の単位が分からないな。
僕の知る金ってのは、基本的には数字が使われていた気がするんだが。
「アリシー、鉄硬貨十枚で何が買えるか分かる?」
「さっぱり分かんない」
ですよね。
どうするか……でもどの道依頼はこれしかなく、実績を上げなければ依頼料は増えていかないのも確かだ。今日一日仕事を探し続けて疲労の果てに食にありつけないのと、目先の仕事を遂行すること。
どちらが良いかといったら、まあ後者になるよな。
「分かりました。その依頼受けます」
「初回の依頼料はありませんので、契約完了した後は直接仕事をして頂き、依頼完了のサインを受け取ってください。パーリィさんはエスティリカの農作地に居ると思いますので、現地に向かっていただいて構いません。契約失敗の場合は報告しに戻ってきてくださいね」
うーん。
色々問題があるみたいだな、グループってのも。エスティリカってどこだ。
「来たばかりで道には詳しくないのですが、この町の地図とかありませんか?」
「申し訳ないのですが、ありません。地図の作成は検討しておきますね」
ないのか。困ったな、それじゃあ目的地まで辿り着けないぞ。どうしたもんか……。
「てか地図とか作ってなかったんですか」
「はい。この事業も始まってから間もないですし、こうして意見を頂くことが度々あるのです。申し訳ありません」
不満げに呟くと、丁寧に謝られてしまった。受付嬢さんが頭を下げている姿は本当に申し訳なさそうで、決して営業には見えない。
そ、そんなに怒ってないよ。地図がないのは不可解だけど、人に聞けば事足りる。もしかしたら、今まで地図は必要にならなかったのかもしれないし。
「あ、いえ。謝らなくていいですよ。始まったばかりの事業ですし、仕方ないですよね」
「お気遣い感謝します。まだまだこれからですので、何卒よろしくお願いします」
だから人通りが多かったんだな。物珍しくて目新しいものには、人は飛び付くっていうのが決まりだしな。
「受付嬢さん、一つ伺ってもいいですか?」
「はい」
仕事へ行く前に、めちゃくちゃ気になったのでこれだけは聞いておこう。
「メモとか取らなくていいんですかね?」
「私には完全記憶能力があるので、一度見たり聞いたりしたことは忘れませんよ」
はぁ、なるほど。完全記憶能力、ねぇ。大したもんだ。
「じゃあ口頭でいいんで道案内お願いします」
◇
右へ左へ右に右にそして右行って左へ大通りを真っ直ぐ歩いてまた左へ。
長いこと歩いた末に、ようやく畑らしき場所が見えてきた。
「……これ、案内無しじゃ到着は不可能だよね」
「うん、ちょっと遠いかな」
完全記憶能力持ちの受付嬢さんから教えていただいた道は、それはもう正確で長々しく、覚えられるわけがなかった。
片手にメモを持ち、矢印で記された道順を元に僕らは歩を進めていく。今やっと、半分を越えた辺りだ。
「そうだ、アリシー」
「……なーに?」
太陽は真上に差し掛かり、燦々と熱を放射してくるので、暑い。アリシーは返事をしながらも喉を乾かせていたが、飲み物を買う金もないのでどうすることも叶わなかった。
もうちょっと我慢してくれと思いながら、言い忘れてたことを伝えておくとしよう。
「そういや、これから僕を呼ぶ時はリツキじゃなくてリッキーでいいよ」
「え、なんでー?」
「言いにくいでしょ? 受付嬢さんに聞き間違いを起こされたぐらいだし、この際リッキーでいいかなと」
名前も一新してやりたかったのもあるが、一番はやっぱり呼び難いことか。僕は構わないが、アリシーの片言は聞くに堪えない。というわけでもないが、リッキーに聞こえなくもないのだ。
じゃあそれでいいだろう、呼び方なんて人それぞれだし。僕は僕だ。
「そっか。分かった、リッキー。うん呼びやすいね」
「でしょ」
畑に入ってからは、それはそれは様々な野菜が実っていた。しかしどれも見たことのない野菜なんだけど、なんだろうかアレは。あ、あの赤い実はトマトっぽいな。
「ねーリッキー……」
「何?」
今度はアリシーに呼ばれた。彼女の方をちらりと見ると、汗をだらだらかきながらぐったり歩いている。シャツが湿って――透け――。僕はそこで目を逸らした。
うん、大丈夫。何も見てないし何も実ってなかった。
「暑いし疲れたよ……ちょっと、休まない?」
「そうだなぁ、僕も大分疲れたけど。休むスペースなんか……」
目を凝らして辺りを見回すと、休憩所のようなスペースが前方に設置してあった。屋根があり、その下にはテーブルと丸太を横にしただけのような椅子。進行方向とも違うし少し距離があるが、まぁいいだろう。
「あそこでちょっと休もうか」
「うんっ!」
無邪気に首肯したアリシーは、目先の欲望に向けてずんずん歩き始めた。あ、この娘まだ歩けるなと悟った僕だったが、無理は禁物だ。
程々に休みながら行こう、目的地に到着しても仕事が待ってるわけだし。
「はぁー……どっとつかれたー……リツキ……」
丸太に座り、テーブルにぐでんと伏したアリシーは干からびてしまったように動かなくなった。
「お、おう」
左隣に座っている僕だが、どうにも落ち着かない。普通にリツキと呼ばれたのにも突っ込めず、目のやり場に困りながらもチラチラ拝んでいた。
そう。あれである。アレ。
つまるところ、テーブルと胴体に挟まれて「私はここにいるよ!」と主張してくるおっぱいがですね、視界に入るのですよ。ちらちら。
決して吸水率の良くない白シャツが水分をたっぷりと含み、透けた肌色が覗かせていて、大きくも小さくもない弾力のありそうな胸が意図せずとも視界を満たしてくる。ちらちら。
僕を男として一切見ていないかのようにも思える無防備な体位を晒しているアリシーは、目を閉じてすやすや寝ている。シャツがぴとりと肌に張り付き、細くも肉付きのいい艶かしい身体を披露している。
いや、あの。そのですね。別に見てませんよ。アリシーの許可なしに、そんなに見て良いわけがないでしょう。いや、じゃあ許可があったらいいのかと。純粋無垢なアリシーの寝顔を視線で蹂躙してしまっていいんですか? と。
僕も寝た。
起きると、アリシーの左腕ががっつり僕の顔に乗っかっていた。最初は寝起きで気付かなかったが、真正面には潰されて形をセクシーに崩したおっぱいが……。うわあっ。
「お、起きて! 起きてアリシー!」
乱暴にならないよう腕を退かした僕は、アリシーの背中を揺さぶって起こした。
「……ぇ……? おなかへった……ごはんー……」
寝惚けていらっしゃる! なんだその寝言!
「……ぁあ、おはよ」
寝惚け眼で目を軽く擦ったアリシーは、暫くぼけっとした表情で僕を見ていた。
日が半分落ちかけていた。マズイ、寝過ぎた。やっちまった。
「……だっこー……」
まだ寝惚けてた。
どうやらアリシーは寝起きが悪いらしい、少し強めに起こしてから、僕らは再出発した。
おっぱいの方は、そっと心の奥底にしまうことにした。今後一切引き出すことのないように厳重に鍵をかけよう、そうしよう。
到着する頃には、すっかり日が暮れていた。今度は汗が引き、肌寒い。
散りばめられた星々を見上げると、如何にここの空気が綺麗だかを実感させられるな。
案内はここで終わりとなっていた。なのだが、畑だらけでいまいち方向感覚が機能してくれない。自分の背丈よりも平気で高く緑が生い茂ったりしているので、道がなければジャングルだ。どこだここ。
家とかが見えれば助かるのだが。目的地には流石に依頼人はいるだろうし、どこかに住居があるはずだ。
ギックリ腰なんだから特に。
「さ、さむい」
自分の肩を抱き締めてぶるぶる身体を震わせたアリシー。僕よりびっしょり濡らしていた服は生乾きになっている。これは寒そうだ。このまま放置して風邪を引いてしまわないか心配になる、早く暖まれる場所に連れて行かないと。
目的地を忘れないように慎重に探し回ってみるが、数十分掛かっても見付からなかった。
ガチガチと身震いさせているアリシーの苦痛な顔は、もう見ていられない。僕は服を着ていないも同然だが、彼女は体温を奪われた上に着ている服を濡らしてしまっているのだ。
だけど脱げ、とは言えない。この際暖まれる場所ならどこでもいい、そんなところはないのか。
昼は暑過ぎて、夜は寒過ぎる。丁度良いと感じたのは、精々朝ぐらいだろう。
時間が経過する毎に、アリシーの唇が青ざめていく。夜は深まる一方で、これから気温は下がっていくばかり。
休まずに歩けば良かったと後悔するが、したところで打開策は出ない。
こりゃ契約失敗かもな。
「アリシー、中入ろう」
「……中?」
外で寒い風に当たり続けるよりも、この背丈を越える作物の中に割り込んだ方がマシだ。だが土足で畑を踏み荒らすことになる。後でパーリィさんに謝って、処分を決めて貰おう。
「いいから」
何も告げず、先に足を踏み入れた僕はアリシーの手を引いて中に引っ張る。突然のことで少し抵抗されたが、それも弱々しかった。
後ろ手にはアリシー。左手で緑を掻き分けて奥に進む。外に居るよりは断然暖かい、これでアリシーは少しだけ楽になるな。
もう少し奥まで進んだらここで一晩を明かそう。そう考えて、蔦や枝を大きく掻き分ける。
「……あれ?」
広げた先から射し込んで来たのは、光だった。木箱のような家の窓から、黄色の光がぼんやり漏れている。
そこは、空洞だった。
半ば拍子抜けを喰らった気分で空洞に出て、弱ったアリシーも引っ張る。
中は寒くないが、それでも蒼白な顔は色を取り戻してくれなさそうなので、変態呼ばわりされない程度に身体で包み込んだ。僕の腕の中で縮こまる彼女は、少し楽になったみたいだ。にしても服が凍るように冷たい。これじゃガチガチに震えるわけだ。
「ごめん……ありがとう」
「大丈夫。しばらくそうしてて」
小さく、くぐもった謝罪と感謝が彼女から吐き出されたのをしかと聞き、強く抱き締めてやる。
冷たい。が、脱がせられない分こうすることでしかアリシーの体温低下を抑えることができないのだ。幸い、このドーム状に空いている空洞は、蔦などでびったり覆い尽くされていて過ごしやすい気温だった。自分までダウンする体たらくにはならないと願いたい。
僕は彼女を温めつつ、辺りを見回す。真四角の家以外は、これといって特筆すべき点は見当たらない。
もしや目的地ってのは、この畑内部? パーリィさんの住む家っていうのが、この中の簡素な木箱なのか?
「ちょっとだけここで待ってて」
パーリィさんじゃなくてもいい。明かりが点いているなら、中には誰かが居る。
しがみつくアリシーに一言声を掛け、背中からそっと腕を外す。彼女も素直に手を離してくれたが、どこか物寂しげに身体を丸めた。
アリシーの体温はかなり低下している。僕は小走りで家の前まで向かって、扉を数度叩いた。
「すみませーん!」
返事がない。
「誰か居ませんかー?」
間を置いてからもう一度声を張り上げてみたが、物音すら聞こえて来ない。
訪れた静寂に諦めを付けた僕が叩くのを止めると、弱々しい声が、扉の奥から発されたのが耳に入ってきた。
「……入って、ええよ」
しわがれた、がさがさとした老人の声。それが静寂に浸透するように、仄かに僕の絶望を払拭してくれた。扉に引っ付いていた出っぱりを握ると、それだけで木の板が軋んで扉が動く。
「……!」
急いでアリシーの元へ走り、冷たくなった彼女を担いで扉まで直行した。良かった、人が居た。これならなんとかなるかもしれない。声の主は確かに老人だった、自分から出てこないということは、ギックリ腰を起こして動けないパーリィさんに違いあるまい。
無様な姿を見せて落胆されるのはもういい、仕事は後回しだ。
「失礼します」
一応断り、扉を開けた。
「……まさか、そんな格好で外を歩いてきたのかい?」
玄関に入るなり、心配する言葉がやってきた。先に担いでいたアリシーを優しく降ろし、靴を脱いでワンルームの部屋に上がる。
「……すみません。家の中に入れていただき、ありがとうございます」
彼の言葉には、心配の中にも不安が滲み出ている。これで、夜にこのような格好で出掛けるのが非常に危ないことが分かった。僕らはカッターシャツ一枚、下も制服のズボンとスカートだ。真冬に下着で外出するのと何ら変わりないのだから、心配されて当然だろう。
では、つい先日までアリシーはどうやって過ごしていたんだ。もっと言えば、記憶を失う前の僕は何をして寒さを凌いでいたんだ。
と、そこで現在の季節に疑問が生まれたが、今考えるべきはそんなことではないと頭をリセットした。
アリシーも自分で靴を脱いだのを確認しつつ、前の老人を見やる。
中央天井からぶら下がった灯りが照らす下。そこには、老齢の身体が温かそうな毛布にくるまって仰向けで寝ていた。首だけを回してこちらを見ており、垂れた目蓋で半分ほど塞がれた双眸が僕らをじっと見つめている。布団から出している骨ばった手は、かかっている茶系の毛布を剥がそうと奮闘しているものの、上手く持ち上げられないでいた。
その姿は、かなり弱っていると言えた。少なくとも野菜を収穫したり、売りに出せる元気を持っているとは到底思えない老躯。ギックリ腰が、かなり肉体に影響を及ぼしているみたいだ。
いくら元気でも、一度身体に異常を起こしてしまうとすぐに弱って動けなくなってしまう。それがご老体だ。
「お礼なんかええ。すぐにその娘の服を脱がせなさい。肌が青白くなってしもうてる、なるべく早い内にその身体を暖めてやらんと。安心しなさい、肌を隠すためにも毛布は儂のをひっぺがして使ってくだされ」
とんでもないことを平然と言ってくる老人だ。こんな夜中に室内へ入れてくれた老人の、たった一つの毛布を剥げというのか。いくら同意を得ていても、抵抗があるというものだ。
しかし。
「はようせい!」
戸惑っていた僕に浴びせられた激怒の叱咤。我に返った僕は、申し訳なさでいっぱいになりながらも、老人の毛布を掴んでアリシーにかけてあげる。
「……ありがとう、ございます」
ぽろぽろと涙を流した彼女は、しっかり身を包んでもぞもぞと動き始めた。
暫く掛かって、汗で汚れたシャツが彼女の手から捨てられる。丸太の床に落下したシャツは、びちゃりと音を鳴らしてへばり付いた。
「よく、来てくださった。主らは見ない二人だが、グループの依頼で足を運んでくれたのかい?」
先程の叫びから打って変わって穏やかな声色に戻った。頭が上がらない、僕は依頼人になんて気遣いをさせてしまったんだ。
「はい……一応、そうなのですが、このザマです。申し訳ありません」
「うむ。お二人さんは町の外から来たばかりなのだろう? この町の夜は、異質な冷気で急激に冷え込む。半分は仕方ないが、もう半分は準備と予備知識の足りなさが生んだことだよ。次からは充分に気を付けなされ」
部屋着とおぼしき茶色の着物の袖が捲れ、ひらひらと手首を折り曲げて老人が手招きをした。それに従い傍まで寄ると、べちん、と頬を叩かれた。強さ的にはただあてがわれただけだったが、きっとこれは叩いたのだ。僕の至らなさを指摘するために。
「肝に命じます」
何も知らなかったから仕方ないでは駄目なのだ。それでなくとも僕は記憶喪失である。必要以上に自覚を持って、辺りの危険は全て事前に把握できるように努力しなければならない。
僕に残された知識だって、全てがそのままとは限らないのだ。忘却の彼方に置いてかれた知識も多い。
「お主はまだ大丈夫なようだが、それでもかなり冷えておるな。今日はここに泊まっていきなさい」
「お言葉に、甘えさせて頂きます」
頭を下げた僕は、その好意を素直に受け取ることにした。これ以上甘えるのはどうかと思うが、こうなってしまった以上は仕方ない。
「気になさるな。儂とて語らう人がいないのは寂しいもんでの、主らのような若い者とこうして長い間話せるってのは、貴重なのだ」
「ええ……そうしてくださるのなら、嬉しいです」
「いやいや、気にする必要はないよ。だがどうしてもその気持ちが拭えないのであれば、こうしよう。今日ここに泊める代わりに、儂の会話相手になってくれんか」
見かねた彼の手が、また僕に差し出された。あちらから歩み寄ってくれなければ、けして到達できない“対等”という立場。この老人は、そこまで考えている。でなけりゃそんな提案をしてはこない。
単なる言葉の捉え方だけど、とても、暖かな言葉だ。
「分かりました。僕でよければ、いくらでも話し相手になりますよ」
こうして、僕らはこの家に一晩泊まることになった。
パーリィさんとは、とにかく色んな話をした。下らない内容からこの町の話、雑学、食物、近況、知人との与太話や笑い話。ほとんど受け身だったが、有意義な時間だった。年の功といえばいいのか、お陰で話のネタが不思議と尽きなかった。
「ふむ、そろそろ朝かのう」
四角く切り出されただけの窓に一瞥をくれたパーリィさんが、そんなことを言った。
僕も釣られて同じ方向へ視線を動かしたが、夜と変わらないんじゃないか。
「どうして分かるんですか?」
「なんとなく、かの。植物も生きているんだ。それと長年付き合っとると、感覚で分かるんだよ。ホラ、気持ち良さそうに日向ぼっこしとる」
ごめん、全然分からない。
薄暗い空間を眺めて目を細めてみたりはしたが、夜との変わりは特にない気がする。
まあ、他で精一杯だったからな。
「う……うー……いたい……な、なんで、崖から突き落とすの……?」
今のはアリシーの寝言。彼女は大分前に毛布にくるまったまま寝てしまっていた。
どんな寝言だよ。
さて、どうしたものか。彼女の毛布の中身は半裸、男の性というやつが毛布を剥いで襲いなさいと何度も助言してきたが、パーリィさんが隣に居る手前、全部我慢した。ちなみにパーリィさんが居なくても、僕は何かと理由を付けてアリシーを襲う事などしなかっただろう。
チキンではない。僕は堅実な男なのだ。
「アリシー。起きて、朝だよ」
とりあえずで寝転がるアリシーを擦って起こす。
「ん……まだクリームは早い……」
意味の分からない寝言は予想済み。それにしても、安らかな寝顔だ。涎が少しだけ垂れているのが微笑ましい。きっと良い夢でも見ているんだろう。
まだ起きないと判断した僕は、先に用事を済ませようとパーリィさんに向き直った。改めて、仕事の話をしなければ。
実は、先の語らいで仕事の内容は一度も触れていなかった。僕も話題に近付く真似はしなかったし、彼も同様だ。プライベートに仕事を持ち込みたくない、というのもあっただろうが、パーリィさんはこちらから切り出してくれるのを待っていたのだろう。
「今日は泊めて頂きありがとうございます」
「いや、儂も楽しかったよ」
「パーリィさん。それで、依頼の件についてなのですが……」
アリシーは爆睡こいてるが、まあ、今回に限ってはいいだろう。
「ふむ、そうだな。まだ朝早く、外はもう少しばかり寒い。お嬢ちゃんが起きてから、収穫の手伝いをしてくれんか」
「……え?」
予想していなかった返答に、僕は間の抜けた返事をしてしまった。
僕らはルーキーであれ、グループの一員だ。その二人がこの体たらくを依頼人の方に見せてしまい、あまつさえ依頼人に迷惑を掛けて、その人の家に泊まるような真似をしたんだ。
そんな、常識知らずでひ弱なグループの面子に、誰が契約を成立にしてくれるのであろうか。少なくとも僕はしない。プライベート云々は関係ない、金銭が発生することなのだ。
鉄硬貨十枚の価値がどれほどかは知らないが、金は金だ。
「契約、してしまっていいんですか?」
「不満かい?」
不満ではない。契約を成立させるということはグループでは欠かせない事項だ。
「いえ。ですが……このような醜態を晒してしまった人間と、仕事を契約してしまってもいいのかと」
「はははは、不思議なことを言うのう。君達二人は作物の収穫もできないのかい? そんなことはないだろう」
彼は朗らかに笑う。
パーリィさんの言うことは最もだ。それすらもできないようであれば、僕らは何もできない。
「分かりました。精一杯頑張らせて頂きます」
今までの消極的な姿勢は一心しよう。ここで契約失敗になってしまえば、僕らの生活に多大な影響がある。
パーリィさんがいいって言うんだ、是非ともやらせていただこう。
隣で眠りこけているアリシーの頭を一撫でして、僕も休むことにした。
「儂は少し眠るとしよう。その間、しっかり休憩しといてくだされ」
「はい」
アリシーの横に座り、壁に背中を預ける。先日の疲れがここで祟ったか、突然眠くなって、僕は静かに意識を落とした。
◇
目を擦りながら僕が起きると、アリシーとパーリィさんが談笑していた。
「あ、リッキーおはよう」
「おはよう」
いつの間にか僕に毛布がかけられ、アリシーは乾いた既にシャツを着ていた。
え、じゃあこの毛布……先程までアリシーが裸でくるまっていた――思考中止。
「パーリィさん、そろそろ収穫しに行きますか」
「そうだのう。丁度良い時間だ」
それはそれ。毛布を丁寧に畳んで、一息吐く。
僕らの初仕事が始まった。
現場へ行くにしてもパーリィさんはギックリ腰で動けないため、僕がおぶっての移動になった。
木箱の家から出ると、薄暗いドームに出る。樹木の壁まで歩いていくと、半ばに来た辺りで背中の方から手が伸びてきた。
パーリィさんだ。その手がしっかりと掴んでいるのは、赤い木の実だった。
「普通に歩いてみなさい」
「あ、はい分かりました」
言われた通りに先へ進むと、緑の壁に当たる寸前で、幾重にも重なっていた蔦や、木の枝が、避けた。まるでトンネルでも出来てしまったかのように、人が一人通れそうな穴が外まで伸びている。
すごいな、ここまで簡単に通れてしまうのか。
さて、これは昨日の会話で得た知識の一つであるのだが――この植物は『壁樹』という名前が付けられている。その名前の通り、分厚い壁のような形を形成して一つ分の畑を覆い、背丈は低くても三メートル、高くて十メートルまで昇る。
どのサイズも中央にはドーム状の空間が空いていて、そこには定期的に一つだけ赤い実が実る。それを収穫した者が出入りをしようとすると、トンネルを開けてくれるという謎の生き物だ。
壁樹からすれば、自分の中で生物が生活してくれるのは大切なことなのだとか。
僕がここを掻き分けて入ったと聞いたパーリィさんは笑っていたが、何も言えないな。
けれども、これで良かったと言える。これが壁樹でなくてただの農作物が栽培されていた畑だったのなら、僕達は畑荒しの罪人だ。パーリィさんからはクズを見る目で見られ、契約以前にグループのルールも守れず、町から追い出されていたかもしれない。
想像しただけで身震いしたが、まあ、結果オーライだ。次からは下準備してから先に進もう。
僕達全員が外に出ると、壁樹はがさがさと音を立ててトンネルを閉じた。
「……あつ」
外は暑かった。壁樹内部ではかなり快適な気温だったのに、外に出た瞬間にこれだ。
「パーリィさん、暑いですけど大丈夫ですか?」
「慣れとるから平気だよ。そこの道を真っ直ぐ歩いてくれ」
暑さが慣れで対応できるのかは分からないが、大丈夫ならそれでいい。だるそうな表情で付いてくるアリシーに「早くしないと置いてくぞー」と残し、先を急ぐ。
何故か、それを聞いたアリシーは急ぐどころか僕の前を歩き始めた。よく分からないが、機敏に動けるならそれに越したことはない。
数分歩くと、目的地に辿り着いた。
パーリィさんを降ろし、近くの出っ張りに座らせる。
辺りを見回してみると、そこでは背の低い作物ばかりが生い茂っていた。壁樹のような高い植物はどこにもなく、色とりどりの実が成っていて、どれも美味しそうに顔を出している。
明確に区分別けされた作物、その一つ一つの面積は広くはないみたいだが、全部を合わせるとなると中々に広大だ。これを全て収穫するのであれば、骨が折れる作業だな。
一日や二日で片付けるのは、無理そうだ。
「これ、全部収穫するんですか?」
そう質問すると、パーリィさんは眉根を上げた。しかし、直ぐに納得の行った顔に戻って、数回首を横に振った。
「いや、そうではないよ。儂の所有する畑は一部分だけで、他のは別の人が管理しておる。儂のはアレだ」
彼が指を差した先を見る。
「ああ……アレ、ですか」
三本の管が垂れ下がって、楕円形の水色がそれぞれ別に実る作物。そのエリアだった。
陽に照らされ、水色の実が強調されているので見分け易い。滴る水滴と相まって、とても旨そうだ。
「儂の所有地はあれだけだよ。それを全部獲って、端に置いてある網に入れておいて欲しい。儂はここで待ってるから、何か分からないことがあれば聞いてくだされ」
どうやらあそこだけのようだ。作物全てでないことにほっと胸を撫で下ろした僕は、隣のアリシーに目線を移動させる。
涎を垂らしても可笑しくなさそうだったアリシーに「食べちゃ駄目だからね」と一応釘を刺すと、無言で睨まれた。
ジト目の眼光は、分かってるよとでも言いたげである。それならいいんだ、それならね。
「パーリィさん、どのように獲れば?」
「三本管の根本は一本になっているだろう? そこから手で千切ってくれて構わないよ。実だけを獲ると、管からの栄養が抜け出て一日もしない内に駄目になってしまうからね」
「なるほど、分かりました」
僕はパーリィさんにすっと手を上げ、それじゃあと残して作業を開始した。
彼の言う通り、端に置いてあった網を手に取りアリシーに渡す。僕はもう一つを片手に持ち、左端から収穫することにした。彼女は逆からだ。
「にしてもこの網、すごいな」
持っていたそれを見やり、感嘆する。それは、想像した白い網の袋ではなく、蔦を編んで作られた網だったからだ。頑丈で伸縮性のある蔦のようで、切れる心配もない。大きさも充分だ。
「実の方も……ごくっ……いや、いかん」
管を根本から千切り、一つ目を網に入れる。間近で見る実は、それはもう美味しそうだった。仄かに甘い匂いが鼻腔を刺激するので、これはきっと果物なのだろう。アリシーに言った手前、そんなことを考えるのですら気が引けるが。
アリシーはどうしているのだろうか。千切る度に愛しそうに眺め、惜しい気持ちで網に入れていくのだろうか。
そういや、ずっと飯を食べてなかった。そうだ、この依頼の報酬金でたらふく食べよう。だから今は我慢だ。
そんなことを考えながら収穫していき、網一杯に水色が煌めいた頃。
時間にして二時間程で仕事は終了した。汗がびっしょり流れ、黒く焦げたシャツも水を含んで重くなっている。
網を片手で引っ提げてアリシーを呼ぶと、彼女は重そうに両手で網を掴んでやってきた。僕よりも汗をかき、服が透けてきている。ああ、駄目だ変なとこ見るな。見ちゃ駄目だ。
「あつ、いよー……そっちも終わった?」
「うん、終わった。パーリィさんのところまで持っていこうか」
「はーいー……」
アリシーは疲れ気味のようだ。僕も疲れたといえば疲れたのだが、まだ動ける。これでも、僕の筋肉は意外にもがっしりしているのだ。以前の僕は、何かトレーニングでもしていたのだろうか。
「ご苦労だった。ありがとう、お二人さん」
パーリィさんが座っているところまで行くと、労いの言葉と感謝が彼から放たれた。
「ほれ、これがサインだよ」
空いた手で、クリーム色の紙を受け取る。紙にしては少々厚く、ぽろぽろ剥がれそうなそれに、しっかり黒色でサインが書かれていた。
依頼自体はここで終わりだ。
だが、ここでこの大荷物を置いて帰る訳にもいかないし、そもそもパーリィさんはまだ一人じゃ帰れないからな。
「帰りもおぶります、落ちないように掴んでいてくださいね」
「そうかい、助かるのう。依頼外のことまで親切で助かるよ」
「いえ、無事に届けてこその依頼達成ですから」
「ははは、そうかいそうかい」
こうしてパーリィさんを壁樹の中までおぶり、部屋の端に収穫物を置いて別れの挨拶をする。
短い間だが、彼と一緒に居た時は楽しかった。仕事柄、依頼を終えてはい終わりという関係になりがちな気もしたが、そうでなかったのは嬉しい。
「時々遊びに来てくだされ。その時は、ご馳走を振る舞うからの」
「分かりました。僕も次に来る時は、何か差し入れでも持って来ますよ」
良くも悪くも、最初の依頼人がパーリィさんのような人で良かった、というのは確かだ。次はそれなりに生活ができるようになってから来るとしよう。またお世話にはなりたくない。
「それじゃあ、また会いましょう」
「じゃあねー、パーリィさん!」
「気長に待っておるよ」
暖かい別れの挨拶を交わして、僕らは初めての依頼を終了させた。
報告をしにグループの施設まで戻る頃には、夕方だった。陽がもうそろそろ落ちてしまうということを、反対側の薄暗い空が物語っている。
一切の休憩をせずに戻ってきたのは、やっぱり良かったな。休みたいとごねるアリシーを幾度となく説得し、途中で妥協せずになんとか引っ張ってきただけのことはあった。
そのため、アリシーが僕の肩に手をかけてぐったりしている事実は避けられないのだが。いくらアリシーの体重が軽いと言っても、僕も歩き詰めで疲れてるから重く感じる。
まあ、そこは男だ。我慢しておこう。
施設は目前だったが、ここでちょっとだけ休憩して、完全に陽が落ちてしまう前に入ることにした。
「はい、サインは受け取りました。確かにこの筆跡はパーリィさんの物ですね、それでは報酬をお渡し致します」
昨日と同じ受付嬢にサインを渡すと、ねずみ色の袋に入った報酬金を渡された。革紐で縛られていたので、それをほどいて中身を確認する。何らかの紋様が掘られた硬貨だ。材質は鉄か、そりゃそうか。
枚数は……ひぃ、ふぅ、みぃ……うん、十枚あるな。
「確かに受け取りました」
「はい、これで依頼は完了となります。次の依頼は受けていきますか?」
「いいや、今は大丈夫です」
「分かりました。リッキー様とアリシード・ソニア様は依頼を一つ達成しましたので、次回からの依頼料は木硬貨一枚になります」
「はい」
ふむ、木硬貨というのがあるのか。雰囲気的に、鉄硬貨よりも一枚の価値は低いのだろうな。
受付嬢さんには何点か訊きたいことがあったのだが、後ろで別のグループメンバーが待っていたため、それはまた今度にすることにした。
急ぐわけでもないし、また次の機会に回してしまっても構わないだろう。
ふう……。何だかんだ色々あったけど、初めての報酬だ。
なんだこれ、嬉しいぞ。簡素な布の袋に包まれているたった十枚の硬貨が、これほど輝いて見えるだなんて。
よし、食べよう。まずは腹ごしらえだ。アリシーも僕も、丸々一日は何も食べずに過ごしている。住居とか泊まるところは食後になんとかすればいいさ。
「アリシー、お腹減ったね。何食べよっか?」
「なんでもいい! 探しに行こ!」
食べ物の話をした途端、元気になったアリシーを見て一人で和む。今回の報酬金の価値は分からんが、それ相応の食にはありつけるはずだ。流石に一回で無くなりはしないだろう。
「了解、じゃあ行こうか」
「うん!」
僕達は施設を出て、肌寒くなり始めた町を探索することにした。無論、無理はしない。前回みたいな状況にならないように配慮をしながら、とりあえずは飯屋か何かを探すのだ。
「あ、あそこ良い匂いするよ!」
「おお確かに、気になるな。行ってみようか」
しかし、それも杞憂に終わったみたいだ。僕の腕を掴んで引っ張るアリシーに連れられ、旨そうな匂いのする店に走っていく。
こうして、初めての依頼は無事に終了した。




